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「キミの言う通り全く無駄だったよ。」
彼は僕の周りを歩きながら話始めた。
長い旅の物語。北から南。東から西。
だがそれは彼の物語だ。僕のではない。
「旅は嫌いじゃ無い。」
何故かその言葉を「嘘だ」と感じた。
彼が旅をするのは、そうするしかなかったからだ。多分ずっと。
「ボク達のような人ならざる者の扱いは日本も大陸と大差ない。」
「それでも。それでもだ。」
「このボクに施しを与えようとしやがる。」
「突き放して、交わろうとしないくせに、知った気になってパンを恵む。」
「憐れんで、蔑んで、僕に温かいシチューを配る。」
彼は突然自分の座っていた椅子を蹴り上げた。
「クソっ」
自分と違う存在を他者は恐れる。警戒し、注視し、そして立ち位置を決める。
僕は常に下に位置されてきた。
彼は、おそらくずっと上でいようとしていた。
「で?」
「他には。」
「他に何を知っている。何に気付いた。嬉しいか。楽しいか。ボクの全てを見透かして。」
こいつは何に怯えている?
僕に対してそうする理由は無い。エリクやルーや、三原先生の報復?
違う。もっと根本的な何か。彼の存在意義に関するような。
その存在そのものを否定されてしまうような事態?
僕には何も判らないよ。キミの存在すら不確定で現実味が無いのだから。
そこに居るのに実は居なかったり。居ないと思っていたのに居る。
君の出生やら生い立ちやらにも興味は無いし、君の力がどんな・・・
君の力。もしかして
彼は僕を睨んだ。それ以上言うなと無言で圧力を掛けた。
初めて見せた怒りだった。それは今までのような殺意ではなく、
もっと単純な、そして原始的な、僕個人に対する怒り。
「ボクの何が判るっ!」
彼は僕に掴みかかった。深いソファに沈んでいた僕は動けず、
彼の勢いに負けてそのままソファ毎後ろに倒れ、2人で床に転がった。
彼は立ち上がり、僕を蹴り上げ、それから馬乗りになって殴りつける。
「ただの人の子がボクの苦しみに同情なんてできるものかっ。」
「昨日出来た事が今日出来なくなる。」
「昨日見えていた物が見えなくなる。」
「この恐怖がお前なんかに判る筈がないだろうっ」
「どうしてどいつもこいつもそれを受け入れるっ。抵抗しないっ。」
僕はまだそれを知らない。多分それは「老い」と呼ばれる現象。
彼が、彼らが体験するにはあまりに受け入れ難い事実。
20代にして、衰えた自分と付き合わなければならない。多くの継ぐ者の宿命。
「何なんだっ何なんだよお前っ」
「救ってみろよっ。ボクをアイツらのように救ってみろよっ。」
「トモダチになれるだと?なってやるよ。さあなってやるからボクを助けろっ」
僕は何度か顔や腹にパンチを浴びる。
小室絢のそれより痛くない。と言い聞かせる。
何とか避けたり受けたりしているから、芯を外していたのだと思う。
彼の拳が脇腹に食い込んでも。頬に当って鈍い音がしても。僕は意識を失わずにいられた。
彼が殴り疲れたのか息を切らして手を止めた瞬間。
僕は右腕を彼の腹部に向けた。
彼は触られる前に僕の腕を取った。
「ちっ。この腕でボクに何を」
僕の腕を取ったヴァンパイアの腕。狙いは最初からそれ。
僕は左腕で彼の腕を取る。
握手だよ。トモダチの証だ。
彼が何かを言う前に、彼がその腕を払おうとする前に。
そして彼を覆う黒い霧を掴んだ。
「やめ」
グイと霧を引っ張る。重い。
頭の中に直接声が響いた。
何語なのだろう。彼の母国語だろうか。ほんの少し英語も日本語も混ざっている。
だが何を言っているのか、何を叫んでいるのか判らない。
悲しみと呼ぶには深すぎる。
絶望
そして憎悪。
彼の感情が僕に流れ込んでくる。
呪われて、捨てられるためだけに産み落とされた命。
突然の大きな音に我に戻った。
音の方を見ると高い天井から照明が落ちて砕けていた。
柱の欠片が落ちる。
遠くでガタンと音がしている。アチコチで何かが落ちている音が始まった。
彼の手を離すとグッタリとしていた。意識を失っている。
建物が崩れているのはもしかして、彼の意識が切れたから?
どうやら結局彼は僕の死神になるのか。
彼の悩みは実にシンプルだった。
「自分は何者なのな。」
「自分は何処に行けばいいのか。」
10代の僕達が抱える最も一般的な悩み。
彼は青春を拗らせただけ。
持て余して抑えきれずにいた力が失われていく恐怖。
何てことはない、彼は普通のどこにでもいる人の子となんら変わりない。
僕達が言う夢や希望や目標が彼にとっての「それ」だった。
あんなに必死で熱く探していたのに、
いつの間にか何を捜していたのかさえ忘れてしまうような。
後日、事の顛末を語った後にルーが言った言葉が全てだ。
「私がこうなっていたかもネ。」
君は大丈夫。イイ奴だから。でも君の居場所はここじゃない。
「何でワカリマシタか。ボスやっぱりチョット怖いですよ。」
トモダチだから。僕は君の背中を押す。
日本的な慣用句なのかな。通じるだろうか。
君はもっと暴れたいんだろ?こんな狭い国じゃ君は収まらないよ。
早く帰って大好きなバスケでもホッケーでもフットボールでも存分に楽しむといい。
「背中押されました。私帰るよ。でもちゃんと最後までいるね。」
「トモダチも出来た。カーニバルに参加できた。ここにいる理由無くなった。」
「でも私、最後までちゃんといる。もう少しだけトモダチよ。」
もう少しだけなんて言わないで、僕達はずっとトモダチなんだ。
君が何かを成し遂げたら、僕が別のトモダチに自慢するんだ。こいつ僕のトモダチなんだって。
「約束しました。お互いどこに居て何をしてもトモダチなのは変わらないね。」
僕の出した手を彼は握ろうとするが止めた。その代りにとても強いハグをした。
僕も彼の背中を二度叩き
君なら出来る。何にだってなれる。
僕には出来ない。僕は何者にもなれない。彼が羨ましい。
センドゥ・ロゼ。
彼も何かになれる筈だった。何にだってなれた筈なんだ。まだまだなれる何かはある。
僕はどうなんだろう。何者かになれるのだろうか。




