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ヤンデレ姉さんに○されたら考えるべき10のこと  作者: くらげマシンガン
▼第六章 俺と青木瑠璃について。
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つ『揺れる心はいつかの時に溺れるか』 後編


「……純?」


 俺は振り返り、杏月の肩を掴んだ。反射的に握っていた傘が地面に落ちてしまったが、気にもならない。


「杏月!!」

「はっ!? ……ええっ!?」


 戸惑う杏月に、俺は瞳を合わせた。杏月の本心を突き刺すような鋭い視線を送る。

 喉を鳴らした。――杏月が覚えていなければ、ケーキの存在は今や、この世で俺しか覚えていないという事になる。

 俺だって、いつ忘れてしまうか。

 現に、今日君麻呂と話をするまで、俺はケーキの存在をすっかり忘れていた。


「……ケーキって名前の、『神の使い』、覚えてるか」


 ――雨は冷たく、俺の肩と背中を濡らした。


「……覚えてない」


 ――なんで。

 俺が、おかしいのか? ……もしかして、初めから『ケーキ』などという存在は、どこにも居なかったのだろうか? 俺の幻想、それこそ夢のようなもので――……

 だとしたら、時が戻る事に説明が付かない。……確かに、シルク・ラシュタール・エレナは俺の前に現れ、俺に恋人を作らせるという使命を与えたのだから。

 ポンコツで、ヘタレで、ピンチになるとあまり役に立たないケーキ。

 でも、これだけの時間を共に過ごした身として、それは――……


「……ごめん」


 俺は杏月の肩を離し、地面に落ちた傘を拾った。

 何れにしても、覚えていないなら仕方が無い。俺は一人で、どうにかケーキを見つけ出さなければ。

 どこかに、居るのだろうか。もしかしたら、この人間界には居ない可能性だってある。そうしたら、俺の立場では世界中の何処を探したって、ケーキに辿り着く事は出来ないじゃないか。

 事情を聞くことさえ、できない。


「今日、先に帰るわ。皆には体調が悪いって伝えておいて」


 俺はそれだけ言って、踵を返した。

 ふと振り向く前に、杏月の鋭い視線が突き刺さった。

 それはまるで、俺の心の内を見透かしたかのような、対局を見る視線だった。


「――そいつが、居たのね?」


 動きを止めた。

 杏月は鞄から携帯電話を取り出して、操作した。程なくしてそれを耳に当てると、堰を切ったように話し出す。


「あ、もしもし、るりりん? ……ごめん、今日ちょっと撮影行けそうにない。……うん。純と二人で、パパに呼び出されちゃって。皆にもよろしく伝えておいて。……うん、ありがと。それじゃ」


 ……杏月、一体どうしたんだ?

 俺が戸惑っている間に、手続きは終了した。杏月は唇を真一文字に結んで、携帯電話を鞄に戻した。

 もしも杏月がケーキの事を覚えていないとしたら、俺の言っている事なんて単なるファンタジーだ。君麻呂や杏月のように事情を知っている者だったとしても、俺が世迷い言を口にしているとしか思えないだろう。

 だが、杏月は俺を見ると微笑んで、歩き出した。


「行こ。探しに行くんでしょ?」

「……杏月、だってお前、ケーキは」

「もちろん、覚えてないよ?」


 杏月は俺の手を取って、引っ張る。


「――私はもう、『自分の記憶』を信じない」


 ただ、妙に印象的な白黒基調の傘が、杏月の存在を際立出せていた。



 ◆



 ケーキの存在を最後に見た場所に戻りたい、という杏月の返答だったが。最後にケーキを見たのは、姉さんの家。寝室だった。俺達は電車に乗り、ひとまず姉さんの居場所を目指す事になった。

 ……俺はどうにもあの場所にもう一度戻るのは、気が引けていたのだけど。

 姉さんと俺の因果についての問題が発覚してから、ずっと俺のそばにいたケーキ。居なくなったと分かると、それまで鬱陶しい程に視界にちらついていたケーキの存在が、急に恋しく思えた。

 本当に、どうして忘れていたんだろうか。


「あいつの家に着いたら、純は外にいて。私はあいつと話してくる」


 歩きながら、杏月はそんな事を言った。

 依然として雨は降り続き、足元は濡れる。杏月は俺の事を庇ってくれたのか、事情を察してくれたのか。真剣にケーキの探索に集中しているようで、他の雑念は一切感じられない。そんな所に頼もしさを感じた。


「……ああ、サンキューな。助かるよ」

「純。私達は、同じ時間を生きているのかもしれない」


 姉さんのマンションに到着すると、杏月は立ち止まった。そして、姉さんの部屋を見上げた。

 その向こうに、姉さんの姿を想っているのだろうか。杏月の表情はどことなく寂しげで、そして悲しそうだった。この辺りは車通りも少ない。降りしきる雨の音だけが継続的に鳴り続く中、杏月の赤銅色の瞳は――透き通るように、感情を映す。

 その瞳の奥に、姉さんと同じものを感じた。


「同じ、時間?」

「なんとなく、だけど。……私達は前世の因果に縛られて、ここまで一緒に来てしまったんだと思うの。あいつが純を、純が私を、……私はあいつを見て、前にも平和な時を過ごした気がする」


 どうして、そう思うのだろうか。

 何か、予感のようなモノだっただろうか。深遠とも取れるその言葉の向こう側に、メビウスの輪のように繋がる時間の存在を感じた。

 杏月は俺に振り返る。瞬間、セミロングの茶髪は雨音と戯れるように、ふわりと広がる。凛々しいとも、雄々しいとも取れる表情は優雅で、艷やかだった。

 その強い意志に、深い魅力を感じた。


「――私達は、同じ事を繰り返そうとしているような気がする」


 その時、はっきりと感じた。

 この途方も無い前世の話に関わっているのは、姉さんと俺だけではない。そこには、杏月の姿もあったのだと。何故だろうか、はっきりとそう感じる事ができた。

 ――フィリシア?

 そう言ったのは、誰だっただろうか。


「……杏月」

「同じことにならないように食い止めるのは、きっと私の役目だから」


 それだけ言って、杏月はマンションの階段を上がっていく。俺はぼんやりと、その後ろ姿を眺めていた。

 ……ここに、ケーキが居るのだろうか。あまり見付かるとも思えないが――……そもそも、杏月が意識していたとしても、見覚えの無くなってしまったケーキの姿をもう一度確認する事は、出来るのだろうか。

 まあ、駄目で元々だ。時間が巻き戻った時の事を考えるなら、ここよりも駅前、君麻呂と出会った所の方が可能性は高い。それでも、見付からない可能性の方が高いように感じた。

 本当に、何処に行ってしまったのだろうか。

 ふと、携帯電話が鳴った。……瑠璃? 俺は携帯電話を開いて、それに応答する。


「はい、穂苅です」

『もしもし、純君? 今、電話大丈夫?』

「大丈夫だよ」

『ごめんね、おじさんに呼び出されたみたいなのに、電話しちゃって』


 あー。

 そういえば、そういう事になっていたんだった。


「あんまり大した事じゃなかったみたいで、今は外に居るよ」

『……そう、なんだ』


 その声音は、どことなく重たかった。こんな時間に、俺宛の電話。何か、良くない予報でもあるのだろうか。本来ならば、まだドラマ制作を行っている時間ではないか。

 俺が登場しないシーンも、まだいくつか残っていたはず。先にそっちを進めて貰えればと思ったのだけど――……


「ドラマ、止まってるの?」

『あ、うん。実はね、越後谷も今日、来なくて』


 そうだったのか。俺は兎も角、越後谷が来ないなんて珍しいな。仮にも学生の行事だが、越後谷の熱意は端から見ている俺でも分かる程に伝わっていたが。

 ……それにしても、何だろう、この空気は。何を言われるのだろうか。電話越しだというのに、俺は怪訝な表情になってしまった。


「……それで?」

『あー、うん。……あのね、大した用事では、ないんだけどね』


 何だよ。焦れったいな。何か話す事があるなら、もっと普通に話してくれよ。

 それが出来ないような内容なんだろうけどさ。


「うん、何?」

『あーもう! ちょっと貸して! ……もしもし穂苅君?』


 ……美濃部?


『次の日曜日、空いてる?』

「ん、まあ……空いてるけど」

『ちょっと付き合って欲しいんだけど、良いかな!』


 ――なんだろう。随分ハキハキ喋るな、美濃部。まるで瑠璃と立場が逆転したみたいな雰囲気だ。

 なんとも言えない状況に、俺は笑顔を浮かべたままで固まってしまった。

 それに、なんだか分からないけど、キレてないか……?


「……いいけど、どういう用事なの?」

『すっごく大切な用事!!』


 ……あ、電話切れた。

 呆然と、切断音の流れ続ける携帯電話を見詰めた。一体、何だったんだ……。ついこの間まで、妙に余所余所しい所があって話し辛いと思っていたけれど。

 欠片も吃っていなかったな。むしろ、聞き取りやすいレベルだ。ドラマ制作の影響なんだろうか……。

 考えても仕方のない事だけど、何とも言えない空気になってしまった気がするぞ。

 今日、水曜日なんだぞ。明日明後日、俺はどんな顔をして美濃部と瑠璃に会えば良いんだ。


「純」


 ……いけない、唐突によく分からない電話が掛かってきたから、頭の中が真っ白になっていた。杏月に姉さんの部屋を探して貰っていたのだった。

 階段を降りて来る杏月は、どことなく覇気を失っていた。


「おかえり、杏月。ケーキ、見付かった?」


 杏月は首を振った。

 やはり、見付からないか。ならば、この場所は速やかに離れた方が良いだろう。姉さんの具合はどんどん悪くなるばかりだ。俺が近くに居ない方がいい。


「……どうした?」

「あいつ、純が出て行った事に、結構、ショック受けてたみたいで」


 ……まあ、それは。そうなるだろうな。


「体調的には、どうだった?」

「……体調?」

「前回、杏月の知らない所で時を戻しただろ。……あれ、姉さんが倒れたからだったんだ。だから、俺は姉さんと一緒に暮らさない事にした」


 杏月は驚いている様子だった。それはそうだろうと思う、あの姉さんが倒れるなどと、これまでから考えれば予想も出来ない事態だ。俺が風邪を引く事はあっても、姉さんが風邪を引く事は絶対に無かった。

 さて、姉さんが来る前にこの場を離れないと。接触したら、また姉さんは自分の身体に異変を感じるだろう。

 ケーキが居ない以上、もう時を戻す事は難しいと考えておいた方が、リスクがない。


「ちょっと、待ってよ。……どういう事?」


 杏月が俺の後ろを追い掛けて来る。俺は杏月が横に並ぶのを待ち、言葉を続けた。


「姉さんが俺と居ると、ほとんど四六時中発情しっぱなしってのは、杏月もよく知ってるよな」

「……まあ」


 いや、本当に俺の口からこんな事言うの、自分でもどうかと思ってるよ。頼むから変な顔しないでくれよ。

 冷静なフリをしていないと、真面目な顔でこんな事は言えないってば。


「……ごほん。とにかく、アレはどうやら、悪化したりするタイプのモノだということが分かったんだ」

「悪化?」

「そう。姉さんは俺が近くに居ると発情していたけど、それはどんどんエスカレートしていくんだ。それで、自分自身もコントロール出来なくなって、倒れた」

「えっ……じゃあ、まさか……」

「いや、違う。それは勘違いだ。――いや、ほんと。してないから。してないから!!」


 俺を変な目で見るな!! どうにか逃げたって!!

 ……いや、実の所は相当ヤバかったけどさ。後一歩で俺も暴走する所だったけども。そんな事は、勿論杏月には言えない。

 大人には、言えない大人の事情というモノがあるのだ。


「と、とにかく。それのせいで、俺は実家に帰るしか無くなったんだって」

「……まあ、いいけど。じゃあ、純はこれからどうするつもりなの?」


 俺は、予定通りに恋人を作るしか無いんだ。

 それも、出来るだけ早く。

 そうすれば、姉さんは長い呪縛から解放される。


「……俺が試練をクリアすると、神様が姉さんを助けてくれるんだ」

「何、それ。それが時が戻る理由ってこと?」

「……まあ、そんなところ。姉さんが俺を諦めないと、神様にもどうにも出来ないんだとさ」

「どんだけ強いのよ、あいつ……」


 俺も、答えを出さなければならない。俺を好いてくれる人達の、誰を受け入れるべきなのか。

 既に杏月は、俺の家族として隣に居てくれると言ってくれた。だから、決着は付いている。

 青木瑠璃。

 美濃部立花。

 二階堂レイラ?

 ……俺だって、何も考えていなかった訳じゃない。ただ、ドラマの撮影が終わってから、俺はそれぞれに返事をしようかと思っていた。

 学園祭が終わってからでないと、余計に拗れてしまう可能性もあるからだ。


「で、純の答えは出てるの?」


 俺は杏月とは目を合わせずに、言った。


「――答えを、出そう」


 降り続く雨の中、俺は方向性をそう定めた。だからといって何が変わった訳ではなかったけれど。

 正直、俺が姉さんの隣に居ながらにして、ここまで誰かに好かれる事があるなんて、思ってもみなかった。お世辞にも俺に魅力があるとは思えないし、特別見た目が良いわけでもない。

 少なくとも俺は、姉さんの代わりとして誰かを恋人にする気なんて無い。だから、好いてくれる人ではなく、俺が好きになれる人、で判断するべきだ。

 例えそれが、どんなに相手を傷付ける事になっても。

 俺が答えを出した時、どんなタイミングになっても、誰かは傷付く。

 ならば、思い切りを良くしなければ。


「うん。応援、してる」


 揺れる心はいつかのように流されるままにはならなかったけれど、

 俺は一つの可能性に向かって、動き出そうとしていた。


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