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ヤンデレ姉さんに○されたら考えるべき10のこと  作者: くらげマシンガン
▼第六章 俺と青木瑠璃について。
87/134

つ『他人事に触れた罪の意識を償うか』 前編

 目を見開いた。

 瑠璃は踵を返し、真っ直ぐに駆け出していた。

 まるでそれは、俺から逃げるように。

 そして、それは現実から逃げているようにも見えた。


「おい!! 瑠璃!!」


 俺は、瑠璃の後を追い掛けた。

 人通りの多い街中では、すぐに止められてしまう。先に走り出した瑠璃と俺の距離は縮まらず、瑠璃は大通りから裏路地へと逃げ込んだ。

 ネオンから隠れてしまえば、この時間は見付ける事が困難になる。それでも人混みを掻き分け、俺は瑠璃を追い掛けた。

 一体、何を想っているのか。

 今、どんな事を考えているのだろう。

 瑠璃の逃げ込んだ、裏路地を見た。

 居ない?

 ――いや。

 一瞬、黒いポニーテールが見えた。

 あっちだ。


「ケーキ、お前も――……」


 ……そうか。今、居ないんだっけ。

 反射的に口にした言葉に、俺は軽く舌打ちをした。ケーキが居ないことに対してではない。自分で口にした事で、俺はケーキの存在を『今』思い出した。

 つまり、今の今まで忘れていたのだ。時間は遠い過去になり、思い出となり、俺の前から姿を消す。

 段々と、覚えていられなくなっている。

 それが、一つの解答だった。


「待てよ!!」


 角を曲がって叫ぶが、そこに瑠璃は居ない。突き当りまで一本道で、そこから先は左右に分かれている。

 ――右か? 左か?

 足を止めずに、俺は突き当りに向かって走った。右手は大通りの方に戻る道。俺から逃げるように動いている今の瑠璃が、大通りに戻るとは思えない。タイミングが悪ければ、俺に追い付かれるだけの結果となるはずだ。

 とすれば――こっちだ。

 俺は角を左に曲がり、走った。


「今の俺は、速いぞ……!!」


 しかし、通りは暗い。美濃部や姉さん、杏月のように明るい髪色をしているならまだ見分けも付くが、瑠璃の黒髪は夜道に目立たない。

 太陽に透かしてみれば僅かに茶色だが、この暗さでは漆黒も同然だ。

 左右に気を配りながら、俺は走った。ジグザグに逃げられれば、見付からない可能性もある。

 ――でも、どこかで俺が追い掛けて来る事を、望んでいるんじゃないか。

 ふと、そのような予感を覚えた。

 本心では、打ち明けたいんじゃないか。

 大通りでは、言えなかっただけではないか。

 俺に見付けて欲しいんじゃないか。

 そんな事は、希望的観測だろうか? 瑠璃の本心には、やっぱり触れて欲しくはないのかもしれない。

 少し開けた、川沿いの道に出た。

 俺は周囲に目を凝らし、瑠璃の姿を探した。


「――いた」


 再度、つま先で大地を蹴る。

 瑠璃と俺の距離は、近いようで遠い。

 知っているようで、何も知らない。

 ただ分かっているのは、瑠璃は俺と美濃部を恋人同士にさせようと、目論んでいたこと。

 一番最初に話しかけてきたのは、瑠璃の方だったというのに。

 時間は遠い過去になり、思い出となり、俺の前から姿を消す。

 そして、瑠璃も、また。


「止まれって!!」


 闇の中、淡く映る腕を捕まえた。すると、瑠璃の黒いポニーテールが、ふわりと反動で揺れた。

 振り返ったその顔に、何故か姉さんの姿を重ねた。

 勘違いなんだ。いつも、時が過ぎてからフラッシュバックのように思い出すんだ。

 瑠璃の顔を見て、俺の中に、強い衝動が生まれた。

 それは、どうしようもなく壁に突き当たった時の、やるせない怒りに似ていただろうか。

 それとも、挫折を繰り返して立ち止まった瞬間の、儚い悲しみに似ていただろうか。


「――ごめん。わけわかんないよね」


 泣いているような気はしていた。

 一人になった瞬間、きっと感情は津波のように押し寄せて来たことも。


「私、空回りしてばっかりで」


 瑠璃が今、途方も無い砂漠の中に一人投げ出された時のように、孤独を感じていることも。


「私の後を、追い掛けるの。ずっと、付いて来るの。私、それがつらくて。――つらくて」


 誰が、とは言わなかった。

 でも、それは長い時間の中で、きっとその人なのではないかと、俺に予想をさせた。


「私は、ぜんぜんまともじゃないのに。失敗してばっかりなのに。……もう、やだ。やめたい。やめたいよ」


 先頭を歩く者の方が、後ろを歩く者よりも大変だ。例えそれが茨の道であっても、落とし穴があっても、先頭を歩く者は切り開いて、後ろの者に辿るべき道を示さなければならない。

 第一に、手に入れたものを譲らなければならない。

 例えるなら、そんな気持ちだったのだろうか。

 あるいはそれは、いつの間にか荷車に積まれた墓石のように、瑠璃の心の重荷になっていただろうか。

 経験を重ねるにつれて、その重量を増していったのだろうか。


「もう、歩けないよ――――」


 瑠璃は俺にしがみついて、訴えかけるように泣いた。

 きっと、爆発したようなモノだったのだと思う。

 内側で抑えられない程に、溜め込んでいたのではないだろうか。

 事情を知らない俺には何も分からなかったけれど、何かの糸が切れたように泣き出す瑠璃を見て、俺はそんな状態だったのではないかと予想した。



 ◆



 一頻り泣いた後、俺と瑠璃は近くの公園に入り、ベンチに腰掛けた。落ち着いて意気消沈してしまった瑠璃は放心状態だったので、俺は公園の自販機で暖かいコーヒーを二つ手に入れ、ベンチに戻った。


「はい。これ」


 もう、熱い飲み物が欲しくなる時期か。

 夜になれば、湿度の高かった空気もひんやりと冷え、乾燥してくる。缶コーヒーのプルタブを開けると、湯気と香ばしい匂いが立ち昇った。

 一口、それを含むと、まろやかな苦味を感じた。


「ごめん。取り乱して」

「良いよ。……何があったか、教えて欲しい」


 素直に要件を伝えると、瑠璃は少し気まずそうに視線を逸らして――そして、苦笑した。


「……実はね。アシスタントディレクターを目指してたんだけど、どこも受からなくて。経験はあるかって言われたから、まだ高校生だけど、学園でドラマを作って――って言ったら、笑われちゃった」

「笑われた?」

「経験って言うのは、アルバイトした経験を指すんだ、って。それか学校で、ある程度の知識を身に付けてないと、駄目だって」


 ……そうか。

 瑠璃はやっぱり、その道に進みたいと考えていたんだ。学園でのドラマ制作も、未来の目標のために、だったのだろうか。

 それでも、何かの知識があってやっている訳ではない。カメラを持って、素人役者が台詞を喋っているだけだと言われれば、それまでなのかもしれない。


「芸術学部にでも行けば、良いんだろうけど……そんなお金、なくて」

「そんな。奨学金とか……」

「やっぱり、返済するやつしかなくて。働き始めで何百万ってお金、返しながら生活できると思えなくて……」

「……確かに、それは、そうかもしれないけど。ほら、親御さんとか、協力してくれないの?」


 瑠璃は、首を振った。


「……私、親と喧嘩して家出て来たの。芸術は教養にしかならない、仕事にはならないって思ってる親だから、私がディレクターを目指すって言ったら、怒っちゃって」

「怒った?」

「そんなにやりたいなら、家を出て一人でやれ。でも金は出さない、って言われちゃって……」


 他人の家に口を出すような立場ではないけれど、そこは娘の夢に協力してやれよ、と思う。

 ……まあ、そういうのって難しいんだろうけどな。俳優、声優、漫画家みたいな芸術分野の仕事って、未だに安定しない、未来がない仕事だと認識されがちだ。

 仕事になんかならないって思っている親もいる。

 しかし、瑠璃も激闘の末、この学園に来ていたんだな。妙に金欠なのは、仕送りなしでアルバイト生活をしていたのが理由だったというわけか……。

 君麻呂とは違う理由で、瑠璃も精一杯にやっていたのだ。


「一人でやれるって思っちゃったんだよね。だから、家を出て……。実際、どうにもならなくて。ちょっと、焦ってる」


 瑠璃はどこか、諦めの混じったような瞳で空を見上げた。


「私が目標を決めた辺りから、りっちゃんがね、声優始めるって。私がディレクターで、越後谷が俳優だったから。影響を受けたんだと思うんだ。それから、同じ学園に入って、同じ勉強をして、私達はいつも同じで……」


 それから。


「――同じ人を、好きになって」


 強く、心臓が高鳴るのを感じた。同時に、締め付けられるような想いも。

 瑠璃の後ろを、美濃部が追い掛けた。二人はずっと一緒。でも、美濃部は瑠璃の後を追う――そんな関係が、続いていたのだろう。

 重かったのだろうか。きっと二人分の到底耐え切れない重みは、瑠璃の肩に伸し掛かっていたのだろう。

 人は、二人分の重みを支えられるようには、作られていない。


「――純君に、りっちゃんを、お願いしたいの」


 瑠璃はベンチから立ち上がって、俺に背を向けた。ステップを踏むように、それは踊りのように、公園の地面を踏みしめた。

 ある意味での決断を、したのだろうか。


「お願い、って?」

「りっちゃんは、すごく怖がりだから。一人では、歩けないの。でも、純君がそばに居てくれたら、きっとあの子は大丈夫だと思うから。……りっちゃんが、それを望んでるから」


 ――いや。


「だから、私は――」

「瑠璃」


 その手を取った。

 至近距離まで寄ると、瑠璃の表情を事細かに観察する事ができた。相変わらず目尻に浮かんだ涙はそのままで、瑠璃はじっと、俺の目を見ていた。

 何を言われるのかと、思っているのだろうか。

 俺にはただ、瑠璃が無理をしているように思えた。いつもあまり目立たないのは、瑠璃が意識的にそうしているからであり、目立たない事そのものが瑠璃の個性なのではないかと思えた。

 人に、合わせること。

 誰もが上手くいくように、自分自身をコントロールすること。

 それが、瑠璃の主張だとしたら。


「本当に、俺に言いたい事は、それなのかよ」


 腕に力を込めて、瑠璃の身体を抱き寄せた。

 ――熱い。

 俺と同じように、瑠璃の脈拍も上がっているのだろうか。熱を持った身体は、そのまま一つに溶けてしまうのではないかと思えた。

 互いの、心臓の音を感じる。

 それは確かに、生きていたのだと。


「もっと、シンプルでいいよ。俺は、瑠璃の言葉が聞きたい」

「……私の、言葉?」


 そうだ。

 自己主張しないことが瑠璃の主張なのだ。彼女は学級委員長で、水泳をやっていて、ドラマ制作が好きだ。上手くいかないのは、自分自身を曝け出していないからなのではないか。

 決して、瑠璃の影は薄くない。

 そうだ。

 俺達は、これからじゃないか。

 すう、と息を吸い込んだ。

 言うべき言葉を、言わなければならない、と。


「美濃部の事も、嫌いじゃない。でも、俺がずっと、気になってたのは――」


 瑠璃の瞳が見開かられるのを、見ていた。

 ドクン、と脈を打つ。

 それは、生きている。

 今、この場所にも、確かに。


『――――たすけて』


 ――何だ?

 何の声? 胸の奥にずしんと響くような、重みのある言葉。それは今にも切れてしまいそうな、一本の細い糸を辿った。

 俺自身の視点が遠ざかっていくのを感じる。視界から、脳、後頭部へとそれは移動し、俺は自分自身の背後を見ているような錯覚を覚えた。

 時間は止まっている。

 ただ、どこまでも、俺の視点は空へと昇っていく。

 いや。ただの、錯覚、か?

 言わなきゃ。

 瑠璃に、それを伝えようと思ったんだ。


『あの人を、助けてください!!』


 かちん、と奥歯が鳴った。

 その合図で、俺は瞬間的に飛躍した自分自身の視点を、元の場所へと戻した。


「――純君」


 瑠璃は相変わらず紅潮した頬のまま、俺の言葉を待っている。

 数秒も経っていない。瑠璃はまだ、俺の異変に気付いていない。

 ……何だったんだ、今のは。まるで、遠い昔の過去へと遡るような感覚だった。いや、そんな事を考えている場合じゃない。

 言わなきゃ。

 俺は、口を開いた。


「瑠璃」


 言葉を発したのは、俺ではなかった。

 公園には、誰も居なかった。ならば今入って来たか、通り掛かったのだろう。呼ばれたのは俺ではなく、瑠璃だった。

 俺の事を見ていた瑠璃が、徐ろに、その首を公園の入り口側へと向ける。

 そして――真っ赤になっていた頬が、真っ青になった。暗闇でもはっきりと分かる程に蒼白になった瑠璃は、唇を震わせた。

 反射的に、身体を硬直させていた。


「何をやっているんだ、こんな、所で」


 落ち着いた、しっかりとした中年の声だった。どこかで聞いたような気がするのは、瑠璃の声に似ていたからだろうか。まるでそれを、そのまま男にして、歳を取らせたかのような――……

 ――えっ。

 俺も、振り返る。瑠璃の見ている人を確認すると、俺はそっと、瑠璃から離れた。

 白髪が混じっているが、決して汚さを感じさせない、紳士のような風貌。灰色のスーツに、真紅のネクタイをした。

 その顔は、絶句してものも言えないといった様子で、俺と瑠璃を見据えている。

 怒りと言うよりは、驚いたようだった。


「……お父、さん」


 瑠璃が呟いた言葉は、俺の予感を確信に変えた。

 そしてその人は、おそらく今この場で、最も出会ってはいけない人物だった。



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