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ヤンデレ姉さんに○されたら考えるべき10のこと  作者: くらげマシンガン
▼第五章 俺と葉加瀬君麻呂が共同戦線を組む事について。
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つ『水面下で泳ぐ脚は視えるか』 前編

 九月九日。残暑と言うには少し暑すぎる日曜日。

 瑠璃や美濃部、越後谷とも打ち解け、本格的にドラマ撮影のための準備も進んでいた。メインヒロイン騒動に終止符を打ったのは、夏休みの最後に集まった日、越後谷が放った強烈な一言だった。


『メインヒロインは、瑠璃にする』


 どうやらそれが、合宿の日に俺に言ってあった、『変なこと』らしい。

 何故か同調する美濃部、誘われておいて拍子抜けした姉さん、既にドラマのカメラワークに興味が移っていて、メインヒロイン騒動には見向きもしなかった杏月。

 どうやら、姉さんがメインヒロインをやる事になった所で、俺と姉さんの関係は欠片も変わらないということに気付いたらしい。

 それから練習を始めて、実際に撮影も始まり、シーンを撮り始めている状況だが――……

 俺はというと、今日は親父に呼ばれたため練習から離れ、一人穂苅の実家へと帰る事になった。どうせ日帰りだが、姉さんは連れて来るなと言われたので、電車で来ている。

 親父、帰って来ていたのか。随分長いこと会っていない気がするけど、そこまで時間が経ってはいないんだよなあ。

 あの存在感がふと消えると、急に穴が空いたような気がするのだ。

 家の扉を前にして、俺は益体もない事を考えていた。


「あれ、どうしたんですか、純さん? 中に入りましょうよ」

「……ああ、そうだな」


 ケーキ、お前には分かるまいよ。親父が俺を呼び出すということが、どういうことか。先の姉さん騒動もそうだったが、親父は忙しい仕事の合間に俺を呼び出す時、大抵重要なことを話すのだ。

 そんな親父が俺を呼び出し、あろうことか姉さんを連れて来てはいけないという。

 そりゃあ、緊張もするというものだ。

 家の扉に手を掛けると、俺は室内へと一歩、入った。


「おかえりいいいいい、純くんんんん!!」


 いや反応速すぎだろ。インターフォンも鳴らしてないんだぞ。

 バレリーナみたいに回転しながら、例のアホ顔で俺を迎える親父。

 ……また、このテンションか。我が家の大黒柱が果たしてこれで務まっているのか甚だ怪しい所ではあるのだが、結局の所この男の収入というものは計り知れない金額になっている筈なので、こんな態度でも世の中生きて行けてしまうのだ。

 なんというか、この世は不条理なのだった。

 親父は回転しながら俺の前まで辿り着くと、両手を広げて俺を抱き締めた。


「がしっ」


 効果音を口に出すなよ。


「……それで、何? 親父。俺、今日は泊まらないからあんまり時間ないよ」

「今日は純くんの帰宅ぱーちーだねっ!! お母さん!! お母さん、ケーキを!!」

「人の話聞けよ!!」

「アンちゃん!! 純くんが帰って来たよ!!」


 階段上から杏月が降りて来て、俺を一瞥した。親父に抱き付かれている様子を見て、苦笑する。まあ、これが普通の反応だろうな。

 親父は俺から離れ、締まりのない笑顔で杏月に手招きをしている。

 杏月の股の間から、例のアフガンハウンド――パスカルという名前だったか。パスカルが走って来て、俺に飛び付いてくる。こいつも人懐っこい犬だな――……


「――えっ!? じゅ、純さんっ!! この子、私のコトが見えてますっ!!」


 ……と思ったら、どうやらパスカルは俺の胸に入って顔だけ出しているケーキを引き摺り下ろそうとしているようだ。

 犬にはケーキの事が見えるのか……

 後ろ足で立ち、前足は伸び上がって俺の腹まで到達し、ケーキを捕まえるまで後一歩。シャツの中に前足を入れて、一生懸命にケーキの足を引き抜こうとしている。

 おお、頑張れ頑張れ。


「ほああっ!! 足かすった――!!」


 慌ててケーキが俺の身体をよじ登り、頭の上へと逃げ込んだ。

 ……あ、パスカルが少し残念そうにしている。


「アンちゃん、居間に行こう。純くん達も中に入りなさい。お昼ごはんを食べよう」


 親父は不敵な笑みを浮かべて――この人の場合、だらしない笑顔か不敵な笑顔の二つしか見たことが無いのだけれど。居間へと入った。

 ……え? ……純くん『達』?


「ワン!! ワン!!」


 パスカルが元気良く返事をして、親父に向かって走って行った。

 あ、パスカルのことか。紛らわしいな。

 ケーキが俺の頭の上で、呆然と口を開けて、居間へと入って行く親父を見ていた。杏月も黙ってそれに付いて行く。


「……今、お父さん、私のこと見てませんでした?」

「……さあ。分からない事ばかりする親父だから……」


 でも、もしかしたら親父のことだから、神の使いなんていうものは普通に見えていたり――あるかもしれない。幽霊が見えると言われても信じそうだ。

 流石にそんな事は無いんだろうけど。

 時刻、昼の十二時。丁度昼食の時間に帰って来たからか、居間では母さんが食器を並べていた。今日はパスタか。親父がすぐに座り、杏月もそれに習う。

 急に、阿呆なテンションからは変わったな……なんだ、この妙な空気は。


「純くん。座って」


 俺は言われるままに、恐る恐る食卓に着いた。額に汗しながら、辺りの様子を伺う。

 あの触れれば喋り出す親父が、何も口を開かずにただ昼食の用意を待っている。

 杏月は目を閉じて、何も言わなかった。

 ……そもそもこいつは、合宿が終わってからどうにも様子がおかしい。俺と姉さんが一緒に住むことについて許可が出た段階で、以前のような暴君極まりない行動は少し影を潜めていたが、それとはまた違う。

 俺との関わり方が、以前とは違うのだ。ついでに言うと、姉さんとの関わり方も少し変わってきているような。

 はっきりとは言えないのだけれど。


「それじゃ、いただきます!」

「……いただきます」


 親父の元気な声掛けに、杏月が小さな声で続く。

 ……なんだ、これは。ものすごく居心地が悪いぞ。……とにかく、誰か何か喋ってくれよ。

 と思っていたら、親父が俺を見て口を開いた。


「純くんは、今の生活には慣れた?」

「……ま、まあ、流石に九月ともなればね」

「お姉ちゃんは、元気?」


 俺は曖昧な顔で首を傾げた。……姉さんの状況が知りたいんだったら、姉さんも連れて来れば良かったのに。

 そんな姉さんはと言うと、珍しく最近は元気がない。姉さんが体調不良を訴える時は大体、俺に何かを隠したい時か俺を襲いたい時――つまり仮病だな。仮病なので、こんな事は無かった。

 風邪と言うよりは、慢性的に具合が悪そうなのだが――本人にもよく分からないようで、聞いても首を傾げるばかりだ。


「最近、あんまり良くないかもしれないけど」

「……そう。悪いけど、面倒見てやってね」

「ん、まあ。分かってるよ」


 ――やはり、合宿での変化は一つの原因になっているのだろうか。

 こうなってしまうと疑問が出てくる。姉さんが一体何者であり、あれはヒトに分類して良いものなのか。謎は深まるばかりだ。勿論人間なのだろうが、普通の人間とは色々と違う点がある。

 幼い頃から一緒に居たので慣れてしまったが、そもそも車よりも速い人なんていうのは何かがおかしい。今更、その『おかしさ』が日常生活に支障をきたすレベルに発展してくるなんて。

 今でも漆黒の長い髪と真紅の瞳、髪と同じ色の翼をはっきりと覚えている。

 あれが一体、何だったのか――未だに、答えは出ていないのだ。


「それで、今日は何の用事で?」


 親父はにっこりと笑って、言った。


「何もないよ?」


 俺は固まり、言葉を失った。パスタにフォークを伸ばしかけた状態のまま、眉根を寄せて親父を見る。


「――はあ?」

「どうしてるかなーと思って」


 ……それならそうと、言ってくれりゃあ良いのに。何でもないのに、姉さん抜きで呼び出す事も無いだろう。

 いや、違う。頭を働かせろ。

 つまりそれは、『何でもないことはない』ということだ。親父は俺に気軽に質問する事で、俺の本音を聞き出そうとしている。

 建前ではなく本音を聞きたい時に、親父がよくやる手段だ。


「……ほほーう? 純くんも段々、分かってきたみたいだね」

「流石に、これだけ長い間一緒に居りゃあな」


 親父はニヤニヤと笑って、下顎を撫でた。……本当に、腹の立つ奴め。


「じゃあ聞くけど、純くんはアンちゃんと結婚する気はないの?」


 俺はパスタを吹いた。

 一体何を言い出すかと思えば、唐突に親父はとんでもない質問を俺にぶつけてきやがった。こんな話題を出されたら、杏月は……いや、至って普通、だぞ? 相変わらず俺と親父には見向きもせずに、黙々とパスタを食べて――……

 いや、それは普通の態度ではないのか?

 もう、訳が分からなくなってきた……


「……無いよ。今は、無い」

「今後はあるかもしれないってことかな?」


 俺は立ち上がり、机を叩いた。ドン、と静かに音がした時、丁度台所の方から母さんが現れた。


「何なんだよ、急に呼び出したかと思えば、また訳の分からない事を」

「純くん、真面目に」

「杏月は家族だぞ!? そんなふざけた質問に答えられるか!!」


 ――親父の顔が、笑っていない。その様子に、尋常ではない焦燥感を覚えた。

 冗談ではなく、本当に真面目に。言っているのだ。

 母さんも杏月も居る場で、親父は言っているのだ。杏月は始めから聞かされていたのか、特に動揺する事もない。母さんも――居心地は悪そうだが、出て行く様子はない。

 まるで示し合わせたかのような、この空気。


「純くん」


 普段はだらしない親父の目が鋭く光り、俺を見る。童顔と茶髪が、全く歳を感じさせない。


「真面目に」


 俺は、喉を鳴らした。


「……そういう質問を今するなら、今後も無い。断言する」


 早々にパスタを食べ終わった杏月の表情が、少しだけ強張った。……杏月は俺の事を好いている。それは家族としてではなく、一人の男として。実際に杏月の口から伝えられた。

 失われた時の中で、いつか振り向かせてみせる、と言われた事もある。

 俺にこんな事を言われたら、ショックを受けるに違いない。


「だとさ、アンちゃん」


 杏月は席を立ち、黙って居間を出て行った。

 ……何なんだ。親父が何を考えているのか全く分からないが、不愉快だ。穂苅恭一郎の考える事は、俺にはいつも理解出来る事ではないが。


「どういう、つもりだよ」

「ん? どういうも、こういうも。そのまんまだよ」

「まだ、何も起きてないんだ。別に今じゃなくても、良いだろ」


 俺がそう言うと、親父はパスタを食べ終えた皿を杏月の皿に重ねながら、微笑んだ。


「純くん。純くんはね、ちょっと――足が遅すぎるな」


 俺のパスタは、全然減っていない。


「知っていると思うけど、アンちゃんはね、純くんの事が好きだ。純くんがはっきりと拒否をしなければ、アンちゃんは可能性があるものだと思って頑張り続ける。もしも純くんにその気がないのなら、いつまでも君はアンちゃんに努力を続けさせるのかい?」

「――それ、は」


 ――あれ? ……俺が間違って、いるのか?

 途端に分からなくなってしまい、俺は俯いた。……いや、違うよ。俺はただ、杏月が傷付かないようにと思って、今はまだ、誰とも付き合っていないからで……

 でもいつか、誰かとは付き合うんだろう? 自分自身に、問い掛けてしまった。それならいつか、どの道杏月は傷付く事になる。

 どうにか曖昧な言葉を言い、曖昧な態度を取ったりして、俺は杏月の気持ちから逃げてきた。

 俺は問題を先延ばしにしているだけだ。


「純くん。それはね、優しさではないよ」


 ――言葉もない。


「好きな人が出来たね、純くん」


 好きな、人?

 咄嗟に思い浮かんだのは、青木瑠璃の姿だった。

 優しくて、しっかりしていて、すらりと背筋が伸びている。俺を孤独から救うために手を伸ばしてくれたし、いつも気に掛けてくれる。

 瑠璃は天使だ。

 そう――まるで、姉さんのような。


「だったら、これ以上引き伸ばす事はアンちゃんの傷を深くするだけだよ」


 そうなのか?

 これが、人を好きになるということ……なのだろうか?

 俺は姉さんを好きになる事を、全力で拒絶してきた。姉さんと似たようなタイプの人間が現れたから、今度はそっちを好きになるのか?

 ――そんなことは。


「純くん。君達はね、いっちばん始めの部分から、歪んでしまっているんだ」


 ……くそ。

 言いようもない苛立ちが、身体中を駆け巡った。自分の中にある気持ちに、どう決着を付ければいいのか分からない。

 俺は、青木瑠璃が好きなのか?

 ……少なくとも、嫌いではない。好意を持っている。可愛いとも、思う。

 じゃあ、姉さんは……


「それを直すためには、途方も無い努力が必要なんだよ。君に与えられた壁は高く、そして乗り越えるのに苦痛を伴う」


 姉さんのことは?

 いや、姉さんは違う。好きだが、それは家族としてだ。間違っても、一人の女性として好きな訳なんかじゃない。

 じゃあ、どうして俺は姉さんと似たような人を好きになるんだ。それで、良いのか。


「どうだい、純くん?」

「……自分の事が、嫌いになりそうだ」

「あっはっは!! 随分しっかりと喰らったみたいだね!!」

「どうして楽しそうなんだよ」


 聞くと、親父は普段は見せない、押しただけではビクともしないような――強い、親の顔になった。柔らかく微笑むその表情に、強い愛情を感じる。

 もしかしたらそれは、生まれた時以来見たことがないような――そんな顔だったのかもしれない。


「――通過点だよ、純くん。君は振り回されるだけの自分から、意識して人を選び、守る立場になるんだ」


 この男にそんな顔をされることが、堪らなく悔しい。

 穂苅恭一郎とは、やはり俺の親なのだと。


「誰を隣で支え、誰と仲間になって生きていくのかを決める立場になるんだ。そのために誰かを傷付ける事を、恐れてはいけない。間違ったり、失敗しても良いよ。だけど、間違いも失敗も、そして挑戦も、恐れちゃあいけない」


 そのような、敗北感を覚えた。


「……ごちそうさま」


 俺は席を立った。皿に半分ほどパスタを残したままで、居間を出ようとした。何を言えば良いのかも分からないのに、とにかく杏月に会わなければいけないと思った。

 ただ、意思に従う。


「通過点だよ」


 その『通過点』が何を意味するのか、俺にはよく分からなかった。それでも親父は仏のように眩しく、王のように尊厳のある態度で、俺にそう言った。

 ――親父のくせに。

 そんな、無意味な言葉が頭の中に浮かんだ。それさえも腹立たしくなり、俺は居間を出る。

 なら、ケジメを付けよう。

 自分にも、相手にも。


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