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ヤンデレ姉さんに○されたら考えるべき10のこと  作者: くらげマシンガン
▼第六章 俺と青木瑠璃について。
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つ『見えない黄昏の空に不成立を掲げるか』 前編

 どんよりとした曇り空は、やがてその厚みを増し、辺りを暗くさせていた。それは間もなく雨が降る事を俺達に伝えようとしているかのようだった。

 莓のショートケーキを頼んだ美濃部を見ながら、俺は何か、大切な事を忘れているような気持ちになった。


「穂苅君? どうしたの?」

「……ああ、いや」


 ――何だ? どうしてこんなに、胸がざわざわとするのだろう。気持ちの表面はひどくざらついていて、ヤスリか何かで擦った後のようだ。

 莓のショートケーキ。赤。桃色……

 思い出せない。

 ケーキ屋に入ってからというもの、ずっとその嫌な感覚が俺の身体を伝っていた。

 美濃部がきょろきょろと辺りを見回しながら、眉をひそめた。


「……なんか、お店の中に飛んでるの?」

「いや、飛んでな――」


 ――飛んで、いたか?

 それは、空を、飛んで、いたか? そうだ。六月二十日の事を思い出せ。何か、何か、あったはずだ。

 ケーキ屋に入っただろ。その後、映画を見に行く。遅めの昼食を食べる。そして、ベーグル専門店で茶を……

 違う。そこじゃない。

 まるで記憶は上から黒で塗り潰されたようで、何かが欠けていた。


「ハエとか? ……はやく食べちゃお」


 美濃部が辺りを警戒しながら、ケーキにフォークを伸ばす。俺は両手を振って、同時に思考をクリアにした。

 ――忘れろ。今は、そんな事を気にしている場合じゃない。


「あ、いや。ほんと、何でもないんだ。……ほら、こういうケーキ屋って、男はあまり入らないから。緊張しちゃってさ」

「えー? 何それ」


 美濃部は微笑んだままで、言った。


「三回目じゃない」


 ずしん、と美濃部の言葉が、俺の身体に重く伸し掛かる。その一言で、俺の奇妙な疑問に向かっていた意識が、はたと現実に舞い戻った。

 ――そうだ。今は、そんな事を気にしている場合じゃない。

 やっぱりこのデートは、俺にとっての、贖罪のデートという事になるのだろうか。

 だから美濃部も、あえて一度目と同じ格好をしてきた、のだろうか。

 ……胃が痛い。


「……はは、そう、だな。どうして俺、緊張してるんだろうな」


 美濃部は首を傾げて、それきり、何も言わなかった。

 ……やっぱり、冷静に考えて。怒ってる、よなあ。俺は中途半端にだが、美濃部の告白を受け入れる姿勢を見せてしまった訳だし……いや、美濃部の告白も、俺から誘ったデートも、今となっては失われた時間の中にあるのだが。

 その二回のデートの後、合宿に行き、瑠璃と接近した。

 ……美濃部がどう考えているのか、俺には分からない。それ故に美濃部の表情がちっとも読めず、針のムシロに座っているような気分だ。

 だらだらと、流れ落ちる汗が止まらない。


「穂苅君はさ、卒業したら、どうするの?」


 ふと、美濃部はそんな話をした。


「卒業したら?」


 美濃部は頷いた。

 瑠璃とも少し話したけど、とりあえず大学行きます、というのは何か良くない気がして。それ以前にやらなければいけないこともあるから、保留にしているんだよなあ……。

 学園祭が終わる頃までには、一応解答を見付けようと思っているけれど。


「……ちょっと、迷ってるんだよな」

「就職と進学?」

「そ、だね。美濃部は?」

「私は、花屋をやるよ」

「やるって……働くってこと?」

「うん、最初はそうなるかもしれないけど……色んな花の知識を付けて、香水も作れるお花屋さん。やりたいなーと思って」


 そうか。美濃部にも目標があるんだな。

 君麻呂とレイラも進むべき道を考えているみたいだし、越後谷は最初から――……あれ? 俺、もしかして結構危うかったりするのか?

 そう考えると、少しだけ焦りも覚える。

 美濃部はケーキを食べ終わると、紅茶を飲み干した。満足そうな表情で、口元をお絞りで拭う。


「うーん、美味しかった」


 そのあどけない表情に、なんとも言えない安らぎを覚えた。

 だが、美濃部はふと頬を赤らめて、かき消すように眉を怒らせた。

 ……なんだ?


「ね、穂苅君! 可愛いものが好きでも、いいよね!!」


 美濃部はテーブルを叩いて、俺に身を乗り出した。……唐突に、顔が近い。

 何だよ。急にどうしたんだ。


「……か、可愛いもの?」

「私ね、部屋の中は縫いぐるみでいっぱいだし、香水好きで集めてるし、リボンも――同じのばっかりだけど、沢山持ってるし、緊張すると吃るし、甘いもの好きだし、とにかく子供っぽいの!!」


 ……もしかして、コンプレックスだったのか? 美濃部らしさみたいな雰囲気があって、俺は寧ろ好きだったけど――……

 そうか。だから、瑠璃の事を追い掛けたんだろうか。どちらかと言うと、瑠璃は大人っぽいもんなあ。

 あんまり部屋の中が可愛いものでいっぱい、みたいなイメージは持たない。

 キモ可愛いものは好きだったけど。


「でも、良いよね。好きなものは、好きでも、いいよね」


 俺は頷いた。

 美濃部の気迫に押されてしまい、何も考える事が出来なかった。いつからだろう。俺の知らない間に、美濃部は随分はっきりとモノを言うようになっていた。

 合宿の時か、あるいはそれ以降か。俺と何度かデートを重ねる事で、美濃部もまた、変わっていたのだ。

 その変化を感じ取る事が出来なかったのは――俺が、美濃部の事を注意深く観察していなかったからなのかもしれない。

 美濃部は自身の胸に手のひらを当てた。



「大人になるっていうのは好きなものを捨てる事じゃなくて、好きなものに責任を持つこと、でしょ?」



 それは何か、

 らしくないと思える程に、いつの間にか色々な事を飲み込んで成長していた美濃部の、本当の顔を見たような気がして。

 合宿の時からだ。

 俺と瑠璃がお互いを、名前で呼び合うようになってから。美濃部はずっと、考えていたのかもしれない。

 今までの自分と、これからの自分のこと。

 俺は勝手に、時を戻す事が他者と比べて大きなアドバンテージになっている気がしていた。それはきっと、否めない。

 でも、俺の知らない所で、人は変わっていくんだ。

 それはきっと、時を戻す事なんかよりも遥かに優秀で、賢明な成長だった。


「――そう、だな」


 そうだ。

 美濃部の言う通りだ。大人になるっていうのは、好きな事に責任を持つっていうことだ。

 本当に好きなものを、最後まで好きなまま、貫き通すことだ。

 ――良いじゃないか。

 俺も、そんな大人になりたい。

 あるいは、未来の美濃部のような。


「良かった。……やっぱり私、これでいいんだ」


 俺は、どうなんだ?

 俺は、好きなものに責任を持っているのか?

 自分自身に、問い掛けた。

 ただ、流されているのが楽だっただけじゃないのか?

 好かれているのが、気分が良かっただけじゃないのか?

 俺は、俺に課された使命を果たしてさえいれば、先には進まなくても良いと勘違いしていたんじゃないのか?

 立ち上がり、テーブルに置かれたレシートを掴んだ。


「美濃部、今日は、飛ばさないか」

「……飛ばす?」


 俺は、美濃部に向かって手を出した。

 美濃部が俺の手を掴んで、徐ろに立ち上がる。


「展望台に、行こう」


 違う。

 そんな事はない。

 美濃部の手を引いてケーキ屋の会計を手早く済ませ、俺は走り出した。

 左手には、しっかりと美濃部の手を握った。


「――ほっ、ほか、穂苅君!?」


 美濃部はまだ、俺の行動の意味を理解していないだろう。

 俺が目を逸らして過ごしてしまった時間の中で、やらなければいけない事があった。

 卒業まで先延ばしにしていれば、どうにかなると思っていた。

 俺はただ、色々な人と仲良くなっていけば良いのだと。

 姉さんから逃げさえすれば、最終的にはどうにかなる、なんて思っていた。


「ごめん、速いか?」

「だ、だい――大丈夫、だけど」


 好かれていたから。

 美濃部にだけは、好かれていると思っていたから。

 その無責任な安心感が、俺の問題を先延ばしにさせた。

 意識はしていなかったかもしれない。でも、結果的に俺はそういう態度を取ってきている。

 告白を断る事を、『言ってしまったら美濃部が傷付くんじゃないか』という言葉にすり替えて、逃げていただけだ。

 もしも瑠璃に振られたとしたら、俺は卒業までにきっと、美濃部を選んだだろう。

 今度は、『姉さんの呪縛を解く』という大義名分を持って。

 そんなんじゃ、駄目だ。

 それは責任を持っているとは、言えない。

 本当に好きなのは、たった一人。

 結ばれなければ、意味なんか無いじゃないか。

 展望タワーのエレベーターに乗り、俺達は空に近付いていく。

 エレベーターの扉が開く――……


「……曇ってるな」

「曇ってるね……」


 一歩、エレベーターの外へと出た。扉は静かに閉まり、静寂が訪れた。

 こんな曇り空の日に、展望タワーに来ている人は少ない。間もなく雨は降り出して、外の景色を潰していくだろう。

 俺は外の景色を眺めて、美濃部に見えないように深呼吸をした。


「……穂苅君? ……急に、どうしたの?」


 美濃部が俺の後ろから、声を掛ける。

 俺はこれから美濃部に伝える言葉を、脳内で反芻。胃の奥から迫り上がってくる嫌な感覚を押し殺して、歯を食いしばった。

 ――どんなに気を付けていたって、人は間違いを犯してしまう。仕方が無い事だ。ただの一つも間違えずに、人が生きていく事はできない。

 でも、そこから先は。間違いを犯した時に、見て見ぬフリをしても良いという訳ではない。

 だから、前を向こう。

 例え、相手が気にしていなかったとしても。

 これは、俺の問題だ。

 振り返って、勢い良く頭を下げた。


「――――ごめん!!」


 美濃部はきょとんとして、目を丸くしていた。まるで俺が何をしているのか、分からないといった具合だ。

 気にしていないのかもしれない。

 気付いていないのかもしれない。

 でも、そんな事は関係ないんだ。


「……なにが?」

「俺は時間を戻すために、美濃部を利用しようと考えた事がある。……二回目の、デートの時だ。あたかも美濃部に気があるような素振りをして、美濃部に近付いた」


 美濃部の表情から、笑顔が抜けた。――同時に、胡乱な態度も。

 じわじわと、腹の底から逃げ出したい欲求が襲い掛かってくる。ぐい、と飲み込むと、俺は続けた。


「一回目のデートで告白された事も、覚えてる。覚えていて、敢えて返事をしなかった。先延ばしにしてたんだ。……だから、ごめん」


 ――美濃部の顔が見られない。

 こんな時に限って、臆病だ。本当に、自分が嫌になる――結局俺は、姉さんに文句を言いつつも、いつも姉さんに守られているのだ。一人になった途端、この体たらくである。

 弁解の余地もない。


「……それで、穂苅君の返事は?」


 頭を下げたまま、俺は硬直していた。この場で言える事は、何も無かった。あまりに申し訳無さ過ぎて――返事をしなかったことは、まだいい。でも、時が戻る事を盾にして、美濃部を利用したことは。

 ……俺の、過失だ。


「うん。もういいよ」


 美濃部の声色に、思わず顔を上げた。


「何も言わずに放っておいたら、私も黙ってるつもりだったよ。……言ってくれて、ありがと」


 だって、その時間は『無くなって』しまったんだ。

 無くなる予定だったんだ。誰も覚えていないと信じていたんだ。失われた時が未来に影響を及ぼすなんて事は、知らなかったんだ。

 言い訳なんて、山ほど出てくる。だから、俺が自分に言い訳をして美濃部に謝らない未来も、きっとどこかにあった。

 まるでそれは既視感のように、鮮明に頭の中に思い描かれたから。

 例え繰り返しの時の中ではなかったとしても、あったようなものだ。


「穂苅君の気持ちは、よく分かったから。……私は、大丈夫」


 どうして、そんなにも優しい顔をしているのだろうか。

 いくら謝っても、謝罪の念は尽きない。

 美濃部は少し冷たい瞳になって、俺を睨み付けた。ずい、と俺に人差し指を突き付ける。


「だったら初めから、振ってくれれば良かったのに。バーカ」


 その直後に、ふわりと緩やかな笑みを浮かべた。


「――って言ってくれたら、いくらか楽だった?」


 そうか。

 許して、くれるのか。

 過ちを、認めてくれるのか。


「言ってあげないよ。私、優しくないから。……目、閉じて」


 言われた通りに、固く目を閉じる。


「一発、殴る!」


 望むところだ。


「『ごめん』の意味、ちゃんと飲み込んでよ」


 ――――瞬間。

 暖かい体温を感じた。首元に包み込むように回された腕は、僅かに震えていた。

 口元には、柔らかな――

 ……え?

 思わず、目を開いた。

 目の前には、美濃部の顔が迫っていた。大きな瞳が、俺を見詰めている。


「――これで、おしまいだよ」


 耳まで赤くなっているのが、よく分かる距離だった。唇を離すと、美濃部は舌を出して笑った。


「ね、私のことも、『立花』って呼んでよ」

「……名前で?」

「友達の証。そしたら、穂苅君と瑠璃のこと、応援してあげるよ」


 ……そんなんで、良いのか?

 いや、良い筈はない。未だ美濃部は身体を僅かに震わせている。

 吃らないのか。

 大したものだ。


「……ありがとう、立花」


 美濃部は軽くステップを二、三歩ほど踏んで、俺から離れた。

 それは、ほんの一瞬の事だった。美濃部は満面の笑顔を俺に向けて、エレベーターへと走って行く。

 ――また、やられた。エレベーターは開いていた。

 このまま逃げられるのだろうか?

 前回と、同じように?


「おい、ちょっと――」


 俺は引き留めようと、手を伸ばした。

 美濃部は振り返ると、両手を後ろで組み、

 きっと、その日一番の、優しくて儚い微笑みを、浮かべた。


「ばいばい――純」


 最後に、さり気なく名前を呼んで。

 扉は閉められた。

 俺はその扉を、ただ眺めていた。



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