つ『見えない黄昏の空に不成立を掲げるか』 後編
十月十五日。月曜日。
放課後に一同に介した俺達は、ドラマ制作の臨時教室を使って緊急会議を始めていた。
即ち、瑠璃が学校に来なくなってしまった、という問題についてだ。
元凶となっているのは、瑠璃の父――青木善仁だと考えて間違いないだろう。何を言われたか、学園祭も近いというのに――瑠璃は学校に、おそらく来られなくなっているのだ。
何れにしても、最後のシーンを撮らなければ公開もできない。これまで一丸となって――なったかどうかは分からないが、まあ各々が努力をして積み上げてきた作品だ。あまり潰すような事はしたくない。
長テーブルには、俺、杏月、立花、越後谷、君麻呂、何故かレイラも加わり、それぞれ険しい顔で会議に望んでいた。
「……しかし、何故レイラも加わっているんだ」
「当然ですわ。キミマロから、ルリ・アオキがピンチだと聞いたのですから」
レイラはさらりと後ろ髪――縦ロールを撫で、得意気に胸を張った。
「わたくしが居れば、百人力ですから」
越後谷が、足を組んでミミズが這ったような目でぽつりと言った。
「……それ、自分で言う事じゃねーだろ」
「うるさいですわね!!」
すっかり、レイラと越後谷の関係も友人に戻ったということだろうか。当初のような、追い掛けて追い掛け回される関係は欠片も見られない。
まあ、先の一件を通じてレイラの中にも、ある程度の恋愛ボーダーラインみたいなものが生まれたのだろうと思う。
「……で、ここにいる人間には、もう出来事は共有されているものだと思って良いのよね?」
杏月が言った。レイラにはまだ、俺の能力について話してはいないが。……この際だから、もう言ってしまおうか。
「えっと……それぞれ一応、知ってる事と知らない事があるだろうから、まとめて共有しようと思う」
俺は、これまでに起こった出来事を話した。
各自、思う所や納得する所があったようだ。話されなければ『奇妙な記憶』で終わる事だが、全員が同じ事を覚えていたとあれば、俺の話も信憑性が高まる。
一般の目からすれば、この光景は既視感がある、だとか、この展開には覚えがある、程度で終わるものだろう。それほどに記憶というものは頼りなく、繋がりを持たない事によって急に現実味を失うものだ。
昨日言った筈の事を、誰も覚えていない。そんなレベルのものなのだろう。
姉さんの暴走について、これまでに姉さんが壊れたきっかけ。立花の香水が最もトリガーとして強いものだった。その説明に対して立花は、自分の服の香りを確認していた。
黒いワゴンから、瑠璃と越後谷を救った時のこと。唐突に俺が現地に現れた事の奇妙さについては、既に越後谷は知る内容だ。
合宿の時に、姉さんが暴走したこと。言われて気付いたといった様子で、レイラは驚いていた。
そして、君麻呂の妹のこと。
時を戻す度に、俺が自身の身体能力を向上させている事も話した。最早生半可な攻撃程度では、俺はビクともせずに動く事ができることも。
「――で、瑠璃の親父さんが俺の能力の秘密に気付いていた。おそらく、天界との接触がある人間なんだと思う」
どうしてだろう。
何か一つ、とてつもなく大きな事を話し忘れている気がした。誰も違和感は覚えていないようだったが――……どうしてこんなにも、気持ちが悪いんだ?
収まりが付かないというか、決まりが悪いというか……
越後谷が手を挙げて、俺の説明を補足した。
「瑠璃の親父の件については、俺も見た。片手で人を軽々と投げたり、投げられて激突した穂苅のせいで、鉄棒の方が歪んでたくらいだ」
「……最早、超人の領域だな」
君麻呂がごくりと喉を鳴らして、苦い顔をした。
「純。当然、俺の知ってるバスケ部の連中なんかよりは、強いんだろ?」
「ぶっちゃけ、比較にならないよ」
「だよなあ……」
今回の件、瑠璃は実家に引っ張られる事に対して納得していないはずだ。俺達は、瑠璃がまた元通り学園に行けるようにしなければいけない。
そのためには、青木父を攻略すること。これは必要不可欠だ。
……しかし、あの父親が簡単に話を聞き入れるとは思えない。
立花が手を挙げて、首を傾げた。
「はい。……そもそも、普通に話し合うのは駄目なの? 瑠璃のパパは頑固な雰囲気だけど、全く話を聞いてくれない事は無いと思うんだけど……」
越後谷が腕を組んで、胸を張った。
「そもそも瑠璃がドラマを作り始めたのは、俺が俳優をやっていたからだ。俺が絡んでいる事がバレている以上、俺は瑠璃の両親にかなり嫌われているから、受け入れられない自信がある」
「……何でちょっと得意気なのよ」
ほんとだよ。ちょっとは反省の色を見せろ。
杏月が顎を撫でて、底意地の悪い笑みを浮かべた。
「ということは――やっぱり、殺してでも奪い取るしかないわね」
「そうだ」
……何言ってんの、この人。越後谷も「そうだ」じゃないよ。止めろよ。
レイラが頷いて、目を光らせた。
「社会的地位の没収。子供の自由意思決定権を主張。……そして、社会的地位の没収ですわね」
そんなに社会的地位を没収したいのかよ。
君麻呂も頷いて、何を考えているんだか分からない顔になった。
「なるほど――俺ちゃんのマーベラスなコミュニケーションを見せる時が来たのか」
……本当に何を考えているのか、分からなかった。
立花が再び手を挙げて、挙動不審な反応を見せた。
「ぼっ、ぼっ、ぼ――暴力、反対」
一番、まともだ。
杏月が鞄からノートパソコンを取り出して――常に持ってるの!? 重くないのか、それは――電源を入れ、何やら高速でキーボードをタイプし始めた。
全員、杏月の挙動に注目した。……お、なんか地図みたいなものが出て来たぞ。何をしているのかさっぱり分からん……ピピ、と電子音がして――お、一般住宅物件っぽい写真が出てきた。
「あ、瑠璃の家」
立花が呟いて――瑠璃の家!?
杏月が得意気な顔をした。
「ふふん。学園の電子情報サーバにハッキングして、住所録を特定。インターネットの地図検索と衛星カメラから居場所を特定して、写真を抽出。こんな程度なら、おちゃのこさいさいよ」
立花に聞けよ、住所。
「いや、穂苅妹。おそらく瑠璃は今、この家には居ないだろう」
「え、そうなの? どうして?」
「確か、学園に住所登録されているこの場所は、元々は貸家だった場所だ。瑠璃も住んだことのない、でかい家がもう一つあると聞いた。住所の割り出しようもないから、雲隠れするとしたらそこが適当だろう」
雲隠れ、って。最早、瑠璃が囚われのお姫様状態である。
学園の連絡先にも指定されてないような場所なのかよ。……青木父、うちの親父の知り合いなだけあって、やっぱりとんでもない人なんだな。
しかし誰も住所を知らないとなったら、連絡が付かなくて大変な事になるんじゃないのか。……良いのか、それは。
立花が首を傾げた。
「あれ、純。雲隠れって言うけど、瑠璃って無断欠席じゃなくて、きっと学園に休むこと伝わってるよね?」
「え? そうだっけ?」
「ほら、授業の最初の点呼で、瑠璃は呼ばれないから」
……あ、確かにそうだ。さも初めから分かっているかのように、瑠璃の名前は飛ばされる。
ということは、暫く休むという連絡は行っているのか。
杏月がピンときた様子で、再びキーボードを操作し出した。
「学園の通話録音装置のログから、電話番号が割り出せるかも!」
……何だよそれ。すげえな。
杏月の事だから、きっと足跡も残さずに侵入しているに違いない。杏月は極悪人の笑みを浮かべた。
「くひひ……パスワードに回数制限も掛けないなんて、ゆるいセキュリティね。まあ、あっても破るけどね」
……今俺は、穂苅杏月という存在の真の力を垣間見ているような気がする。思わず青い顔になってしまった。
今のこいつを見ると、国際機密情報にハッキングして情報を取得したと言われても信じる気がする……。
しかし、楽しそうだな……
「よーは、名簿に乗ってない電話番号、一致しない電話番号の直近のリストを出せば良いんでしょ」
目まぐるしい勢いで、画面が切り替わっていく。……おお、すげえ。一瞬電話番号のリストみたいなもんが見えた。
大丈夫なのか、これ……。一体何をしているのか、さっぱり分からないが……
「えっと……でかい家、よね。一応五十坪くらいから調べればいいのかな。……これとこれとこれ?」
いくつか写真が出てきた。どれも大きいが――……
なんか、俺の実家と似たような雰囲気の家があるぞ。やたらと敷地の広い、和式の家が。これは一体……
俺は指差して、言った。
「これ……っぽくないか」
他の家は確かに大きくて広いが――豪邸、という雰囲気ではない。いくつかの写真の中で、これだけが妙な異彩を放っている。
「……場所は?」
「えっと……茨城だって」
「茨城!?」
「えっと、土地の所有者がねえ……青木善仁、だって。ビンゴじゃん!」
何でそんなに遠いんだ……? そして、どっから所有者情報なんか割り出したんだよ。怖いよ。
……と、とにかくこれで、瑠璃の現在地は把握した。杏月は家の画像を保存したようで、何かと通信しているっぽい画面を閉じた。
「……杏月、大丈夫なのか? そんな事して……」
「え? 何が?」
「いや、ハッキングとか。特定されたら」
「特定されないようにやったんだから、特定されるわけないじゃん」
……力強い意見だった。何を馬鹿なことを、と言われているように感じる。
穂苅杏月。サイバーテロの大罪人になれるな……いや、既になっているのか……。
目的は大罪とは程遠い所にあるけれど。なんだかなあ。
「さて、それじゃあこの家から、瑠璃をどうやって助け出すかだな」
越後谷が上から杏月を見下ろすように言った。
「現地まで距離がありますから、わたくしの車で向かえば良いですわね」
え、あれで行くの……? それ、宣戦布告してるようなもんじゃないか……?
黒塗りの車が猛スピードで現れ、家の前で停止したとあれば、誰もがヤクザの殴り込みか何かだと思うだろう。
君麻呂が眼鏡を掛けて――何故、眼鏡に。
「これ見ると、家は全体的に高い塀に覆われてるし、まるで城だな」
別に眼鏡キャラじゃなくても良かっただろ、その台詞。
「ガードマンか何かは居ると思った方が、自然ね?」
杏月が君麻呂の言葉に補足した。君麻呂が真剣な面持ちで、杏月の言葉に頷く。
「……あ、あのー……」
立花は取り残されていた。
「この人数で殴り込みを掛けるなら、護衛的な奴等の気を引く必要があるな」
越後谷が言うと、君麻呂は胸を張った。
「そこはほら、俺ちゃんに任せておけよ!!」
越後谷が嫌そうな顔をして、君麻呂を見る。君麻呂は意味が分かっていないようで、首を傾げた。
「……お前がやるのか?」
「目立つと言ったら俺じゃね?」
「いや、俺じゃね? と言われてもな……」
……まあ確かに、番組撮影に殴りこみに行ったその勇気は買ってやらん事も無いが。後が大変だぞ、そのポジション。分かってるのかな。
まあ精々置き去りにされないように、注意してやるか。
君麻呂は既に上機嫌で、鞄からヘアスプレーを取り出した。
「何の色にしようかなァー」
この男、ノリノリである。
「最悪真正面から戦う事になった時のために、ジュンをジョーカーにするべきですわね」
「だな。俺でもいいが、死ぬ危険がある」
……全員、青木父がゲームか何かのボスのような意識になっていた。
どうして真っ向から喧嘩する気満々なんだよ。……俺、あれと戦って勝つ自信、無いぞ。
杏月が顔を上げて、越後谷に真面目な顔で言った。
「ちょっと時間くれれば、間取りと構造から突撃し易そうなルート、探してみるけど」
お前は参謀か何かか!
「よし。穂苅妹、それは頼んだ」
「オッケ!」
杏月、武器か何か作りそうで怖いんだけど……壁とか壊したら、その後に一体いくら請求される事やら……。皆、分かってるのか? 今回は別に時を戻す訳じゃないんだぞ。
穏便に、まずは話をしに行くだけでも価値はあるのではないだろうか……。
「あ、……あの、とりあえず、瑠璃のパパに話を聞きに行くというのは……」
おお!! ナイス、立花!!
「俺は奴と話したくない」「面白くないじゃん!」
越後谷がすかさず、それに答える。……杏月、お前のその回答はなんだ。とりあえず、最後に青木父と戦う事になりそうな俺に謝れ。
親父が帰って来ている訳でもないのに、何やら壮大な流れになってしまった。……どうしよう、この状況。
「しゅん……」
……ドンマイ、立花。
「安心してくださいまし。わたくしの愛車のバンパーは特製ですわ。突撃しても壁の方を壊して侵入できますわ」
「ねえ!! わざわざ怒りを買うような真似はやめない!? ねえ!!」
俺の意見も虚しく、越後谷は真っ先に立ち上がって、クールな笑みを浮かべた。
……いつになく楽しそうだな、越後谷。
「ふふふ……ファザー・アオキ。わたくしの下僕がいかに優秀か、その身を持って味わうと良いですわ」
いつから俺達はレイラの下僕になった。
「――はっ!? メガホンを持って行った方が良いかもしれない!!」
君麻呂、近所迷惑だからやめろ!
「手榴弾と改造エアガンがあれば十分かしら……」
杏月!! 怖い事言うな!!
「純」
「……はあ。何だよ、越後谷」
越後谷は俺の肩を叩いて、手を握った。
「――青木父を、必ず倒せ。期待している」
「いや、だから何で戦争みたいになってんの!? おかしいでしょ!? おかしいよねえ!!」
あっさりと俺の言葉を越後谷はスルーし、待ちに待った遠足ばりに準備を始めた一同に声を掛けた。
「よし、それじゃあ全員、明日の午前三時に二階堂の家に集合な!」
どうしよう。
何だか分からんが、全てがやばい事だけが分かる。
「や、やめようよー……」
……立花だけが、唯一の良心だった。
学園祭まで、あと二日。