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ヤンデレ姉さんに○されたら考えるべき10のこと  作者: くらげマシンガン
▼第七章 俺の周りを飛んでいた彼女について。
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つ『あなたはまだ、何も知らない』 後編

「……あら? ジュン、新年早々顔色が優れないですわね。調子が悪いなら、家に居た方が良いのではありませんの?」


 そうだろうか。あまり、俺自身は意識している訳ではないのだが。レイラは少しだけ心配そうに、俺の前髪をかき上げた。

 色々と、無意味な事を考えてしまっているのかもしれない。


「いや。大丈夫だよ」


 肩をすくめて苦笑して誤魔化すと、先頭を切って歩き出した。


 瑠璃が倒れてからの二○一二年は、とても早かった。風のように過ぎ去ってしまい、当時の自分が一体何をしていたのか、あまり思い出す事が出来ないほどだ。

 きっと、あまり大した事は出来ていなかったのだろうと思う。

 元気に跳ね回っていた黒のポニーテールも、すっかり見ることが無くなってしまった。

 本当はこの場にもう一人、居た筈なのに――……。


「出店、賑わってるねー」


 立ち並ぶたい焼き屋やたこ焼き屋を見て、杏月が穏やかな感想を述べた。横に並んで歩く事がどうにも難しく、俺達は少数のグループに別れて、バラバラに見て回る事になった。

 まあ、まずは新年も明けたということで、お参りでもするべきだろうか。一月一日ともなれば、人は多い。俺と杏月は二人、行列に並んだ。


「げえ。これ待つの……」

「はは。やめとく?」

「まあ、せっかく来たし……」


 杏月は唇を尖らせて、不満そうにしていた。まあ、確かにここで延々と並び続けるというのは、体力的にも疲れる――りんご飴か。懐かしい。

 少し列から外れても、杏月が居る。俺は売店に向かい、手を伸ばして小銭を手渡した。


「二本」

「はい、二本ね」


 並んでいる間に、買い物も楽しめるだろうか。

 りんご飴を杏月に渡すと、杏月は嬉しそうに表情をほころばせた。まあ、こういう待ち時間なら然程苦痛ではないだろう。

 嬉々として杏月は頬を染め、りんご飴に舌を伸ばし――……


「……んっ。……クチュ、あーん、垂れちゃう」

「普通に食え」


 ……あれ? 二本? ……しまった。

 俺はふと、後ろを振り返った。列は少しずつ移動していて、既にりんご飴の店に戻る事は出来ない状況だ。

 少し、申し訳なく思う――……

 ……どうしてだ?

 まず、この場には俺と杏月しか居ないんだぞ。何のために、三本。反射的に後ろを振り返った自分に、疑問を覚えた。


「……純?」

「あ、いや。……何でもないよ」


 やっぱり、疲れているのだろうか。最近、なんか肩が重いような気もするしな……。

 程なくして、賽銭箱が見えてくる。少し遠くから投げ入れる者、落ちた小銭を眺める者。なんとも平和な光景である。食べ物を咥えながらお参りを……って、それはどうなんだ。良いのか。

 しかし神様にお参りって、変な気分だな。別に何がどう、という訳でも無いのだけど、なんとなく。

 何を願おうか。別に、何が叶う訳でもない。神様は願い事を叶えてくれる訳ではないのだ――……

 杏月が賽銭を投げて、隣で力強く手を叩いた。


「今年こそは、純とエッチできますように……」


 杏月を殴った。


「いたい!」

「何願ってんだお前!! 神様も苦笑だよ!!」

「私は欲望に忠実なの!!」


 大体、願い事を口に出して言うなどと――口に出して?

 ふと辺りを見回すと、杏月の台詞を聞いていた者が居たらしく、数名の若者がクスクスと笑いながらこちらを見ていた。不謹慎だと口に出して言わんばかりの表情で、俺を睨み付けている頑固そうなオッサンもいる。

 は、恥ずかしい……

 確かに、端から見ればただのカップルに見えるだろう。俺と杏月は似ていないし、まず義理のキョウダイだし。

 そそくさと杏月の手を引いて、その場を離れた。


「それで、どうなのよ。私の今年の抱負を聞いた純の感想は」

「スーパードライ」

「生ビール!?」


 適当な事を言って、誤魔化す事にした。まあ、杏月も半分くらいは冗談で言っているのだろうけど。

 あ、賽銭投げるの忘れた……

 杏月め。


「あ、見て見て。はみぐちゃティッシュだ。最近流行ってるんだよ」

「やっぱり流行ってるんだ、それ……」


 ……まあ、良いか。もしも願うとしたら、瑠璃が一刻も早く元気になるように、だとか、そんな事を願っただろうと思うから。

 神様は、人の病気を助けてくれない。神様の仕事は、人を救う事ではない。いつか、誰かがそう言っていた。

 相も変わらず人はごった返し、それぞれの目的に向かって所狭しと歩き回っている。その様子を端で眺めながら、俺は杏月の手を握った。


「……純?」


 杏月の肩に、頭を預ける。


「ごめん。……やっぱ、調子悪いかも」


 杏月は微笑んで、俺の手を握り返した。


「……ん。人が多くて、疲れちゃったかな。ちょっと、外に出ようか」


 俺は頷いて、歩き出す。

 出店の並びを離れれば、人混みは通行人に絞られるため、急に緩和される。杏月は黙って、俺に付いて来た。

 人の運命は、残酷にできている。人事を尽くして天命を待つと言うが、天命を待たなければ解決出来ないようなことは、そもそも望みが薄い事なのだ。

 だから、神様に願うということが、どうにも不自然に思える。

 神様は人に、何もしてくれないじゃないか。


「はい、座って。もうすぐバス来るよ。私、みんなにメールしておくね」


 そうして、停留所のベンチに座った。杏月は立ったままで、携帯電話からメールを送っている。

 杏月が俺に気を遣ってくれる。俺は気を遣って貰っていると気付くことができる。だから、俺は救われているのだ。

 ……気を遣われても気付くことが出来ない瑠璃とは、違う。


「杏月」


 知らず、杏月の名前を呼んでいた。杏月は俺の顔色を窺い、何も言わずに隣に腰掛けた。


「……どうしたの?」

「今日、瑠璃の所に、行こうと思うんだ」


 杏月は微笑んだ。


「いいよ。一緒に行く?」


 俺が首を振ると、杏月は笑みを浮かべたまま、頷いた。

 頭の中がぐちゃぐちゃして、ちっとも思考を回転させる事ができない。つい最近まで、何かとてつもなく大切な――大切な事を忘れていたような、そんな気持ちの悪さを感じた。

 もしかしたら、瑠璃の体調が悪化しているのかもしれない。

 日ごと、忘れていく。そうして今日に至るまで、瑠璃はほとんどの事を忘れてきた。

 まるで人が肉体だけ残して、魂をどこかに忘れてしまったような。


「神様はさ」

「うん?」

「神様はさ、人に何もしてくれないんだよ。神様がやらなければいけないことってさ、この世の理というか、そういうものを守る仕事なんだと思うんだ。だから、なんか、やっぱ、初詣とか――苦手なのかもしれない」


 俺は疲れているのだろうか。

 あんまり宗教みたいなものは、得意じゃなかった筈なんだけど。


「馬鹿みたいじゃないか。祈ったってさ、人の自己に関わるみたいなことは、何も叶えてはくれないんだ。まだ、サンタクロースなんかの方が可能性がある、とかさ。変な事を、考えるんだ」


 杏月が俺の頭を抱いた。


「大丈夫」


 もしも、死んで人生をやり直すような事が出来るのだったら、俺は今、時を戻しているだろうか。


「どうしようもないことは――どうしようも、ない」


 二○一二年五月二十日の、あの日に。

 戻りたい。

 あの日に。


「大丈夫だから」


 きっと、人は思う。時を戻す事が出来たら、あれもこれも救う事が出来るのに、と。

 そうして何かを救う度に、今度は別の色々な問題が浮かび上がってきて、何度でもやり直したいと願うのかもしれない。

 全てを助けたとしたら、いつかは終わりを迎えるのだろうか。

 いや。

 終わりはないのだと思う。

 日ごと、秩序を乱していく。

 秩序を乱すことで、また問題が生まれる。

 そうだとしたら、救う事に意味なんかない。


「どうしようも、ないんだ」


 意味も分からず、泣いていた。

 愛は、人を救う事は出来ないのだろうか。この世は冷めたルールのもと、人の想いとは何の関係もなしに進んでいくものなのだろうか。

 グロテスクで、リアルに。

 そんなにも、誰かを救いたいと思う気持ちは、価値の無いものだろうか。

 価値があるものだと、信じたい。

 杏月は黙って、俺の頭を撫でる。


「私が、そばに居るからね」


 いつか、誰かに教えて貰っただろうか。俺は、ピュラモスとティスベの話を思い出していた。二人はお互いを愛するあまり、後を追いかけ合って死んでしまったこと。

 そこには、残酷な真実だけがあった。救いはなく、あくまでリアルで、悲しい話だった。

 事実は小説よりも奇なりと言うなら、誰もが救われる未来があったっていい。

 そう、思った。



 ◆



 しかしながら、悪戯に時が戻るということなど、よもや神の力でもなければ起こる筈がない。一頻り泣くことで落ち着いた俺は、杏月と別れて一人、総合病院まで訪れていた。

 冷えきった通りを寒そうに人が歩いて行く。病院へと向かう足が少ないのは、一般外来が休みだからだろう。

 乾いた風に吹かれる、背の高い病院を眺めた。


「……花か何かでも、持ってくれば良かったかな」


 白いトルコギキョウか何かを、君麻呂が好きだったように思う。

 あれは、いつの話だったっけな。

 病院の中へと入った。

 面会時間は、まだ余裕がある。

 自動扉をくぐると、数人の患者と思われる人と目が合った。特に気にしないことにして、俺は受付を目指した。

 病院の中は、静かだ。

 どうにも最近、静かな事には慣れない。

 立花や越後谷を始めとする、やかましい連中が常に周りにいるからだろうか。

 静か過ぎて、どうにも肩が凝るのだ。


「青木瑠璃さんの、面会に来たのですけど」


 暫く待たされた後、軽く手続きを済ませると、バッヂを付けてリノリウムの床を歩く。コツコツと、自分の靴の音が反射した。

 やっぱり、杏月を連れて来れば良かっただろうか。一人で会ってしまったら、俺は取り乱してしまうかもしれない。

 ――いや。取り乱さないために、一人で来たんだ。

 自分に言い聞かせた。

 杏月が居たら、俺はまた甘えてしまうかもしれない。結局、自分の気をしっかりと持っていなければ、どんな時だって取り乱してしまう可能性はあるんだ。

 もう、あれから随分と時が経っているのだから。いい加減、俺も受け入れなければいけない。


「半年以上、か……」


 少し、違和感を感じるほどだ。俺の知らない間に、そんなにも時間は経っていたのか。

 俺ももうすぐ卒業になるのだから、やっぱりそうなのだろう。

 まるで時間が大きく飛んでしまったような気分でさえある。

 十月、十一月、十二月と、俺は一体何をしてきたんだったか。

 学園祭がつい昨日の出来事のようだ。

 程なくして、『青木』と名札の付いた個室が見えてきた。

 俺は扉の前に立ち、喉を鳴らした。

 右腕を前に出し、ノックの姿勢を取る。

 中から、物音は聞こえてこない。


「……俺は、大丈夫」


 自分に言い聞かせるように呟く。

 そして――ノックをした。


「瑠璃? 純だよ。入るね」


 中から返事は聞こえてこない。

 いつもの、流れだ。

 俺は特に気にしない事にして、扉を開いた。


「……あ」


 扉を開けると、思わず声を出してしまった。

 病室のベッドの上に膝立ちをした瑠璃は、丁度シャツを脱いでいる最中だった。緩やかにウエーブを描いた背骨のラインとくびれたウエストから、素肌のきめ細やかさが分かる。窓に向かっている瑠璃は、俺の目には背中しか見えない。

 ぞっとするような、白い肌。夕暮れ時だが電気はついていない。西日が瑠璃の限りなく黒に近い髪を、茶色へと変化させる。

 無造作におろした髪から、形の良い鼻が見えた。

 瑠璃が首だけ、こちらを向いた瞬間だった。


「ご、ごめん。ちゃんとカーテン閉めないと、駄目だよ」


 扉の鍵を閉めて、俺は背中を向けた。……瑠璃からの返事はない。着替えていたのだろうか。

 じっと、待つ。

 暫くして、カーテンの閉まる音が聞こえた。安堵するのと同時に、嫌な予感がして、俺はカーテンの向こう側を見る。

 既に瑠璃は、ベッドの上に立っていなかった。徐ろにカーテンを開くと、既に着替え終えた瑠璃はベッドに正座をしていた。

 そっと、カーテンを開く。


「いや、カーテン閉めてっていうのは、そういう意味じゃなくて」


 瑠璃は無表情のまま、小首を傾げた。

 ……やっぱり、感情はないのか。俺は首を振って、瑠璃が閉めたカーテンを元に戻した。

 あの黒いポニーテールは、もう見られる事はない。

 俺は瑠璃の頭を撫でると、隣の丸椅子に座った。


「リンゴ買って来たんだ。……食べる?」


 暫く、待った。

 瑠璃からの返事はない。瑠璃はじっと俺を見詰めた後、窓の外に目を向けた。

 ……いらないのだろうか? 今はあまり、食べるような気分ではない?

 如何せん、気分などというものはすっかり分からなくなってしまったから――……


「剥いておくから、食べたい時に食べなよ」


 それだけ言って、ビニール袋からリンゴを取り出した。

 相変わらず、こうだ。

 話し掛けても、返事が返って来る事はない。瑠璃の意識はどこにも向いていなくて、ただ生活するための行動だけを忠実に取っている。

 生きた人形のようで気味が悪いと言えば、そうだ。

 俺は気味が悪いとは思わないけれど。


「今日は、初詣に行ってきたよ」


 瑠璃が、俺の方を向いた。

 それだけで、少し嬉しくなってしまう。


「やっぱり、元旦の神社は人が多いね」


 だが、笑う事はない。既に笑う事を忘れてしまったかのようで、ただ瑠璃は俺の話を聞いている。

 無性に、切ない気持ちになった。


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