ⅩⅧ 生き続ける伝説(3)
ほんの短く輝いた瞬間、キャメロットという名の場所があったことを忘れてはならない。
アラン・ジェイ・ラーナー&フレデリック・ロウ『キャメロット』より
翌日午前9時。ピカデリー地区、ホテル・リッツ・ロンドンの一室……。
「――…んん? ……ふぁ~あ……今、何時だ?」
豪勢なスウィートルームの本牛革張りのソファの上で、刃神はまどろむ意識の中からゆっくりと覚醒した。気だるい身体を横にしたまま窓の方を眺めると、厚いカーテンの隙間からは明るい日の光が細長い線となって床に差し込んでいる。
「もう、9時か……」
マントルピースの上の大理石の置時計を見ると、二本の針はⅨとⅫを指していた。
「……っつつ……ちょっと飲み過ぎちまったみてえだな……」
ソファの上で上半身を起こし、頭に重さを感じながら目の前のテーブルに視線を映すと、その上にはシャンパンやらスコッチやらの瓶やグラスが林立し、ツマミに頼んだルームサービスのチーズ盛り合わせなども散乱している。
さらにその混沌とした景色の向こう側には、対面のソファでだらしなく鼾をかくアルフレッドの姿が見えた。
お宝を手に入れた喜びに、昨夜は羽目を外して大酒を喰らい、いつの間にやら眠ってしまったらしい。電気もテレビも点けっ放しで寝てしまったように記憶しているが、今はちゃんと消えている。誰か最後まで起きていた者が消してくれたのだろうか? アルフレッドもこんな感じだし……マリアンヌか?
その時、嫌な予感がふと、刃神の脳裏を過った。
「小娘……あいつ、どこ行った⁉ ……ベッドルームか? っつつ…」
重たい頭を押さえながら、手に握ったエクスカリバーを杖にして立ち上がると、刃神はベットルームの方へ行ってみる。
しかし、そこにマリアンヌの姿は見えず、ベッドを使った形跡もない。そこでバスルームを始め、すべての部屋を探してみたが、やはり彼女はどこにも見当たらなかった。
「おい! 起きろ詐欺師! 小娘はどこ行った⁉」
刃神はリビングに戻ると、アルフレッドの胸ぐらを摑んで揺すり起す。
「……うんん……なんすか旦那、朝っぱらから騒々しい……も少し寝かしといてくださいよお……」
「んな暢気なこと言ってる場合か! 小娘がどこにもいねえんだよ!」
寝ぼけるアルフレッドを刃神はさらに激しく揺さぶる。
「小娘ぇ~? ……ああ、マリアンヌ嬢ちゃんのことっすねえ……いいじゃないですか、もう未成年じゃないんだし、どこ行こうとそれは彼女の勝手。そんなんじゃ、若者に嫌われますよお……ええっ⁉ い、いないって、それ、本当っすか⁉」
段々と覚醒して来た意識の中で、ようやくアルフレッドは今起きている事態と、そこから予測されるであろうことを認識して飛び起きた。
「おい、てめーにもどっか行くとか伝言は残してねえんだな?」
寝癖のついた頭のまま目をパチクリとさせて座るアルフレッドに、刃神は改めて尋ねる。
「え、ええ。昨日の晩、三人でここで飲んでたとこまでは憶えてるんすが、いつの間にやらぐっすり眠ってたみたいで……」
「……プーッ! ……やられたな。あの女、俺達のグラスに睡眠薬を盛りやがった」
その言葉を聞いて、刃神はテーブルの上のワイングラスを一つ取り、その中の気の抜けた黄金の液体を僅かに口に含むと、味を確かめるように舌の上で転がしてから勢いよく空中に吐き出した。
「ええっ!」
「となると、あの小娘のやるようなことは一つだ。おい、アーサー王のレガリアはどこへ置いた?」
さらに驚くアルフレッドに、刃神は重ねて問う。
「ハッ! ……お、お宝は酒の肴に眺めながら飲もうと、向こうのテーブルの上に……ない。あああ、お、俺のお宝~っ⁉」
となりに続く部屋に置かれた脚の高い木製テーブルの上に何もないのを見ると、アルフレッドは真っ青な顔になって、大慌てで各部屋を探し始めた。しかし、数分とかからぬ内に、さらに血の気の失せた顔を下げて彼は帰って来る。
「や、やられました……詐欺師を欺くなんて、とんでもないお譲ちゃんだ……旦那の方もやっぱり……」
「フン。俺はてめーみたいに甘かねえよ。エクスカリバーはほれ、この通りずっと肌身離さず持ってたからな。さすがの小娘も手が出せなかったようだ。ハハッ!」
魂の抜けたような眼をして尋ねるアルフレッドに、刃神は右手に握ったエクスカリバー(・・・・・・・)を自慢げに掲げて笑う。ところが、それを見たアルフレッドは怪訝な顔をして彼に告げる。
「エクスカリバーって……旦那、それ、コウモリ傘っすよ? いつから英国紳士になったんです?」
「ああん?」
見ると、確かにそれはエクスカリバーなどではなく、黒いナイロン生地の紳士用雨傘だった。
「な、なんじゃこりゃあああああーっ!」
刃神は英国に来て以来、一番の驚愕の叫び声を上げる。
「くっそぉ…あの小娘、ギッタギタにぶった斬ってやるっ!」
ガシャァァーン…!
悔し紛れにエクスカリバーよろしくコウモリ傘を振るい、刃神はテーブルの上のビン類を横薙ぎに一掃する。しかし、その行為は床に敷かれた高級そうなカーペットを汚しただけで、彼の苛立ちを鎮めるまでには至らなかった。
刃神はますます顔を赤くし、飢えた獣のようにギリギリと歯軋りをさせる…が、いくら悔しがったところで、なんの問題の解決にもならない。
「完全にやられましたねえ……」
「ああ、俺としたことが油断したぜえ……」
二人は、しばしその場で敗北の味に打ちひしがれた。
「……とりあえず、モーニング・ティーでも飲んで落ち着きますか? あればコーヒーの方がいいっすが」
「ああ、そうだな。あの抜け目ねえ小娘のことだ。もう遠くまで行っちまってるだろう。焦ってもしょうがねえ……」
しばらくの後、哀れな男二人はそんな結論に達する。アルフレッドは緩めたネクタイを締めながら電話の方へ向かうと、ルームサービスを頼んだ――。
――コンコン!
それほど待つことなく、頼んだコーヒーと紅茶はやって来た。
「ご注文のブルーマウンテンとセイロン・ティーにございます」
「ああ、ありがとう。ここで受け取るよ」
先程、刃神が酒をぶちまけたカーペットのこともあるし、商売柄あまり干渉してほしくはないので、アルフレッドは入口でそれらの乗った銀のボードを受け取ると、チップをボーイに渡す。
「あ、ありがとうございます、サア」
だが、そう笑顔で礼を言いながらも、なぜかボーイの目は部屋の中の様子をしきりに覗おうとしていたのだった。
そのボーイが僅かに見せた不自然な態度に、アルフレッドはそこはかとない不安を感じた。そこでドアを閉め、紅茶を刃神に渡した後に、コーヒーのカップ片手に窓の方へと近付くと、開けたカーテンの隙間から何気なく眼下の通りを見渡してみる。
「……ん?」
すると、この高層階から見下ろすホテルの正面に大きな特殊車両が二台停まり、そこからわらわらと20名程の黒い集団が溢れ出て来るのが彼の目に映った。ここからでは蟻のように小さく見えるが、それは明らかに武装した警官隊である。
ゲッ! なんで、サツがここに⁉ ……ああ、なるほど。マリアンヌ嬢ちゃんがわざわざ通報してってくれたんだな……あんな本気でサツが出張るような凶悪犯が他に泊ってるとも思えないし、つまりはまあ、そういうことなんでしょう……俺達を足止めするためとはいえ、あのお譲ちゃん、ほんと容赦ねえなあ……もう、脱帽だよ、脱帽……。
アルフレッドはホテルの裏口の方へと小走りに向かって行く別働隊を見送ると、フランス人がよくやるように帽子を取る真似をした。
「……んん? どうかしたか?」
その奇妙な動作を見て、険悪な顔でお茶を啜っていた刃神が尋ねる。
「あ、いえ、なんでもありません。改めてマリアンヌ嬢ちゃんの手並みの良さに感服してたんすよ」
しかし、アルフレッドは今見た警官隊のことは報告せずに、冷静を装って刃神にそう答える。
「ケッ! 感心してる場合かよ。なんとかあの小娘の行き先を突き止めて、後を追わなきゃいけねえ……なんか手掛りはねえか?」
幸い刃神はその嘘には気付かず、苦々しげに相変わらずの悪態を吐いて返した。
「そうっすねえ……とりあえず緑男の骨董店にでも行ってみますか? あそこのご主人なら、マリアンヌ嬢ちゃんのことについていろいろ知ってそうですし」
それを見たアルフレッドは、話を合わせてそんな提案をする。
「そうだな……今はそれしかねえか……」
「じゃ、決まりっすね。そうとなったら早速行きましょう……と、言いたいところですが、こんな二日酔いで酒臭いまんまじゃ頭も回わらないってもんです。どうです? シャワーでも浴びて、頭スッキリさせてからにしませんか?ああ、勿論、旦那がお先にどうぞ。若輩の俺は二番手でいいっすから」
その提案に刃神が乗って来ると、アルフレッドは一体何を考えているのか、この状況下でありながらシャワーまで勧め出す。
「ああ、そうだな。確かにオツムをスッキリさせた方がいいかもしれねえな……んじゃ、一っ風呂浴びてくらあ」
アルフレッドの言葉が巧みだったのか、それとも盛られた睡眠薬のせいで洞察力と判断力が鈍っていたためか、刃神はまんまとその策略に嵌った。
刃神がバスルームのドアの向こうへその姿を消すと、アルフレッドはニヤリと密かにほくそ笑む。
「刃神の旦那、勘弁してください。これも前途有望な一人の青年が無事逃げ伸びるためです。例えこれが今生の別れになろうとも、尊い犠牲となってくれた旦那のことは一生忘れません……んじゃ、そんな訳で俺はこれで。さて、ボーイの衣装でも盗んで変装するかな……」
そして、バスルームの曇りガラスに向かって厚く礼を述べると、気分一点、自分の荷物をまとめ、いつもの軽い調子でこの部屋を出て行った――。
それから5分程後、部屋の前には先程の警官隊の内八名が到着し、突入の準備を始めていた。
「――よし。全員、配置に付け。正面入口、裏口、そちらの準備はどうだ?」
黒いボディ・アーマーに身を包んだ警官隊の隊長が、インカムで別働隊に確認を求める。
「正面入口、異常ありません……」
「裏口、配備完了いたしました……」
砂嵐のようなノイズ音混じりに、耳に着けたレシーバーからはすぐさま立て続けにそんな声が返ってくる。それを確認すると、隊長は傍らに立つ、明らかに警官隊とは違う男に目で合図を送った。
そのカーキ色のトレンチコートを着た金髪碧眼の長身の人物……それは、刃神達同様、ロンドンに帰って来ていたマクシミリアンである。
昨日、グラストンベリーでの事後処理を一応終え、後は地元警察に任せた彼は、英国警察上層部への説明のためにスコットランドヤードへ帰って来ていたのだ。
ところが、今朝になってこの騒ぎである。なんでも、このホテルに「フランスが誇る華麗なる怪盗マリアンヌとその愚かな下僕二名が潜伏している」との匿名希望の電話が、ご丁寧にも部屋番号まで指定して八時半頃にかかってきたのだそうだ。
そこで、ヤードの上層部が煙たがるのも他所にICPOの担当捜査官である権限を発動し、こうして警官隊について来たという次第である。
だが彼の隣には、ここ一月というもの、ともに事件を追って来たジェニファーの姿はもう見られない。
あの後、彼女はすぐさま辞表を提出し、あれほど拘っていた刑事の職をあっさりと捨てたのだそうだ。
彼女の恋人であったランスロット卿ことジョナサン・ディオールの遺体は検死解剖に回されており、今はまだ葬儀もできる状態ではないが、彼女は今、どこで何をしているのだろうか?
根拠の定かでない噂では、どこかの教会で尼僧になるのだとかいう話も聞いた。あたかもカムランの戦の後に、グウィネヴィア妃がそうしたことのように……。
そんなかつてのパートナーのことを一瞬、脳裏に過らせながらも、突入の許可を求める隊長の視線にマクシミリアンは黙って相槌を打つ。
その合図に、隊長は部屋のドアを激しくノックした――。
一方、その頃、部屋の中では……。
「――フー…さっぱりしたぜ。っつっても、あのクソ小娘のこと考えると、気が急いて長風呂はできなかったけどな」
以外に早くシャワーを終えた刃神が、既に服も身に着けてバスルームから出て来ていた。ただし、いつも頭に巻いているターバンは外したままで、濡れた黒い髪をタオルでゴシゴシと拭いている。
「これでようやく頭も冴えてきた。おい、詐欺師。俺はもういいから使ってもいいぞ? ……ん? おい、詐欺師、どこ行った?」
ドンドンドンドン…!
と、その時、入口のドアがけたたましいノック音を上げる。
「警察だ! 怪盗マリアンヌ及びその配下の者二名! 文化財の窃盗ならびに傷害致死、銃器等の不法所持等の容疑で逮捕する! 速やかにこのドアを開けなさい!」
続いて、そんな口上もドアの向こうから聞こえてくる。
「ハア? 警察だあ? なんでサツがここにいんだよ……っていうか、誰が小娘の配下だ! ボケぃ!」
口上の主にそんなツッコミを入れつつも、刃神は一瞬の内にこの事態を理解する。
「チッ…小娘のヤツ、嵌めやがったな。ったく、どこまでもムカつく女だぜ……それに詐欺師。あの野郎も俺をダシに自分だけ助かる魂胆だな……」
「おい! 早く開けないか! 開けないと強制的に踏み込ませてもらうぞ!」
そうして恨みごとを言っている内にも、警官隊は突入への手順を踏んで行く。
「クソっ! あの野郎ども、今度会ったらナマス斬りにしてやるからな。憶えてやがれよ……って、んなこと言ってる場合じゃねえな。さて、逃げ道とすりゃあ、窓から外出るしかねえか……」
刃神は非建設的な時間の無駄使いをやめると素早くターバンを頭に巻き、ソファの上に放っぽり出してあったコウモリ傘を引っ摑んで窓の方へと向かう。
「こいつじゃ、ちょいと武器には物足りねえが……ま、ないよりはましか……」
「……よし。もういいだろう。お願いします」
一方、外の警官隊はホテル側の協力を得て、カードキーの解除に着手する。とともに、そこにいた八名の警官及びマクシミリアンはドアに向けて一斉に銃を構える。
「よし! 突入っ!」
バダン…!
ドアの鍵が開いた瞬間、警官隊は一気に部屋へと雪崩れ込む。
「フン。誰が捕まってやるかよ」
それと刃神が窓から外へ出るのは同時だった。彼は外へ出るや外壁伝いに、屋上へ上がるための道を探して移動を始める。
「しまった! 窓から逃げたか! 正面入口と裏口にいる者へ連絡! 犯人は窓から外へ出て屋上へ向かう模様。けして見失うなよ! ……しかし、ヤツはここを何階だと思ってるんだ⁉」
「それよりも、ここにいたのはヤツだけか? 怪盗マリアンヌは……女ともう一人はどうした⁉ ……まさか、また図られたか……」
タレ込みとは違う状況と相手の予想もしていなかった行動に、警官隊もマクシミリアンも一瞬にして大混乱となる。
「……ったく、最悪だな。なんでこの俺様が、こんな朝っぱらからビルをよじ登らなきゃなんねえんだよ……ハァ…こいつが〝メアリーポピンズの傘〟だったりしたら、ものすごく助かるんだがな……」
そんな警官隊を他所に、ぶつくさ文句を口にしながらも瀟洒な壁を伝って屋上へと逃れた刃神は、そのどう見ても〝魔法が使える乳母〟のものには見えない紳士用の傘を、英国らしい灰色の空へ向けて勢いよく開いた……。
(マイポン・ハンティング 了)
To Be Continued…
A suivre…




