補完 2-1
補完 2
僕には霊感が無い。と言っても霊がいるのかどうかも知らないので
そもそもこの否定は成り立たない。
じゃあお前の見えてる「何か」は何だ。て言われてると本当に困る。
あれを「霊」を呼ぶならそうなのかも知れないが
目の前にいる生きている人からもそれは見えるので、個人的に「霊」と呼ぶのは控えている。
それも全ての人に見えるわけではない。
生きた人からその「何か」が見えるよになったのはこの街に来てからだ。
2人の吸血鬼から始まり、猫娘や雪女に絡新婦。
特に3人の少女は見た目だけならどこにでもいる女子高生と何も変わらない。
神話だとか伝説だとかの類の物語に登場するそれらの存在も
実在し今尚その家系が続いく者もいるらしい。詳しくは知らない。
人との交配が続いた結果、その存在感が薄まったのだとか。
らしいを連呼するのも誰もそのことを正確に把握なんてしていなから。
僕の目の前の女性の一人は自分を「猫娘」だと言った。
感情的になると言葉の端々に「にゃ」が付くが
だからってそれが猫娘の証明になるのかと言うと、ならない。
人の子ではあり得ない身体能力がある事実以外、彼女は他のクラスメイト達と変わらない。
ように僕には見える。
僕には霊感が無い。が、彼女が他の人の子と違う。のは判る。
何がどう。ではない。これは本人を目の前にしないと理解できないと思う。
しかも、それが「いつも」なのではない。
普通の人の子と、彼女を並べても何も違いは感じない。
ただ彼女だけだったり、同じような存在の誰かと一緒だったりすると
この子やっぱり普通の子と少し違うな。と感じる。
それも、ハッキリとした違和感ではなく、なんか違うなあ。程度の事。
気にしようとしなければ全く気にならない。
それは僕が普通の子との接点が極めて少ないからこそそう感じるのだそうだ。
比較対象が他の誰か、ではなく、僕個人に限定されるため
サンプルとなる対象がそれぞれ1対で済む。その差異を僕が感じている。と言われた。
判ったような判らない話だ。
逆に、普通の人の子は、彼女たちを本能的に避けようとするらしい。
周囲の多くは人の子で、その中に彼女を入れると無意識に避けるようだ。
避ける。と言っても自ら近寄らない程度で、その存在を認識してしまえば
普通の人の子同士の交流と殆ど変わらない。
だがこの殆ど、が子供にはとても大事な要素。
その能力に関わらず、例え隠していたとしても、
こちらが心を開かない限り、相手からはまず声を掛けられる事は無い。
僕が越してきたこの町のように、「継ぐ者」に理解がある住民が多いならともかく
昔からずっとそれが当たり前のような地域ならともかく、
彼ら彼女らの多くは幼い頃に疎外され、孤独を知る。
この町には「継ぐ者」が多い。と言っても、住人の1割程度だろう。
元々その数は普通の人の子より少ない。時が経つほどさらに減るのは
人との交配で完全にその能力を失ったり、またその影響で同属が減ったから。
実際宮田さんの父親も、柏木さんの父親も普通の人だ。
栄さんの父親は同属らしいが「雪男」とは呼ばれていない。
この際なので説明しておくと彼女の一族は元々とある山の中に住む少数民族だった。
何を血迷ったか吹雪の山の中に彷徨い込んでしまった普通の人がいて
一族の女性が、このままでは死んでしまうかも知れないただの村人を助けた。
雪の中でカマクラを作り、火を起こし暖を与える。
意識の朦朧とした村人Aが吹雪の中で作業する彼女を雪女だと思ったところで誰が非難できよう。
彼は生き証人となった。村人Aが話を大きくしたのか、聞いたBやCが大きくしたのか。
とにかくあの山には妖怪の類がいるべさとかなんとか。
雪男だってきっと厚着したマタギあたりじゃないのか?
何より彼女達は自らを「雪女」だと名乗った事など無いだろう。
噂好きな誰かさんが勝手にそう言ったか、物語の作者が便宜上与えた名前に過ぎない。
栄さんが自分の事を「雪女」だと言うのもそう呼ばれているからそう言っているだけであって
その上で相手の反応を見て、自分の立ち位置を決めるのだと思う。
僕が彼女達に最初に出会ったあの日、彼女達が自己紹介で正体を明かしたのも
それで僕の反応を見ようとしたのだと思う。
僕は彼女達以外の「継ぐ者」の俗称とか別名を他の誰のも知らない。
態々「普通の人には見えない何かが見えるマカベキズナです。」なんて言わないのと一緒。
例えば技術の伝承であったり継承である場合、肉親が一番身近で馴染みやすい事は否めない。
だからと言ってその他の者以外に「それをさせない」のは極めて愚かな発想。
何代目の○○が、必ずしも直系の親族である必要などない。
より優れた取得者にのみその称号は与えられるべきだろう。
血縁者だから「継ぐ者」になれるのではない。が、
家業を継ぐのも伝統を継ぐのも何かと好都合だからそうなる。
それでも、やはり家を出る者は多い。
国やら行政から御恵みがあるような商売ならいざしらず。
露店の射的のお兄さんがいる。
彼の実家は小さな個人商店だ。スーパーが出来て、ショッピングモールに押され
彼の小さい頃から店は大変な状態だった。
彼が家を飛び出さなかったのは、彼がその家を救うと決意したからだ。
射的の露店は「趣味だ。」と言い切った。
彼はあまり人目に付かない商品を自らの足で探し、日本全国の小さな地方の名産を見付けて仕入売った。
「殆ど博打だった。」と言っていた。
「高くついて儲けが無い事なんてザラ。」だと言った。
彼はそうして少しずつ自ら動いてその交友や交流を深めた。
「借金はまだ山のようにある。」が返済は滞らせていないと自慢した。
何としても俺の代で返すと息巻いている。
簡単に、少し乱暴な言い方をするが、今や「継ぐ者」と普通の人は
例えば東京都民と群馬県民の違い程度でしかない。
それが近いと思うか遠いと感じるかは個人による。な意味だ。
僕の少ないトモダチの中で、普通の人の子なのは2人。
橘さんはよく判らないので除いた。
その2人の人の子は「継ぐ者」をどう想い感じているのか尋ねた。
「どうとも思って、あ、そうねもう少し大人しくしてほしいわね。」
「面倒事ばかり起こして騒がしいから。あの子達がいなければもう少しだけ静かな町になったでしょうね。」
それって特定の誰かの事に対しての文句なんじゃ
「だったら何よ。」
要するにトモダチに対する愚痴。そういう事じゃなくてもっと広義で。
普通人の子は誰かを「あの人「継ぐ者」だ。」なんて認識はしない。
だが不思議な事に「継ぐ者」は「継ぐ者」を知る事ができる。(一部例外はあるらしいが)
2人は人の子なのに、それが出来る。どうして?
「慣れ?」
慣れ?て聞かれても。
「どの辺りの出身なのか方言を聞けば判るのと似ている。」
方言扱いか。
「あなただって判るじゃない。」
僕の場合は限定されている。一対一で、しかもぼんやりと、そうじゃないかなー。程度の事。
いちいち確認もしていないから合っているのかも判らない。
「そうなの?」
「ワタシてっきり普通の子を避けてトモダチ作っているのかと思ってた。」
それは結果論です。
種族や、まして類や科が異なるなんて思ってもいない。
人種でもなく、肌の色でもなく、民族が違うとか宗教が違うとか、そんな程度の差異なのだろう。
だから態々僕が「継ぐ者」と呼ばれる人達を選んでトモダチになろうとしている。なんて事はない。
そもそも御2人も人の子じゃないですか
「継承者とか伝承者である事に違いは無いわよ。」
単純に価値観や認識の違いなだけであって、そこには区別も差別も無い。
が、傾向としての事象は確かにある。らしい。
その事象を何とかしようとしたのが僕の母親だった。そしてそれが未だに受け継がれている。




