Ⅱ アーサー王の被疑者たち(2)
ほんの短く輝いた瞬間、キャメロットという名の場所があったことを忘れてはならない。
アラン・ジェイ・ラーナー&フレデリック・ロウ『キャメロット』より
「いや、確かに今言ったような説だけを聞くとそう感じてしまうのですが、その一方、アーサーのモデルは実在の人間ではないと説く人達もいるんですよ」
マクシミリアンの正確無比に動く口はまだまだ止まる素振りを見せず、今度は逆に、これまでに自分の述べた話をすべて否定するようなことを言い出すのだった。
「例えば……そう、その熊」
僅かに考える間を置いた後に、マクシミリアンはレストレイドの机の上に置いてあった木彫りの熊を唐突に指差す。黒っぽい色をした四つん這いの熊が鮭を咥えている像である。
「く、クマ? ……ああ、これは日本のホッカイドウという所へ旅行に行った友人から土産にもらったものなんですが……これが何か?」
レストレイドは彼の示した物を確認し、急な展開にまるでついていけてない顔で尋ねる。
「いえ、その彫刻のことではありません。私が言っているのは〝熊〟そのもののことです。現代ウェールズ語で〝アルス〈Arth〉〟は熊を意味することから、〝アーサー〟の名の語源は熊を意味するものではないかともいわれています。そして、インド=ヨーロッパ語族の神話では〝アルトス〈Artos〉〟もしくは〝アルティオ〈Artio〉〟という熊の男神や女神が広く見られるのですが、この神がアーサー王のもともとのモデルではないかという説があるのです」
「ああ、そういうことですか……つまり、その神様の話だったものが、後の世にアーサー王という英雄の伝説に変化していったということですな?」
「ええ。ただし、ブリテンに〝アーサー〟に似た名の神がいたという証拠は見付かっていませんがね。しかし、アーサー王伝説は魔法や異教的な要素で満ちており、ケルト神話からそのモチーフを借りていることは確かです。アーサーが本来は神か、あるいは半神半人的な存在であった可能性も捨て切れません」
「半神半人?」
「読んで字のごとく、半分は神、半分は人間的な存在ということです。このいわば〝神アーサー説〟にもいくつかの考え方があるのですが、『キルフフとオルウェン』など初期の詩作品に見られるアーサーが〝巨大な猪――トゥルフ・トルイス〟を狩る話をそれ以前に神話的アーサーが存在していた証だとし、原アーサーは〝巨大な生物と魔法が息づく荒野で英雄達を率いていた神性を持つ巨人〟であったとするものもあります」
「巨人……なるほど。確かに半分は異教の神みたいなもんですな。最早、我々のイメージするアーサー王からはかけ離れた存在になってしまってますが……」
「そう。そして、その人物が九世紀までに他の歴史上実在した英雄達の戦いを自分の名に引き寄せていったのだと。例えばアイルランド神話で、神であるフィンの周りに数々の物語が吸い寄せられていったように……先程の熊の神同様、神話上の人物が歴史化されたというわけです」
「なるほど……うーん…もう実在のモデルがいるのは間違いないように先程は思えましたが、こうしてこちらの説も聞くと、今度は本当に人間がモデルではないように感じてきてしまいますなあ……」
「勿論、これらの説も正解かどうかはわかりません。さっきも言ったように、ブリテンには〝アーサー〟の名を持つ神も半神半人も存在しませんし、神でなく歴史上の人物であっても、その人物が有名になるにつれ、他の物語を自分のものとしていくことはあります。なので、異教の神という説も決め手には欠けるのですよ」
「そうですかあ……なんだか私は一つ説を聞く度に、すぐにそれが正解に違いないと信じ込まされてしまっていますよ。これじゃ警官失格ですな」
どれも正しいように聞こえてしまう仮説の数々に、レストレイドはその威厳ある顔に自嘲の苦笑いを浮かべて肩をすくめた。
「それだけ、どの説も聞けば信じてみたくなってしまうくらいの根拠は持ち合わせているということです。ちなみに〝異教の神〟説ではないのですが、似たようなものにこんな説もあります。これもまた〝熊〟関連なのですが……」
「また、熊ですか?……まさか、今度は本当に動物の熊がブリテンの王だったなどと言うんじゃないでしょうな?」
「ハハ、さすがにそこまで言う人はいないですよ。それもまあ、なかなかおもしろい説ではありますがね」
今度こそは安易に信じまいと警戒するレストレイドに、マクシミリアンも思わず笑いを零す。
「それは、伝説の中に出てくるアーサーが実は牛飼い座の恒星〝アルクトゥルス〈Arcturus〉〟のことで、北極星の周りを巡る大熊座の星が〝円卓の騎士〟なのだというものです。〝アルクトゥルス〟という名はギリシャ語で〝熊を追う者〟を意味し、大熊座を追うような動きをするので、そこからの発想でしょう」
「ああ、そう言われると、確かにそんなような気もしてきますなあ……」
「そう、そこですよ。どの説にもそれなりの根拠はありますし、かと言ってそれを証明するだけの確たる証拠もないわけです。だから、アーサー王が実在の人物か否かという問いの答えとしては、やはり〝どちらとも言えない〟というのが正しいのでしょう」
警戒しながらも、またそんな気がしてきてしまって考え込むレストレイドに、マクシミリアンは最後にそう総括をして話を結んだ。
「なるほど……なんとなくわかりました。つまり〝アーサー王〟という人物の正体が何者なのか? その容疑者はいくらでもいるが、真犯人となると、その決め手はなかなか摑めない……と、まあ、そんなところですな?」
「ええ。そんなところです」
レストレイドの、そのなんとも警察的な発想の例えを聞くと、マクシミリアンはその冷静そのものといった表情に微かな笑みを混ぜて頷く。
「いや、しかし、お詳しいですなあ。さすが、ユネスコとの共同計画を任されているだけのことはある!英国人の私なんかよりも我が国の英雄についてお詳しい!」
マクシミリアンの大講義を聞き終えると、レストレイドはいたく感心した様子で彼の端正な顔を見つめ、つい十数分前とは一変して褒め言葉を口にする。
なんだかあからさまにお世辞っぽく聞こえるが、それは上辺だけのものではなく、レストレイドの本心である。オーストリア人である彼がここまでアーサー王のことについて知っているとは思ってもみなかったのだ。しかも、そこら辺の英国人など相手にならぬくらいの、その道の学者も舌を巻く程の博識振りだ。
「いえ、このくらいは常識です。アーサー王伝説は英国だけでなく、ヨーロッパはおろか世界中の国々で知られている、その量、知名度ともに最大級の伝説ですのでね」
レストレイドの言葉に謙遜なのか、それとも本心からそう思っているのか、マクシミリアンは変わらぬ無機質な口調でそう答えた。
「我が祖国オーストリアにおいても、インスブルックのホーフキルヒェにある神聖ローマ帝国皇帝マクシミリアン一世の墓所には甲冑姿のアーサー王の青銅像が立っていますし、ドイツ語圏ということで言えば、リヒャルト・ワーグナーによる『トリスタンとイゾルデ』、『パルジファル』、『ローエングリン』といった十九世紀のオペラ作品も馴染み深い」
「ワーグナー? ……私はオペラのような高尚なものには縁がないのですが、あのドイツを代表する天才音楽家もそんなアーサー王作品のオペラを作っていたのですか? ワーグナーのオペラといえば、ジークフリートとか、そんなゲルマンの英雄を扱っているイメージがあったのですが……」
レストレイドは少し意外だという表情を浮かべて、このオーストリアの青年に聞き返す。
「ええ。こちらもワーグナーの代表作です。『トリスタンとイゾルデ』はゴットフリート・フォン・シュトラスブルクの同名作品、『パルジファル』はヴォルフラム・フォン・エッシェンバッハの『パルツィファル』という、ワーグナーにも親しむ機会のあった中期高地ドイツ語による十三世紀初頭の詩作品をもとに書かれています。『ローエングリン』の方は聖杯の探求を成功させる円卓の騎士パーシヴァルの息子、白鳥の騎士ローエングリンを描いた作品ですよ」
「ほう。ワーグナーも読んでいたような、そんなアーサー王伝説を扱った作品がドイツにもあったのですな」
「この十二末~十三世紀初めという時代は、そうした騎士物語がフランスからドイツにも入って来て、非常に流行した時期でもあり、他にもウルリヒ・フォン・ザツィクホーフェンの『ランツェロット』、ガヴァイン――即ちガウェインの息子の冒険を描いたヴィルント・フォン・グラーフェンベルクの『ヴィガロイス』、ガウェインが聖杯探究を成功させるハインリヒ・フォン・デム・テュルリンの『王冠』など、いくつかのドイツ語作品が生み出されました。アイルハルト・フォン・オベルゲの『トリストラント』という、完全版としては最も古いトリスタン物語もドイツのものです。特にこのトリスタン物語は人気があったらしく、中世後期の俗謡でもトリスタンは繰り返し登場していますね」
「はあ、そんなにも……そうやって見ると、ドイツ人も結構、アーサー王好きなようですな」
「アーサー王というよりは、騎士物語や聖杯探究の話に興味があったのでしょう。それらの作品が書かれた当時、トリスタンの物語はほぼアーサー王とは無関係な独立した物語でしたしね……ん? もうこんな時間か。すみません。思わず長話をしてしまいました」
それまで水を得た魚の如く雄弁に語っていたマクシミリアンであったが、腕時計に目をやると、微かに眉をひそめてレストレイドに詫びを入れる。
「あ、いえ、こちらこそ。変な質問をしてしまいまして……」
少し前までは苦々しく思っていたが、今では尊敬の念すら抱いてしまっている賓客に頭を下げられ、むしろ最初に話題を振ったレストレイドの方こそ恐縮してしまう。
「で、では、こちらに滞在する間、お世話をさせていただく担当の者を呼びますので少々お待ちください。ああ、これは立ったままでとんだ失礼を。どうぞ、そちらの椅子にお掛けになって……」
彼はそう言って断りを入れると、机の上にある電話の受話器を取って、、内線で部下と話を始める。
「あー…レストレイドだ。頼んでおいた例の件だが……ああ、そうだ。それで……いや、確かに彼女でいいとは言ったが、誰かもっと適材の者に替えてほしいと……なに?今更、無理?いや、そこをどうにか……そうか、ダメか。それじゃ仕方ない。彼女でいいから寄こしてくれ……ああ、早くしろよ……」
椅子に腰かけ、レストレイドの声にそれとなく耳を傾けていたマクシミリアンは、その話の内容に不審を抱く。
……どうやら揉めているようだが……今の口振りからすると、私の世話役をしてくれる者には何か問題でもあるのか?
「は、ハハハ、今、来ますのでお待ちを……」
どこか後ろめたいところでもあるのか、普段通りの鋭い眼差しを向けるマクシミリアンに、レストレイドは苦笑いをして誤魔化す。
それから待つこと数分……。
トントン…。
「オーモンドです」
ドアがノックされ、廊下からきびきびとした女性の声が聞こえてきた。
「ああ、入ってくれ」
「失礼します……」
短く答え入って来たのは、亜麻色の巻き毛を長く伸ばした、聡明そうな英国美人だった。
歳はマクシミリアンと同じくらいだろうか? 黒のブレザーとタイトなスカートに身を包んだ姿からは〝仕事のできる女〟という印象を自然と与えられる。
彼女を確認すると、マクシミリアンも応接用のソファーから立ち上がり、そちらへと長身の身体を向ける。
「オーモンド刑事、話はあったと思うが、こちらがICPOのクーデンホーフ捜査官だ。クーデンホーフ捜査官、彼女がご案内をさせていただくオーモンド刑事です」
「マクシミリアン・フォン・クーデンホーフです」
「始めまして。経済及び特殊犯罪課のジェニファー・オーモンドです」
二人を交互に見つめて紹介するレストレイドに、マクシミリアンとジェニファーもお互いに挨拶して握手を交わす。
「それじゃ、私もいろいろ予定が入っておりますので、これにて失礼させてもらいます。後のことは彼女に聞いてください。担当課への案内も彼女がいたしますので。じゃ、オーモンド君、くれぐれも失礼のないようにな」
レストレイドはマクシミリアンにそう言い残すと、バトンタッチするように彼女―ジェニファー・オーモンドの方を向いて念を押した。
「はい。それではクーデンホーフ捜査官、どうぞこちらへ」
言われたジェニファーはドアを開け、自分についてくるようにと丁寧にマクシミリアンを誘う。
「それでは、これで」
マクシミリアンもレストレイドに簡潔な挨拶をすると、彼女について廊下へと出た。
それからしばらく廊下を歩いたり、エレベーターに乗ったりしてマクシミリアンが連れて行かれた場所は、経済及び特殊犯罪課内にある〝美術骨董班〟という美術犯罪捜査を担当する班であった。
マクシミリアンの携わるユネスコとの共同計画で扱われる分野は、盗掘や文化財の盗難、遺跡の破壊といったものであるが、そうした犯罪専門の部署というのは普通ないので、近似値のところとなると、まあ、そうなるのだろう。
警察署特有の忙しない雰囲気に包まれたそのフロアに入ると、刑事達の目が一斉に二人の方へと注がれる……前を歩くジェニファーについてマクシミリアンもフロアの奥へと進んで行くが、その間中、終始、視線は二人に向けられたままだ。
きっと、ICPOの捜査官などという珍客を奇異の目で見ているのだろう……。
こういうのはいつものことなので、マクシミリアンは当初、そう思っていた。だが、どうやら注視されているのは自分の方ではないことに彼はすぐに気付く。皆の見つめる視線の先……それは、自分ではなく彼女の方へと向けられているのだ。
だが、その理由を考察する間もなく、二人はフロアの奥に立つ数名の男達の前へと辿り着く。
「マキノン班長、ICPOのクーデンホーフ捜査官をお連れしました」
その中のツイードの茶色いジャケットを着た線の細い中年男性にジェニファーが告げる。
「お待ちしておりましたよ、ヘル・マクシミリアン。美術骨董班長のマキノンです」
「クーデンホーフです」
すると、マキノンなるその班長が愛想のよい挨拶とともに手を伸ばし、マクシミリアと握手する。
「遠路はるばるようこそおいでくださいました。なんでも、マリアンヌがこちらに渡ったんだとか。私どもの班としては、そちらの話も詳しくお聞ききしたいところです」
「ええ。私も実は、本題よりもむしろ彼女の方に興味がありましてね。出来得る限りの協力はさせていただきます」
「それはありがたい限りです。お互い美術に携わる者として、やはり気が合いそうです……ああ、会議は10時からですので、まだもう少し時間がありますね。どうぞそれまで、そちらの休憩室でお休みになっていてください」
二言、三言、言葉を交わした後、マキノンは壁にかかる時計を見て、マクシミリアンにそう促す。
「ほら、オーモンド君、クーデンホーフ捜査官にお茶を入れて差し上げて。まったく、男受けがいい割には全然、気が利かないんだから。すみません、捜査官。本当ならば、うちの班の者にお世話役を任せたいところなのですが、いかんせん人手不足なので、こんな畑違いの、しかも悪い癖のある者しか……あ、いや、お茶は何がお好みですか? ダージリン? アッサム? ミルクは入れます?それともレモン?」
そして、ジェニファーにお茶の用意を命じると、なんだか気になることを言いかけて、慌てて話題を変えた。
悪い癖のある者? ……それはこのオーモンドという女性刑事のことを言っているのだろうが、悪い癖とは一体なんのことだ?それに先程の視線……そういえば、総監もなんだか妙なことを話していたし……。
マキノンのうっかり零した言葉を見逃さず、マクシミリアンは微かに眉間の皺を寄せると、ジェニファーの方を横眼でさり気なく覗う。
「………………」
すると、彼女は何かに耐えるような……いや、ずっと何かに耐えてきて、最早、何も感じなくなってしまったというような無表情をしていた。
「ではクーデンホーフ捜査官、どうぞこちらへ」
マクシミリアンの視線に気付いたのか、ジェニファーは不意に作り笑いを浮かべてそう言うと、踵を返して休憩室のある方へと歩き出す。
「それでは捜査官、また後ほど」
「ええ、また後で」
なんなのだろう?このオーモンドという刑事に対する皆の異様な反応は……一体、彼女には何があるというのだ……。
そんな疑問を抱きつつ、マクシミリアンもマキノンと会釈を交わすと、去り行くジェニファーの女性らしい後姿を見つめながら、その後を追った。
To Be Continued…
A suivre…