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ヤンデレ姉さんに○されたら考えるべき10のこと  作者: くらげマシンガン
▼第五章 俺と葉加瀬君麻呂が共同戦線を組む事について。
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つ『擦れ違いは人を引き寄せるか』 後編

 その時、気付いた。君麻呂の声が、震えていることに。

 手術が成功する確率が高いなんて、誰も言っていない。確率を高める事は不可能で、つまり、春子ちゃんは高確率で死ぬ。


「――今日の午後、受けるんだ。手術。遅くならない方がいい」


 分かっているんだ。

 分かっていて、それでも、君麻呂は数パーセントの奇跡に賭けると言う。俺と違って、過去をやり直すことの出来ない君麻呂が。


「駄目だよ」


 春子ちゃんは、首を振った。


「お兄ちゃんが、一人になっちゃうよ」


 そうか。家族、居ないんだ。

 何となく、違和感を覚えてはいた。これから死ぬかもしれないという病室に君麻呂以外に家族の姿はなく、いつも君麻呂は一人。

 この二人は、本当にたった二人だけで生きてきたのか。

 春子ちゃんの涙に君麻呂が反応して、その場に屈み込む。

 そこには、無言のやり取りがあった。何か、胸の奥に熱いものが流れ落ちた。

 二人共、よく似ている。

 本当に。


「――だから、受けない。もう少しだけ、そばにいるよ。お兄ちゃんに、相手ができるまでは」


 二人の間に隠れていたものが、雪解けのように顔を出した。俺は君麻呂が求めていたものの正体を、ようやく把握しようとしていた。


『二階堂レイラと、すぐに付き合う必要がある。いや、俺は落とさなければならない』


 何が落とさなければならない、だ。我武者羅に突っ走っているだけじゃないか。

 そこに何の策略も打算もない。ただ君麻呂は、素直に今を受け入れているだけだ。荒っぽい方法で、どうにか問題を解決しようとしているだけだ。

 喧嘩をしながら、お互いを思いやっている。不器用で煩雑な二人のやり取りの内側に、確かな愛情を感じた。

 ――本当に、もう。


「……いるよ。いる。だから春子は、俺の事なんか気にしなくていい」

「嘘。誰」

「……それは」

「ほら。やっぱり、居ないじゃん」


 ふと、今まで立って二人の会話を聞いていただけの女性が、俺の前に出た。

 まるでそれが当然のように、胸を張って顎を引く。理智的な瞳が真っ直ぐに春子ちゃんを見据えて、互いに目を合わせた。

 輝く金髪が、室内の中で一際目立つ。


「――キミマロ。いい加減、『友達』なんて表現は辞めてくださいまし」


 二階堂レイラは、腕を組んで君麻呂を見下ろした。唐突に放たれた言葉に、君麻呂が唖然として顔を上げた。

 レイラはどことなく不機嫌な様子だった。


「……え?」

「ハルコ・ハカセ、ごきげんよう。今まで黙っていてごめんなさい。――わたくし、この男と今、恋人をやらせて頂いていますわ」


 ……いや、その発言では全く恋人には見えないだろ。

 春子ちゃんも目を丸くして、何を言われているのか分からないといった様子だった。

 レイラは春子ちゃんに微笑む。君麻呂を立ち上がらせると、春子ちゃんの頭を撫でた。


「想いやりのある、良い妹ですわね。不潔で不細工な兄とは全く似ていませんわ」

「それは、いくらなんでも酷くね……」


 君麻呂がぼやいた。レイラは君麻呂の耳を引っ張った。


「っづぇぇ!! 痛い!! 痛いわ!!」


 レイラはすました顔で、君麻呂の方には見向きもしない。春子ちゃんを見据えたまま、その肩に手を乗せる。

 たったそれだけの行動が、妙に力強く感じた。


「怖がらないで。キミマロの事を案じているなら、わたくしが責任を持って面倒を見ますわ。貴女は貴女の望むように、人生を生きていいんですのよ」


 なんと言うべきか、途端に全てが解決したような気がして、俺は呆然と立ち尽くしていた。

 ……いや、ここに来てから俺、何も出来てないんだけど。手を出しようにも、出す手が見付からないといった感じだ。

 咄嗟に名乗り出たレイラの意志の強さに感服する。

 春子ちゃんは暫くの間、悩んでいたが――……

 程なくして、頷いた。


「……はい。受けます」

「それは、貴女の本心ですのね?」


 俺だったら、これから死ぬかもしれないリスクを背負う人に、暖かい声を掛けることは難しいと思った。

 いや、難しい、と思っていた。

 手術を受けろとも言えないし、受けるなとも言えない。それは当たり前の事だったが、レイラは『思う通りにやれ』と言う。

 考えてみたら、それを言えるのはすごいことだ。

 本当に大切なことは、背中を押すって事なんだ。

 肝心な時に、その事を教えられた。


「……あとどれくらい生きられるのか分からないなら、私は……生きるチャンスに、賭けてみたいと思います。死ぬって分かっているなら、……しない、けど」

「それは、誰にも分かりませんわ」

「はい。……じゃあ、受けます」


 諭すように、ゆっくりと。レイラは笑顔でいた。春子ちゃんの負担を度外視して、適当な事を言っている訳じゃない。それを受け止めた上で、力強い言葉を掛けてやる。

 ……お嬢様か。

 育ちの良さっていうのは、こういう時に真価を発揮するのかもしれないな、なんて。

 レイラは君麻呂の腕を掴んだ。そのまま自分の前に押し出すと、後ろから肩を叩く。君麻呂が驚いて、目を丸くした。


「はい、手を握る。声掛ける」


 言われるままに、君麻呂は春子の手を握る。頼りなく、唇は動いた。


「……頑張れ。……応援、してる。――いや、きっと成功する。大丈夫だ」


 その言葉は、春子ちゃんに勇気を与えただろうか。あるいは流れ行く時の中で、彼女の人生を支えるための手段に成り得ただろうか。

 だが春子ちゃんは今日ここに来て初めて、柔らかい笑顔を見せた。

 それは、確かな信頼の上に成り立っているような気がした。


「……うん。行ってくる」



 俺達は春子ちゃんの病室を出て、廊下へと出た。ロビーまで辿り着くと、俺は腰を下ろした。

 君麻呂はなんとも言えない表情で、目を泳がせていた。……怖いのだろう。これから何が起こるのか、誰にも分からない。

 虚勢だった筈だ。本当は死ぬ確率の高い手術なんて、誰も受けたくないに決まっている。目に見えて容態が悪くならなければ、賭けに出ようなどとは思えないのではないだろうか。

 普通は、どうにかして安全な方法で治療を望むものだ。


「俺は……俺は、変な事を言ってなかったかな……」


 臆病にも、君麻呂はそう口走った。先程までの張り詰めた空気が緩んだからだろうか、途端に恐怖が襲ってきたらしい。

 頭を抱えて、その場に屈み込んでいた。

 ……それは、そうかもしれない。一歩間違えば、君麻呂は無意味に春子ちゃんの寿命を縮めたことに――……そんな事を言っても、仕方がないかもしれないが。

 ――いや。俺にとっては、春子ちゃんの未来はまだ『仕方がない』ものではない。


「ジュンは、冷静ですのね。わたくしも少しだけ、泣きそうになってしまいましたわ」


 レイラがそう言って、目尻を拭った。

 ……待て待て、何を考えているんだ。

 今回は時を戻す事はない。――必要がないし、時を戻しても無駄になるからだ。何が正解なのか、俺にだって分からない。

 例えば手術が失敗すると分かったとして、時を戻して苦しみながら寿命までの時を過ごす事は、彼女にとっての幸せなのか?

 あるいはそれは、不幸ではないのか。

 そのために何度も時を戻す事は出来ない。……これは、必然だ。越後谷の時のような偶然ではない。

 だから、仕方ないじゃないか。


「……やべえ。震え、とまんねえ……はは。俺ちゃんも、すっかりチキンじゃねーか」

「キミマロ、顔を上げてくださいまし」


 言われた通りに君麻呂が、顔を上げる。レイラは君麻呂と視線を合わせるために屈むと、その頬を、力一杯に引っ叩いた。

 ぱちん、と少しだけ大きな音がした。


「……え? ……なに?」


 レイラはウインクして、君麻呂の唇に人差し指を当てた。


「震え、止まったでしょう?」


 はっと気付いて、君麻呂の瞳に意思が宿る。レイラはその表情を見て満足したのか、優雅に立ち上がった。笑わず、真剣な眼差しで君麻呂を見詰める。


「貴方が不安になった分だけ、妹も不安になるのですわ。悲しむのは後にしましょう」

「……分かった。ありがとな、二階堂」

「一つだけ、聞いてもよろしいかしら?」

「なんだ?」


 レイラは冷静に、君麻呂の額に人差し指を突き付けた。


「わたくしに妙に絡んでくるのは、わたくしの事が好きだからですの? それとも、都合の良い女だと思ったからですの?」


 ……なんとまあ、直球な。

 君麻呂はすっかり面食らって、怪訝な表情でレイラを見ていた。特に恥ずかしがるでもなく聞いてきたので、一体何を考えているのか悩んでいる、といった所だろうか。

 一頻り悩んで、溜め息を付く事に決めたらしい。


「……別に、簡単に落とせそうだからとか、そういう事じゃねーよ。ただ、なんか別世界っぽくて、憧れただけだ」

「憧れた?」

「悩みとか、無さそうだろ」


 ……なんとまあ、直球な。

 普通言われたら怒るぞ、それは。また平手打ちかヤクザキックでも飛んでくるか――と思ったら、レイラは少し嬉しそうにしていた。

 ……なんで?


「素直でよろしいっ。ジュン、途中まで一緒に帰りましょう」

「……あ、ああ」


 レイラは俺の腕に身体を絡ませて、上機嫌な様子だった。……今のやり取りのどこに嬉しくなるような要素があるのか、さっぱり分からない。

 やっぱりこいつは、未知の生物だ。


「純。また、夜に電話しても――いいかな」


 去り際に、君麻呂がそう言って引き止めた。どことなく頼りない様子で、焦っているようにも見えた。

 そりゃあ、問題は何も解決していないのだから当たり前だ。


「……ああ」

「夜、結果が出るんだ」


 俺は頷いた。

 レイラが背中を向いて、君麻呂に左手で合図をした。グッドラック、の意味だろうか。


「キミマロ、大暴落した株は徐々に上がっていくもの、ですわ。元気を出して」

「……うん? ああ、ありがとう」


 それって、また上がり切ったら暴落するんじゃ……と少し思ったが、俺は何も言わない事にした。

 何かが解決したように見えるのは、レイラが気をしっかりと持っているから、それに引っ張られているだけだ。波乱はこの後にあるのだろうと、俺は予想していた。

 実際、君麻呂は完全に空元気だった。俺だって、成功確率の低い手術を受けると言うのだからあまり気分は良くない。

 一体これから、どうなってしまうのだろうと思う。

 午後から、夜に掛けて。


「――ジュン、やっぱり少し、お茶でも飲んでいきませんこと?」


 病院を出ると、すぐにレイラはそんな事を言った。俺はレイラが何を思ったのか疑問だったが、その表情を見るとすぐに分かった。

 俺の腕を抱き締める力は強く、若干震えているようにも思えた。


「レイラ?」

「……どうしてでしょう」


 ――なんだ。


「そんなに身近な存在でもないのに、誰かが死んでしまうかもしれないと思うと、人はこんなにも不安になるものなのですわね。わたくし、知りませんでしたわ」


 やっぱりこいつも、虚勢を張っていただけなのか。

 ――何度も、自分に言い聞かせる。

 これは必然だ。

 起こるべくして起こった事であり、俺はまだ、この問題に一切の首を突っ込んでいない。もしも俺が時を戻さなかったとしても、葉加瀬春子の死は自然と訪れるものであり、それを捻じ曲げる事は出来ない。

 だから、これは必然だ。俺には、どうすることもできない。


「……そうだね。茶でもしていこうか」



 ◆



 九月十七日、月曜日。午前二時。

 俺はどうにも眠れなくて、隣で眠る姉さんをぼんやりと眺めていた。

 夜はとうに更け、カーテン越しに漏れる月明かりが眩しく思えるほどに暗い。


「――はっ。――はっ」


 結局、あれから君麻呂の連絡は来なかった。夜に連絡する、と言っていたにも関わらず、だ。

 つまりそれは、願いは届けられなかったという事を意味していた。

 もしも手術が成功したのなら、真っ先に連絡が来るはずだ。

 君麻呂には家族が居ない。

 俺は、ある一つの悩みを抱えていた。


「……んう? ……純さん、どうしたんですか?」


 ケーキが起きてきて、俺の異変に気付いた。

 俺はカーテンを少しだけ開いて、月明かりを部屋の中に入れる。すると、姉さんの表情を確認することができた。


「――はっ。――はっ、ん、うっ……」


 やっぱり、姉さんは俺が近くに居ると状態を悪化させている。それは、誰の目から見てもきっと、明らかなことだ。

 電話越しにはいつも元気そうな姉さんが、俺に近付くとどうしようもなく、身体を火照らせる。

 最早、苦痛でしかないのだろう。額に玉のように浮かぶ汗と、尋常ではない程に上がった息が、姉さんの状態を如実に表わしていた。

 姉さんの頬に左手を添えると、姉さんが痙攣する。


「うあっ――!!」


 すぐに、手を引っ込めた。

 二日前、まだ姉さんには予兆が現れているだけだった。土日を共に過ごす事で、急激に悪化したように思える。

 日中出ているにも関わらず、だ。

 こう考えるのは、どうだろう。

 黒い翼を出して暴走したあの日から、姉さんは少しずつ、その身体を変化させてきた。あれから一ヶ月の時が経ち、姉さんの中に溜まっていた水のようなものが、溢れているのだとしたら。

 ――もう、限界なのかもしれない。

 俺は、姉さんのシャツの背中を捲った。


「えっ……!? じゅ、純さん、これって……」


 姉さんの背中に生えた小さな黒い翼が、俺の予想を確信に変えていた。

 このままでは、姉さんは壊れてしまう。

 俺は携帯電話を取り出し、葉加瀬君麻呂にコールした。


『……も、もしもし?』


 電話越しの声は、涙に濡れている。

 ――俺は、何を考えてる。


「君麻呂。俺の家に来い。――奇跡、起こしてやる」



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