つ『美濃部立花は恋人になるべきか』 後編
……何故?
美濃部は俺の返事も聞かずに歩み寄ると、ベッドに入って来た。
――いやいやいや!
俺はすかさず、ベッドから出た。
「な、何? どうしたの? ……どうしたの?」
俺は慌てていたが、美濃部は至って冷静な様子で、俺を一瞥した。不機嫌そうに、俺から目を逸らす。
何だよ。わざわざ美濃部のために、空き部屋を一つ、一生懸命に掃除したってのに。
「越後谷が襲って来そうだから」
……あー。
「あのさ、そこ二人、どうなってんの?」
「もうさー!! ひどいんだよ!! 聞いてよ!!」
美濃部は枕を抱き締めて、ヒートアップした声音でベッドに座った。俺は美濃部と向き合うように、座布団を出して座った。
「人のペットボトル勝手に飲むし! 隙あらば襲って来るし! キスも迫られたし! ていうか人のペットボトル勝手に飲むし!!」
……ペットボトルで間接キスは、かなり重要な項目らしい。美濃部らしいと言うか、なんと言うか。
美濃部は頬を膨らませて、枕に顔を埋めた。
「ふぁんふぁふうぉー!!」
枕越しに、叫ぶ。『何なのよ』と言ったんだろうな、これは。
美濃部の態度が可愛らしい事と、越後谷の思わぬ奇行に、苦笑が禁じ得ない。……一応、恋心を忘れるための配慮なのだろうか。
それにしたって、美濃部が嫌がっているのだったら手法的にどうなのだ、という思いはあるが。
しかし、越後谷も美濃部の事が好きらしいからな……。恋心故に、という事もあるのかもしれない。
「ま、まあ。越後谷にも越後谷の気持ちがあるんじゃないかな」
見掛けに寄らず意外とシャイ……いや、そんな事はないだろう。おそらく、何かしらの策略だ。
「……実は、告白されて」
されたのかよ。手が早過ぎだろ。……うーん、この手際の良さがなんとも越後谷らしい……
美濃部は枕に顔を埋めたまま、しかしはっきりと聞き取ることのできる声で言った。
「……わかんないよ、どうしていいのか。急に気持ちを切り替えたりとか、できないし」
……まあ、それは。そうだよなあ。
越後谷のことだから、また今回の事についても考えがあっての行動だとは思っているが。それでも、美濃部からしてみれば混乱するだけのような気がする。
でも、やっぱりどうしても、気になることが一つだけあった。
瑠璃や越後谷の言っている事が本当なのだとしたら、美濃部は瑠璃の真似をしていただけで、本当は俺のことが好きだった訳ではない、という可能性もある訳であって。
……二回目のデートの時を思い出す。
誰しも、一度目のような高揚感を二度目以降も感じ続ける事はできなかったりして。実は意外と好きじゃなかったとか、恋愛って往々にしてそういう事が起こるものだ。
いや、経験なんてないけどさ。周りを見ていると、そう思うのだ。
「美濃部、さ」
――ふと、聞いてしまいそうになった。美濃部は俺の事が好きか、と。
よく考えてみれば、越後谷が時間のループについて美濃部に話した時点で、もう失われた時は取り戻されてしまった。今までの記憶を肯定する理由ができたことになり、色々なことが美濃部の中で繋がったはずだ。
告白なんて、既にされているわけで。
「……なに?」
「いや、なんでもない……」
急に出す手を無くしたような気がして、俺は美濃部に何を話しかけていいのか、分からなくなってしまった。
美濃部が今、どんな気持ちになっているのか想像もできない。
都合二度、デートをした。一度目は美濃部に言われて。二度目は、俺の方から。
越後谷が言わない限り、それが時を戻す為だったと悟られはしないだろうけど。だとしたら、俺がどうしてそんな行動を取ったのか、今頃は混乱しているころではないのか。
自分の中にある、妙な俺への耐性にだって、説明が付いてしまっただろう。
美濃部と俺は、既に何度か二人で会っているのだと。
「穂苅君」
あああ!! 俺、どうしよう!! 結構、美濃部に酷いことをしてしまった事になるんじゃないのか?
本人がどう思っているのかは分からないけど、俺は自分から美濃部をデートに誘って、あまつさえ瑠璃にも近付いてしまったりして……レイラからも言い寄られたりしてるし……
いや、違うんだよ! あの時は越後谷を事故から助けるために、どうにかして時を戻さないといけなかった訳でさ!
結果的には美濃部を騙した格好になってしまったかもしれないけれど、俺は決してそんなつもりじゃ……
……ああ、もう!
「穂苅君」
「――は、はいっ!?」
「……どうしたの?」
複雑な表情になって、美濃部は俺を見ていた。……しまった。悩みの深みにハマってしまっていた。
越後谷が美濃部と電話をしていたと分かった瞬間から、俺は全く頭が回っていないのだ。正直、こんな事になるなんて思っていなかった。
前略、後悔先に立たず、である。
「あ、ああ、いや――……」
「なんか、今日の穂苅君、変だよ」
そりゃ、変にもなるさ。寧ろ、美濃部はこんなことを報告されて、どうして平然としているんだ。
――ん? そうだ。どうして平然としているんだ?
普通話題になるのって、越後谷問題なんかよりも先に、俺の話じゃないのか?
「……いや。ごめん。正直、どう話し掛けていいのか分からなくて」
「どう……って、さっきの話のこと?」
俺は頷いた。どういう事情があったにせよ、俺は美濃部の気持ちを利用したことに代わりはない訳であって。
「……もしかして、私のこと?」
俺は俯いた。すると美濃部は、ふわりと笑顔になった。
いつも緩い笑顔ばかりだったが――その笑顔は、おっかなびっくりではなく、幼くもない。
ただ、魅力的な笑顔だった。
「私、気にしてないよ」
さっぱりとした顔で、美濃部は言った。その反応があまりに予想外だったので、俺は硬直してしまった。
「……合宿の時から、ね。瑠璃が急に余所余所しくなったというか、他人行儀になった、みたいな所があって。どうしてか分からなくて、寂しかったんだけど――どうやら、瑠璃は穂苅君のことが好きみたいで」
まあ、気付いていたのか。それは、そうだよな。
「その時にね、気付いたんだよ。私が穂苅君の事を好きだったのは、瑠璃がずっと穂苅君のことを見ていたからなんだって」
……ん?
そう……なのか? 俺から見たところは、美濃部が先のような気がしていたけれど――瑠璃が先なのか?
「いや、美濃部、それは――」
「本当だよ」
……なんだか、よく分からなくなってきたぞ。
という事は、あれか? 合宿の時から美濃部の元気がなくなっていたのは、瑠璃が俺に近付いてきたからではなく、瑠璃が美濃部から離れて行っていた事に対して、ショックを受けていた、ということ……?
あれ?
俺、もしかして、とんでもない思い違いをしているんじゃ……
「残念だけど、越後谷の言う通り。私は瑠璃の真似をしているだけだ、って面と向かって言われたよ」
「越後谷から、聞いたんだろ? 俺が時間を巻き戻しているって」
「うん。……というか、さっきの話を聞くまでは、越後谷の予想だったけど」
「……じゃ、じゃあ、遊園地の時も――……」
ふと、美濃部は身を乗り出して、俺の口元に人差し指を当てた。
穏やかに微笑む様子には、俺を責める意思は感じられなかった。
「……日曜日に瑠璃と三人で会って、話そうと思ってたの。だから、その話は今はお預け」
「……え? じゃあ、もしかして――」
「なんとなく、だけどね。気付いてたよ。穂苅君に秘密があるってことは、越後谷に言われなくても、私は」
なんだよ。……そうなのか。
「瑠璃、多分日曜日、来ないよね」
「ああ……多分。親父さんが、もう俺と会うことは無いって言ってたから――許して貰えないんじゃないかな」
「じゃ、二人で会おっか」
二人で?
そ、それは流石に気まずいなあ……。ここまで話されれば、美濃部が考えている事は、なんとなくだが、分かる。俺と瑠璃を引き合わせて、自分の本音をぶつけようと思っていたのだろう。
だが、二人で会うというのは……
美濃部は俺のベッドに潜り、俺に背を向けた。
「それじゃあ、おやすみなさい!」
「お、おい。美濃部――」
……寝息が聞こえてきた。
俺、どこで寝りゃ良いんだよ。
◆
十月十四日、日曜日。
俺は美濃部の指定した駅まで辿り着き、美濃部を待っていた。空は生憎の天気といった様子で、どんよりと曇っている。途中で雨でも降り出すのだろうか。
結局、瑠璃は金曜日、学校に来なかった。青木父の動向を見れば、そうなる事は確実とも思えた。学級委員長が来ない事で、プリント配りなどは代理がやることになったりと、その欠席は余計に違和感を覚えさせた。
あー。今日、美濃部とも決着を付けないとなあ。俺は自身の頬を叩いて、首を振った。
しっかりしろ、俺。ちゃんと、これまでの事について詫びないと。
例え、美濃部は気にしていなかったとしても。
「なあ、どう思う?」
自然と、そんな事を口走っていた。言ってしまってから、待ち合わせ場所の近くに立っていた数名に気付かれなかったかと、俺は挙動不審にも近くの人をみまわした。
………どうやら、誰も気にはしなかったようだ。
なんだよ俺、どうした。自分自身に語りかけてみたのか。もう一人の俺じゃあるまいし。
は、恥ずかしい……
「穂苅君!」
遠くから、美濃部駆け寄ってくるのが見えた。その姿を見て、俺はぎょっとしてしまった。
――そうか。今、十月なんだっけ。やろうと思えば、そんな事も出来てしまう訳だ。
「ごめん、待った?」
「……いや、待ってない、けど」
花柄レースのブラウスに、グレーのフレアスカート。美濃部は正に、失われた六月二十日水曜日の服装を、完全に再現していた。
白人みたいに白い肌を見せる化粧も、目立たないが存在感を持つ、不思議な口紅も、あの日のままだ。
そして――胸の辺りから、僅かに香る香水。レッドローズ、という名前だったか。
もしも俺が、まだ姉さんと一緒に暮らしていたとしたら――この香りは、警戒していただろうと思う。
今、姉さんは俺の隣に居ない。
そう考えると、妙な感覚だ。
「……美濃部、瑠璃は?」
「やっぱり、来られないんだと思う。メールしたけど、返事は返って来なかったよ」
「……そか」
……わざと、だよな。あえて同じ服の組み合わせ、似たような化粧で、俺の前に現れる事はないと思う。季節柄、可能性はゼロではないと言えども、たまたまなんてことは――
「――驚いた?」
ない、よな、やっぱ。
「そっか。やっぱり、私の覚えている事は全部、本当の事なんだね」
「……ごめんな、美濃部」
「ううん。謝る事じゃないよ。ただ、同じ日を二度繰り返すなんていうのは、初めての体験だったから」
そりゃあ、初めての体験だろう。俺だってそうだった。人は誰しも、時間の流れに抗うなどということは、本来は出来ない事なのだから。
しかし、一度目には感じていた美濃部の吃音症も、ほとんど感じ取る事は出来ないレベルになっていた。
都合、三度目のデート。
流石の美濃部も俺相手に緊張する事は無くなった、ということだろうか。
「――行こ、穂苅君」
美濃部は自然と俺の手を取り、歩く。
複雑な、感じがした。
一度目は手を繋ぐ事ができず、二度目は俺から握り、三度目は美濃部の方から手を握る、デート。
デート、と言っても良いのだろうか。少なくとも、これはただのデートではない。
あの日の再現だ。
「美濃部、どこ行く?」
「デパートのケーキ屋さん」
美濃部は悪戯っぽい顔で、俺に微笑んだ。思わず、その様子に面食らってしまう。
俺が気まずい状況にあることを知っていて、やっているのだ。ならばというのか、当然俺に拒否権などない。
頷いた俺は、きっと美濃部から見たら複雑な顔をしていた事だろうと思う。
「瑠璃がね、どうにかして私と穂苅君を引き合わせようと、してくれたの。六月のデートはそのお陰って訳ではなかったけど、瑠璃が声を掛けてくれなかったら、私は穂苅君とは今でも、話せていなかったんじゃないかな」
「……そう、かな。そうかもしれない」
不意に、美濃部が俺の手を強く握り締めた。
「私、瑠璃が無理をしてるんだって、気付かなかった」
その言葉に、俺はどんな反応を返したら良いのか。
美濃部はケーキ屋に入って行く。これがあの日の再現なのであれば、その後は映画を見て、遅めの昼食を食べる。ベーグル専門店に入った後で、美濃部は俺の手を引き、展望台まで連れて行く。
――本当に?
そこで俺は、美濃部から告白をされるのだ。
「美濃部」
俺が不安になっている事に気付いたのか、美濃部はくすりと笑った。
「――ね、今日は、私の我儘、聞いて」
……今度は、何を言われるっていうんだ。