上 ~着信~
どこの職場にも心霊話と言うものは存在する。私が働くコールセンターもまた例外ではない。これは私が実際に経験した呪われたお話。
私の業務はわが社の販売する携帯電話に不具合が発生した場合、その症状や経緯を聴き、場合によっては新しい電話機をお客さんの自宅に配送するというものだ。つまりお客さんからかかってきた電話を受けて、幾つか質問してハイおしまい。
様々な状況に対応できるマニュアルをただ読むだけ、それ以外の時間は空調の効いたオフィスで座って電話を待つだけの簡単なお仕事だ。でもやっぱりときにはクレームやわけのわからない電話もかかってくる。でもどんなに罵声を浴びせられても、相手の言っていることが訳が分からなくてもマニュアルのルール上こちらからお客さんの電話を切ってはいけない。他にも絶対にやってはいけないことはいくつかある。
例えばお客さんの個人情報を業務以外の目的で利用する事。こんなことはこの仕事をやっていない人でもわかる常識であるし、某通信教育会社が最近この手の問題で大変なことになったのは記憶に新しい。
さて業務に関する前置きはこの程度にしてそろそろ私が経験した話をしようと思う。
あの日は台風が接近していたのと平日の昼間という条件が相まって、オフィスにかかる電話は非常に少なかった。私は少なくなってきたジュースの買い足しにいつ出ようかと頭の片隅で考えながらかれこれ20分、日本の市町村名の漢字の読み方テストのページを眺めていた。
「ピリリリ」
20分ぶりの電話だ。着信があれば必ずワンコール以内で取らなければいけないのもルールの一つだ。
「お電話ありがとうございます。××サービスセンター、担当の○○でございます!」
お客さんは第一声でその人の印象を決めてしまう。だから名乗りの挨拶はとにかく明るく優しく丁寧に。これだけを心掛けて(たとえ心無くとも)喋らなければいけない。
久し振りにかかってきた電話。これが終わるとまた暇な時間が続くのだからたまにはいつも以上に丁寧に対応してやるか、と思いいつもよりも明るめに挨拶をした。
しかし、数秒待ってもお客さんからの返事がない。せっかく丁寧に挨拶したのに肩透かしを食らった気分になった。
仕方ないので気を取り直してこちらから呼びかけてみる。
「お客様?本日はいかがなさいましたか?」
するとざらざらとした電話音の向こうから女性の声が聞こえてきた。
「・・・もしもし、聞こえますか?あ、すいませんなんか電波が悪いみたいで」
なんだそういうことか。最近では出先から携帯でかけて来る人も多いため国道沿いや電波状況の悪い場所からかけてくるお客さんも少なくない。クレームほどではないが聞くために集中力を注がなければいけないため、少し面倒な電話だ。
「さようでございましたか、もし可能であれば電波状況の良い場所に移動していただくことはできますか?」
「それが実はいま、自宅からかけてるんですけど、今回お電話したのも買ったばかりの電話機なのに自宅から電話を掛けると相手の人に聞こえずらいって言われるんです。」
なるほど、たしかに電話機によっては水に濡れてしまったり、そもそも不良品だったなどの原因によってマイク機能がうまく作動しない場合がある。私は頭の中でマニュアルでこんな時の対応方法を思い出していた。そうだまずは家の中がそもそも電波が繋がりにくい場合があるからそれを聞かなきゃいけないんだった。
「お客様、電波の受信レベルはどのようになっていますか?」
「それが電波はよく入るんです。実際ネットとかは問題なくつながりますし、電話の時も相手の声はよく聞こえるんです。でもこっちの声だけが聞き取りづらいみたいで、それで電話機自身の不具合なのかなと思って」
「かしこまりました、念のためベランダなどの受信環境の良い場所に一度移動していただけますか?」
お客さんの方もこの状況が長かったのだろう。かなり聞く側に配慮して大きな声で喋ってくれている。おかげでお客さんの話す内容はかろうじて途切れることなく聞き取ることが出来る。
確かにこのお客さんのような症状はよくあるケースだ。となればあとは新しい電話機を配送するためにお客さんの家の住所を聞いて、注意事項を伝えればそれで終わり。ただ一つ気になるとすれば聞こえているノイズだ。普通電話機の不具合ならノイズは一定の音のはず。でもこのお客さんの電話から聞こえてくるノイズはどうも一定ではなく、音量が大きくなったり遠ざかったり。なぜだろうそう思いながらもマニュアルに従って話を進めていく。
「それではお客様、こちらから新しい電話機をお届けいたしますのでまずはお客様のご契約を確認させていただきたいと思います。登録していただいている電話番号と住所、そしてお客様のお名前と生年月日を教えいただけますか?」
この内容が電話対応の中で最も重要なところだ。電話番号はお客さんの契約状況を照会するために必要だし、住所は少しでも間違えれば全く別の所に荷物が届いてしまうため聞き間違いは許されない。
名前と生年月日を聞くのはちゃんと契約者本人からの電話かどうかを確かめるためだ。とっても重要なため、聞いた内容はこちらからもう一度復唱して確認しなければいけない。もちろんこの項目を聞かずに対応を終える方法は存在しないし、聞く事によって私の気分が害されるなんてこともない。だからいつもどおりお客さんの述べる内容を聞いていた。でも、あの時に戻れるのなら、私は絶対に聞かなかっただろう。
「はい、電話番号は080-****-****です。(ダダッダダダ)は○○県○○市*****(ドン!ズズズズズー、いいやー、嫌ッ)生年がっ…(や、ギャーー!)」
今までのノイズとは全く違う、もはや騒音、いや怒号や叫び声も聞こえた。肝心なところが全然聞こえなかった。もし家の中が騒がしいのだとしてもこれは明らかに異常だ。DV・虐待、何らかの非日常でなければならない事態が、この電話の主の家の中、もしくは隣人の家で発生している。電話越しとはいえ人間が肉体的苦痛を受けているときのリアルな叫び声を聞いてしまった私は次にどんな対応をしなければならないのか分からなくなっていた。いやむしろ今が電話応対中ということも忘れかけていた。そんな私の思考は受話器から聞こえてきた声で中断された
「・・・あのー、もしもしどうかなさったんですか?」
どうかなさったんですか!?なんでこんな状況でこのお客さんは電話応対の進捗を気に掛けてきているのだろうか?もしも隣人の家で聞こえている声ならばコールセンターよりも警察なり相談所なりにまず電話すべきではないだろうか?もしもこのお客さんの家で聞こえている声ならば、このお客さんにとっては苦痛から逃れようとする叫び声が聞こえるこの状況が通常だというのだろうか。だとすれば児童虐待?たとえ私がただのコールセンターのオペレーターだとしてももしかすれば通報する義務は私にあるのかもしれない。私が通報しなかったために、ニュースで逃げ場のない無垢な命が無責任な親の勝手な都合によって奪われるなんて事実を知りたくない。
「もしもし?」
再びお客さんから呼びかけられて私はまた我に戻った。そして同時にもしかすると私の今の考えを悟られてしまったのかも知れないと思い一気に恐怖心が、動揺が私の全身を駆け巡った。このまま返事をしてまともな声が出る自信がない。
何とかして心を落ち着けようとしている私にお客さんは再び呼びかけた。
「あの、もしかして、何か変な音が聞こえましたか?…叫び声みたいなのが、聞こえましたか?」
「え、、あ、その…」
どうしよう何と答えればいいのだろう!?こんな時の対応がマニュアルに載っているはずもないのに私はとっさに手元にあるマニュアルを次から次へとめくっていた。
「やっぱり聞こえたんですね。あぁ、あの私にはわからないんです!聞こえないんです!でもいつもこの時間に電話するとあああ相手の人には、人の叫び声がきこえるみ、みたいで。」
何を言っているのか理解するまで少し時間がかかった。でもこの人の今の態度は本当に何も知らないし、それどころか私なんかよりもはるかにずっと怯えているよう聞こえる。一体何を、何の話をしているの?
「とな、隣の人に相談してもそんな事聞いたこともないっていうし、前に一度大家さんにも立ち会ってもらって変な電波がとんでないかとか調べてもらったんです。でもそんなことなくって。それでもう気持ち悪くて!お願いします!助けて!」
と、この瞬間を境に再び異様なノイズが聞こえ始めた。
「(ドタンッ!! ドンっ、ドンっ、ドンっ、ドンっ!)
い、いや、来ないで!やめっやめてっ!!ぐぐうっぐうぅぅあぐ、ぐぐあぁぁ
(バキン!キュキキキキッ・・・・キキキ)
・・・・
ガツン!!ブツッ!」
まるで電話機が何か固いものにぶつかったような・・・そうだきっと電話機を落としたんだ。その音を最後に電話は切れてしまった。
マニュアル対応を仕込まれていた私はこの時もまた何も声を出すことが出来ず、もがく声をただ聞いていた。
今思えばもうこの時すでに私は魔による呪いの誘いに飲み込まれてしまっていたのだ。