つ『二階堂レイラは合宿場所を紹介するか』 後編
なんか、どこかで見たような気がするなあ。会ったっけ……うーむ、思い出せない。越後谷が忌々しげな顔をして、絞り出すように呟いた。
「二階堂レイラ……」
ああ、そうだ。二階堂レイラ。Bクラスで、サッカー部のキャプテンだとか、野球部のキャプテンなんかに手当たり次第に告白しては玉砕していく、学園でも噂のお嬢様だ。
イケメンに目がないのに、その実ツンデレという複雑な要素を持ち合わせている。学園でも話題になっていた。
俺は話した事はない気がするが……当たり前か。別に俺、イケメンじゃないし。
二階堂は真っ直ぐに歩いて来て――腰使いが妙にエロい――越後谷の前まで来ると、不敵な笑みを浮かべて越後谷の下顎を指でなぞった。
「わたくしのお眼鏡に適った事を神に感謝する事ですわね、ツカサ・エチゴヤ」
「……地獄の魔王に呪いを掛けるよ」
越後谷は白目を剥いて、珍しく硬直していた。
告白に告白を重ねるたび、どんどん捻くれていってしまい、今ではまともに告白する事すら出来なくなってしまったというお嬢様。俺・姉さんと対極に居る、学園の有名人である。
俺も知らなかったが、次のターゲットは越後谷になったのか。
神様を知ってるだけに、神に感謝というのは妙な想像をしてしまう。
「さあ、参りましょう。あ、わたくしはこちらの方々と参りますので、送ってくださらなくて結構ですわ。先に現地に向かっていてくださいまし」
黒スーツの男達は二階堂に一礼して、車で去って行った。……わざわざ姉さんの車に乗って行くのか。何の意味があって。
二階堂は俺達をずい、と見回すと、笑顔のままで言う。
「こちらのドライバーはどなたでして?」
俺達は皆、一様に姉さんを見た。姉さんはサングラスを外すと、二階堂に微笑みかけた。姉さんが全く怖気付かずに居るからだろうか、二階堂は多少機嫌を悪くした様子で、扇子で顔を扇いだ。
……噂には聞いていたけれど、何だか高慢ちきな態度の人だ。
「現地までの道のりを案内するわ、わたくしを助手席に乗せなさい」
「ええ、良いわよ。二階堂……さん? 初めまして」
「……貴女は、もしかして噂の穂苅姉かしら?」
「あはは。何が噂になっているのか分からないけれど、穂苅の姉ですよ」
いや、そこは分かれよ。姉さんは俺と目を合わせると、何も分かっていない様子で表情をほころばせた。……いやいや。
二階堂は尚の事、機嫌を悪くしたようだった。
「さあ、こんな馬鹿みたいに暑い所にいつまでも居るわけにはいかないわ、向かいましょう。……まあ、わたくしの愛車よりも早く着くことはないでしょうけど」
……あ、姉さんが笑ってる。あれは、二階堂レイラに挑戦する気満々の目だ。二階堂は一番先頭を歩きながら、「車はどこかしら?」なんて間抜けな質問をしている。これで車がハイエースだと知れたら、嘲笑するのかもしれない。いや、八人乗れる庶民の車ってそういうタイプしかないんだよ。
しかし、姉さんの態度は少し不安だなあ……
◆
結論から言うと、姉さんは二階堂の愛車とやらを遥かにしのぐ勢いで現地に到着した。青い空、白い雲。駐車場に降り立つと、俺は車から降り、うん、と伸びをした。
広い駐車場には、今乗ってきた車が一台。他には無い。
ケーキが俺の周りをぐるぐると回っている。……なんか、辛そうだな。暑いのは苦手なのか。しかし、皆が居るこの場所では声を掛ける訳にも行かない。
仕方なく、俺はケーキをちょいちょいと手招きして呼んだ。ケーキが何事かと、俺の近くに寄ってくる。
俺は鞄から、冷たいペットボトルを取り出してケーキに渡した。……これで、このペットボトルは周囲から見られる事はないのだろう。
ケーキはそれを抱きかかえると、嬉しそうに頬擦りをしていた。
「わあ――!!」
青木さんが俺の後に続いて車から降り、海を見て歓声を上げた。青木さんは登山鞄以外にもそれなりのサイズの肩掛け鞄を背負っていた。あの中にはきっと、台本やら何やらが入っているのだろう。
他のメンバーも、それぞれ車から降りたようだ。
「すごく良い眺めだね、穂苅君!!」
きらきらとした笑顔で、青木さんは言った。……何だか、清楚な青木さんを見ているだけで俺は幸せな気持ちになれるよ。
この炎天下の中にも関わらず俺の背中に張り付いて離れない、姉さんを意識しなくて済むからな。
杏月もこっちに寄ってきた。
「純、後で海に入ろうよ。サンオイル塗ってー」
「……誰か、女性陣に塗ってもらえよ」
「はァ!? サンオイルって言ったら男が女の肌に触れる最高のイベントじゃん!! 何言ってんの!?」
……それを女のお前が言うなよ。
さて、二階堂の別荘へと足を運ばなければ――と思っていた所、目の前にそれは大きな……ペンションのような建物を発見した。近場に他の建造物は見られないので、おそらくアレなのだろう。
砂浜へとすぐに出られる石段、勝手口は海側にあり、林を隣に、芝生に囲まれていた。都会を忘れてリゾート地を堪能するには打って付けの、優雅な作りだった。もしかして、バーベキューみたいな事も出来るんだろうか。
俺は振り返って、どんよりとした顔付きで車から降りる二階堂を見た。
「有り得ない……有り得ませんわ……こんな庶民の車に、わたくしの愛車が……」
「二階堂さん、すごい場所だね! 楽しめそうだよ、ありがとう」
二階堂は俺を発見して――ギリ、と睨んで歯を食いしばった。
……ん?
「おっ、お、覚えておきなさい、ジュン・ホカリ!! この屈辱は二百五十六倍にして返してやりますわ!!」
えー……
「ふんっ!!」
いや、俺、何もしてないじゃん……。
背後霊のように俺の後ろに張り付いていた姉さんが、別荘へと去り行く二階堂を見て、項垂れた。
「ちょっと、やり過ぎたかな……」
「姉さんは基本的にいつもやり過ぎだから。反省しなさい」
「しゅん……」
少し寂しそうに反省する姉さんは、さながら大型犬が叱り付けられた時のようである。……ああ、アフガンハウンドか。親戚だったか。
俺は振り返って、姉さんの頭を撫でた。……俺よりも身長が高いので、何だか妙な気持ちにはなるが。
「次からは、もう少しゆっくり来よう」
「はーい……」
しかし、広い土地だ。別荘から海に至るまで、ある程度は二階堂の敷地内だったりするんだろうか。さすがはお嬢様と言った所か。
もしも親父だったら、どれくらいの土地を持っているんだろうなー……おそらく、三倍はあるだろうな。まあ、俺には貸してくれないだろうけど。
自分の資産を人に譲らないタイプの男だ。今も昔も。
姉さんは思い出したかのように目を見開くと、俺の頭を抱き締めた。
「あ、そうだ。車の中に、ビーチパラソルとか折り畳みの椅子とか入ってるのよ」
「ええ? いつの間に……」
「私が運ぶから、純くんは先に行ってて」
「え? 良いよ、俺も手伝うよ」
俺が言うと、姉さんは急に怖い顔になって、言った。
「駄目。先に行ってて」
「……はあ、まあいいけど」
何だ……? 俺に運ばせたくないモノでもあるんだろうか。わざわざこんな事で姉さんに逆らうのは馬鹿らしいし、素直に言う事を聞いておくか……しかし、頭を抱き締めた意味は一体何処にあったんだよ。
俺は姉さんから着替え等の荷物を受け取ると手を振って別れ、別荘へと向かった。
「ふああー、ペットボトル冷たいですー。きもちいーですー」
ケーキが恍惚とした表情で、俺のスポーツドリンクに頬擦りをしている。……なんか、これはこれであまり健全な格好に見えないのは、俺の性根が腐っているからだろうか。
後で俺、それを飲むんだが……。
「ケーキは、神の使いになってから海なんて入ってないだろ。一週間くらいはこっちに居るから、存分に楽しみなよ」
「わー! ありがとうござぁっ」
不意に、ケーキが俺の背中に隠れた。……なんだ?
「なあ、ジュン・ホカリ」
「うわっ!?」
別荘の影から、君麻呂が顔を出した。いつの間にか既に荷物は全て別荘に置いて来たようで、君麻呂は手ぶらだった。……俺はさっさと、自分の荷物を置きに行きたいんだが。君麻呂は俺の腕を掴んで離さない。
……なんだよ。面白い顔をするな。
「なあ、二階堂レイラって良い女じゃね? 前から気になってたんだよなー!」
――はあ?
「……お前、大丈夫か? しっかりしろ」
「金髪碧眼で縦ロールだぞ!! 加えてツンデレ!! 完璧じゃねーか!! やっぱドリルは男のロマンだよ、うん」
いや、デレてないよ今のところはちっともデレてない。ツンツンだよ。ドリルってロボットに使う言葉じゃなかったのか。
君麻呂は周囲を花畑に変える勢いで謎のダンスを踊っていた。俺は多分、白けた目でそれを見ていたと思う。
「決めた。俺、この合宿の終わりまでにレイラをモノにするわ」
それは、無理だと思う。いや、思うじゃない。無理だ。
「辞めとけって。二階堂さん、今は越後谷に夢中みたいじゃん」
「そこをなんとかするのが友ォ!! だろォ!?」
うわあ。来た来た。なんとなく、俺も巻き込まれるんじゃないかっていう気がしていたんだよ。君麻呂って基本的に災厄みたいなもので、出会うたびに何かの問題を落としていくからな。
桑の花の件については、感謝するしかないのだが。それはもう時が戻ってしまった事だし。俺は失われた時間を気にしない事に決めたんだ。今。
そういえば、何で君麻呂はあの時、あんな場所に居たんだろうな。
「どうにかして、二階堂の興味を越後谷から俺に変えてくれよ。これ、お前の合宿内のミッションな」
「……何言ってんの? 俺の報酬は?」
「見返りを求めないのが……愛だろ……?」
何でちょっとそれっぽい空気になったのか分からないが、俺は君麻呂の腕を振り払い、無視して別荘へと向かった。
「きっとだぞ!! 絶対だからな!!」
……絶対、協力しない。
君麻呂を避けて、俺は別荘の表の出入口へと向かう。近くに来ると大きいので全体像が分かりにくいが、確かこっちだった筈……
「穂苅、すまん」
「おあっ!?」
曲がり角を曲がろうとした柱の裏側に、越後谷が居た。何なんだ。今日こいつ、なんか神出鬼没だな。越後谷は俺の影に隠れて――……なんだよ。どうした。
通路の向こう側から、走って来る人影が見えた。……二階堂? だから、俺はさっさと荷物を置きたいんだって。
筆頭で別荘へと走って行った君麻呂のせいで、俺の準備が遅れてしまうのが――……
あれ? 越後谷が俺の後ろに隠れていて、目の前に二階堂?
なんか、また面倒な事になりそうな予感が……
「ツカサ・エチゴヤ!! どうして逃げるんですの!? わたくしに愛されるなんて、これほどの幸福はありませんわよ!?」
「おい、二階堂! よく聞け!!」
越後谷は後ろから俺の首に手を回すと、……えええっ!? 何だよこれ、どんな展開だよ!!
背が高い越後谷は、後ろから俺の首に手を回した。
「お前が俺のことを好きなのは、よく分かった。――だが、すまない。俺は――」
……え?
「――俺は、穂苅が好きなんだ」
――――瞬間。
場の、全ての空気が固まった。
俺は一瞬吹っ飛びかけた意識をどうにか引き戻し、状況を確認する。二階堂は何処ぞの少女漫画の登場人物がショックを受けたように劇的な表情をして、中途半端な姿勢のまま固まった。
後ろにいる越後谷から、二階堂の様子をじっくりと確認している空気が嫌でも分かる。
……こいつ。
……こいつは。
「ひっ……!! 秘密の花園ですわあああ――!!」
二階堂は越後谷に背を向けて、泣きながら逃げ帰っていく。
越後谷は溜め息を付いて、ずるずるとその場で崩れ落ち、膝を突いた。
ああ。そうか。俺、一つ、分かったことがある。
「なあ、越後谷。言って良いか」
「……なんだよ」
こいつ、アホだ。
「お前はそういう事するキャラじゃなかっただろォ!? どうして俺を巻き込むんだよ!! 俺に何の恨みがあるんだ!!」
「仕方ないだろ他の女にハッパかける訳には行かないし、葉加瀬は余計に面倒な事になりそうだろうが!!」
「俺は全く何の関係も無いだろ!!」
「すまなかった!! これっきりだから、合宿でだけ協力してくれ頼むっ!!」
あ、反省はしているらしい。……まあ確かにこの合宿について、男と言えば俺、君麻呂、越後谷の三人しか居ない以上、仕方がない事かもしれないが……。
いや、それにしても……あー。もー。
俺は放心して、明後日の方向を見詰めた。
……あれ?
……あ。
「……ん? どうした、穂苅」
説明しよう。
と、誰にでもなく俺は心の中で言っていた。
今俺が立っているこの場所は、別荘の外周を取り囲むような通路の一角である。
つまり、別荘の何処かからは確実に通路が見え、また通路からも、別荘のどこかの壁が見えるのだ。
俺が見詰めたのは、別荘の二階の窓。
越後谷も遅れて、俺の視線の先を見詰めた。
そこには――……
美濃部がいた。
ああ、これ勘違いされてるよな絶対勘違いされてる。あの場所から声は聞こえないし、俺と越後谷のやり取りもおそらく、聞かれてはいないのだろう。
いや、ちょっと待てよ。それ、かなりやばいんじゃ。
美濃部は顔を真っ赤にして、窓から離れた。
「穂苅、正直、すまんかった」
……あー。もー。
「責任取ってどうにかしろよ、越後谷」
越後谷は自身の頭を抱えて、言った。
「……努力する」