間章 ランスロット卿――ジョナサン・ディオール(三〇歳)の回想
ほんの短く輝いた瞬間、キャメロットという名の場所があったことを忘れてはならない。
アラン・ジェイ・ラーナー&フレデリック・ロウ『キャメロット』より
間章 ランスロット卿――ジョナサン・ディオール(三〇歳)の回想
あの日、人生に打ちひしがれていた私は、なんとなく受けてみることにしたそのカウンセリングで、図らずも自らの宿命を知ることとなった……。
「――ジョナサン・ディオールさん……ですね。お仕事は元公務員と書かれていますが、具体的にはどのような?」
目の前に座ったカウンセラーは、開口一番、私自身が書き込んだ簡単な問診票を眺めながら訊いてきた。
「………………」
だが、カウンセリングを受けに来ておいてなんではあるが、わたしは頑なに沈黙を守る。それについて多くを語れば、迷惑のかかる人間が出てくるからである。
「まあ、話したくないことは別に言わなくても結構ですので……それで、今はお仕事をされていないのですね?」
「え、ええ。半月程前に辞表を出して、その後はずっと……」
僅かの間の後、訊き直したカウンセラーのその問いには、別に答えても支障はないので、今度は素直に本当のことを言う。
「なるほど……で、お辞めになった理由はやはり、あなたの抱えているその問題と関係があるのですね? つまり、お相手はその……職場関係の人だったと?」
「それは……」
しかし、続くその質問に、私はまたしても口籠ってしまう……いや、問診票には肝心なことをすでに書いてしまっているし、このカウンセリングを受けようと思ったら、そこだけはどうしても避けては通れない部分なのであるが……。
「ディオールさん。何も隠すことはありませんよ? 私はこれまでにも同じような悩みを抱えた方々を何十人と見てきています。誰しもよくあることなんですよ」
その、どこか気品漂う顔立ちをしたカウンセラーは、口を噤む私を優しくそう諭す。
歳は私より少し上くらいだろうか?対面した者に安心感を与える、穏やかな雰囲気を盛った英国紳士である。
「……その通りです。部署は違いますが、相手は職場の同僚でした。しかも、彼女の夫は私の直属の上司です。言うまでもなく、上司の妻との不倫が明るみに出れば、それは身の破滅を意味します。ですが、私は……私は自分の思いを止めることが、どうしてもできませんでした……」
私は言い淀みながらも、意を決して事実を隠さずに語り出す。
「なるほど……それで、お仕事をお辞めになったのですね?」
「はい……しばらくは隠し遂せていたのですが、ついに彼女の夫の知るところとなって……別に法の上での罪を犯したわけではないですし、表だって処分されるようなことはなかったのですが……その、やはり、いづらくなって……勿論、彼女の夫もこのことは秘密にしていましたが、同僚達は薄々感付いていましたからね」
「それは確かにお仕事を続けていくには辛い環境ですね……そのお相手の女性も、やはり、ご一緒にお辞めになって?」
「いいえ。彼女は残りました。体面を気にする夫とも離婚することなく……ま、もう皆知っていることですから、今更、体面も何もないんですけどね。でも、彼女は私よりも社会的地位のある夫と、そして、仕事を選んだんです。彼女は仕事が生き甲斐でしたから。辞めたのは……私との関係の方です」
「それでは、その方との関係はもう完全に……」
「ええ。終わりました……」
そう答えかけた私だったが、すぐに言い直す。
「いや、終わったはずでした……ですが、どうしても忘れられないんです。もう、あれ以来ずっと会っていませんが、今でも彼女を愛おしく思っています」
「なるほど。それがあなたを苦しめている悩みなのですね……」
わたしの告白にカウンセラーは頷くと、何か思うところでもあったのか不意に押し黙る。
再びしばしの沈黙……しかし、次にその口が開かれた時、どういうつもりかカウンセラーは、まるで関係のないような質問を私にしてきたのだった。
「……ところで、今はロンドン市内にお住まいとのことですが、ご出身はどちらで?ずっとこちらですか?」
「え? ……あ、いえ。湖水地方のグラスミアです…が、それが何か?」
「ほう……湖水地方ですか。それはまた風光明媚な良い所のお生れで……グラスミア湖といえば、かの有名な詩人ワーズワースの住んでいた……」
訝しげに答えたわたしに、カウンセラーは意味ありげな笑みを口元に浮かべてさらに続ける。
「ええ。そこです。その田舎の小さな村で生まれ育ちました……といっても、父はフランス人なんですけどね」
「フランス人? ……というと、お母様の故郷がグラスミアなのですかな?」
「はい。父は小説家だったのですが、湖水地方を旅行で訪れた際に気に入って移住したらしく……ほら、ワーズワース以外にも、南西のウィンダミア湖畔には『ピーター・ラビット』の作者ベアトリクス・ポターの家があったりと、文学者には好まれる土地のようですからね……そして、その旅の途中、グラスミアの宿屋の次女だった母を見染めたというわけです」
本題とはまったく関係のない話に不信感を抱きながらも、私はしばらく帰っていない故郷のことを思い出し、その懐かしさに思わず饒舌になっていた。
「なるほど。そうですか……時にディオールさん。剣術や馬術をお習いになったこととかはございませんか?」
そんな私に、カウンセラーはさらに奇妙なことを訊いてくる。
「剣と馬ですか? ……ええ。まあ、馬は子供の頃から。剣術は学生時代にやっていなかったこともないですが……一応、地方の学生大会で優勝したこともあります」
それでも奇遇というのか、それともそういう人間は意外と多いのか、多少なりとも憶えがないわけでもなかった私はそう答えたのだったが。
「やはり……これではっきりしました。あなたを苦しめている問題の原因が……それは、あなたの前世にあるのです!」
彼は、普通聞いたら頭がどうかしているとしか思えないような、そんなとんでもないことを言い出したのだった。
「前世?」
「ええ前世です! あなたの前世はアーサー王の円卓の騎士の中でも〝第一の騎士〟と謳われた、かのランスロット卿だったのです!」
「は? ……それは、何かの例えですか?」
当然、私はそれを鵜呑みにはしなかった。というより、彼が本気でそんなことを言っているなどと考えすらもしなかったのである。
「いいえ。例えでも比喩でもなく、そのままの意味です」
「ちょ、ちょっと待ってください。前世云々という話もですが……そもそもランスロット卿の話というのは誰かが作った創作物語じゃないんですか? そんな架空の人物が前世だなんて……」
改めて言い直すカウンセラーに、私は彼の正気を疑いつつ、慌てて反論しようとするのだったが……。
「いいえ。そうではありません。確かに今、世間一般に知られている話は十二世紀後半のプランタジネット王朝において、シャンパーニュ伯爵夫人マリと詩人クレティアン・ド・トロアによって書かれた『荷馬車の騎士』――または『ランスロ』の名で呼ばれる物語が元となっていますが、ドイツないしはスイス人のウルリヒ・フォン・ザツィクホーフェンが記した『ランツェロット』はそれとは際立って異なるランスロットの物語で、おそらくはケルトの神マボンがモデルの魔法使いマブーツが登場するなど、こちらは明らかにケルトの起源です」
「ケルト? ……だからなんだと…」
「それにクレティアンにしろ、ウルリヒにしろ、どちらもランスロットが湖の妖精にさらわれ、育てられるという物語――つまり〝妖精に捕まる〟というモチーフを使っています。これなんかもケルトの伝説にはよく見られるモチーフなのですよ」
彼はわたしの合いの手も無視し、真剣な表情でランスロットの講釈を始める。
「そこからウェールズの伝説『プリティ・アンヌウン』でアーサーと共にあの世へ遠征するルウフ・レミナウクや、同じく『キルフフとオルウェン』でアーサーが大鍋を盗む手助けをするアイルランド人のレンレアウクを、大陸の作家達が名前の似ているランスロットに置き換えたのではないか?とも考えられています……ランスロット卿は、けしてただの創作の人物とは言い切れないのですよ」
「で、ですが、完全な創作でないにしたって、それだって伝説上の人物でしょう?それに、もし仮に実在の人物だったとしたって、それが私の前世だなんてことは……」
無論、そんな説明をいきなりされても、世に名高い伝説の騎士の生まれ変わりなど、到底、理解できるような話ではない。私はもう一度、当時持っていた一般常識からイカれた彼の考えに意見しようとする。これではもう、どちらがカウンセラーでどちらが患者なのかわかったものではない。
しかし……。
「考えてもみてください。ランスロット卿はガリア――つまり今のフランスの生まれであり、また湖畔で湖の妖精である〝湖の貴婦人〟に育てられたことから〝湖のランスロット〟とも呼ばれています……これは、誰かに似てはいませんか?」
「それは……」
次に彼が語った話に、図らずも私は反論の言葉を見失う……それは、偶然にも私の生い立ちにどこか似ていた。
「そして、ランスロット卿の抱えていた苦悩です。彼は彼の仕えるアーサー王の王妃グウィネヴィアと道ならぬ恋に落ちてしまったことで悩み続け、次第に身を滅ぼしていくのです……そう。今風に言えば、まさに上司の妻との不倫です!」
「それは、私の……」
それは……私の抱えている問題そのものだ。
「加えて、あなたは騎士には必須である剣と馬の扱いにも長けておられる……これらはすべて、あなたの前世がそうさせていることなのです! その悩みも! その運命も!」
「そんなことが……」
そんなこと、あるわけがないと思った……だが、その一方で、偶然にしてはよく似ている自分とランスロット卿との境遇に、何か因縁めいたものを感じ始めている自分がいるのもまた確かなことだったのである。
「他にもきっと、あなたとランスロット卿との間には共通点があるはずです」
その感情を気取られまいと視線を逸らす私に、カウンセラーはさらに畳みかける。
「例えば……クレティアンの『荷馬車の騎士』で、グウィネヴィア妃がメレアガンス卿という円卓の騎士に誘拐された際、メレアガンスの部下に自分の馬を射殺されランスロット卿は、そこへ通りかかった荷馬車に乗ってグウィネヴィア妃の救出へと向かいます。当時、荷馬車は罪人を乗せる乗り物とされていたのに、それに乗る恥辱をも恐れずにです。あなたにも、そうして自らを犠牲にして、恋人を救おうとしたことがあるんじゃないんですか?」
「………………」
私は閉口した……確かに、私にもそうした憶えがないわけではない。仕事をやめる際にだって、私は後に残る彼女のために、私の方からしつこく関係を迫ったのだという事実と違う噂にも何も語ることなく、黙して静かに彼女のもとを去ったのだ。
だが、そうして愛する者のために自分の名誉を顧みないということは、男ならば一つや二つ誰しも憶えのあることだろう……ただ、私とランスロット卿との共通点はそればかりではなかった。
実は私も仕事の関係で、ランスロット卿と同じように〝荷馬車〟に乗ったことがあったのだ。それも、彼女の仕事を助けるために……。
こじつけと言ってしまえばそれまでだが、ここまでカウンセラーの話を聞いてくると、そんなこともなんだか自分とランスロット卿とを結ぶ運命の糸のように私には思えてきてしまう。
「まあ、急にそんなことを言われても信じられないのは当然です。それでは、これよりあなたに退行催眠をかけて、前世の記憶を引き出してみましょう。退行催眠はご存じですか?催眠により子供の頃へと徐々に記憶を遡っていくことによって、いつしか生まれる前―前世の記憶までをも思い出すことができるという催眠療法です」
「え……ええ。話に聞いたことは……」
心ここにあらずといった私の前で、カウンセラーは淡々とした口調でそう断ると、既にその怪しげな施術を行う態勢へと入っている。
「では、さっそく始めますので、そのまま気を楽にして、ソファーの背に体を任せてください。なあに怖がることはありません。むしろ心地良くなりますよ。さあ、もっとリラックスして、気持ちを楽に……」
私は耳触りのよいカウンセラーの声に従い、柔らかなソファーに深々と埋もれると、そのまま徐々に潜在意識の縁へと落ちていく……。
……そして、その日を境に、私はランスロット卿になったのだった――。
(後書)
To Be Continued…
A suivre…