0 少年と赤子鬼
ダンジョン物。
薄暗がりの中、硬質な足音が岩壁へと反響し方々へと散っていく。
地上から七階も下にあるこの場所に今、一人の少年が駆け足で奥へと向けて走っていた。
少年の服は学生服の上にコートという非常に暑苦しそうな格好であったが着慣れているためか少年に非常に似合っており、迷宮という場所に順応しているように見えた。
少年の前にふと、ゆらりと動く赤い光が生みだされる。
それを確認した瞬間、少年はコートの内側に手を入れる。
そこから一筋の光が目の前の赤い光へと伸びていき撫でるように通り過ぎる。
「グギャアアアア!」
「ちっ」
鉛色の光に撫でられた赤い光が魂を揺さぶるようなおぞましい悲鳴を上げる。
それは同族を呼ぶための技であった。
目の前の敵を一撃で倒せなかったことに苛立ちと己の力不足を感じた少年は鉛色の光を反転させる。
再び赤い光を撫でた鉛色の光はさらにもう一度反転して赤い光を撫でる。
今度は悲鳴を上げることもできずに赤い光は力なく地面へと倒れ落ちる。
赤い光が消えていくとそこには生きる活力を失った瞳があった。
その瞳を持つ者の肌は赤黒く、そして人と比べて小柄で骨ばっている。
ホブゴブリンと呼ばれる迷宮内のモンスターであり、その手には錆びたナイフが握られている。
しかし次の瞬間、ホブゴブリンの体が砂のように崩れていく。
そこに残ったのはホブゴリンが着ていたボロボロの衣服と錆びたナイフ、そして黒色の石があった。
少年はすぐさま錆びたナイフと石を拾うと周囲を警戒する。
すると後方と前方から地面を揺らす音が多数聞こえてくる。
「挟まれたか」
ぽつりと呟いた言葉と共に少年は今まで目指していた方向とは真逆の後方へと駆け出した。
そちらの方が音が少なかったのも理由の一つであるが何より迷宮という場所では地上へ戻る退路の確保は必須の条件である。
ソロで活動している少年にとって挟まれ、なおかつ退路すら断たれてしまうことは死地に等しい。
「まあ、問題無いけどな」
先ほどホブゴブリンを倒した鉛色の光を発する武器を少年は構える。
僅かに緩やかな曲線を描くその武器はどこか芸術品のように見えるが、近くでよく見れば少し太く無骨なつくりをしている刀であった。
遊び心を全く加えていない実用性重視のその武器は破壊されることのみを嫌い、丈夫な作りとなっていて切れ味は少しばかり悪いがホブゴブリン程度なら切ることに問題は無い。
そう思っていたのが慢心であったのか先ほど出会い頭に遭遇したホブゴブリンを一撃で倒せなかったのは反省するべき点だ。
だがしかしそれでも少年にとってホブゴブリンは敵では無い相手であった。
「グギイ!」
目の前から走って来て怒りの声を上げたホブゴブリン達が錆びたナイフを少年へと投げる。
ほぼ全てを避けるも一本だけ吸い込まれるように少年の胸に突き刺さる……ように見えたそれは金属質な音と共に服に弾かれて迷宮の地面へと落ちる。
見れば刃先がかけてそこから全体にヒビまで入っており、そのナイフは既に武器としての役目を果たすことができない。
そう、何故ホブゴブリンが少年にとって敵ではないかと言うとホブゴブリンの攻撃では少年に欠片ほどのダメージも与えることができないからだ。
それでもすぐさまホブゴブリンを倒しにかかったのは先ほどのようにホブゴブリンは同族を呼ぶ悲鳴を上げる。
それによって呼び寄せられるのはホブゴブリンだけでは無いし、何より大勢のモンスターに集られて身動きが取れなくなることは危険であるためだ。
「今度は……」
鋭利な刃物のような雰囲気で少年が刀を構え直してホブゴブリンへと振るう。
一筋で一体を倒し、返す刃で乗り越えてきたもう一体を斬り、真横に振り抜かれた先にいた一体の頭を串刺しにする。
力任せに振り抜いて刺さったホブゴブリンを吹き飛ばした先にいたもう一体を押し倒すように遠ざける。
続いてコートの内側に手を入れて腕を振るうと先ほど拾った錆びたナイフが押し倒されたホブゴブリンの額に吸い込まれ、短い悲鳴を上げて動かなくなる。
途端にその場に静寂が訪れ、その一瞬の後にホブゴブリン達の体は崩れ去った。
「しつこいな」
少年がホブゴブリンが消えた後に落ちる錆びたナイフと石を拾うと追いついたと言わんばかりに足音が近づいてくる。
先ほどよりも多いが少年には焦りは無い。
むしろ獲物が増えたとばかりに歪んだ笑みを浮かべた少年は自分から音の方へと向かって走り出していった。