つ『2つの目的は1つの解決策を得るか』 後編
目を覚ました。瞬間的に覚醒した意識は混乱し、俺は全身を襲う悪寒に見を縮めて、ベッドから降り――られない。既に俺は立ち上がっていた。
「――つっ!!」
――なんだこれ。心臓が、痛い。
膝を突いて、俺はその場に突っ伏した。
とにかく、一体今はどういう状況……なんだ? 痛みに悶えながら、どうにか思考に集中しようとした。
九月十五日の朝ではないのか? そうでないとすれば、一体今は何時なんだ。夜中に目が覚めた事なんて、これまでにあったか……?
もしも仮に夜中、目が覚めたとして、夢遊病みたいな症状を持った事は今までにない。
自分に何が起こり、どうなったのか。……自分でもさっぱり分からない。
待て。落ち着いて、現状を把握しよう。
俺は胸を擦りながら、立ち上がった。
「……まず、時間は夜だ」
そう。辺りが暗いのだから、時間は夜だ。では次に、ここはどこなのか?
……家の、近くだ。俺は立ち止まって、近くにあるものから場所を特定しようとした。コンビニ、大通り。この光景は、何度も見たものだ。確か、駅へと続く道の。
――そうだ、携帯電話。
ポケットを探した時、ズボンが異様な冷たさであることに気付いた。……なんだ? まるで水でも被ったかのような……
そういえば、髪も濡れている。夏場の熱気に当たり、大部分は乾いているようだったが。
今まで走っていたかのように、上がった息。……これは、時が戻ったせいなのかもしれないが……
待て。そもそも、戻ったのか?
俺は携帯電話を開く。
「純?」
――呼ばれて、すぐに携帯電話を閉じた。何事も無かったかのように、俺はポケットに携帯電話をしまう。
もしも時が戻ったのだとすれば、俺が不審な行動をしていてはいけない。そう思っての咄嗟な行動だったが、よく考えてみれば俺が時を戻した事の確認に携帯電話を使っている事など、ケーキを除いて誰も知らないので、意味は無かった。
とにかく俺は、目の前に現れた人物を確認――……
「……なんだよなんだよ!! 恋の悩みにでもハマっちまったのか!? はいぱー思春期か!! あっはっは!!」
一瞬、時間軸が混乱した。
何故なら、この台詞は過去に二度、君麻呂から言われた事があるからだ。
だが、『失われた七月九日』に戻ってきている筈がないということに、遅れて気付いた。
目の前に居る葉加瀬君麻呂の様子も、あの時とはかなり違っている。手に抱えているのは沢山の花束で、白いトルコギキョウではなかった。
俺は落ち着いて、頭の中にある、当時の台詞を探す。
「……どうしてまた、こんな所に居るんだ?」
「ああ、この辺りに知り合いの花屋があるんだけどさ。俺が事情を話したら、店が終わった後に売れ残りの花をいくらか貰えるようになって。通ってるんだよ」
あの時は気付かなかったが、君麻呂は俺の様子をじっくりと観察しながら、決定的な台詞を口に出すタイミングを図っているようだった。
つまり今は、九月十五日の――夜だ。理由は分からないけれど、どうやら朝には戻る事が出来なかったらしい。
……それに、何だったんだ、さっきのは。
俺は姉さんの視点から、君麻呂を殺す瞬間を見ていた。同時に何か、絶望的な悲しみを全身に受けていた。
悲しさ。……悔しさ、か? なんとも表現の出来ない、感情の塊のようなモノ。あれは――……
「――ぐ、うっ!!」
「じゅ、純? ……大丈夫か?」
心臓の痛みが激しくなって、俺は再び屈み込んだ。意識をすると痛みは激化して、心臓に穴が空くのではないかと思える程だった。
……思えば、時を戻した日の朝は毎度吐き気を催したり、身体が重かったり、体調不良を訴えていた。
もしもこれがシルク・ラシュタール・エレナの言っている通りに、心と身体のバランスが崩れている状態なのだとすれば、俺ももう限界、という事なのかもしれない。
……なんてことだ。
分からない事には気付けないけれど、俺はずっと身体から発されるサインを見逃していたのか。
段々と慣れてしまい、自分の身体がおかしくなっている事にすら、気付けなくなっていたんだ。
今更悔いても、もう遅い。これからを、考えなければ。
「……大丈夫、ありがとう」
俺は立ち上がる。
少しだけ予定がずれてしまったが、次に君麻呂が発する言葉は、『I shall never survive you』だ。どこかで必ずその台詞を口にするはず。何故なら、この段階では君麻呂は俺の能力の事を『魔法』だと錯覚していて、それでどうにか春子ちゃんを助けて欲しいと願う予定だからだ。
君麻呂は緊張した面持ちで、俺に向かって口を開く――……
「……白いトルコギキョウ。花言葉は『希望』」
――――えっ。
「……当たりか?」
君麻呂は俺に近付いた。――何だ、これは? シナリオと違う。ここは、桑の花の花言葉を言われるところで――……
な、なんで? ……待てよ。何が起こってるんだ?
そもそも、今までとは時間の戻り方からして違うじゃないか。落ち着いて考えろ。
「……なるほど。こうやって、時間が戻るんだな」
その言葉を聞いた時、俺は全てを理解した。どうしようもなく、視線が揺らいだ。
マリーゴールド。サネカズラ。アロエ。棗。ハゲイトウ。ベンケイソウ。
左から順番に、君麻呂の手にしている花の名前を頭の中に浮かべていった。
「奇跡、か……」
つまり。
葉加瀬君麻呂は、『前回』の記憶を残している。
――それが、答えだ。
「大丈夫か? 純。……すごい、汗だぞ」
「いや。……これは、走って来たから……」
「嘘つけ。『前回』はこんなこと、無かった」
杏月の次に、記憶を共有する者が現れた。……原因は、分からない。もしかしたら、俺が時を戻す事を君麻呂に手伝わせたから、なのかもしれない。
だが、記憶を持っているのが君麻呂で良かった。俺と関わっている時間が長ければ長いほど、取り戻す記憶の量も増えるのではないかと思う。
……いや、待て。良いのか、これで?
場合によっては、俺の問題に首を突っ込ませている事とイコールなのかもしれないんだぞ。
「純。……もしかして、さ。もしかして、なんだけど」
君麻呂は、複雑な表情を浮かべた。それは笑っているようにも見えるし、今にも泣きそうな様子にも見えた。
「――人、ってさ。俺、死んだらそれまでだと思ってたんだけど。……もしかして、来世とかにも期待しちゃったりしても、良いのかな」
やっぱり、と思った。
時が戻るということを実際に体験してしまえば、人生というものが一度限りではないのかもしれない、と始めに疑うだろう。
そもそも、『前世』『来世』等という言葉がこの世に存在している時点で、それは過去に様々な人達が体験してきた事であり、俺に限らずとも複数の人生に渡る記憶を保持している人間は居るのかもしれない。
だから、君麻呂の疑問だって俺が関わらずとも、いずれは考えた出来事かもしれないし、それに対する解答だって、いずれ君麻呂は自分自身の中に見付けたかもしれない。
目に見えなくたって、『見たことがある』『来たことがある』といったような感覚は、ずっと俺達のそばを付いて回るのだから。
――だから、俺は言った。
「どちらにしても、俺達は前世の記憶を覚えていないだろ。来世があろうがなかろうが、それは今の俺達と何も関わりないよ」
「……そか。まあ、そうだよな」
君麻呂は少しだけ残念そうに、俯いた。
待てよ。まだ、話は終わっちゃいない。
「――でも、きっと記憶を無くして、どこかには生きてる」
そうして、顔を上げさせる。俺は微笑んで、真っ直ぐに君麻呂の瞳を見詰めた。
「今日死んだ人が、明日にはどこかで生まれてくるのかもしれない。……俺達人間には、それが元は誰だったのかなんて、分かりゃしないけどさ。それが過去に生きていた誰かなんだと思うと、寂しくはならないんじゃないかな」
ある意味では、俺のように特殊な環境下に居なければ、それは単なる希望的観測でしか無いのかもしれない。
でも結局俺にしたって、前世の記憶を持ったまま死んで、その後俺に生まれ変わった訳ではないのだし、これから先の事なんて未知数だ。
だからせめて、意識の中でくらいは。
「これから死んでしまう人って考えじゃなくて、また新たなスタートを切る人として、送り出す、みたいな気持ちでさ。死ぬ事と向き合うのも、さ」
それは、出会いと別れのようなもの。この世はどこまで行っても、出会いと別れの繰り返しだ。
それは決して、寂しい事なんかじゃない。
「そんなんで、良いんじゃないかな」
君麻呂は苦笑して、歩道に植えられている樹の幹に寄り掛かった。いつも猫背でポケットに手を突っ込んでいる君麻呂の姿は、何故だか虚無感を拭ったように見えて、少しだけ安心した。
「春子もか」
「うん」
「……そうだな。俺、ちょっと難しく考え過ぎてたかもしれない」
俺が姉さんに近付けば近付く程、姉さんは悪化していく。
姉さんが変貌する前に、俺はこの問題を解決しなければならなかった。
……俺も、難しく考え過ぎたんだ。
そうと決まっているなら、俺が取ることの出来る選択肢は、始めから一つしか無かったじゃないか。
「純、少しだけ、付き合って貰ってもいいかな」
「付き合う?」
君麻呂は、微笑んだ。
「春子を『送り出す』準備、したいと思ってさ。手伝ってくれないか」
◆
二階堂レイラが俺達の所に合流したのは、夜が明けてからの事だった。俺と君麻呂はファミリーレストランで時間を潰し、九月十六日の日曜日をどのように過ごすのか、話し合っていた。
家には帰らなかった。姉さんが動揺するかもしれないが、そのうち連絡が来るだろう。とびきり心配した、今にも家を飛び出しそうな声音で。
それは把握している。それでも、俺は姉さんに連絡をしなかった。
「……ということで、どうだ」
君麻呂が今一度、俺とレイラに確認を取る。……といっても、俺は特に何もやる事は無いんだけどさ。
遅れてファミリーレストランに到着したレイラが腕を組んで、あからさまに不機嫌な顔で呟いた。
「……今回だけ、ですわよ」
レイラには、九月十六日の記憶は勿論ない。これから何が起こるのか、まだ把握もされていない状態だ。君麻呂はレイラも仲間に加えようとしていたが、俺は過ぎ去った過去について、レイラに話してはいけないと断言した。
悪戯に俺の秘密を知っている者が増えては困るのだ。ただでさえ、繰り返す時の中で少しずつ、ルールは決壊を始めているのだから。
だからレイラには、実は手術は成功する訳がないのだ、確率は限りなく低いのだと伝えた。無駄に命を落とすことになると。それで、レイラも納得した。
「分かってる。とにかく、俺は心配ないってことが伝われば、何でもいいんだ」
春子ちゃんの身を案じる君麻呂と、君麻呂の身を案じる春子ちゃん。二人は同じ事を考える者同士だ。ならば、君麻呂が一人になる訳ではないのだと、春子ちゃんに伝える事ができればいい。
それが、今回の作戦だった。
手術は受けない。春子ちゃんは一日外に出て、最後の休日として目一杯楽しんで貰う事に決めた。まだ表面的な体調は悪くないし、車椅子なら外を出歩く事も出来るだろう。
問題は、春子ちゃんがそれを了解してくれるかどうかという事と、病院側が承諾してくれるかどうか、だが。
もしもの場合は、俺が春子ちゃんに事情を伝える。手術が失敗する未来を見てきた俺の言葉なら、信頼せざるを得ないだろう。
「わたくしとデートできるなんて、数百年に一度の逸材なのですわよ。感謝しなさい。よろしくて?」
「うるせーな。胸を揉むぞ胸を」
「死ね!!」
両手をワキワキとさせてレイラに迫る君麻呂の頭に、レイラのハイキックが決まった。……おい、今の首の曲がり方は少しやばいぞ。
ソファーに立ち上がり、器用にテーブルの上のドリンクをこぼさずハイキックするレイラの腕前に、少し俺は感心してしまった。
君麻呂がすぐに起き上がり、涙目でレイラに抗議する。
「そもそも数百年に一度って、お前何年生きとんじゃ!! パねえわ!!」
「ほーう、キミマロ・ハカセ。貴方も随分言うようになりましたわね」
「そんなロリババアな二階堂も好きなので付き合ってください!!」
「却下、ですわ」
馬鹿騒ぎが出来る程度には、調子が戻ってきたのだろうか。
しかし、君麻呂はいつも軽薄な雰囲気だが、何故か二階堂以外には手を出さない所を見ると、君麻呂の想いも実は一途だという事が分かる。
……どういう所に惹かれているんだろう。やっぱり、個性が強い奴は個性が強い奴を好きになるのか。
俺は時間を確認して、席を立った。
「そろそろ面会時間になるかな。……行こうか」
君麻呂がどんな顔をしているのか、見なくても分かる。
だから俺は何も言わず、伝票を持って一人、レジへと向かった。
「キミマロ。泣くのはまだ、早いですわよ」
「……分かってるよ」
本当、不器用な男だよ。