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 レパルトが去ってから食事を3回取った。どんな状況でも腹は減るもので。明日には自分は死ぬというのに、不思議と恐怖はなかった。後悔はあるし、生きたいと思うが、何処か心の底でほっとしている自分もいる事に気付いていた。息苦しい王宮。母が亡くなり、何処かよそよそしくなってしまった父。心許せる者などいなかったなと思い返せば、脳裏に一人の泣き顔が浮かぶ。

(いたな。あいつは未だ泣いているのだろうか)

 幼い頃に母に紹介されたリヒトの侍従。同じくらいの年頃と、同じ髪色、瞳の色を見てすぐに影武者に使われるのだろうなと思った。挨拶しようと口を開こうとすれば、キラキラと輝かせた瞳で泣き始めた。  

「……何故泣く」

「ごっ、ごめんなさいっ! 凄く綺麗で、あの僕ボニトと言います。今日からリヒト様に御仕えさせて頂きますのでどうぞ宜しくお願い致します!」

 風を切るが如く、素早く頭を下げる姿に思わず目を見開く。

「ボニト、顔を上げよ」

 ゆっくりと幼くも真っ直ぐ力強く見詰める瞳。王太子という地位に恐縮したり、おこぼれを貰おうと近寄る者は多かったが、このような真っ直ぐに自分を見詰める者などいなかった。

「これから宜しく頼む」

「は、はい…はいっはいっ!」

 胸の位置で握りこぶしを作り、何度も大きな声で返事をするボニトに、蔑みや嫉妬の視線ばかり受けていたリヒトは、自然と笑顔になってしまう。するとまたボニトは泣くのだった。

(昔から泣き虫だったな。今も変わらないが)

 昔はちょっとした事ですぐ泣いていたので、王太子の侍従には不向きとされ、交代の声が上がっていたがリヒトは首を横に降り続けていた。

 確かによく泣くし、失敗すれば暫くの間落ち込んで他の仕事が疎かになるが、翌日には毅然とした態度と、同じ鉄は踏まないようにしている。何よりボニトの傍は心地好かったからだ。母亡き今、ボニトの隣だけが、素の自分でいられるのだから。

 今回の濡れ衣事件で誰よりも異論を唱え、協議会や大臣に申し立てを上げたのはボニトだろう。リヒトがこの牢に閉じ込められる際にも、

「必ずお助けに参ります」 

 と、泣きながら必死にリヒトの背中を見送る姿を覚えている。ボニトはリヒトの事になると周りが見えなくなる事があるが馬鹿ではない。きっと懸命に動いてくれたのだろうと思っていた。走馬灯のように頭の中でリヒトの後ろを着いて回るボニトの姿に笑みをこぼす。冷たくあしらっても、剣の相手としてボコボコに殴りつけても、健気に慕うボニトに後ろめたさはあるものの、真っ直ぐに見詰めるその瞳は一度も曇る事がなかった。何度救われただろうか。

(次こそは道を踏み外さない主に出会って欲しいものだ。いや、踏み外した覚えはないのだが……)

 願わくばボニトの未来に幸あれと堅いベッドに潜り込もうとした時、幾つかの足音がする。数人誰かが此処に向かっているようだ。何事かと警戒し、部屋の隅端にて気配を消し待ち構える。明日には処刑されるのだから暗殺の線は低い。逃げないよう拘束でもしに来たのだろうか? 窓1つなく重い鉄の球に繋がれているのに、逃げる計画等考えられる訳がないというのに……嘲笑うかのように鼻で笑う。が、

「リヒト様!」

 現れたのは先程まで考えていたボニトだった。リヒトを部屋の隅で見つけ、安堵のあまり涙で目を潤ませながら、乱れた息を整える。

「嗚呼、リヒト様。そのように御窶れてしまわれて御労しい。すぐに此処から出して差し上げますからね!」

 リヒトの返答を待たずに、懐から取り出した鍵で牢を開ける。ボニトの登場と、あっさりと開いた牢の扉に頭が着いて行かず呆然とするも、握られた手の温もりで我に返る。

「この馬鹿!」

 握られた手を振り払い、力の限り頭を強く殴った。痛みと衝撃で踞るボニトを他所に、共に連れて来た兵士2人にも怒りの声を上げる。

「何を考えている! こんな事をすればどうなるかわかっているだろう! くそ、此処の警備は何をしている」

「ふふ……」

 踞りながら殴られた頭を抱えつつ、笑いで肩を揺らすボニトに更に苛立ちは募った。

「笑っている場合か!? この事がバレたら御前達だけでない、御前達の家族とて罪に捕われるのかもしれんのだぞ。良くて財産取り上げ、階級剥奪。悪ければ幽閉も……」

 考えれば考える程、悪い方向へにしか思い浮かばない。

「ふふ……やっぱりリヒト様はリヒト様だ」

 立ち上がり自分の服を脱ぎ始めるボニトが、何を考えているか解らず戸惑う。2人の兵士も穏やかな表情で見守っている。

「さ、この服に御着替え下さい」

 差し出されたのは、ボニトが今の今まで着ていた服。それが何を意味するのか解らない程、馬鹿ではない。

「ふ、ふざけるな! こんな事許されるはずがないだろう!」

「僕は貴方の影武者です」 

 息を呑んだ。まさか知っていたなんて。怒りで差し出された服を投げ付けようとした手は下り、頭から爪先まで血の気が引いていく。

「知って、いたのか」

 知らないからあのように真っ直ぐに自分を敬い、後ろを着いて回っていたのだと思っていたからだ。だからこそ、その無垢なボニトに後ろめたさを感じていた。常に狙われる立場の自分。何時、ボニトが身代わりにされるか解らないのに。ボニトに影武者となって欲しくはないが為に、毒に対する耐久も付け、警備は厳重にし夜は深く眠らないようにしていた。

 全てはボニトの慕う瞳が曇らないように、影武者の事を知られないようにしていたつもりだった。

 だのに知っていたとは。影武者の事を知っても尚、あれだけ自分に親身に仕えてくれたというのか。自分はそこまでされるに値する人物だったのかと、リヒトは頭の中で埋めく感情に混乱している。

 戸惑いと後ろめたさを隠せないリヒトに優しく微笑むボニト。

「僕は嬉しいんです。リヒト様のお役に立てるのですから」

「俺はっ、俺はこんな事をされても喜びはしない。御前には新たな主人の下で、幸せに暮らして欲しいと願って……」

「僕の生涯の主は、リヒト様だけです」

 そう伝えるボニトには、昔と変わらない自分を真っ直ぐに慕う瞳をしていた。胸が締め付けられそうな感覚に陥り、ついその眼差しから目を逸らしてしまった。その一瞬の隙をついて、ボニトは1つの魔法を唱える。

「ドルミル」

「なっ、ボニト貴様っ……」

 リヒトの顔の前で小さく光り輝く紋章陣。魔法学の勉強も当然受けていたリヒトには、この魔法が何の魔法なのかわかったている。すぐに解除呪文を唱えようとするが、不意を突かれての熟練度の高い魔法に、リヒトはその場に膝を付き倒れ、深い眠りにつく。

「僕は貴方に仕えられて幸せです。どうか……生き抜いて下さい」

 眠りについたリヒトの服を脱がし、自分の服を着せる。背丈も年頃も同じぐらい。髪型も似たようにさせ、常に傍に仕えていた為に、立ち振る舞いや仕草は熟知している。

 国民はリヒトの顔を知らない。貴族達は公開処刑を見るなど、汚らわしいと自分の品性を疑われてしまうので、絶対に見に来ない。騎士や兵士達には、髪を垂らし俯いていればバレはしないだろう。ただ、黙って処刑台の上に上がれば良いだけだ。

 服を着替え終えさせたリヒトを兵士に預け、

「どうかリヒト様の事、宜しくお願いします」

「御任せあれ。ボニト殿の事は決して忘れたりは致しませぬ」

「必ず、安全な場所までお連れします」

 後を託す思いで頭を下げ、ゆっくりと牢の鍵は掛けられる。足音が遠ざかるまでボニトは頭を上げる事はなく、人の気配がなくなり辺りが静寂に包まれると、その場に座り込んだ。

「……生きて、生きて下さい。それだけが僕の願いです」 こぼれ落ちる涙は冷たい石床に染みを作り、暫く会えず漸く会えたリヒトの顔を思い出す。満足に食事も与えられず、疲労と心労で窶れた顔に泣きそうになった。


 幼い頃、王太子の侍従にと命令を下され、正直嫌だった。王太子の噂はあまり良いものではなく、立場を利用して我が儘放題。周りは敵だらけだと聞いていたからだ。しかも容姿がそっくりだと知れば、自分は王太子の影武者にされるのだろうと、幼い頭で理解していた。

 ボニトはおっとりとした性格で感受性が高く涙もろいが、頭の回転は悪くはない。自分は捨て駒なのだと思い、初対面の時は憂鬱だった。しかしどうして。優しい笑みの王妃に連れられ紹介されたのは、噂とは程遠い気品ある物腰に、何処か寂しげな表情をするリヒトだった。リヒトの顔を見るなり、ボニトの体中に稲妻が走ったかのような衝撃を受ける。

 直感。そう直感でこの人だと感じたのだ。リヒトこそが自分が生涯仕える方なのだと。思わず泣いてしまったボニトに困り顔をさせてしまい、慌てて自己紹介すれば、王妃と同じ優しい微笑をしてくれる。なんて優しく笑う方なのだろうか。

 あれだけ悪意ある噂を流されれば、自分の耳に入らないはずがないのに。歪む事なく強く優しい方なのだと、この人の笑顔を絶やしてはならない。力の限り御守りしようと、泣きながら心に誓ったのだった。


 それからというもの、何度失敗しても自分を見放さなかったリヒトへの忠誠心は厚くなるばかりで。何時か王冠を乗せ、玉座に座るリヒトの傍で御仕えするのが夢だった。

 それなのに今回の国王暗殺事件。その首謀者がリヒトだとされ、ボニト自身も共犯だと疑われた。有り得るはずがない。王を殺してリヒトに何の得があるのだと言うのだ。これはリヒトを貶める為の罠。それも大臣と上級貴族による、巧妙な罠なのだ。言い逃れが出来ない程の捏ち上げの証拠を並べられ、ボニトの申し分も意味はなく。

 自分ではどうする事も出来ない。謁見すら許されず、ただリヒトの処罰を待つだけの日々。そんな時、大臣がボニトに近付いて来た。

「軟弱な御前が王殺しの共犯など出来るはずがないが、王太子に脅されたのであろう? 今まで散々扱き使われてきたのだ。どうだ、王太子に脅迫されたのだと述べれば、御前の罪はなかった事にしてやろう。王太子は死罪。その王太子に仕えていた侍従など、誰も雇ってはくれまい。私の下で働け。悪いようにはせん」 

 王太子は死罪。

 あの優しい微笑みを見る事が出来ない。ボニトの中で何かが弾けた。

「考えさせて下さい」

 大臣の誘いを保留し、すぐさまリヒトの脱獄計画を経てる。1人では到底無理で、リヒトに深い忠誠心を持つ2人の兵士にこの話を持ち掛けた。自分が身代わりになるから、リヒトを王宮の外へと連れ出して欲しいと。 

 一瞬戸惑いはあったが、ボニトの必死の気迫と、自分達に対して大切に優しく接してくれたリヒトの為に、2人はその計画に乗る事にした。自分達の命を賭けて。


 脱出は成功。後は城から抜け出し王都を出て、出来る限り遠くへと逃げること。

 疼くまっていた身体を起こし、窓のない壁を見詰める。

「世界神、イルシオムンドよ。どうかリヒト様の笑顔が絶やす事のないよう、リヒト様を御導き下さいませ」

 手を合わせ世界神に祈りを捧げる。自分の死など怖くはない。リヒトのいない世界など生きていく意味はないのだから。だからこそ、身代わりに自分の命を差し出す事に何の躊躇もない。

「リヒト様……どうか御幸せに御なり下さいませ」

 死刑執行までの時間、眠る事なく神に祈り続ける。瞼の裏に映る、幼き日の優しく微笑むリヒトを思いながら。



 今回の暗殺事件に深く関わっているのが、世界神イルシオムンドを信仰とする教会であることをボニトは知らない。そして、全ての行動が、ある人物の思惑通りである事も。




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