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バレンタイン当日。
本当に、心の底から憂鬱だった。家を出るギリギリまで学校を休むつもりでいた。
イジメられていた頃でさえ、ここまで嫌な日だとは思わなかった。
祖母に心配掛けたくなくて家を出たが、このまま海を見に行こうかと本気で考えた。
去年のようにソワソワしたりフワフワしたり俯いたり見回したりする若者達。
独特の雰囲気が漂っている。緊迫しているようで優しさに溢れているようで、殺伐としてもいる。
エリクもルーもご機嫌だった。彼らは山のようにチョコレートを受け取った。
その分小室絢への贈り物も減るだろうと思ったらとんでもない。
結果的に去年より多かったのだと後に判る。
朝から鬱陶しい空気に辟易していた。
1時間目が始まる前から帰りたかった。
HR前からアチコチで行事が始まる。
1時間目の休み時間も同様だ。僕のクラスにはたくさんの人が集まる。
2時間目が終わった休み時間。一段落したのかエリクとルーが僕の元に来る。
何だよもう。自慢しに来たのかよ。
「オモシロイ風習だねバレンタインって。」
「向こうでは私たくさん貰いましたがたくさん上げましたよ。こっち仔猫ちゃん達にもあげたよ。」
今回渡せなかった人には3月に渡すんだよ。
「オオウ。それ聞いて驚いたネ。白い日?イミフよ。ワタシその前に帰るので明日皆配るよ。」
「で?キズナはいくつ貰ったの?」
ナニソレ。知ってて聞いてない?
誰からも受け取ってません。
「オウ。これワンダーね。9thワンダーよ。ボス何で貰えないか。」
誰も僕の事を知らないからじゃないかなー。
もうすぐ丸二年が経とうというのに僕はクラスの女子の殆ど(男子もだけど)と会話した事がない。
まして隣のクラスの女子なんて顔も名前も知らないだろう。
誰も僕を認識していない。見えてすらいないかも。
僕は実はここにはいないんだよ。君達にしか見えない亡霊なんだ。
「ヒィッ。冬場のホラーは御法度よ。」
ルーがわざとらしく驚いて、エリクは呆れたように笑って言った。
「もしかしたら本当にそうなのかも知れないネ。でもゴーストって言うより、」
とそこで自分の口を塞いだ。
亡霊って言うより?
「ゴーストではなく何ね?」
「い、いや。」
何だ?エリクが顔を赤くしている。元々色白だから目立つなコイツ。
そのまま何も言わずに自分の席に戻って女子達にからかわれている。
「何ですかアレ。」
さあ。
昼休み三原先生に呼び出された。山場の光景を見ずに済む。一緒にお昼も食べよう。
保健室に向かいながら去年の事を想い出していた。
産まれて始めて貰ったチョコは彼女からだった。
三原先生が呼んだのはチョコをくれるから。かな。
「今の内に渡しとくよ。」
とチョコを差し出された。
「去年みたいにまた騒ぎになっても大変だからな。」
爆発物騒ぎでしたよ。
実際耳を当てたのは僕1人では無い。本命カードで揉めに揉めて。と
昨年の話をすると三原先生が笑ってくれた。
良かった。この人は笑ってくれる。この人とお別れするのも辛いな。
早くイイ男見付けて結婚しちゃえばイイのに。
「今年も覚悟しとけ。」
覚悟ってコレに何か仕掛けたんですか?
「違うよ。」
彼女は僕の頭を撫で始めた。いつになくガシガシと頭を洗っているように。
そして不意に抱き寄せられる。
「もういい加減お前から謝ってアイツら許してやれよ。」
はい?
「綴と宮田だけじゃないぞ。皆泣いてたぞ。」
どうして。
「どうしてって、お前が1人で勝手な事したからに決まってるだろ。」
「その前に結構無茶な約束させたらしいな。」
僕は全て彼女に話した。
狙われるのは橘さんだと思っていた事。
彼女には護衛がいるから僕が囮とか人質として狙われるのは判っていたと。
だからこそ僕と連絡が付かなくても何もするなと約束させた。
万が一、最悪の事態が起きたとしても
エリクや、そして先生が仇をとってくれるだろうから。
「仇、か。」
実際そうなりかけた。
「だからって、どうしてお前1人傷付いてイイなんて思うんだ?」
彼女は怒っていた。
どうしても何も、僕1人と皆を天秤に掛けたら答えなんて。
あの時は、そんな余裕も無かった。あれが最善だと思った。
僕1人で何とかなるなら、皆は傷付かずに済む。
「お前が身体に一つ傷を作る度に、お前は皆の心に傷を付けているんだぞ。」
今まで無いような強い口調で言った。
誰かに聞いた事がある。
誰だっけ。
「私はお前を助けてやれなかった。」
彼女は養護教諭の研修で県外にいた。
同日、橘さんの父親も県外の神社で宮司として行事に参加していた。
彼がこの日を逃す筈も無い。
「でも1人で神社に向う前に連絡だって出来たろ?」
「お前が真っ先に「それ」を選択した事に私も、皆も怒ったんだ。」
僕は何も考えず1人で走っていた。
あの時は誰かに頼ろうなんて微塵も考えていなかった。
三原先生に相談したら電話口で止められただろう。
橘結に嘘のメールまで送って事を進めようとした。
自惚れかも知れないが、狙いが僕なのだと判ったからそれに乗って片を付けようとした。
ごめんなさい。
「私じゃなく皆に言えよ。」
でも今更。それに僕はもう。
「夕方身体空けとけよ。アイツらから呼び出しあるから。」
どうしてそんな
「あるんだよ。私が伝言頼まれたから間違いないの。」
「それとも学校で教室で盛大にやらかすか?」
い、いやそれは。
「お前、このままでもいいと思ってるだろ。」
どうして判る。
「もうその事でお前を責めたりはしない。そうしたくなる理由も知ったから。」
「でもなキズナ。人の縁なんてそう簡単に切れるもんじゃ無いぞ。」
「皆お前を大好きになった連中で、お前も大好きになった連中だ。」
「ちゃんと謝れ。生きていればやり直しなんて何度だって出来る。」
彼女は僕の母の事を言っている。
ハッキリとは言わなかったが、僕には判った。




