本能寺の変にて、自害寸前の信長に宇宙人が訪ねてきた話
――静謐で残虐な心地漂う、有り余る漆黒の闇の中。
辺りは一面、行灯を蹴っ飛ばしたみたいに灼熱の炎が取り巻き、じわりじわりと、我の命を奪わんとしてくる。
全ては、我の行いが招いた事態である。
我は幾多の大名の首を獲り、数多の者を支配し、その他諸々を治める――そんな天下統一だとかそういうものに、実のところ殆ど興味はなかった。
ただ、我にはこの世をざわつかせるほどの武才があったらしい。
あったならば、他の者はどうしただろう。
それこそ、天下を取る為に使うか。それとも、己を恥じて封印するか。はたまた、自らに恐怖し――自ら死を選んでしまうか。
我は、そのどれとも違った。
ただ単に楽しいことがしたい。我の才を生かせるならば、どんなことだってしたい。
そう、詰まり天下統一自体は『オマケ』ということである。
武の才能があるならば、使わずして勿体ない。
ならば、そうである。
――折角だから、使ってやればよいのだ。
「……そして、もはや我の人生もここまでか」
反乱を起こした明智のハゲ野郎に襲撃されて早数日。
たまたま僅かしか連れていなかった仲間と戦ったが、一万の軍勢に劣勢を強いられた我は仕方なしに本能寺へと逃げ込み、生き残った者と必死に戦った。
だが、こんな絶望的な状況になってすら、我は笑うことを堪えることが煩わしい。
「……ふふふ、はははは! そうか! ならばそうだ、詰まり我は一万の兵に反乱を起こさせるほど名を上げたか! これはなかなか心地が良い。貴様、とびきりの酒を――」
――近くに佇む側近に先日手に入った上物の酒を持ってこさせようとするが、気付く。
そいつは確か、明智のハゲクソ野郎に胸を串刺しにされておった。近くには誰もいない。
そしてこの燃え盛る寺だ。きっと、わざわざ持ち歩かせていた酒も炎の一部であろう。
しかし、ああ、愉快愉快。天すら我を見放したか。面白い、ああ面白いぞ。
「そうか…………ここまでか」
大笑いを途端にニヤけ顔と変貌させ、我は一息をつく。
その一息が、やけに重苦しい。おそらく炎によって辺りの空気が薄くなっているのであろう。燃やし尽くされていく寺と同調するかの如く、我の身体にも影響が出始めたというわけだ。
我が死んだならば、豊臣は上手くやるだろうか。
我が死んだならば、徳川は笑ってくれるだろうか。
我が死んだならば、明智のハゲクソボケ野郎は――。
「――――」
我は手に、一本の刀を取る。
炎に囲まれて動けぬのでその場で正座、海より深く深く息を吸い込んで、山より高い場まで届くくらい吐き出した。
やられるくらいならばと、常に考えていたことだ。それを今、我は実行に移そうとしている。
ああ、小気味良い。
明智のハゲクソボケアホ野郎は、我を殺したくて殺したくて仕方ないのだろう。そしてその我が、今ヤツも近付けぬほど火に捕らわれ、我自身も自ら死のうとしている。
共に戦ってくれた家臣たちにはすまないが、残っているのも我たった一人。ここで、華々しく散らせて頂こう。
「――さらば」
「おいおいおいおいちょっち待てや。死ぬなよ、死ぬなよ……」
「ぬ、曲者!」
「うぅわ、あっぶ! 刀は投げる物じゃなくて、正々堂々と正面からチャンバラする物でしょぉ!? ねぇー(´Д`ノ)ノ」
「……?」
我が腹に刃を当てようとした寸前、耳の奥に直接届くような声音が我の感覚に貼り付いてきた。
いつもの癖で刀を声がする方へ放り投げてしまい、その先に誰もいなかったことと、清々と自害する手段をなくしたことに落胆する。
今は声は聞こえず、我は疑問に思う。
「……何事だ? 確かに、誰かがいたような気がするのだが」
「合ってるよ、のぶっちー。その武才を、頂きに参りました候」
「……よくわからぬ言葉を使う者だな。何故こんな所におるかは知らんが、お主もキリストの影響を受けたか。キリスト教は全国禁止にしたはずだが」
突然、背後を取られた気配を感じて、我は肩の力を抜く。
何となくわかるのだが、こやつは敵ではない。ましてや、我の味方でもない。真っ当な第三者――それが、今真後ろにいるヤツに最も相応しい評価だ。
さらに付け加えると――こやつに、我は勝てない。確信があった。
「ただ楽しいことがしたいと、ただそう願って天下を取ろうとしておったが……ここまで膨大で、力強く、活気溢れる気配はなかなかなかったぞ。豊臣と、徳川……あとは石田くらいか。それくらいしか貴様に並ぶ者はおらん」
「やだなぁ、キリスト信者じゃないってば。僕はただ単に『織田信長』の才能を貰いに、はるばる宇宙の彼方からやってきたってのに」
「我の……才能、か」
「そ、才能。織田信長の武才と言えば全宇宙に名が知れ渡ってるほど貴重な戦力……だから、要すればのぶっちーを拐いに来たんだ」
変なことを抜かしておる。もしや、ヤツは我が見ている幻覚だとでも言うのか。
案外、そうかもしれなかった。この炎の中で、腹を裂こうとしていた人間が我だ。そのくらいの精神状態でも、おかしくはあるまい。
ただ、面白いことは好きだから。折角なので付き合ってやることにする。
「……言っておくが、我はここで死ぬ。ぬけぬけと明智のハゲクソボケアホチビ野郎に首を刈られるくらいならば、自ら死を選んだ方が良い。もはや止めも敵わぬほど、我の決意は固く深いぞ」
「――あんたがここで死ぬことを止めたら、大勢の命が救われると知ったら?」
「――――」
一時の沈黙が辺りを支配した。
ぱちぱちと寺が焼ける音、そしてどこかで何かが倒壊する音――そんな音しか、聞こえない。
どこまでも響き、どこまでも続くような気がした時間は、唐突に破られた。
「わかりやすく言葉を選ぶと……僕の国ではね、戦争をしているんだ。今は相手側が優勢、此方側は食料も水も戦力もない。このままだと負けてしまう……そこで僕は送り出されたんだよ、この地球に」
「…………」
「そしてあんたの元にやって来た。時間と、場所を越えてでも、必ず皆を救うって……そう約束して旅立った」
ヤツは一拍ほどの間をとった後――、
「――織田信長。戦力として力が借りたいんだ。どうか、僕に付いてきてくれないか?」
そして我は、五拍ほどの間をとった後――、
「――貴様、よくもそんな馬鹿げた口が叩けるな!」
「……仕方ないね、そもそも僕がここにいることすら歴史的にイレギュラーなのに。それでも本当なんだ、あんたの力が――」
我は、その恵まれた体躯でヤツを押し倒していた。
初めてヤツの姿形を目にしたが、やはりおかしな格好をしておる。
いや、そんなことはどうでもいい。ただ、怒りが我を支配していた。
「――貴様、恥を知れ! 自ら戦ってもおらぬ癖に戦力を頼りにはるばる旅してきただと!?」
「知ったようなことをよく言えるね。僕は戦ったよ、戦ったさ! いくらなんでも、自分可愛さで戦争から逃げ出してきたわけじゃない!」
「いいや違う! 貴様からは血の匂いはおろか、刃物を握った筋すら付いておらぬ!」
「いいかい、地球と! 宇宙では、違うんだよ! 戦争ってものは――!」
「貴様が今こんな場所で、こんな場所で糠を食っておる間にも戦が続いておるのがわからんのかぁ!」
「――!」
一通り言いたいことをぶちまけてやった。
怒りは鎮まり、乱雑にヤツを解放してやる。何だか変な気分である。これほどの怒り、明智のハゲクソボケアホチビデブ野郎にも感じたことはなかった。
「仲間が、いるのではないのか」
「――――」
「守りたいのでは、ないのか」
「――――」
「自ら決めた意思を、赤の他人に頼るという形でねじ曲げる等もってのほかだ。意思というものは自分にしかない。さらに、その愚直な意思をどうこう動かせるのも自分だけである。仲間というのは、そういった情けない自分と共に戦ってくれる者のことを呼ぶ」
息が苦しい。あれほどの形相で怒ったのだ、きっともう、空気は限りなく薄いだろう。
なのにヤツは息切れ一つしておらぬ。そこがまた少し苛つくが、放心したかのように力なく佇んでいるのには満足感があった。
「我は、死ぬ」
「…………ああ、そうかい」
「ただ、一つ覚えておくがよい」
「……?」
我とヤツのいる床以外、もう何も残っていない。
我は思う。落ちて死ぬか、焼けて死ぬか。
いや、それでもやはり――自ら死にたいのである。
明智のハゲクソボケアホチビデブガリ野郎に一泡吹かせてやりたいのもある。あるが――。
「我は、戦に関係のある敵は殺す。だが、理由もなく戦に関係ない者を殺したりはしない。わけもなく、味方を殺したりもしない」
「――――」
「そして、それはこれからも同じことである」
「――我の意思は、天下でも死後でも続く!」
「……それ、本気で思ってるわけ?」
「無論である。我の世界は、この場で終わりではない。ここから先の世界は、まだ見えぬだけだ」
「見えない、だけ……」
「我が成し遂げるか、他の誰かが成し遂げるかはわからぬ。だがこれだけは言える――『我は続く』とな」
「……僕はとんでもない人に目をつけてしまったみたいだね。これは、そうだ。誰も織田信長を狙わなかったわけだよ」
ヤツは何処から拾ってきたのか、我の刀を差し出してきた。
鞘はなく、刃は何時よりも光って艶めいて見えた。我はそれに頷いて手に取ると、自らの腹の前に構える。
「貴様、礼を言うぞ――」
「言われる筋合いなんて、ないはずだけど」
「――楽しませてくれた事を、感謝する」
「――――」
誰も、それからは何も言わなかった。
「――さらばだ、我以外の全てよ」
今度は、誰の邪魔も入らずに。
我はこの世を去った。