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つ『その暴走を回避できるか』 後編

 腹の底から思わず息を吐いて、俺は熱を持った身体を冷ました。良かった……。あんな風に迫られたら、いくら血の繋がっている家族とはいえ……。本当に、本当に危なかった。

 俺は辺りを見回し、目的の小さな役立たずを探した。

 ソファーの下を見ると、ケーキが耳を塞いで目を閉じていた。


「……お前」

「ご、ごめんなさいっ。私は何も見ていませんから!!」


 ケーキを拾うと、額に軽くデコピンした。


「痛っ」

「いくらなんでも、もうちょっと手伝ってくれよ」


 桃色の髪よりも赤くなった頬が印象的だった。妖精の羽はいつもの三倍増しの速度で動いていた。


「……ごめんなさい。……その、えっちなの、あんまり得意じゃなくて」


 お前は人間ですら無いわけだが。

 まあ、何にしてもこれで、問題は解決した。姉さんも平常運転に戻ったようだし、ひとまずは安泰に過ごすことができそうだ。俺はテレビを付けると、チャンネルを回した。

 お、ドキュメンタリーなんかやってるのか。ラクダの一生……ちょっと面白そうだな。

 インターホンが鳴った。続け様に、姉さんが扉を開いて顔だけ出した。


「ごめん純くん、今ちょっとメレンゲ泡立ててる最中だから、出てもらえる?」


 早くもキッチンから良い香りがする。姉さんは食材調達も速ければ調理も速い。


「あ、分かった。何作ってるの?」

「えへへ、ホールケーキ」


 ……相変わらず、本格的なことで。

 俺は頷いて立ち上がった。姉さんと目を合わせると、緩い笑顔で姉さんは笑う。頬はほんのりと赤く、俺を見ると表情を蕩けさせた。


「……へへっ」


 どうやら、マイナスだった機嫌は負の数を乗算して大幅なプラスになったらしい。俺も微笑んだ。

 さて、まだ家から荷物を送っていたみたいだから、それが届いたのかもしれない。もしくは、姉さんの注文した食材か――今夜は何を作るのかな。お菓子より先に、晩御飯のメニューが知りたい。

 まあ、どうせホールケーキもすぐに焼き上がるんだろうけど。

 ケーキと言えば……俺はケーキを見た。


「……なんですか?」

「いや、別に」


 ……こいつのどの辺がケーキなんだろうな。まあ、神様の考える名前の由来なんて、俺にはよく分からないけど。

 俺は特に考えない事にして、廊下へと出た。波乱の一日が終わり、俺は軽く鼻歌を歌いながら、すっかり上機嫌だった。


 ――――どうしてその時、油断したのか。


 俺はこの場で最も重要であり、すぐに解決しなければならない問題が一つ残っていたことを、忘れていた。


「今日の晩飯は、何かなあっと……」

「おお、食材ですか」

「たぶんね」


 床にスリッパの音を響かせ、玄関前まで辿り着く。

 俺は、緩んだ笑顔でオートロックの鍵を開け、ドアノブを握り、扉を開いた。

 そして――……


「……あ、穂苅君。良かった、家に居た」


 ――――瞬間、俺は固まった。

 開いた口が塞がらない。


「……あ、青木!? ……さん? ……どうして、ここに?」


 爽やかな、香水と思わしき女の子の香り。

 黒いポニーテール。賢そうな瞳と、学園の制服を着て。

 青木瑠璃は、少し恥ずかしそうに顔を赤らめて、そこに立っていた。

 どっと全身から汗が吹き出し、俺は引き攣り笑いを浮かべた。

 俺の心臓は止まった。……いや、まだ止まっていないが、まだ止まっていないが、まだ止まっていないが、


「教室に、落としたみたいだよ。――これ、穂苅君のでしょ?」


 教室なんてワードを出さないでくれ!!

 なんで?

 どうして?

 いつ落とした?

 ハンカチ、

 ――――なんて、


「あっ。いや、えっと。人違い、じゃないかな。俺、のじゃ、ないし」

「やだ、勘違い? ……ごめん」


 青木さんは自分の発言を補足しようとして待てやめろちょっと本当に何言う気だうわああああああ!!



「――――穂苅君の机の下に落ちてたから、話した時、落としちゃったのかなあって」



 刹那、世界の色調が反転し、時が止まったかのように感じられた。

 絶句し、身体を硬直させた俺は、廊下を後退り、青木さんから距離を離して、両手を前に出して壁を作り、


「……あ、あげる。……あげるから。……帰っ」


 背中に柔らかい壁の感触を覚えて、停止した。

 ――後ろから伸びてくる、白い指。

 それは細く、異様に冷たい。肩から胸へと降りて来て、瞬間的に俺は振り返って後ろへと飛び跳ねる。

 青木瑠璃は、登場したその人物に、何も考えず挨拶をして、


「あ、お姉さん。こんにちは。穂苅君のクラスメイトで、青木瑠璃と申します」


 俺は腰が抜けて、その場に尻餅を付いた。

 美しい亜麻色の髪も、リビングの照明が後ろから当たり、恐怖を覚える何かにしか見えない。

 ぞっとするほどにしなやかな白い指も、

 年齢から考ると、美人の姉さんにしか似合わないようなフリルのついたエプロンも、

 光を発しない赤銅の瞳も、

 何故か、


 ホールケーキを作っていたはずの右手に握られた包丁も、


「――そっか。……そうだったんだ」


 だらだらと、汗は頬から流れ落ちた。

 何が、そうだったんですか。ちょっと、姉さん。落ち着いてくださいよ。青木さんはただ、俺の落としたハンカチを届けに来てくれただけで、たったそれだけで、ねえ?

 確かに、ちょっとだけ、話はしたけどさ。したけど。でも、他に何かがあった訳じゃないんだよ。

 頼むから、亡霊のような生気の無い瞳で青木さんを見ないでくれよ。


「純くんに付いた悪い虫。――可哀想ね。虫の分際で偉そうに夢見ちゃって」

「……え? ……お姉、さん?」


 姉さんは歩く。ひたひたと、一歩一歩を確かめるように。足音はなく、床が軋む音だけがやたらと大きく聞こえた。

 俺は抜けた腰に活を入れて、どうにか立ち上がった。


「ねっ、……ね、ね、姉さん。あ、青、青木さんは、関係ない。ちょっと、話しただけなんだ」

「ねえ、純くん。大丈夫よ。純くんは今ね、洗脳されているの。悪い寄生虫が付いちゃってね、頭のおかしくなった鼠みたいに、分からなくなっちゃってるだけなのよ。――そうでしょ? お姉ちゃんが今、助けてあげるからね。グチャグチャにしてあげる。臓物取り出して形が分からなくなるまで微塵切りにして、オーブンで焼いたら庭の肥やしにするわ」


 ――駄目だ。俺が死ぬのはまだ良いが、他の人が死ぬのは駄目だ。姉さんが犯罪者になってしまうし、何と言っても生き返らないんだろう、俺以外の人は。

 姉さんはふと、殺意を剥き出しにした恐ろしい眼をして、俺と青木さんを見た。


「ねえ、純くん。そこどいて? ――そいつが殺せない」


 青木さんは何が起こったのか分からず、蒼白になって震えている。――当たり前だ。俺は姉さんと青木さんの間に立ちはだかり、壁を作った。喉の奥から腹の底にかけて、凍り付いたように冷たい。焦点の合わない目が、姉さんへの抵抗を辞めろと警告を出している。

 ――逃げてくれ、青木さん。そう言おうとしたが、口が動かなかった。

 俺が……俺が、死ぬ分には。


「そう。もう、お腹の底に悪いものが溜まっちゃったのね。出さなきゃね」


 腹部に激痛を感じ、俺は口から血を吐いた。

 姉さんは、躊躇なく俺を刺した。抉るように、ぐりぐりと腹を弄っている。痛い。痛い痛い。

 ――本当に痛いと、叫ぶ事も出来なくなるのか。前回は、どうだったっけ。


「きゃあああああ!?」


 青木さんが叫んだ。


「大丈夫よ、純くん。お姉ちゃんがついてるからね。一緒に、死んであげる。この身体じゃあ、もう駄目になっちゃったもんね?」


 ――どうして、笑ってるんだ? しかも、愛おしむような眼で。さも、俺を何かから守るような言葉を発して。

 姉さんの考えていることが、俺には全然理解できないよ。

 貴女は、一体何と戦っているの?


「――あっ。あぐっ……」


 俺の肩の上で、ケーキが腹を抑えてうずくまった。俺も同じように、仰向けに倒れる。

 姉さんは俺を刺した。何度も刺した。刺されるたび、鈍い刺激が腹から全身へと伝わる。

 ――あれ? あまり痛くない。

 もう、感覚が麻痺しているのだろうか。


「……大丈夫よ。お姉ちゃんがついてるから。ずっと、一緒だからね」


 冷たい。廊下に寝そべっているのに、まるで氷の上に寝転がっているようだ。指の感覚が無くなった。腕はもう動かない。

 寒い。寒い寒い寒い。

 ――――あれ?

 そもそも、生き返るって本当なのか?

 何の根拠があって。

 無いじゃないか。確証なんて、どこにも。

 仮に生き返ったとして、また繰り返すのか?

 こんなに、痛いことを?

 もう、腹を確認することもできない。身体はぴくりとも動かなくなり、視界だけが生きている。

 目の前に、姉さんの顔。

 どうして、動かないんだろう。

 視界にうっすらと見える、姉さんの胸には、

 さっき俺の腹を抉っていた、包丁――――


 ――――うわあああああああああ!!



 ◆



 太陽が眩しい。

 俺は青い掛け布団を蹴って、飛び起きた。心臓の鼓動は激しく、全身をじっとりと、嫌な汗が伝っている。

 ぜえぜえと浅い呼吸をしていたが、現状を確認すると、俺は呼吸を整えた。

 カーテン越しに差し込んだ陽光は俺の顔に当たっていたようで、枕元を確認すると照り付けた太陽が枕の温度を上げている。

 壁にはサッカーボール。学習机の上に置いてあるカレンダーは、五月を指していた。

 俺は無言で、目覚まし時計を確認する。


 ――――五月、二十日。


 言葉もない。

 呆然と、時計の秒針が時を刻むのを見ていた。

 あっ、そうだ。ケーキは……

 見ると、俺のベッドで寝息を立てていた。


「……はっ」


 思わず、笑みが零れた。

 そうか。

 ケーキの言っていた事は、本当だったんだ。

 俺は本当に、何度殺されても生き返るのか。

 無事生還した嬉しい気持ちと、もう二度とあのような痛い思いをしたくないという気持ちが交差して、俺は。

 程なくして、家の外に車が停車する音を聞いた。

 昼の十三時。休日、日曜日。

 ドタドタと階段を駆け上がる音が聞こえて、瞬間、勢い良く扉が開く。


「純くん、二人だけの世界にヘウィゴーだよ!!」


 姉さんは俺を見ると、きょとんとした顔で俺を見詰めた。

 俺は姉さんを見ると、涙を流した。


「えっ!? な、何!? 純くん、どうしたの!?」


 ――ああ。真面目に考えよう。

 どうしたら、姉さんが奇妙な、壊れた状態になるのか。

 何を考えたら良いのか分からず、俺はただ、ひたすらに泣いた。


「――――悪い、夢を見ていたみたいだ」


 姉さんは俺の頭を抱いて、ただ撫でる。

 理由も分からず。

 俺はあと何回、このひとに殺されれば良いのだろう。

 ああ、でも青木さんが無事で良かった。


「うん、怖かったね。大丈夫だよ、お姉ちゃんがついてるからね」


 その様子は、至って普通だ。まるで壊れた様子などない。

 ならば、『壊れるきっかけ』があるとしか思えない。

 姉さん。

 俺はさっき、貴女に殺されたところなんだよ。

 貴女も、さっき死んだところなんだよ。


 卒業までに彼女を作るなんて大それたことは、とてもではないが即座に実行することなど出来なくなっていたけれど、

 今の状況は異常であることを、俺はようやく理解し始めた。


ここまでの読了ありがとうございます。序章はここまでとなります。

次回からの主人公は本格的に問題に取り組み始めます。

定期更新、水曜日とする予定です。余裕が出来れば、どこかの25時に上がることはあるかもしれません。

楽しめる所まででも構わないので、お付き合い頂ければ幸甚です。


2014/1/24:可能な限り毎日更新となりました。

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