つ『葉加瀬君麻呂は笑われるべきか』 後編
待ち合わせ場所に現れた二階堂レイラは、以前とは全く違ったスポーティーな格好だった。へそ出しルックの柄物シャツにジーンズ、花の付いたベージュのつば広帽子。縦ロール……いや、ドリル? はそのままだが、合宿の時のドレスよりは涼し気な印象を与えた。
サングラスを外すと、レイラはにっこりと微笑んだ。
そういえば、化粧や香水に頼るなって俺が言ったんだっけ。
ヒールを履いているので、ただでさえ高い背が水増しされて、俺よりも背が高い。外国人系の顔も相まって、さながらモデルのようだった。
これはこれで、姉さんとは違った栄え方をするなあ……
「ごめんあそばせ、お待たせしましたわ」
「ああいや、そこまで待ってないけど」
「キミマロ・ハカセはまだですの?」
そろそろ来るはずなんだけど――……あの一件以来、君麻呂は何だか俺のことを避けているからな。バカっぽいテンションは相変わらずだが、何故か俺の方に来ない。
あいつはあのテンションじゃないと、人に話し掛けられないのかもしれない。
「おお――!? これはワンとニャンダフル!!」
……つまり、ワンダフルと言いたいのだろうか。
待ち合わせ場所に現れた葉加瀬君麻呂は、相変わらずのノリで舐めるようにレイラを下から上まで見詰めた。その視線にレイラが鳥肌を立てて、俺の後ろに隠れる。
俺は、今まで通りに苦笑する事が出来なかった。
猫背と、ポケットに突っ込まれた手。あの向こうには、また携帯電話があるのかもしれない。
俺の視線に気付いたのか、君麻呂が笑って、言った。
「――気にすんな、純」
気にすんな、と言われてもな。実際に分かってしまうと、これはどうにも……
君麻呂の肩掛け鞄からは、またも花束と思わしきものが覗いている。この後、会いに行くのかもしれない。今日は土曜日だ。可能性は高いと言って良いだろう。
……俺も、連れて行って貰えるだろうか。
「な、なんですの? なにがありましたの?」
君麻呂の言葉が気になったのか、レイラが言った。君麻呂はそんなレイラの様子に下卑た表情になって、両手をわきわきとレイラの前でいやらしく動かした。
「何でもねえよ二階堂。……へっへっへ、今日も良い尻してんなあ。抱いてやろうか」
「死ね!!」
あ、ヒールで蹴られた。……あれは痛い。
……とりあえず、そこらの喫茶店にでも入るか。暑いし。俺は先頭を歩いて、君麻呂とレイラを連れて近場の喫茶店を指差した。途端にレイラが唇を尖らせて、俺に抗議する。
「わたくし、苦いのキライですわ」
え? そうだっけ? なんか、どっかのファミリーレストランでコーヒー飲んでるのを見かけたような……ああ、合宿の時だ。
……あの時は既に姉さんの暴走圏内だったから、確認のしようが無いじゃないか。
「……嘘でしょ?」
「嘘じゃないですわよ。アメリカンコーヒーを飲むくらいなら、ビターチョコレートを溶かして飲みますわ」
それ、苦くないか。場合によってはコーヒーより苦い可能性、あると思うんだけど。
……あれ? じゃあ、もしかしてファミリーレストランではコーヒーが入っていた訳じゃなかったのか?
き、気になる。あの時のコーヒーカップに本当は何が入っていたのか、すごく気になる……ファミリーレストランだから、ココアの可能性もあったのかな。なんてことだ。もっとちゃんと見ていれば。
俺はレイラの抗議を無視して、喫茶店に入った。……お、ジュースとか置いてあるじゃないか。これで良いんじゃないかな。
「ほら。グレープフルーツジュースとか、あるよ」
「嫌ですわよ。酸っぱいものは苦手ですわ」
我儘だな。黙って選べよ。
レイラはドリンクメニューを見て、ああでもないこうでもないと呟いていた。
……後ろが待ってるから。
「……何なら飲むんだよ」
「アメリカン、ブレンド……は、コーヒーですわね。……あ! この『えすぷれっそ』と言うものが良いですわ! お父様の好みなのです!」
「え、それは――」
俺の口が塞がれた。……なんだよ。
見ると、君麻呂が眉を寄せて、キモ意地悪な顔をしていた。黙っていろ、という事だろうか。いや、エスプレッソは、コーヒーの中でも結構濃い方でだな。
「シングルになさいますか? ダブルになさいますか?」
「勿論、値段の高いダブルですわ!」
……あー。しかも二倍を選んでしまった。
君麻呂が横に出てきて、レジ係に人差し指を立てて言った。
「オレンジジュース」
レイラが君麻呂の事をミミズが這ったような目で見詰める。
「……やっぱり、低俗庶民の飲み物は安っぽいですわね」
あ、嬉しそうだ。……滅茶苦茶嬉しそうだ。レイラがその顔を見て、再び唇を尖らせる。
――そうか。
分かったぞ、君麻呂のやり口が。いつになく計算高い手段じゃないか。こんなの、俺の知ってる葉加瀬君麻呂じゃない。
キャラも安定していないし、調子が出ないのかもしれないな。
俺は適当にブレンドコーヒーを頼んで、後を追い掛けた。レイラが真っ先に席を確保し、そこに君麻呂も座る。……まだ気付かないのか。匂いで分かりそうなものだけど。
「ふふふ……お父様と同じ……」
……何言ってんだ。毎度思うけど、レイラのお父様って一体どんな人なんだろう。
レイラは謎のファザコン発言をしながら、エスプレッソを口に――
……蒼白になった。
「――うえっ!! うええっ!? ……な、なんですのこれは……!!」
「デュフフ、二階堂。味はどうかなァ?」
君麻呂の嬉しそうな声音に、怪訝な顔を浮かべるレイラ。そして、すぐにその言葉の意味に気付く。もしかしてこのコンビ、君麻呂が優勢ポジションなのだろうか……そんな。君麻呂有利なんてことは有り得ない。人間的に。
「まっ……まさか、図りましたわね、キミマロ・ハカセ!!」
君麻呂は不意に真剣な表情になり、腕を組んでレイラを上目遣いに見詰めた。その剣幕に、レイラが唸り声を上げる。
「――ここに、俺様が口を付けたオレンジジュースがあります」
レイラは歯を食い縛り、君麻呂を見詰めた。
そう。君麻呂はオレンジジュースを頼むと、すぐにその場で一口、飲んでいたのだ。それが何の意味を持っているのか、俺にもすぐに分かった。
「ちなみに、純はブレンドコーヒーだ。変えはきかない」
「な、なんですって……!!」
「選べよ――君麻呂オレンジジュースか、お父様の大好きな苦ーいエスプレッソを――!!」
あまりに下らなさ過ぎて、俺は溜め息をつく意外になかった。
……いや、当人達は至って真剣なんだけどさ。
「……ぐっ……さ、さすが外道の極みですわね、キミマロ・ハカセ。優雅の極みと言われたわたくしも、これほどの脅威は初めてですわ」
「良い言葉を教えてやろう。――『死して口を開く者なし』。あれ、俺ちゃん珍しくカッコよくね?」
……何言ってるのかさっぱりわかんねーよ。何で会話成立してんの、この人達。
もしかして、意外と相性良いんじゃないのか。
「このオレンジジュースを飲んだ暁には、俺ちゃんと付き合う権利をやろう」
「死ね!!」
あ、でもそれは駄目らしい。本日二度目の攻撃を受ける君麻呂。ビンタだったが、どこか清々しい顔をしていた。
……もう帰っても良いかな、俺。
「ふふ、ふふふ。余程わたくしに殺されたいようですわね」
「あれ、今わりと良い感じだったのに。おかしいなあ……」
どこが!? どの辺が良い感じだったの!?
ふざけてるとしか思えないが、ふざけてる……のかなあ。もう、俺には何が何やら。
ふと、携帯電話が鳴った。俺は自分の電話を思わず確認してしまったが、どうやら俺のものではないようだ。君麻呂が即座に自分の携帯電話を手に取り――そして、顔色を変えた。
すぐに通話に出る。……何かあったのか?
「どうした? 君麻呂だけど」
立ち上がり、喫茶店を出て行く。レイラがその後ろ姿を見て、怪訝な表情になった。
「……電話に出る時には、一応地球語を使うのですわね」
普段俺達と喋っている時のあれは、地球語ではないと申すか。……あながち間違ってもいなさそうだけど。
しかし、今の電話の出方はあまり通常の電話とは思えなかったな。家族か、それとも……
少しだけ胸の辺りがざわざわと、嫌な感覚になった。もしかしたらそれは、虫の知らせというモノだったのだろうか。
あるいは、何度も死ぬことで、俺にも『通常ではない空気』というものが察知できるようになってしまったからなのか。
喫茶店のテーブルに帰って来た葉加瀬君麻呂は、至って平常な顔だった。
「――悪いが、俺ちゃんには使命ができてしまった。さらばだ、皆の衆」
変な決めポーズでそう言い放ち、君麻呂はそそくさと肩掛け鞄を背負う。
その姿はどこか寂し気で、意味を理解していないレイラとは対照的に、どこか物悲しい気持ちになった。
「待てよ、君麻呂」
俺は立ち上がり、君麻呂を止める。君麻呂は頭に疑問符を浮かべて、振り返った。
「何? 颯爽と現れ、颯爽と去る俺マジパなくね? 褒めても良いんだぜ」
俺は君麻呂の言葉には乗らず、真っ直ぐに君麻呂を見た。そうして、言葉の裏に隠されている感情を漠然と読み取る。
冗談を言って煙に巻こうとしていた君麻呂が、俺の引き止めに面食らった様子で、ふと真面目になる。
――やっぱり、何かがあったのではないか。君麻呂の様子は、俺にある予想をさせた。
「俺も行くよ」
一人付いて来ることができていないレイラが、俺と君麻呂をきょろきょろと見ていた。
やがて君麻呂は、目を閉じて言う。
「……あんま、良いもんじゃないぜ」
レイラは頭に疑問符を浮かべていた。
「何ですの、急に……?」
◆
白いリノリウムの床は、足音を立てると廊下の向こう側へと響いていく。まだ真昼、辺りを通過する人はそれなりに居るというのに、何故か俺達の歩く靴の音だけが、妙に響いているように感じた。
病院の冷房はそこまで強く効いていることはなく、動けば汗ばむ程度だ。独特の薬品の香りがする。すれ違う人は車椅子に乗っていたり、点滴を打っていたりした。
事実上の、初めて来る場所。だが俺は、その病院の内部を知っていた。
去る越後谷の事件で、俺は瑠璃にここへと連れて来られたのだった。君麻呂の妹も、ここに入院していたのか。
「……ここだ」
個室のネームプレートに、『葉加瀬』と無機質に書いてある。君麻呂は一度、俺とレイラを見てから扉を開いた。
そうして、中へと入る。
白い床、白いベッド、白いカーテン。一度も入った事のない場所の筈なのに、どこか懐かしさを感じさせるのは。
窓は少しだけ開いてあり、そこから僅かに風が入ってくる。
ケーキが透き通るような瞳で、その室内を見ていた。
「いらっしゃい、お兄ちゃん。……あれ、お友達も一緒?」
君麻呂よりは少し幼いだろうか。それでも、随分と達観した様子の女の子がそこにいた。
薄めの色素の髪は病室だからか、おろしてある。それでも、丁寧に手入れがされているようだった。
なるほど、君麻呂が変な顔をしていなければ、それは可愛い系に入るだろうと納得させるような、整った顔立ちをしていた。そして、君麻呂によく似ている。
良いな。同じキョウダイでも、俺と姉さんはあんなに似ていないのに。
「穂苅純、それから二階堂レイラ。二人共、俺の友達なんだ」
「こんにちは。いつも兄がお世話になっております。葉加瀬春子と申します」
丁寧に頭を下げた妹――春子ちゃん、と言うらしい。大人びて見えるのは、君麻呂とのギャップからだろうか。
春子ちゃんの隣に立てられた花瓶には、様々な花が入っている。あまり花に詳しくない俺には、名前を当てられるような知識は持ち合わせていなかったが――白いトルコギキョウは既に、枯れてしまったのかそこにはない。
君麻呂は花瓶に、予め買っておいた花を足した。
「こいつは、葛の花。……花言葉は、『活力』だ」
君麻呂のプレゼントに、春子ちゃんは素直に喜んでいた。
「うん、ありがとう。お兄ちゃん」
「それで、どうしたんだよ。急に呼び出して」
君麻呂が嬉しそうに、春子ちゃんの頭を撫でる。本当に幸せそうな、無垢な笑顔だった。
俺は、君麻呂がそんな顔をする所を、これまでに見た事がない。
それはとても、幸せそうな光景のように感じた。どこか、誰も入ることのできない信頼関係のようなものが、そこにある気がして。
――そして。
「純さん」
ケーキがただ、義務のように口を開いた。
「――あの子、もう死にます」
俺は唐突に放たれたケーキの言葉の意味を把握し、反芻して、
そうして、目を見開いた。
合わせるように、春子ちゃんは呟いた。
「もう、手術しかないって。言われたの」
何故か、花瓶の隣に置いてある携帯電話がずっと開かれている、だとか、
そんなことだけが、印象的だった。