つ『穂苅杏月の人生すべて思いどおり』 前編
物事は計画的に行うべきであり、計画性の無い感情に縛られた行動は時に大きな損失を生む事に繋がる。
パパはそんな事を言っていたけれど、じゃあ計画的に行うってどんな事なんだろう、と常に思ってきた。例えば算数の授業なんかは何度も足し算や引き算を繰り返したりするから、これは『計画的な行為』である。でも、実生活で連続して計画的に行う事など、あまり思い付かない。
いつもそれを説明してくれないのがパパだ。私はママのことをほとんど見たことがないけれど、きっとあのパパのママは大層おおらかな人なんだろうと思う。
何故なら、パパが一人で私を育てるという事に関して、ママは何も言わなかったから。
『いいかい、杏月。世の中は頭の悪いおじさんが働いて、頭の良いおじさんに有利になるように作っているんだ。頭の悪いおじさんは、頭の良いおじさんに良いように使われるんだよ』
穂苅杏月。小学六年生。
この言葉は、私がパパに教えられた数ある教訓の中で、最も私に深く響いた言葉である。
『えー!? じゃあ、あたまのわるいおじさんはどうなるの?』
『――宿命に、その身を捧げるんだよ』
ぶっちゃけ、その言葉は全く意味が分からなかった。
でも、後に知る。宿命にその身を捧げるというのは、つまり頭の悪いおじさんとして、生涯を頭の良いおじさんに捧げるということだ。
自分が不利になっている事にも気付かず。
これは、由々しき事態である。
太古の昔、きっと人類がまだアウストラロピテクスの時代から、人は誰かをリーダーとしてきた。
去る現代――なんとか時代になっても、あるいは大名になったり、天皇になったり、皇帝になったり、総理大臣になったりして、国を仕切ってきた。
そして、この物語で言う『頭の悪いおじさん』は、国を仕切る人の言葉の意味を半分も理解せず、平々凡々たる人生を送っているのだ。
自分たちがせっせこ作った米を、お金を、捧げるのだ。でも、その米やお金がどのように使われているのか、興味すら持たない。
――そう。頭の悪いおじさんは、例えるなら働き蟻なのだ。
別にそれで本人が幸せなら、特に問題はないのだろうと思う。
でも、私は違う。
私は『頭の悪いおじさん』にはならない。きちんと勉強して、色々な事を覚え、世の中を有利に動かす側に回るのだ。
『杏月。君は、計画的な犯行というものを覚えなければならないよ』
『けいかくてきな、はんこー?』
『そうだよ。計画的な犯行というのは、――そう。必ず殺す技。必殺技のようなものだ』
『ひっさつわざ!?』
そのためには、まず勉強である。
小学校にして、既に連立方程式も平方根も、二次関数も理解した。計画的に行う事ができるものを中心に覚え、国際的に動くことが出来るように、英語も覚えた。
次に、エレクトロニクスである。
コンピュータ言語もまた、計画的に行う事ができるものである。自分自身が生み出したアルゴリズムは自分自身が出来る事の垣根を越え、新たな輝かしい結果を私に齎す。
赤いランドセルを背負い、半田ごてを握った。
自身の子供とも言える新たな機械を創り出した私は、この世のものとは思えない快感を得ることが出来たのだ。
「お姉ちゃん、早く行って……」
「やー!! もうちょっとぎゅってする!!」
――そんな私であるが、最近困った事が一つある。
「学校、遅刻しちゃう……」
こいつだ。
私の義理の姉。
「そもそも、中学校が三年制なのが良くないのよ。純くんが中学校入学と同時に私は卒業なんてありえないー!」
純とあいつのやり取りを庭の植木に身を隠して、私は観察していた。
今日はパパの許可が出たので、純と一緒に学校行こうと思ってたのに……
中学校に入ってから亜麻色の髪を無駄に長く伸ばし、無駄に成長した胸と尻をもって純を誘惑する姉。
三年歳上だからって、変な武器をこしらえたものだ。
「ねえ純くん、私留年する。そしたら、一年は一緒にいられるでしょ」
「だ、だめだよ」
純を抱き締めて、その豊満な胸に顔を埋めさせ、ぐりぐりと可愛がっている。
このアマ。私の純に色目なんか使いやがって。
こっちはパパに頼み込んでクラス変えてもらって、『特別指導教室五年生』みたいな立場を引き受けてまで、妹の立場を守っているというのに。
ちなみに、本当は一日違いの妹。というか、親が違うので厳密には妹でもないんだけど。
『純くんを落とせたら、結婚させてあげるよー』
私の愛するパパの言葉である。
その言葉に私は決意して、『計画的な犯行』をもって純を私のモノにすると決めたのだ。
それが、この状況。
卓袱台を引っくり返して、湯のみになみなみと注がれた熱いお茶を奴の頭から掛けて差し上げたい。
「……恥ずかしいよ……」
――ああ!!
やばい、純可愛いなあ。ほんと可愛い。ぐりぐりしたい。されてるけど。別の奴に。
あああ、どうしてくれようこのジェラシー。
これはもう、思うがままにぶつけてやるしかないだろう。
「天気、よし。――風、よし」
私は空を見て、指差し確認をした。
この赤いランドセルには、私が時間を掛けて開発した発信機と探知レーダー、モーションセンサーねずみ花火、そして切り札の化粧セットが入っている。
靴も実は改造してあって、脚を離す瞬間にバネの力で脚の動きを加速させ、普通よりも速く走る事が出来るようになっているのだ。
どうよ、某小学生探偵も顔負けの、この装備!
あいつが純に張り付いているのは予想済み。今日はこれらの武器を使って、なんとしても純と二人きりになるのだ。
いつも、事前準備は抜かりない私。
これが、『計画的』というやつである。
――あ、やばい。あいつと純がどっか行った。
追わなきゃ。
★
電信柱から電信柱へと伝い、私は純の後を追い掛けた。……相変わらず、純の周りにはやたらとでかいハエがぶんぶんと飛び回っている。……腕を組んで。
くっ、今日が学校の創立記念日だったら。あいつは学校で、純と私は休みだったのに。
でも残念なことに、今日は創立記念日ではない。それ以外の休日では、あいつも休みになってしまうから駄目なのだ。
「えへへー、純くんの学校まで一緒に行くよっ」
「……お姉ちゃん」
幸せそうにしやがって。今に見てろよ。
私の可愛い純をキズモノにした罰は、きっちりと取って貰うから。
ちなみに、キズモノの意味はあまり分かっていない。あれでしょ、勝手に取った、みたいな意味でしょ。
私はランドセルを開け、目的のモノを取り出した。
――よし。まずは、発信機。
これさえあれば、純が何処に居るのかが分かる。昼休みになったら超特急で現れるあいつよりも先に、純と会うことが出来るはずだ。
そしたらロッカーにでもなんでも押し込んで、気配を消せばいい。
「よーく狙って……」
純のランドセルに狙いを定め、私は超小型発信機を構えた。
ちなみに表面は協力な磁石になっていて、ランドセルの金具の部分に向かって引き寄せられるように作られている。近くに落ちれば、純のランドセルに向かって吸い寄せられるはずだ。
ていっ!!
「――――シュッ!」
――えええ!?
「……お姉ちゃん?」
「ううん、気にしないで。なんか虫みたいなの飛んで……なにこれ」
何……? 今、何が起こったの……?
一瞬あいつの姿がぶれたかと思ったら、投げたはずの発信機が消えた……
私は目を丸くして、電信柱の陰から凝視してしまった。まさか今の、キャッチされたのだろうか。そんな馬鹿な。発信機は本当に小さなものなのに。
「これは……小石ね。きっと、未来の小石だわ」
豚に真珠か!
……何だかよく分からないけれど、作戦は失敗したということね……。どうでもいいけど最近あいつ、人外染みた動きをするようになったわね。
もしかしたら、そのうち新幹線よりも早く走るのかもしれない。
なんて、それは既に人のレベルを超えているので、有り得ない事なんだけどね。そんな事ができたら、世界中の人は電車に乗らない。
でもこのままじゃ、いつもと同じように、あいつに居場所を取られるだけだ。なんとかしないと……
「あーあ、小学校着いちゃった」
「そ、それじゃあ、ここで大丈夫だから」
……そうこう言っている間に学校に到着してしまった。
残念なことに私は、まだ何もできていない。……そうだ。昼休みになったら、あいつを驚かせて進行の邪魔をして、その間に私が純と会えば。
見てろよ、駄肉め……
「純くん! 何があっても、お姉ちゃんは純くんの味方だからねっ!」
そう言って、純を抱き締めるあいつはとても幸せそうな顔をしていた。
……くそう。何だか分からないけど、ものすごく悔しい。電信柱を叩きながら、私は唇を噛み締めた。
パパの言葉を思い出す。
ちゃんと『計画的な犯行』をやれば、人生すべて私の思い通りなはずなのに。
「じゃあね! またね、純くん!」
「……うん、またね」
あいつが去って行く後ろ姿を見て、ぽけーっとしている純。……このまま、あいつの好きにさせてなるものか。
私は純に向かってダッシュした。わざと大きめに足音を立てる事で、純が気付いてこちらを向く。
事前に電信柱の陰で、まつ毛を上げる事を忘れない。
私は存在を感じさせずにぱっちりとさせる、自慢のアイラインを駆使して純に微笑みかけた。
その変化、七色の花を咲かせるが如し。
「お兄ちゃん!!」
そのまま、純の腰に抱き付く。
幸いなことに、私の身長は純のそれよりも遥かに小さい。妹を演じるには打って付けなのだ。赤いランドセルにツインテールなどという髪型も、妹キャラを演じるのには最適だ。
演じるのには。
「杏月。なんだ、後ろにいたのか」
純は私の頭を撫でて、優しく微笑んだ。……うわ、なにこれ。可愛いよ。天使の笑顔だよ。
頑張ってお兄ちゃんをやろうとしても可愛くなってしまうのが、純の良いところである。
どうか、このまま純の身長が永遠に伸びませんように。
「お兄ちゃん、今日の給食、一緒に保健室で食べよー!」
「あ……うん、でもお姉ちゃんが来るからどこか、一緒に食べられる所に出ようよ」
本来給食は教室で食べなければならないものだ。保健室で給食を食べるのは、トクベツな事情がある人間だけなのに。
あろうことか、屋上やグラウンドの近くで食べる事も、あいつが居ると許可されてしまう。
何故……? 何か不思議な権力でも働いているのだろうか。
まさかパパがそんな事に余力を裂くとは思えないし……いや、裂くのかな? 分からない……
笑ってるけど、謎が多い人だからなあ。
「……うん、じゃあお姉ちゃんとも一緒に食べよ!」
私は純と手を繋いで、学校に向かって行った。
ふふふ。でも、あいつが昼休み、純の前に現れる事はないのよ……
せいぜいメインヒロイン気取って、おっきな船の先端で両手を広げて「I trust you」とか言っているがいいわ!
純には見えない死角で、ゲスな顔を浮かべて笑う私だった。