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ヤンデレ姉さんに○されたら考えるべき10のこと  作者: くらげマシンガン
▼第六章 俺と青木瑠璃について。
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つ『Metamorphose』 前編

 穂苅恭一郎は辺りを見回すと、急に険しい表情になった。……確かに、張り詰めたような空気――意識? そのようなモノを感じる。もしかして、この場所に居ることも、あまり好ましくはないということだろうか。

 あまりに現実味が無さ過ぎて、この場所に居る親父の姿も幻想なのではないかと思えるほどだ。

 普通の人間が来ることの出来る空間とも思えないし、親父の言う所の『因果』や『ルール』に背いているとも思える。


「うーん……唯一『ノーネーム』の監視から外れる事ができる空間だと思っていたんだけどねー。やっぱ、そう長くは続かないか」


 あ。そういえば、ここも『名前のない空間』だと言っていた。


「この場所は、親父が創り出したものなのか?」

「おお? ……すごい、よく気付いたね。ここは、さっきのカオス空間の延長線上のものだよ。ま、言い換えれば僕の空間でもあるかな」


 それはつまり、言い換えなくても親父が創った空間なんじゃないのか。

 ……やっぱり、こいつの事はよく分からん。

 恭一郎は遠くに見える、灰色の地平線を指さした。


「あっちに向かって、走って行ってごらん。ここから離脱できる。どこに出るかは、出てからのお楽しみ!」

「お楽しみ! じゃねえよ。言えよ」

「やだぷー」


 俺は親父を殴った。


「いたた……とにかく、そういうことだから。もう、これ以上ここに居るとやばい。場合によっては、閉じ込められる事も有り得る」

「……わーったよ」


 渋々だったが、頷いた。こんな場所に閉じ込められる訳にもいかない。大人しく親父に従おう。

 親父もまた、現実世界というのか人間世界というのか、因果やルールのある場所では俺に説明することが許されていないのかもしれない。だとするなら、あえて親父がこの空間を作った事も頷ける。

 こんな、感覚だけを頼りにしたような場所で、俺はまた戦わないといけない日が来るのだろうか。

 ……やってられないな。

 俺は親父に背を向け、走り出した。


「あ、純くん」


 ……なんだよ。立ち止まって、振り返る。

 親父はいつになく、打算や引っ掛けのない、柔らかな笑顔で微笑んだ――……

 なんだ? まるで、親父のようじゃないか。

 ……親父か。


「自分の記憶を信じないで。でも、自分を信じて。真実はどこにも転がっていない。真実は、自分の中にあるんだよ」


 ――俺は、頷いた。

 再び走り出すと、親父の気配が消えていった。如何せん、どこまで行っても真っ白い空間だ。親父も居なくなってしまったら、今の自分がどこを走っているのかさえ定かでは無くなってしまった。

 本当にこの方向で、合っているのだろうか。……親父の事だから、「ごめーん! 失敗しちゃった!」とか――いや。考えるのはよそう。

 ……おや? 向こう側に、何かが見える。

 地面と、空――……?

 だけど、普通の空ではない。その空はどうにも緑色をしていて、地面も雲の上のように、モコモコとした何かだ。

 ……誰か、立ってる。


「……人の肉体を、空けたのですか」


 金色の長髪をなびかせて、蒼色の瞳が真っ直ぐに、それを見ていた。

 シルク・ラシュタール・エレナ。

 なんで、こんな所に……?


「分かっているんですか。……これは、前代未聞の禁忌ですよ」


 ……違う。俺は今、誰かの記憶の欠片のようなものを観ているんだ。

 失われた記憶。……どうして、そう思うのだろう。

 時間は遠い過去になり、思い出となり、俺の前から姿を消す。何一つ、信じられるものなんてない。

 自分の記憶を信じるな。親父もそう、言っていたじゃないか。

 そうだ。

 記憶は忘れる事も、書き換える事もできる。もとより、当てになるようなものじゃないんだ。

 それでも、固まってしまった記憶はそう簡単には、変える事は出来ないかもしれない。

 都合良く変わってしまった出来事や思い出から、真実を見出す事は難しいかもしれない。

 ――だから、真実は自分の中にあるんだ。

 誰かが言った。

 私はどうなっても構いません。――ただ、彼女がこのまま人間に戻れないのは、納得がいきません。

 シルク・ラシュタール・エレナが、溜め息を付いている。


「……私は、因果を守る立場です。貴女の行動は、認められるものではありません。……第一、それは解決策にはなっていません。肉体があっても、彼女はその肉体に入る事が出来ないのですから」


 すう、とシルク・ラシュタール・エレナが、誰かを見詰める。その瞳の色が濃くなり、双眸は冷たい色をしていた。

 誰かは、恐怖に震えている。

 ――だが、勇気が勝った。

 壊れる前に、彼女を『人』にすればいい。彼女の目的が達成されるなら、それも有り得ない話ではない。

 目的――……? 目的って、何だ? 彼女って、誰のこと――……。


「貴女を天界から追放します。天界での記憶も消える――貴女は何も知らない状態で、人間界に。そうして、今回の問題を白紙に戻してください。自身の、『徳』をもって」


 誰かの感情が伝わってくる。

 ――負けるものか。

 記憶を失ったとしても、自分の根底にあるものは変わらない。何度でも時を戻し、二人にチャンスを与え続ける。

 例え自分が、二人に間違った事を言ったとしても。


「貴女の目的は、堕天した神の心を折ることです。そうすれば感情は消え、『因果』も戻る。貴女は因果に逆らったがために、因果に逆らう事が出来なくなるのですよ」


 私は、逆らえなくても構わない。

 シルク・ラシュタール・エレナは自虐的に笑った。もしかしたら、彼女にとっても大切なものだったのかもしれない。隣人のような、深い友人のような。

 だが、まるでそれが義務であるかのように。シルク・ラシュタール・エレナは、笑みを浮かべる。


「人間界で名乗る名前がありませんか。そうですね……」


 ローウェンが、必ず気付いてくれる。二人を引き合わせれば、途方も無い因果に逆らう事だって、出来るかもしれないじゃないか。

 少なくとも、このまま因果に飲み込まれるよりは、遥かに良い。

 本当の意味で、白紙に戻るよりは――……

 ――そうか。

 俺と姉さんが家族になったことは、問題ではなかったんだ。

 それは、仕組まれた出来事だったんだ。

 シルク・ラシュタール・エレナは、少しだけ寂しそうに嘲笑した。……それは、どこか儚さを覚える笑みだった。


「――人間界のお菓子の名前でも、貰ったらどうですか?」


 景色が消えた。再び俺は、真っ白な空間に投げ出される。

 遠くに、人影が見えた。俺はその人影を目指して、真っ直ぐに走って行った。

 その人影が俺を見て、驚いたような表情になった。


「純!!」

「――杏月、ごめん、遅れて」

「もう!! どこ行ってたの!? 心配したじゃない」


 どういうわけか、随分と懐かしい気がした。少し前まで一緒に青木善仁の家に殴り込みに言っていたのが、嘘のようだ。

 杏月は怒ったような表情になって、俺の手を引いた。

 その手は暖かい。


「早く!! 世界が消えちゃうよ。こっち!!」


 俺は慌てて転びそうになりながら、杏月に付いて行く。

 どうしても気になって、聞いた。


「杏月!! 杏月は知っていたのか!? インチキな世界を作ったのが、親父だって!!」


 杏月は意外そうな表情を浮かべた。――杏月も、知らなかったのか。

 だとするなら、この偽りだらけの世界や空間が親父の制作物だということは、本人しか知らなかった可能性もある、ということだ。


「パパが……!? どういうこと!?」

「さっきまで、そこにいた」


 杏月は立ち止まって、親父の姿を探す――だが、どこまで行っても真っ白なこの空間に、最早親父の姿など見付かる筈もない。

 どうしようもなく、溜め息をついた。


「……まあ、いいや。とりあえず今はここから出ようよ、純」

「そうだな……」


 俺と杏月は、再び白い空間を走った。地面を踏みしめる感覚はなく、景色が変わる様子もない。

 もう、この場所には何も無いのか。それは、とてつもなく短い。

 まるで、ひとの一生のような。

 ふと、変化が訪れた。次第に杏月の姿が滲んでいく。水彩画をぼかしたかのように、淡く広がっていった。

 杏月は俺を見て、驚きに目を丸くした。


「――純!?」


 もしかして向こうには、俺の姿が滲んで消えていくように映っているのだろうか。

 走れば走るほど、姿は見えなくなっていく。だが、不思議と焦りは感じなかった。

 戻るんだ。――親父の作っていない、現実の世界に。

 ドクン、と脈を打つ。

 それは、生きている。

 今、この場所にも、確かに。


『――――たすけて』


 ――何だ?

 何の声? 胸の奥にずしんと響くような、重みのある言葉。それは今にも切れてしまいそうな、一本の細い糸を辿った。

 俺自身の視点が遠ざかっていくのを感じる。視界から、脳、後頭部へとそれは移動し、俺は自分自身の背後を見ているような錯覚を覚えた。

 時間は止まっている。

 ただ、どこまでも、俺の視点は空へと昇っていく。

 いや。ただの、錯覚、か?

 言わなきゃ。

 瑠璃に、それを伝えようと思ったんだ。


『あの人を、助けてください!!』


 姉さん?

 かちん、と奥歯が鳴った。

 その合図で、俺は瞬間的に飛躍した自分自身の視点を、元の場所へと戻した。


「――純君」


 瑠璃は相変わらず紅潮した頬のまま、俺の言葉を待っている。

 数秒も経っていない。瑠璃はまだ、俺の異変に気付いていない。

 ……何だったんだ、今のは。

 まるで、遠い昔の過去へと遡るような感覚だった。いや、そんな事を考えている場合じゃない。

 言わなきゃ。

 俺は、口を開いた。


「瑠璃」


 ――まさか、この場所に戻ってくるなんて。

 思えば、この次の瞬間から、世界はおかしくなっていたんだ。

 もっと早く、気付いていれば。

 公園には、誰も居なかった。誰も入って来る事はなく、通り掛かる事もない。静かなものだった。

 伸ばした手は存在を確かめるように、背中へと回っていく。力を入れると、それはふわりと柔らかな反発をした。

 そうして、固く、瑠璃を抱き締めた。


「……純君?」


 もう、離さない。

 やっと、分かったから。俺が選ばなければいけないのはこの人だって、やっと分かったから。

 俺は知らずのうちに、一筋の涙を流した。頬を伝い、それは地面へと落下していく。


「気付かなくて、ごめん。俺、ずっと瑠璃を探してた」


 もしも姉さんを選ばないとしたら、俺は誰を選ぶんだろう?

 ずっと、そんな事を考えていた。

 きっと、姉さんと同じような人を探すのではないか。

 しっかりしていて、人のことばかり考えていて、優しくて、柔らかくて、良い匂いのするひと。


「ずっと、瑠璃を見てた。考えてた。――瑠璃じゃなきゃ、駄目なんだ」


 そんなひとは、居ないと思っていた。

 同じ香りのする、同じような雰囲気のひとなんて、居ないと思っていた。

 そうして、ポニーテールの紐を解いた。

 さらり、と黒髪が広がる。その様子に、俺はいつかの姉さんの姿を重ね合わせた。

 ――やっぱり。

 この人なら、一緒に生きていける気がする。姉さんとよく似た、この人なら。


「瑠璃が好きだ」


 瑠璃は直後、驚いたような表情になって――丸い瞳が、俺を見る。

 やっと、答えに辿り着いた俺の。

 目を見て、ふわりと微笑んだ。


「――――私も、好きだよ」


 ――瞬間。


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