補完 4-1
補完 4
橘結。
幼い頃、お祭りでそれぞれの母親に紹介され、その日僕達は出会い、遊び、別れた。
僕はそれから彼女の事をすっかり忘れていた。
だが彼女は10年も僕の事を想い続けていた。
それは僕に対する恋心などではなく、遠くてとても不確実だがトモダチとしての存在。
母親を亡くした彼女の、もしかしたら唯一の拠り所。
姿が見えなくても、仮に死んでいたとしても、彼女の中で僕はずっと「風船の子」だった。
高校入学前のあの日、彼女は僕を認識していた。
翌日、僕に「私の事覚えている?」的な事を聞いたのはその意味だった。
僕は昨日の事だと勘違いし、知らないと答えた。
彼女は思慮深さから結局4か月後の夏祭りまで何も尋ねたりしなかった。
ずっと確認したかっただろう。
南室さんと小室さんに打ち明けても2人には「確認するな」と口止めまでして
母を思い出してしまうかも。と黙っていてくれた。
橘結が背負うのはその人の未来。人生そのもの。
親族関係者の理解は昔に較べれば得られるようにはなっている。らしい。
その昔は一族を抜ける為に相応の儀式がされていたようだ。
聞いた話なのでどこまで真実なのかは判らないが、
ある一族では身体の一部を切り落とす。なんて連中もいるようだ。
それは最後の警告でもあった。「失われたら二度と戻らない」事を知らしめる手段。
実行する者を躊躇させ思い留まらせる口実。
それでも、どうしてだろう。
長く深い繋がりを断ち切ってまでも、上っ面だけの連中の中の1人に溶け込みたいのだ。
僕は理解に苦しむ。
その昔、黄金を求めて船に乗った者達のような輝く未来を求めているのだろうか。
それとも、その環境に居た者にしか判らない苦しみや悩みがあって、
ただただ逃げ出したいだけなのだろうか。
僕が以前襲われた犬の憑き物。
あれは保健所や飼い犬を集め、精神感応によって操っていたらしい。
そのためにそうなった時点で既に元の犬としての自意識は失われてしまう。
上書きされる。と言うべきだろうか。
動物は操り易いそうだ。特に犬くらいの知能が扱い易いらしい。
パソコンと同じで容量や処理能力によるらしい。
あまり「らしい」を続けるのも気が引けるのだが残念ながら僕の周囲に「それを出来る人」はいない。
ともかく、あの時橘さんの父親が「もう戻らない」と言ったのはこの事。
余談になるのだが、センドゥの使っていた人形もそう。
人の形をした器は彼の一族がその作成方法を伝承している。
原料は炭と藁と豚だか牛だかと聞いたがこれも本当の事を言っているの定かではない。
日本で言う式紙とやらに近いのかもしれない。
僕は誰にも言っていないし、言うつもりも無かったのだが
エリクであったり、ルーであったり、
センドゥ・ロゼの意識とか記憶とかが不意に浮かぶ事がある。
自分でもどうにも出来ない。本当に何でも無いトキに、
全く別の事を考えているトキに、別の誰かと話しているトキに、
不意に意識の端に通り過ぎる画面がある。
映像なのだけど不鮮明過ぎて何がどうなっているのかまったく判らないが
ただ暗くて冷たくて、痛くて辛い。
人らしい影と声のような音で聞き取れもしないのだが
身体と心が痛めつけられているのだけは判る。
これは他人の記憶だ。と言い聞かせるしかない。
そうしないと、自分の記憶とか経験として成立してしまう。
一度浮かぶと、それを追い払うのに数日から数週間かかる場合もある。
そしてその間の僕は他人から離れようとする。意識的にそうする。
酷いトキは全ての他人が全く信用できなくって、
酷い話なのだが僕を助けてくれた皆に対しても憎しみしか抱けなくなってしまい
一緒にいるとその人を傷付けかねない。
そんな事は無い。と判っているから誰にも何もしないで済んでいるが
何かの拍子に心にも無い台詞を口走ってしまうのを恐れ
なるべく人との接触を避けようとする。
僕が一向に社交的にならないのはコレも原因の一つなのだろうか。
しばらくすると、彼女達は不定期に僕が皆を避ける理由を知りたがった。
彼女達には何の責任も無いのに
「自分たちの為にそうなった。」と思われるのが嫌だったので
その都度適当な事を言って誤魔化していた。
大抵聞かれる頃には自分で何とか戻る事ができたので
世界情勢が悪いからだとか株価が下がっただとか
中高生によくあるつまらない事でイライラするアレ。
つまらない事で八つ当たりしたくないから。と言って謝って済ませてもらっていた。
ただ一度だけ、自分ではどうにも出来ない状況に陥った。
何でも無い日だ。朝いつものように目覚めてから学校に行く。
何の代わりももない。二時間目か三時間目の途中だった。
いつもよりハッキリとそう認識してしまった。
全身に鳥肌が立ったのを覚えている。
最初に見えたのは、雨の日の神社。
魔女が僕を燃やす。
その場面が一瞬途切れた瞬間に、自分でこれはマズイと思えたのが幸運だった。
僕は目の前のノートに「三原先生は味方だ」と殴り書いた。
「三原先生に救いを求めろ」とか「皆を信じろ」とか慌てて書いた。
だが僕はそのページを破り、ぐしゃぐしゃに丸めて授業終わりの休み時間にゴミ箱に投げ捨てた。
廊下に出て、顔を洗いに向かう途中で宮田さんに声を掛けられたが
僕は何も答えず、見向きもしないでそのまますれ違っていた。
宮田さんなのは認識できた。ただ口を開くと心にもない事を言いそうだった。
魔女の手先で、彼女も僕を嵌めようとしているのかも。と思いそうだった。
僕はそれを信じたくなかったから、その場から逃げた。
そして宮田さんがすれ違ってくれた事で
南室さんがゴミ箱から破り捨てたノートを拾ってくれた。
彼女の席から僕の席はよく見えるらしい。
突然頭を抱えて、ノートに何か殴り書きをして、でもそれを破いて丸めて
しばらく机の上に置いて、何度もそれを手に取ろうとして、休み時間に真っ青な顔して
ゴミ箱にソレを荒々しく投げ込んで廊下に飛び出た。まで一部始終を見ていた。
ただ僕の一連の行動だけでは「授業で判らないとこでもあったのかしら」程度にしか思わなかったようだ。
しかも「その程度で頭抱えなくても後で手取り足取り教えてあげるのに。」と
本当かどうか判らないがそんな事まで考えていた。
そこで宮田さんが泣きそうな顔して橘さんのところに行き
「キズナがおかしい。」と話した。
「どうおかしかったの?」
「アタシの事無視した。」
「お前また何かしたんじゃないのか?」
「そんなんじゃないっ。声を掛けたそうなのに掛けないんだよっ。ガン無視だ。」
「まあされてもオカシクないよな。」
「だから違うってっ」
「そ、そんな大きな声だすなよ。冗談だろ。」
「冗談じゃないんだよ。あの目、ちょっとヤバイ感じがしたんだから。」
僕はチャイムが鳴ってからようやく教室に戻ったので宮田さんとはすれ違わなかった。
その後も授業が終わるとすぐに席を立って教室を出た。
何処に行っていたのか覚えていない。ただフラフラしていただけかも。
昼休みも食欲が全く無くて、何処でどうしていたのか全く覚えていないのだがとにかく教室には居なかった。
「直接声掛けようにもすぐいなくなっちゃうのよね。」
「メールしてみ。」
「返信来なかったら泣くぞ。」
今回特にイベントは無い。それなのに僕がみんなと距離を置いた事で
理由が何も思い浮かばなかったらしい。
「朝は変わった様子無かったよね。」
「うん。挨拶しておしゃべりして。何の話してたっけ?」
「英語の宿題見せろって言ったら「そんなの出てない」て言われた。」
「それ今日出たわよ。」
「あ。」
と、南室さんがゴミ箱を漁った。




