つ『美濃部立花は恋人になるべきか』 前編
「……何? じゃあ、話しちゃったの?」
越後谷を家に連れて帰ると、俺は出来事の概要を越後谷に話した。越後谷はある程度予想していた通りだったようで、驚くこともなく俺の言葉に頷いていた。
その途中で、来客に気付いた杏月が『離れ』から戻って来て、今に至る。
越後谷は腕を組んで、俺の部屋に胡座をかいていた。杏月は全員分の茶を用意して、座布団に座った。
「もう、越後谷にほとんど見抜かれてたから。どうしようもない」
「まあ、当然の結果だな」
越後谷は何故か得意そうに――相変わらずの無表情だが、クールにそう言った。杏月はため息を付いて、湯呑みを手にした。
「――分かってんの? あんた、この問題に巻き込まれる事になんのよ?」
「他ならぬ穂苅の問題だからな。俺としては、望む所だ」
……嘘だよ絶対何か企んでるよこいつ。越後谷って知らずの内に裏側でゴチャゴチャやるタイプの人間だからな……警戒しないといけないのは、確かなんだ。
例えそれが俺にとって、有益なものであったとしても。
「そもそも葉加瀬が知っていて、何故俺が知らないんだ。不公平だ」
「え、何? あいつも知ってるの?」
「違う不可抗力だ。まさか時を戻しても覚えてる奴が現れるなんて思ってなかったんだ」
それでも、君麻呂はケーキの事を忘れ始めていた。杏月もまた、そうだ。だとするなら、時が戻るという事についても、そのうち忘れてしまう可能性はあった。
逆に言えば、それは俺にとって都合の良いことだ。元々俺は、外部の人間を巻き込むつもりではなかった。
俺が忘れてしまう、という現実にならない限りは。
越後谷は俺を一瞥すると、不機嫌な様子になった。
……いや、不機嫌な訳ではないのか? こいつの表情は読めない……
「葉加瀬はともかく、俺は全く無関係って訳ではない筈だぜ。瑠璃の親父が関係してるんだったらな」
「るりりんの……パパ?」
越後谷の言葉に、杏月が反応する。……まあ、確かにそうか。越後谷としても、瑠璃とは幼馴染な訳で。会った回数も多いだろう、瑠璃の父親があのような存在だったと知ったら、もう黙っている訳には行かないのかもしれない。
咄嗟なことで気付かなかったけど、越後谷のような他人が見ても異常だと思えるくらいには、青木父は力を出していた。それを考えると、その力を出させた俺の能力もあながちバカにはならないのかもしれない。
杏月が不安そうな表情で、俺を見た。越後谷が何を言っているのか、分からないからだろう。少し、補足しなければならないか。
「……瑠璃の父親が、うちの親父と知り合いらしい。そしてどうやら、奴等は『神』の存在を知っている」
知らずの内にだろうか、杏月は両手に力を込めていた。俺の目を見て、俺が嘘を言っていないと分かると、呟いた。
「なに、それ……」
「穂苅だけじゃない。俺も見た。穂苅もだが、瑠璃の親父もバケモノみたいな身体能力をしていた。あれは人間の技とは思えない」
青木父から見れば、俺の能力なんてちっぽけなものだったのかもしれないけれど。
「ま、待って待って。それと、うちのパパとの間に何の関係があるのよ」
どのような関係性があるのかは、俺にも分からない。……だけど。
「瑠璃のおじさんは、うちの親父に伝言を残していったんだ。『うちの娘を妙なことに巻き込むな』とかなんとか」
「……なにそれ。妙なことって、まさか今回のこと?」
「俺にだって分かんねえよ。第一、親父は何なんだ。何を知ってるんだ」
「私にキレないでよ」
キレたつもりは無いのだが……それにしたって、謎が増えすぎだ。最早俺の許容量を越えて、何か知らない所で大きな出来事が起こっているとしか思えない。
姉さんの暴走。神様の言葉。ケーキの失踪。俺自身の変化もある。これに親父も関わって来るとなると――……
……どうなるんだ?
範囲が広すぎて、何が何やら……。
「とにかく、俺に求められているのは、学園卒業までに彼女を作ること。それだけなんだ。問題が広すぎて分からないんなら、目先の問題から解決していくべきだ」
そうすれば、俺の未来の安全が保証されると同時に、姉さんも解放される。元々、問題はシンプル。それだけだったはずだ。
でも、何かがおかしい。
こんなにも問題がごちゃごちゃとするものなのか……? そうだとしたら、ケーキの失踪にどう説明を付けると言うんだ。
たまたま居なくなった訳でもあるまいし……
「……そうね。とりあえず、あいつの暴走を止める所から始めないと」
「あいつって……穂苅姉か?」
「そ。純に近付き過ぎたり、何かきっかけがあると、なんかバケモノに変身するのよ」
「現世はバケモノの懇親会でもやってんのか……?」
「姉さんがそうならない為には、俺が恋人を作って、姉さんに俺の事を諦めさせないといけないんだ」
でも、青木父のバケモノ染みた強さと、姉さんの暴走は違う。関係性も見えていない。とするならば、これらは根本的に違う問題として捉えるべきだ。
そこで、仮説を立てる。
青木父は、親父と俺の関係について『血は争えない』と言った。……ということは、親父も昔、何か俺と似たような問題を解決してきた、という事だとしたら?
……そうだ。親父は今の俺に、「通過点だよ」と言っていた。俺の状況が見えているのだとしたら、可能性はある。
しかし、そうだとしたら俺に過去の話を一切しないのは、どういう訳なんだ。
何か理由があるのだろうか……?
「穂苅」
「おお!?」
悩みの深みにハマっていたら、越後谷に声を掛けられた。俺は無意味に驚いて、その言葉に反応した。
越後谷はテーブルに両手を付いて、俺に頭を下げた。唐突な事で、面食らってしまった。
「な、何だよ何だよ!?」
「――ありがとう」
さっぱり、何について礼を言われているのか分からなかった。越後谷が頭を下げるなんて、普段なら到底有り得ないことだ。
「……すまん、越後谷。俺、さっぱり理解できてない」
「交通事故の時」
――あっ。
そうか、そのことか。
「瑠璃がワゴンに轢かれそうになって、俺は身を乗り出していた。――どういう訳だか、瑠璃を庇って俺が轢かれる映像のようなものが、自然と頭の中に入って来たんだ。デジャ・ヴのような、夢のようなものかと思っていた。実際に俺はそんな体験をしていないし、こうして生きている」
「……越後谷」
「穂苅。……お前が、助けてくれたんだな」
越後谷は自然な表情で、微笑んだ。――まさか、こんな所で打ち解け合えるとは思っていなかった。越後谷が俺の秘密を知らなければ話される事でも無かっただろうと思うが、俺の行動が認められた事は、純粋に嬉しい。
だからこそ、俺は言う事にした。
「ドラマ制作の話って、俺が最初に時を戻すことになった八月の段階では、まだ起きてもいなかったんだよ。だから、俺が時を戻して、瑠璃や越後谷と深く関わったせいで、交通事故が起きた。……助けないと、浮かばれなかっただけでさ」
「なんだ。ただケツを拭いただけか。礼を言って損したな」
「えっ……」
「冗談だよ」
……相変わらず、ブラックジョークばっかりだな越後谷は。少しだけヒヤっとしたぞ。
越後谷はポケットから携帯電話を取り出して――
「――えっ?」
何のボタンも押さずに、その携帯電話を耳に付けた。
「――だ、そうだ。聞こえたな、美濃部」
瞬間、
俺と杏月の表情が、揃って固まった。越後谷は何度か頷いた後、携帯電話を操作して、ポケットに戻した。どうやら、通話が終了したらしい。
越後谷はクールな笑みを浮かべていた。
「今から、こっちに向かうらしい」
杏月が蒼白になって、立ち上がった。俺も絶句してしまい、最早言葉もなく、立ち往生した。
「……何してんの?」
「落ち着け、穂苅妹」
「これが落ち着いていられる訳無いでしょ!?」
一体、何を、考えて、いるんだ?
携帯電話は通話状態になっていた? 一体、いつから? 美濃部はどこからどこまでを把握して、俺の家に向かおうとしている?
どうして、こんな事を――
「あんたの勝手な判断で、他人を巻き込まないでよ!!」
「他人じゃない。美濃部立花は既に関係者だ。知る権利がある。知らないと危険だ」
「なんで――」
越後谷は真っ直ぐに俺を視線で射抜き、鋭い眼光の先に知性を感じさせる表情で、口を開いた。
「――『レッドローズ』。美濃部のお気に入りの香水の名前だ」
それを聞いて、確信する。
「合宿の時、お前は二度レイラと接触している。一度目はレイラが香水を付けていた。時が戻った後の二度目、レイラが香水を付けている事に気付いて、お前はレイラを海に落とした」
この越後谷司という男は、とんでもなく頭の切れる男なのだと。
「レイラが海に落ちる前。穂苅、お前は葉加瀬に聞いた。『赤い薔薇の花言葉は何だ』ってな。レイラはレッドローズを付けていた。そしてそれは――美濃部のお気に入りだ」
たったそれだけの情報で、第三者の目で見た記憶から、俺の探し当てた真実まで辿り着きやがった。
金髪に黒い服、長い睫毛。越後谷はその聡明な頭脳で、俺の裏にある秘密をずっと追い掛けていたのだろうか。
「穂苅。お前は過去にも、美濃部のせいで時間を戻した経験があるんじゃないのか?」
だとしたらそれは、恐ろしいことだ。探偵でも始めたら、十二分に威力を発揮するのかもしれない。実際俺は、自分の腹に抱えている秘密をほぼ全て知られてしまった事になる。
越後谷司。仲間に入れるべきだったのか、どうなのか……。
「……まあ、確かにそうだ」
「だったら、穂苅の近くにいる人間は総じて危ないという事になる。美濃部は知っていた方がいい」
俺が肯定したことで、杏月が意気消沈した。越後谷は頷いて、特にそれ以上のリアクションもなかった。
だけど、俺はあまり、美濃部に事情を話して欲しくはなかった。これまでの事を美濃部が思い出してしまったら、という問題もある。俺は都合二度、時間のループを利用して美濃部とデートをしていた。
あれも全て、現実になってしまうのか。
「不満か?」
「……いや」
「最も、お前が『香水を付けている美濃部』を時を戻す為に利用していたとするなら、若干の抵抗はあるだろうが」
そこまでお見通しなのかよ。怖いよ。今後、何されるか分からないじゃないか。
俺に不利益な事を敢えてする事は無いかもしれないけれど……いや、なんというか。俺の知らない所で色々な事を動かされる可能性があるのが。
携帯電話にしたって、君麻呂の使った手法を見て、自分でも利用できると考えたのだろうか。確かに、あれは現物を見るまで気付く事は難しい。
「安心しろよ。美濃部は大丈夫だ」
「……そうか?」
「俺が責任を持って面倒を見る」
その言葉は頼もしかったのか、どうなのか。
美濃部が到着する頃には、既に終電近くになっていた。俺は越後谷と美濃部の分の部屋を用意し、泊まっていくように手配した。こんな時、我が家が広くて良かったと思う。
親父は帰って来ない。俺が家に来ている事がバレていないのは都合が良いが、聞きたい事も沢山出て来てしまった。
いつ、帰って来るのだろう。
風呂に入って就寝する頃には、辺りは静まっていた。実家に帰って来ると、改めてその静かさに驚く。敷地が広いので、車の通る音などは入って来ないのだ。
杏月は『離れ』に戻った。今頃は俺と同じように、越後谷と美濃部に真相を伝えてしまった事について、今後の展開を考えているのかもしれない。
しかし、俺と姉さんの問題が解決したら、どうなるのだろう。やっぱり、これまでの出来事は全員忘れてしまうのだろうか。
シルク・ラシュタール・エレナのことも?
……それは少し、寂しいな。
「穂苅君、入っていい?」
ノックの音がして、俺は顔を上げた。声の主は美濃部のようだった。毎日顔を合わせている筈なのに、どうしてか久しぶりに声を聞いたような気がする――俺と美濃部が二人で対話する事など、久しく無いからだ。
「どうぞ」
ドアノブが開いて、可愛らしいパジャマの美濃部が顔を出した。……何で人の家に来ているのにパジャマなんだよ。さては、杏月が貸したな。
杏月がピンク基調のパジャマを持っていたことも驚きだが。
美濃部は枕を胸に抱えて……枕?
部屋に入ると、内側から鍵を掛けた。
「……美濃部?」
「ここで寝ていい?」