Ⅱ アーサー王の被疑者たち(1)
ほんの短く輝いた瞬間、キャメロットという名の場所があったことを忘れてはならない。
アラン・ジェイ・ラーナー&フレデリック・ロウ『キャメロット』より
Ⅱ アーサー王の被疑者達
石上刃神とマリアンヌが緑男の骨董店を訪れたのと同じ日の朝……。
ICPO――国際刑事警察機構の特別捜査官マクシミリアン・フォン・クーデンホーフは、ロンドンのブロードウェイ街にある三代目スコットランドヤードの庁舎を訪れていた。
〝スコットランドヤード〟――それはロンドン市以外のグレーター・ロンドンを管轄する、英国首都警察の本部のことである。その名前から「スコットランドにあるのか?」と誤解する人間も少なくないが、地理的にはスコットランドとまったく関係がない。そうしたロンドンの地名から取った愛称なのである。
その地名の由来については諸説云われており、一説に初代の建物の建っていた場所がもとはスコットランド王家の所有する邸宅の中庭だったのだとか、もしくはその場所が中世にスコットなる人物の所有していた〝グレートスコットランドヤード〟という中庭の裏手に当たり、その庭を囲む三本の道の一つがスコットランドヤードと呼ばれていたからそうなのだとかいう話である。
「――お話は伺っています。なんでも、ICPOとユネスコ(国際連合教育科学文化機関)が共同で進めている試験的プロジェクトの特別捜査官だそうで……」
総監室にて、重厚なオーク材の机越しにマクシミリアンと対峙したグレゴリー・レストレイド総監が、古き良きビクトリア朝を思わせる立派な口髭を揺らしながら、そう切り出した。代々警察関係者を輩出している警察一族出身の、口髭共々貫禄ある体格をした中年英国紳士である。
「ええ。文化財の破壊及び窃盗犯罪防止推進計画の担当官です。具体的には遺跡の破壊や盗掘、公共施設や個人宅からの文化財窃盗、盗品売買ルートの取り締まりなどがその範囲に含まれます」
その中年総監に、均整のとれた顔立ちに金髪碧眼、おまけに高そうな茶色のスーツをスマートに着こなす長身のゲルマン系優男は極めて事務的な口調で答える。
「で、お話によると、何か連続古美術品窃盗犯を追って、イングランドにいらしたとか?」
「フランスを中心にヨーロッパ各地を荒らしている〝怪盗マリアンヌ〟なる女盗賊です。窃盗、強盗、遺跡よりの盗掘を含めれば、わかっているだけでも計50件以上に上る大悪党です。若い女性ということ以外、その容姿・年齢等は一切不明ですが、裏の市場の噂では、近頃、イングランドに渡ったとの情報を得ましたもので」
「なるほど……ですが、ここは英国――我々の国です。犯人逮捕等の権限は我々この国の警察にあります。国家主権の問題も絡んできますので、勝手な行動を取られることだけは御遠慮願いますよ」
感情の籠っていない機械人形のような調子で説明するマクシミリアンに、レストレイド総監は背後の窓を振り返ると、苦々しげな顔を見せないようにして忠告した。
「無論、わかっています。正確に言えば、私の職務はマリアンヌについての情報を提供し、英国警察の捜査に協力することですのでご安心を。ただし、緊急時における犯人確保については認められていますので、そうした状況に至った場合に関してはご容赦ください。主権の問題が云々というのであれば、公にはすべてそちらで解決なさったこととしてもらって構いませんので」
「でしたら、別に構わぬのですがね……ええと、マ……」
「マクシミリアン・フォン・クーデンホーフです」
どうやら、その長ったらしい名前を憶えていなかったらしきレストレイド総督に、やはり抑揚のない声でマクシミリアンは告げた。
「あ…い、いや…わかってますよ、クーデンホーフ捜査官……ええと、お名前から察するに、お国はドイツですかな?」
「いいえ。オーストリアです。同じドイツ語圏なのでよく間違えられますが」
「そ、そうですか……それはまた失礼をいたしました……」
誤魔化すつもりで振った話題であったが、ますます気拙くなってしまった。
レストレイドはこの感情の起伏をほとんど現さず、凍てつくほどに青く鋭い瞳をした30そこそこの若者を厄介に思っていた。
とは言っても、それはマクシミリアンのそうした性質からのものではない。確かに取っ付き難くはあるが、こういうタイプの人間なら警察関係者…特に責任ある行動を求められるキャリアの中にはよく見られるものであるし、そんな輩にはレストレイドも慣れている。それよりも問題なのは、彼の肩書の方である。
文化財保護だかなんだ知らないが、自国の犯罪捜査に外国人が首を突っ込んでくることなど縄張を荒らされるに等しいものであり、英国首都警察の総監であるレストレイドとしても正直、おもしろくはない……しかし、相手は外交特権も与えられているICPOの捜査官兼ユネスコの担当官だ。リヨンの事務総局経由で、上からも「くれぐれも失礼のないように」とのお達しが回って来ているし、他の者ならばいざ知らず、あたら無碍にすることもできないのだ。
そんなフラストレーションを感じているレストレイドに、マクシミリアンが続けて言う。
「それと、今回の訪英目的にはもう一つ、文化財犯罪の捜査と予防対策に関する意識の啓蒙活動があります。マリアンヌの件は情報を得たことによる偶然の産物であって、本来の予定からすれば、むしろこちらが本職です。お話は行っていると思いますが、本日はこちらで担当部局との意見交換会をさせていただいた後、明日以降は各地の警察署や視察場所を回らせていただきたいと思います」
「ええ、それも伺っていますよ。一人専属の者を付けますので、先程の怪盗の件と合わせて、その者に案内をさせましょう……ええと、明日は土曜ですが、どちらかに参られる予定になってましたかな?」
「明日はコーンウォール州の方を訪れてみるつもりです」
「コーンウォール? それはまた、いきなり飛びますな」
コーンウォールはイングランドの一番南西に位置する半島部の州である。東のロンドンから翌日いきなりブリテン島を横断して西の端まで行くことに、レストレイドは訝しげな表情をその肉付きの良い顔に浮かべた。
「午前中にそちらの警察署で文化財犯罪に関する勉強会があるのですが、なんでも近くで〝キャメロット〟――即ちアーサー王の宮廷だった可能性が高い丘城の遺跡が発掘され、ちょうど明日、その発掘調査の現地説明会があるらしいのです。併設してアーサー王所縁の物とされる貴族の伝世品を所蔵する博物館もあるそうですし、そちらの視察もかねて行ってきたいと思います」
「ああ、そういえば、そんな記事が今朝の朝刊に載ってましたな。確かキャメルフォードの近くだとか……しかし、アーサー王というのは本当にいた人物なんですかね? 私らなんかは子供の頃から実在の人物だと聞かされて育ちましたが、最近、本を読んでいたら、そうでもないようなことも書いてあったのですが……」
レストレイドはふと浮かんだ疑問への軽い好奇心と、少しこの青年を試してやろうかという意地悪な気持ちからそんな質問をしてみた。
「あ、いや、あなたのようなユネスコに出入りしている方でしたらわかるのではないかと思いましてね。別にわからなければ結構ですので……」
ただし、それはほんの軽い気持ちからのもので、別に真剣に答えが聞きたいわけではなかったし、オーストリア人の彼が英国の英雄についてそれほど詳しく知っているなどとは思ってもいなかったのだが……
「実在の人物とも、架空の人物とも言われています。どちらの説もそれを決定付けるような確たる証拠はなく、また、完全に否定できるような証拠もない……故に〝どうちらとも言えない〟というのが、正解でしょう」
マクシミリアンはひどく真面目にその質問に答えたのだった。
「現在、世間一般に広く知られているアーサー王像は、一四六九年ないし70年に書かれたサー・トーマス・マロリーの『アーサー王の死』によるものです。これはそれまでに存在した様々なアーサー王関連の物語を一つの長大なストーリーにまとめ上げたものですが、その骨子となっているものといえば、さらに遡って十二世紀、ジェフリー・オブ・モンマスの手による『ブリタニア列王記』ですね」
そして、満水の川の堰を切ったように、レストレイドが求めた以上の回答を返し始める。
「あらすじをいえば、物語はアーサーの受胎に始まり、彼は石に刺さった王の証しである剣を抜いてブリテン全土の王となる。王となったアーサーは魔術師マーリンの力を借りて反旗を翻したブリテン諸国の王達を倒し、さらには大陸に渡ってローマ皇帝とも戦い、それから主要な円卓の騎士達の冒険や聖杯探求の話が語られた後、最後は謀反を起こしたモルドレッド卿と死闘を演じて、致命傷を負ったアーサーはアヴァロン島へと運ばれて幕を閉じる……といったところでしょうか」
「あ、ああ、私の知ってる話も大体そんな感じですが……」
「もし、総監の言われているのがそうした〝空想のアーサー王〟であるならば、それを史実とするのには勿論、無理があるでしょう。しかし、歴史上、五~六世紀頃に実在したことが確かな人物をアーサー王のモデルと考える説も様々な根拠を持って語られています。例えば、ちょうど明日行くコーンウォール半島をその影響下に置いていたドゥムノニアの王なんかもその一例です」
「ど、どむ?」
予想外にいい反応に、レストレイドは面喰って間抜けな言葉を口走ってしまう。
「ドゥムノニアとは七王国時代の頃に、イングランド西南部のデヴォン州やサマセット州などを支配していた王国です。このアングロサクソン人達が七つの王国を築いていた六~九世紀という時代にあっては珍しい、ローマの末裔的ブリトン人の国でした。七王国といっても実際には七つ以外にいくつかの小国があったようですが、ドゥムノニアはその小国の方です」
「は、はあ……」
レストレイドは呆けた表情をして、能弁に語るマクシミリアンの顔を大きく見開いた目で見つめた。
「この説では、ジェフリーの『ブリタニア列王記』などでアーサーの祖父とされるコンスタンティヌス三世を、名前が似ているということからドゥムノニアの〝クステンヌン・ゴーニュ〟という人物だと考え、アーサー王はこの国の王族の一人ではなかったかと考えています」
なんだか知らないが、どうやらマクシミリアンのスイッチを押してしまったらしい……態度や口調は先程から変わっていないが、まるで何かに取り憑かれでもしたかのように、彼は早口で小難しい話をすらすらと語っていく。
「それに、もしもアーサー王が実在とするならば、五、六世紀に土着の民間信仰と習合したキリスト教徒であったことは間違いないのですが、ドゥムノニアの支配していた地域は考古学的に見ても当時、キリスト教が広まっていたようですし、キャメロットの候補地とされるキャドベリー城やティンタジェルもその地域内に存在します。アーサー最後の戦いが行われたカムランの候補地である北サマセットのクィーンキャメルやコーンウォールのスローター・ブリッジ、後にアーサー王伝説並びに聖杯伝説で重要となるグラストンベリーも領土内ですので、確かに伝説で語られるアーサー王を構成する要素はかなりクリアしています」
「で、では、そのなんとかいう国の王様が、実在のアーサー王だったということで……」
意外によくしゃべるマクシミリアンに唖然としながらも、レストレイドは譫言のように呟く。
「いえ、先程も申しましたように、この説にも確たる証拠は何もありません。あくまでも仮説です。なので、明日見に行くキャメロットの可能性が高いとされる丘城の遺跡もドゥムノニア王国との絡みでいけば有力な候補ではあるのかもしれませんが、やはり可能性の域は出ないのです。もっとも〝アーサー王〟の名と〝伝説に語られる彼の業績〟なんかが記された碑文が発見され、それが科学的にその時代の物であると証明されでもしていれば、話はまた別ですがね」
「そ、そうですか……」
完全に圧倒されるレストレイドであったが、マクシミリアンの説明はなおも続く。
「こうしたブリトン人の王をそのモデルとして考える説には、他にも紀元前51年にローマがブリテン島に侵攻してきた際に戦ったカトゥヴェラーニ族の王カタラクスだという説やカンブリアの王ウリエン説など様々なものがあります。596年に亡くなったという記録の残る、ダルリアダ国の王アダン・マック・ガブランの息子の〝アーサー〟もその一人です」
「アーサー?」
「正確にはアーサーに相当するアイルランド名の〝アルトゥイル〟という名前なのですが、このスコットランドとアイルランドに跨る王国の王子などをアーサーだとする〝北方アーサー説〟というものもあります。スコットランドにもエディンバラの〝アーサーの席〟と呼ばれる丘など、アーサー所縁の地は存在しますし、意外に伝承は多い」
「そ、それは……名前もまさに〝アーサー〟ですし、王の息子として記録に残っているのでしたら、その人物が実在のアーサー王なんじゃ……」
「いや、そうは思えませんね」
マクシミリアンの話に当然そう考えるレストレイドであったが、その結論をマクシミリアンはきっぱりと否定する。
「確かに名前は〝アーサー〟ですが、この人物にはそれほど目立った業績もないし、生きた年代も多少遅い。かのアーサー王と見るには少々役不足です。当時――六~七世紀の頃には〝アーサー〟という名前が流行っていたようでもありますしね。これよりももう少し、そう主張してもおかしくないような根拠を持つブリトン人の王としては、リオタムスという人物もいます」
「リオタムス? ……聞いたことのない名前ですな」
「先程から出ているジェフリーの『ブリタニア列王記』の中で、一番、アーサー王と似た経歴を持つブリトン人の王ですよ」
「ほう……それじゃ、そのリオタムスという人物はそれほどアーサー王に似ておるのですか?」
ようやく能弁なマクシミリアンにも慣れてきたレストレイドは、普段の調子を若干、取り戻して彼に尋ねる。
「ええ、それなりには。しかも、この人物は実在が確かな人物です。ほぼ同時代の歴史家ヨルダネスやトゥールのグレゴリウスの記録によると、五世紀後半の西ローマ帝国皇帝アンテミウスが、このリオタムスに西ゴート族のユリックと戦うための援助を求め、470年頃、彼は1万2千の兵とともに海を渡ってガリアへ駆け付けています。これは伝説の中でアーサー王が大陸に進軍した話を彷彿とさせると思いませんか? ただし、伝説での敵は蛮族ではなく、ローマ皇帝の方なのですがね」
「ああ、そういえば、そんな話もアーサー王物語の中にありましたな」
「しかし、残念なことにリオタムスと彼の率いるブリトン兵達は、ガリアの法務長官の裏切りによって敗走させられ、その多くがブルゴーシュのゴート族の手で殺害されてしまったそうです。ここもなんだかモルドレッドの裏切りによって崩壊するアーサーの王国と似ています」
「おお、そう言われてみれば……」
「もっとも、ここもアーサー王の場合は大陸ではなく、ブリテン島での戦いで最後を迎えていますがね。その後、王リオタムスがどうなったのかは不明です。が、一節にブルターニ半島のリル・ダヴァル付近で行方不明になったともされていて、ここはあの〝アヴァロン〟ではないかと云われている場所でもあるのですよ」
「え? あの、アーサー王が運ばれて行ったというアヴァロン島ですか?」
「ええ。その〝アヴァロン〟です。これまた見事にアーサー王の最後と符合しています。そうなると、リオタムスをアーサーのモデルと考えるのもわかる気がしてきますよ」
「ブリトンの王で、大陸にまで渡って戦い、家臣に裏切られ、最後はアヴァロンで終わる……確かにアーサー王と似ておりますな。しかし、リオタムスとアーサーとでは全然、名前が違う。もし、本当にそのリオタムス王がアーサー王のモデルだったとしても、なぜ、リオタムスという名前からアーサーという名前になったのでしょう?」
先程から騙されてばかりいるので今度は油断せず、まかりなりにもスコットランドヤードの総監としてレストレイドはその問題点を指摘する。
「ああ、それについては、ブリトン語で〝リオタムス〟という言葉が〝最高の王〟を意味するので、これは名誉的な称号であり、その個人名が〝アーサー〟だったのだと解釈しています」
「おお! それではもう、そのリオタムスが…」
「ただし、それは称号ではなく、ケルト時代のブリテンやガリアでよく見られた〝王〟という意味の部分を含む個人名だという説もあるんですがね」
「へ? ……なんだ、それじゃ全然、駄目ではないですか」
「確かに、名前の説明には少々難のある仮説ではありますね。ともかくも、今、挙げた一部のものを見ただけでもわかる通り、アーサー王を実在の人物だとする説は無数に語られているということです」
「なるほど……ま、そのどれが正しいのかは置いとくとして、そうなると、やはりアーサー王という人物は、モデルにしろなんにしろ、実際にいたと考える方がいいようですな」
一度持ち上げては落とすようなマクシミリアンの説明に顔をしかめながらも、幼い頃より聞かされてきたこの国の偉大なる王アーサーに対して、レストレイドは改めてそう思い返すのであったが……。
(後書)
To Be Continued…
A suivre…