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つ『その暴走を回避できるか』 前編

 実は、姉さんは俺に対して過剰な愛情を持っているけれど、俺は家族の一線を越えてまで愛するつもりではない。

 本当は、そのようにぶちまけてしまいたかった。胃の底で蠢くような気持ちの悪いものを、言葉と共に吐き出してしまいたい。だが前回は素直に委員長に相談したことで、俺はカラオケパーティーに参加することになった。

 つまり、委員長に相談すると、俺は死ぬルートに直行するということだ。

 ……いや、待てよ。しかし、カラオケパーティーは予定だと三ヶ月後に行われるのではなかったか。今このタイミングで委員長に相談したら、前回とはまた違った結果が得られる?

 未知数だ。……もしも三ヶ月前に何度でも戻れるのだったら、試す価値はあるだろうか。それにしたって、我が身を犠牲にしてルートを探すなんてことは……

 間違えたら、姉さんの暴走を招くきっかけになる。

 委員長は俺の胡乱な様子を気遣ったのか、ふと笑顔になった。作られたように無機質だが、優しさを感じる。


「……ううん。穂苅君がお姉さんのこと、実は迷惑に思っているような気がして。気にしないで」


 その推測は、残念だが完全に一致している。

 ああ、もしも委員長に相談する事ができるなら、仲間が一人増えるのに。相談してしまいたい。二、三日前に戻されるというのが本当なら、あまり他の人に迷惑を掛けるべきではないのだが。

 ふと、携帯電話がバイブレーションした。

 やばい。一瞬とはいえ、姉さんの事を忘れていた。


「もう、行くよ」

「うん、おつかれ」

「お疲れ、委員長」


 委員長は俺の様子を見て、ふと笑った。

 肩を叩くと、長い黒髪が揺れる。何か、花の香りのような爽やかな匂いが鼻をついた。


「委員長なんて。名前で呼んでよ」


 青木瑠璃、君は天使だ!

 或いは変態ではない姉さんとよく似ている、と表現しておこう。

 廊下を歩きながら、電話に出る。いかに委員長――青木さんが天使だったとしても、今の俺に友達になる勇気はない。

 切れてしまったので、俺は電話を折り返した。一度のコールをすることもなく、電話は通話状態になった。


「純くん?」


 こういうレスポンスの速さが、逆に俺を不安にする。コツコツという、ヒールの音が受話器から聞こえてくる。

 あれ? 歩いているのか?


「姉さん」


 廊下から階段へと向かう瞬間、俺は動きを止めた。丁度、階段を上がってくる姉さんと鉢合わせたのだ。

 俺は笑って、姉さんに手を振り――――

 直後、姉さんの顔色が変わった。


「純くん? 何してたの?」


 ――――あれ? 姉さんの様子が、おかしい。


「……な、何してたって、何が?」


 姉さんが笑っていない。――いや、正確には、顔は笑っているが、目が笑っていない。瞳の奥に秘める奈落へと、一瞬にして吸い込まれるような錯覚を覚え――深奥を極める赤銅しゃくどうの瞳が、瞬間的に俺の背筋を凍らせた。

 いや、大丈夫だ。姉さんが俺の、たった今の行動を特定する事なんて、出来ないはず――……


「外から職員室を覗き込んだら、主任の先生方はみんな教室に居たよ。……現国も、数学も、日本史も、科学も物理も。保険体育の先生だけ居なかったけど、グラウンドでね、白線を消していたの」


 ――――息が、詰まった。双眸は見開かれ、目の前の人形のように感情の無い女性に集中する。


「おかしいねえ? 純くん、先生に捕まったって言ってたよね? どうして職員室に純くんの姿はなくて、先生方は職員室に居るんだろうね?」


 後退ると、廊下の壁に背中が付いた。姉さんは不気味な笑顔で俺と距離を詰めると、鞄を開いた。

 ――いや、嘘だろ。こんな事で? ……待て、落ち着け。俺よ、落ち着け。まだ俺が青木さんと話していた事まではバレていない。姉さんはまだ、暴走していない。

 大丈夫だって!!


「ねえ、純くん。お姉ちゃんに本当のこと、話して? お姉ちゃん寂しいよ。純くんが本当のこと話してくれないと、お姉ちゃん純くんのこと、信じられなくなっちゃう」


 姉さんは鞄に手を突っ込んで、その中からうわ何を出す気だ待てやめろまだ何も起こってないって!!

 歯の根が合わない。がちがちと音を立てて、下顎が震えていた。嘘を付いちゃいけない。ある筈だ、真実の中で、何かこの場を誤魔化す方法が――――!!


「……もう、口止めされているのかな? 悔しいなあ。誰がお姉ちゃんの純くんを横取りしたんだろう。それとも、虐められたの? 教えて。お姉ちゃんがそんな奴、はらわた引き摺り出して顔の形がこけしに見えるくらい平たくグチャグチャに潰してあげるから」


 怖い怖い怖い!!

 何言ってんだこの姉は!!

 そんな事したら、逆に虐めた奴の方が可哀想――……

 ――あっ


「姉さん!!」


 俺は姉さんに抱き付くと、胸に顔を埋めた。姉さんの疑惑に満ちた眼差しが、唐突な俺の行動によって雲散した。

 指の先から腕にかけて、冷え切った体温が俺の感覚を痺れさせる。にも関わらず止まることのない汗は、俺の緊張を鮮やかに主張していた。


「……じ、実は、姉さんに嫉妬した奴等が、俺にちょっかいを出してきて。……それで、教室で揉めてたんだ。……っだ、だけど、先生に休憩時間にもう相談していて、それを話したら諦めて帰って行ったから、……も、もう、もう、大丈夫だと、思う」


 震える唇で、覚束ない言葉で、俺は姉さんに事情を説明した。全て嘘ではない。中には本当の部分が含まれている。これならば、問い詰められる事もあるまい。

 青木さんが教室に今居ることだけは、そこに向かわせる事だけは、避けなければ。

 姉さんは漠然とした表情で、俺を見ていた――……頼む。真実がバレたら、全てが終わってしまう。教室には、まだ青木さんが――!!


「……そっか。大変だったね」


 俺は、


「ちゃんと自分で解決できて偉いね、純くん。でも、次からはお姉ちゃんにも相談してね」


 強烈な安堵に脱力して、目尻から涙が出てきた。

 思考は停止し、別の意味で開いた口が塞がらない。姉さんは物柔らかに微笑んで、俺の頭を撫でた。


「自分と他人の区別もできないクズ、言ってくれればすぐにぶち殺すからね。肉体的にも社会的にも」


 ……絶対に逆らえない。そんな、分かり切った確信を得た。


 敢えて言おう。

 姉さんは完璧だ。

 そして、完璧であるが故になのか、俺が姉さんの知らない所で何かをすることを強く嫌う。それがどうしてなのか、俺には明瞭な解答を導き出す事ができないのだが。

 やたらと、一緒に死ぬことにこだわるのだ。

 もしかしたら、ケーキの言うところの前世のなんとやらが深く影響しているのかもしれない。

 だが俺達は今、正に現世に生きている人間な訳であって。過去に何が起こりどう作用したのかなど、俺達には分からないのだ。

 夕暮れの道を二人で歩き、帰り掛けにスーパーで一緒に買い物をした後、俺と姉さんは自宅へと辿り着く。二部屋のうち、一つは寝室。一つは本棚の並んだ、テレビとソファーのある居間。リビングには食卓があり、バスとトイレは分かれている。

 家に辿り着くと、俺は靴を脱いで廊下を歩き、リビングへと向かう。姉さんは後ろから付いて来て、俺の手を引いて居間へ。

 姉さんは学園から家に辿り着くまでの間、何も言わなかった。

 会話が無いことが、逆に俺を不安にさせる。


「姉さん?」

「……純くん」


 そして、俺は――

 ソファーに、仰向けに押し倒された。


「……ね、姉さん?」


 この家には、俺と姉さんの二人しか居ない。

 よって、逃げ場はない。

 姉さんは俺を囲うように四つん這いになり、そのまま俺の唇に――キスをした。

 ――ああ、俺のファーストキス。さよなら。

 でも学園で落ち度を見せてしまった俺には、姉さんを拒否する事ができない。どうして良いのか、さっぱり分からない――……姉さんは軽く前髪をかき上げると、その表情を見せた。

 頬が上気している。既に本能以外は沈黙し、考える事はできていないのだろうか。俺と目を合わせると、妖艶に微笑んだ。


「純くん、好きよ」


 展開は違うが、前回も似たような事が起きた。姉さんは俺がカラオケパーティーに参加する少し前から、俺にこのような態度を取ってきた事がある。

 ……くそ。嘘なんて付かなければ、こんな事には。

 いつもの冗談を交えた、イチャイチャモードではない。これは、本気の好き――熱愛だ。

 これを拒む訳には、いかない。もしもそんな事をしてしまったら……考えるのもおぞましいので、やめておこう。

 いや、でも、この状況はちょっと――……


「ねえ、純くんは私のこと、好き?」


 どう、答えれば。この流れのまま姉さんに襲われてしまったら、最悪の場合、行くところまで行ってしまいました、なんて事に成り兼ねない。

 危険だ。赤信号の横断歩道を走って渡るレベルではなく、既に遮断されている踏切の線路の上に立っているかのような状態。

 電車は間もなく俺を轢き殺しに掛かるでしょう――……

 駄目だ。いくら似ていないキョウダイとはいえ、そんなことはできない。

 血が繋がっているんだぞ!? 姉さんに彼氏ができたら、俺はどうしたらいいのか。

 それ以前に――――


「聞くまでもなく、好きだよね」


 いややっぱり駄目だってどうしよう!!

 第二ボタンまで外されたワイシャツの隙間から――いつ外したんだよ――覗いた胸が、俺の理性を狂わせる。いやいやいや、何を考えているんだ俺は。狂わせるって、狂っちゃ駄目だろ。

 姉さんのフェロモンに抗えない。まあ、一応男と女だし、それは仕方がないのかもしれない。

 俺の上着を脱がせると、姉さんはワイシャツのボタンを更に外し始めた。俺に見えるように。はだけて見えた下着の色は黒――……

 うわわ……仰向けのまま上に逃げる。姉さんは追い掛けて来る。

 やがて、頭の先がソファーの肘掛け部分に当たった。元より動くことの出来るスペースなど、あまりない。

 俺はごくり、と生唾を飲み込んだ。

 姉さんはワイシャツからこぼれる黒いブラジャーに指を掛けると、ちらちらと俺に中を見せた。

 ――全て見えそうで、見えない。

 頭に血が上ってきた。


「ね、純くん。お姉ちゃんと……してみない?」


 だから無理だって俺はしたくない……いやごめんなさい本当はちょっとしてみたいです!

 子供に見せてはいけないものばかりで、高校生には刺激が強すぎる!! いや年齢的には問題はなくなったけれども!!

 やばい、顔が熱くなってきた。姉さんの顔がもう少し俺に似ていれば、こんな事を考えることも無かったかもしれないが。

 姉さんと妹は母親似で、俺は父親似だからなあ……

 駄目だ悠長に考えている暇はない!! 姉さんは背中に手を回して、ブラジャーに手を掛けた!!

 外れる!! やめて止まってあああああ!!


「たっ……大切にしたいんだ!!」


 気が付くと、形振り構わず叫んでいた。姉さんがきょとんとした丸い瞳で、俺を見詰めた。

 防衛本能と理性を取り戻した舌が、思考が、急速に回転を始める。

 そうだ思考停止するな俺。頭無くして戦には勝てんぞ。


「……ね、姉さんのこと、ほんと、に、大切に、思って、いるから、……、……えっと」


 いけない、言葉が続かなくなった。激しく運動をした後のように荒くなった息と頬に熱を感じながら、俺はどうにか、


「勢いでとか、そういうのは、……やめ、よう」


 そう、言った。

 良いのか、こんな台詞で。俺、どんどん戻れなくなっているぞ。

 新しい彼女どころか、姉さんとフラグが立ちそうだが。

 姉さんは――瞬間、顔から火を吹いて――既にとろとろに溶けた瞳を、更に緩めた。


「ふえっ!? ……は、はいっ。……ごめんなさ、私、何して……あわわ」


 ――おお。

 ちょっと普通になった。


「ごめんね、純くんが遠くに行っちゃいそうで、私ちょっと、おかしくなってたみたい」


 よし、この調子で……


「どこにも行かないよ」

「そっ、そう、だよねっ。今日はただ、絡まれていただけだもんねっ。……た、大切に、……あはは、うん、ちょっとお菓子作ってくるね!!」


 姉さんは居間の扉を開けて、リビングへ戻り――……

 扉が閉められた。


 ――――ふううううう。


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