間章 ユーウェイン卿――ジャック・スティーブンス(35歳)の診察風景
ほんの短く輝いた瞬間、キャメロットという名の場所があったことを忘れてはならない。
アラン・ジェイ・ラーナー&フレデリック・ロウ『キャメロット』より
「――ジャク・スティーブンスさん……奥様との間に何か問題を抱えているとのことで」
上品な顔立ちをしたカウンセラーは、問診表に視線を落としながら口を開いた。
「は、はい………」
その声に、机を挟んでカウンセラーの前に座る男――ジャック・スティーブンスは、額の汗をハンカチで拭いながら、どこか落ち付かない様子で頷く。
髪は整髪剤でぴしりと固め、細面に黒縁の近眼用眼鏡をかけた、紺のスーツに黄色いネクタイ姿が良く似合うビジネスマン然りといった人物である。
「具体的にはどう言った?」
そんな彼に、カウンセラーはさらに尋ねた。
「あ、はい……あ、あの、その…ですね……」
しかし、緊張のためか、それともこうした場に慣れていないのか、ジャックの言葉はしどろもどろである。
「どうぞ、お気を楽にしてください。ここは、あなたのようなお悩みを抱えた方々のための場所なのですから。どんなお話でもご相談に乗りますよ。ですから、安心してなんでもお話しになってください」
「は、はあ………」
対照的に落ち着きはらったカウンセラーの声に、ジャックは二度、三度、深呼吸をして気を落ち着かせると、ようやく自らの問題を少しづづ語り始めた。
「私は……ロンドン市内の商社に勤めているしがない商社マンです。家はグリニッジで、妻と二人で住んでいます」
「ほう、グリニッジ……子午線の港町ですか。天文台や旧王立海軍学校もありますし……由緒ある良い所にお住まいですな」
カウンセラーはジャックの心を和らげようと、そんなお世辞を挟みながら話を進める。
「ええ、まあ……でも、私はそんな由緒のかけらもないマンションに住んでいる小市民ですけどね。それに……今、妻と二人で住んでいると言ったのは間違いです。正確には住んでいた(・・・・・)ですね」
ジャックは、かつて世界標準時の基準となったグリニッジにはお似合いの几帳面な様子で、忙しなく目をきょろきょろとさせながら早口に言う。
「というと、奥様とは別居状態?」
「はい……一月ほど前に家を出て行ってしまいました」
「何か喧嘩でも?」
「ええ。そうですね。でも、偶発的な喧嘩というわけじゃないんです。なんと言いましょうか……そう。慢性的に喧嘩状態だったと言いますか……」
「……最初から、詳しく話してみてください」
カウンセラーは少し間を置いてから、机に身を乗り出し、より突っ込んだ態度で彼に訊いた。
「はい。先ず初めに……妻との出会いは、よく昼食を食べに行っていた会社近くのカフェでした。妻は私より五つ年下で、そこに新人給仕として入ってきたのです。実は彼女、バツイチでしてね。前の夫と別れた後、生計を立てるためにその店で働き始めたのだそうです」
「ほう……では、あなたとは再婚だったのですね?」
相槌を打ちがてら、カウンセラーは確認を取る。
「はい。でも、彼女は給仕というよりは、なんともこう、貴婦人のように高貴な感じのする美しさを店の中で放っておりまして……お恥ずかしいことにも私は、彼女に一目惚れしてしまったんです」
ジャックは照れて頬を赤らめながら、妻とのなり染めを語り出した。
「ほほう、一目惚れですか。それはそれは……では、かなりお美しい方なのでしょうな。となると、恋敵も多かったことでしょう?」
「ええ、それはもう……なので、私は顔馴染みの若い給仕の娘に頼んで、彼女との仲を取り持ってもらったんです。お礼にたっぷりチップをはずまされましたけどね。ま、それでも最初の内は色良い返事をもらえませんでしたが、一目、彼女を見た時から何か運命のようなものを感じていましてね。普段の私とは思えないくらいに辛抱強くアタックし続けまして、その甲斐あって、こんな私でも最後には彼女の心を射止めることができたんです。その後、半年付き合って結婚しました。一年ほど前のことです」
妻との甘い思い出を語るジャックの顔は、なんだかとても嬉しそうだった。
「情熱的な愛ですな……しかし、そのような方となんで喧嘩なんかに?」
カウンセラーはニヤリと笑った後、表情を訝しげに変えてジャックに問う。
「それは………私が妻との約束を破ったからです」
その質問に、ジャックは一転、顔も声も暗く曇らせると、言い淀みながらそう答えた。
「約束?」
「はい……結婚する時に妻と約束したんです。何よりも家庭を大事にする、絶対に夫婦の時間を大切にすると……実は、彼女が前の夫と別れた理由というのがそのことでしたので。前の夫という男は彼女を放ったらかしにして、毎晩のように遊び歩いていたようなのです。外に女も作っていたらしく……ああ!いえ!私の場合は別に酒に溺れたわけでも、浮気をしていたわけでもないんですけど……」
「……それでも、約束を破り、奥様を放ったらかしにしてしまったと」
慌てて弁明するかのように口を動かすジャックに、カウンセラーは肘掛に突いた右手に顎を乗せると、考え深げに彼を見つめながら先を促す。
「ええ……ここのところ、ずっと仕事が忙しかったものですから。なかなか彼女との時間を作ることができませんでした。すると、彼女はそのことで私を責めて……」
「なるほど。よくある話ですな」
「初めは私も妻に申し訳ないと思っておとなしく聞いていました。しかし、何度もしつこく言われている内に、こちらも段々腹が立ってきてしまって……こっちは好きで仕事をしているわけじゃないのに、あんな風に責められてはさすがに……それからというもの、どうにも私達の生活はぎくしゃくとしたものとなり、お互い顔を合わせればすぐに言い争いを始めるような有様で……そして、あの日の朝、いつものように些細なことで喧嘩をし、夜、仕事を終えて家に帰ったら、彼女は彼女の手荷物とともに姿を消していました。今はロチェスターの実家に身を寄せています」
「それで、奥様をお迎えには行かれたのですか?」
「はい。それは勿論。直接、妻の実家にも行きましたし、電話でも話しました。喧嘩はしていましたが、別に嫌いになったわけじゃありませんし、まさか出て行ってしまうとは……」
「でも、帰ってこなかった?」
「ええ。いくら説得しても彼女は頑として戻る気はないと言って聞く耳を持たず、ついには離婚まで求めてきたんです。こちらとしては別れる気など毛頭ありませんが、何度、謝っても聞き入れてはもらえず、自分を大切にしてくれない男とは生活できないと答えるばかりです。ですが、これまでだって私は妻を心より大切にしてきましたし、忙しく仕事をするのだって、彼女にいい暮らしをさえてあげたいと考えるからです。それなのに彼女ときたら……これ以上、一体、何をどうすれば、妻は帰ってきてくれるものやら……」
そこまで語るとジャック・スティーブンスは、本当に困り果てたという様子で大きく一つ溜息を吐いた。
「先生、私は一体どうすればいいのでしょうか?」
「なるほど……まさに同様の人生だ。スティーブンスさん、あなたの抱えている問題を解決する方法がわかりましたよ」
すがり付くような眼差しを向けるジャックに、しばし黙して考え込んでいたカウンセラーはおもむろに口を開く。
「ええ⁉ ほ、本当ですか?」
その思いもかけない嬉しい答えに、ジャックは驚きと期待の混ざった声を上げる。
「そのために先ず、あなたは本当の自分が何者なのかを知らなければなりません」
「本当の……私?」
ジャルクは怪訝な顔をして、その不可解な言葉の意味を聞き返す。
「ええ。本当の自分……つまり、前世の自分の記憶を思い出すのですよ」
「はい?」
「あなたが今抱えている問題のすべての原因はあなたの前世にあります。そう……あなたがアーサー王の円卓の騎士の一人、ユーウェイン卿であったことに」
「……い、一体、なんの話をなされているんですか?」
突然始まったカウンセラーの奇妙な話に、ジャックはひどく困惑した様子で尋ねる。
「〝獅子を連れた騎士〟ユーウェイン卿……クレティアン・ド・トロワの作品ではイヴァン。また、オワインと発音されることもある円卓の騎士ですよ。獅子を連れた騎士のお話は聞いたことありませんか?」
「は、はあ、詳しくは知りませんが、どこかで聞いたことはあるような……」
「まあ、サー・トマス・マロリーの『アーサー王の死』では、本来、彼のものだった活躍がパーシヴァル卿のものとされ、特に目立った役割も与えられてはいませんからね。広く知られていないのも無理はないかもしれません……」
その真意を理解できぬまま、とりあえず答えるジャックだったが、そんな患者のことなど置いてけぼりにして、カウンセラーはなんの問題もないように話を続ける。
「ちょ、ちょっと、待ってください!そのアーサー王伝説に出てくる騎士と私の問題がどう関係あるって言うんですか⁉」
「それは、ユーウェイン卿がなぜ〝獅子を連れた騎士〟と呼ばれるようになったかという、その経緯を知ればおわかりになりますよ」
「経緯?」
「まだ未熟な騎士だった頃、ユーウェイン卿は武名を上げるため、ブロスリアンドの森にある魔法の泉を守っていた騎士エスクラドスと闘ってこれを殺し、エスクラドスの城に行って未亡人になったその騎士の妻、貴婦人ロディーヌと結婚します。しかし、結婚後すぐにゴヴァン―即ちガウェイン卿の冒険に付き合わされることとなり、ロディーヌはユーウェイン卿に一年だけ冒険に行くことを許すのですが、彼は約束の日に帰ることを忘れ、ロディーヌの愛を失ってしまうのです……この話、どこか、あなたの場合と似ていませんか?」
「似て……いますか?」
ここまで言われてもまだピンと来ていないような患者に、カウンセラーはより直接的な言い方に変えて彼に告げる。
「ええ。そっくりですよ。騎士の最も重要な務めは戦争で戦うこと。また、そのために冒険の旅に出て武芸を磨くことも言ってみれば騎士の〝仕事〟です。ユーウェイン卿はその仕事に熱心なあまり、妻ロディーヌとの約束を破って、彼女に愛想を尽かされてしまったのです。これは仕事が忙しくて奥様を放ったらかしにし、奥様の愛を失ってしまったあなたと同じではないですか?」
「…!」
それを聞いた瞬間、ジャックはようやく理解したのか、眼鏡の奥の目を大きく見開いた。
「そ、それは……し、しかし、それだけで似ているというのは……」
「いいえ。それだけではありません。あなたは離婚して間もない奥様との仲をカフェにいた若い給仕の娘に取り持ってもらったと言っていましたが、夫を殺した仇である彼の愛を受け入れないロディーヌを得るため、ユーウェイン卿も彼女の妹であるリュネットの助けを借りているのです。夫を失って間もない女性…若い娘による恋の仲立ち…これらの奇妙な符合も、すべてはあなたがユーウェイン卿であったがための運命なのです」
「……そ、それは、あまりにもこじつけが過ぎやしませんか?」
そう口で批判してはいるものの、心の内では自分とユーウェイン卿との類似性に何か運命めいたものと、そのことに対する言いようのない不安をジャックはそこはかとなく感じている。
「いいえ。こじつけではありません。あなたは紛れもなくユーウェイン卿なのですよ。そして、あなたが奥様の愛を取り戻すためには、ユーウェイン卿同様、冒険の旅に出なくてはなりません」
「妻の愛を……取り戻す……」
その言葉に、ジャックは思わず耳を傾ける。
「犯した罪を購う手立てを求め、再び冒険の旅へと向かったユーウェイン卿は、ある冒険で大蛇と戦っている獅子を助けました。すると、その獅子がいつも彼につき従うようになり、この獅子によって彼はロディーヌの愛を取り戻すのです……そう。あなたが今なすべきは、再びユーウェイン卿として〝獅子を連れた騎士〟の旅に出ることなのです!」
「獅子を連れた騎士の旅……」
「彼が連れていた獅子は実際の動物の獅子という解釈の他に、獅子がキリストの象徴であることから、神の恩寵・献身の理想などの象徴とする考え方もあります。即ち、女性に対する挺身的な愛を伴う騎士道的な冒険を通し、あなたは奥様に対していかに接するべきなのかを学ばなければならないのですよ」
「……あ、ああ、そういうことですか……あなたは、その、ユーウェイン卿の故事を例えに私のなすべきことを教えてくださっているのですね……」
本当は既にそうでないとわかっていながらも、そう言って自分を誤魔化すジャックだったが。
「いいえ。これは例えでも比喩でもありませんよ、ジャック・スティーブンスさん。私は真実、あなたの前世がユーウェイン卿であったと言っているんです」
「で、ですが、そんな、伝説に出てくる架空の人物が前世だなんて……」
真剣な表情で語るカウンセラーにジャックは最後の抵抗を試みるが、その常識的な意見も一瞬にして打ち砕かれる。
「ユーウェイン卿は完全に架空の人物とは言い切れません。そのモデルは六世紀末にイングランド軍を破ったウリエンス王の息子とされていますし、彼の物語で有名なものはクレティアン・ド・トロアの『イヴァン』ですが、もとの起源はケルト系であり、かなり古い部類に属するものと考えられるのです」
「で、ですが、獅子を連れた騎士なんか……」
「ちなみに彼の連れている獅子も、現在、ブリテンには生息していませんが、一六世紀のスコットランドの歴史家ボゥイースがかつてスコットランドにもいたことを主張していますし、古いアーサー王の物語ではブルノールという円卓の騎士やガウェイン卿、ケイ卿がアングルシー島で獅子を殺しています……そう。獅子を連れた騎士ユーウェインは実在の人物であり、そして、現在のあなたなのです!」
「………………」
ジャックは何か反論しようと言葉を探してみたが、まるで気負った獅子のように口から何も発することができなかった。
「まあ、こんな話を突然されても信じられないのは無理のないことです。よろしい。それでは、これからあなたに退行催眠をかけて、前世の記憶を蘇らせて差し上げましょう。なあに、すぐにすべてを思い出しますよ」
信じがたい自分の運命に茫然自失とした様子のジャックを、カウンセラーはふかふかのソファに深々と腰掛けるよう促す。
「さあ、どうぞ、そんなに身構えずに。目を瞑って気を楽にしてください――」
To Be Continued…
A suivre…




