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つ『委員長から紹介はして貰えるか』 前編

 朝日が眩しい。煌々とした太陽の輝きを受けて、煌めく窓ガラスはカーテン越しに部屋を照らした。

 昨日は結局、姉さんに酒を飲ませないことと、気を紛らわせるためにホラー映画を一緒に見て終わった。溢れんばかりの御馳走は美味いが、量が多すぎる。どれだけ今日を楽しみにしていたのか、二度目ながら俺は姉さんの期待を噛み締めて味わった。

 そして、二日目。ベッドから目覚めると、既に姉さんは布団を抜け出していた。薄目を開けて隣を確認し、俺はすぐに覚醒する。

 二度寝をするわけにはいかないのだ。その後、何が起こるか分からないからな。

 姉さんの起床時刻は、朝六時きっかりだ。一分の狂いもそこにはない。だから俺の起床時刻は、いつしか六時五分きっかりになった。

 寝ていられる時間は、精々その位だ。

 寝室にベッドは一つ。サイズはダブル。枕が二つ。元より、他の選択肢など存在しない。

 思わず溜め息が漏れる。


「おはようございます、純さん」


 目の前でケーキこと、自称神の使いなどと呼ばれるものが飛んでいる。時間が経ってみると、この小さな悪魔(もちろん皮肉だが)の言うことも少しずつ信じられるようになってきた。

 リアリティが有り過ぎて、回想だと思うにも無理が出てきたのだ。特に、この全身を襲う倦怠感。イメージで持つことは難しいだろう。

 幻想だと決め付けて掛かるより、もしも本当だった時の事を考えて行動した方がリスクが少ないのではないだろうか。

 俺はそのように考えた。

 今日は月曜日。休み申請などしている訳ではないから、俺は学園に向かう。姉さんの会社に近い場所に借りたマンションなのに、通学に掛かる距離と時間が大して変わらないのは、姉さんの会社が何故か俺の学園の近くにあるせいだ。

 狙ってやったのかどうかは、俺が知る所ではないが。


「……おはよ、ケーキ」

「わあ、ケーキって呼んで頂けるようになりました! 良かったです、純さんが信じてくれて」


 俺が彼女を見付けなければ、連鎖的にこいつの首も飛ぶ。原因はどうあれ、俺たちは運命共同体ということだ。本意ではないが――……予定ならば、今日は学園の連中に会う日。そして、学園に居る間は唯一俺が作戦を立てられる時間でもある。

 どうにか、筋道くらいは立てなければな。


「完全に信じられる訳ではないよ。ただ、もしも本当だった時に適当なことをやっていたら、後悔しそうだなと思ってさ」


 言いながら、俺はベッドから起きようと身体を起こした。

 ……あれ? 身体を起こす事ができない。何かが俺の上体の邪魔をしている。それは胸の辺りに圧迫感を与え、拘束していた。

 顔だけを起こし、右手で感触を確かめる。

 ……ロープ? 何故こんなものが、俺の胸に。


「あ、純くん。おはよー」


 姉さんがエプロン一枚でお玉を持ち、部屋の扉を開いた。その表情は俺を見ると、宝石のように明るく輝いた。

 嫌な予感が止まらない。


「……姉さん、これは?」

「え? これってどれ?」


 ……わざとなのか? まさかとは思ったが、もしかして本当にそうなのか? 姉さんは悪戯っぽく笑うと、そのままで俺に近寄って来た。

 エプロンから覗く生足と、歩く度にエプロンの横から瑞々しい太腿がちらついた。

 服を着ていない。

 なんとも言えない虚無感が俺を襲う。姉さんは屈むと、俺の目の前でお玉を振った。


「どれのことかなー?」


 ……このアマ。


 しかし、前回――俺が殺される前は、こんな事はなかった。やはり多少なりともシナリオが変わってしまったことで、姉さんが取る行動も変わってしまっているということか。

 裸エプロンは思い付く度、いつもやっていたが。

 目に悪い。……いや実際、年頃の男子高校生に身内の、しかも姉の素肌というものは、受け入れ難いものであってだな。

 決して興奮はしていない。したら負けだ。人として。


「……何があったの?」

「ううん、昨日はパッと居なくなっちゃったから、今日は寂しくないように、と思って」

「居なくなった? 昨日?」

「うん」


 姉さんは俺の額にキスをして、満面の笑みで答えた。


「昨日、買い物に行っちゃったから」


 ひええ……

 どこまで依存しているのだろうか。あまりの恐怖に俺は、またしても鳥肌が。

 姉さんはロープを解くと、俺の身体を抱き起こした。潤んだ瞳が俺を見詰めている――……。

 姉さんの左手から、お玉が落ちた。


「……おいしそお」


 やめてよ美味しくないよ本当に頼むからやめてくれ。

 姉さんは俺を抱きかかえたまま、頬擦りをしている。……こんなもの、既に姉とか弟とか関係ないじゃないか。一枚の布越しに押し付けられる柔肌の感触に、頭がどうにかなりそうだ。

 ずるい。

 姉さんの唇が俺に迫り、やばい死守し続けた俺のファーストキスが――――!!


「ね、姉さん。姉さん。今日、学園だから。姉さんも仕事でしょ。あんまり時間ないよ?」

「そ、そっか」


 ファーストキスなんだ。本当は寝ている隙なんかに奪われている可能性もあるけれど、俺の意識があるうちは逃げ続けて、どうにかこの頃はまだ、俺の記憶の体裁上はファーストキスを死守できていたのだ。

 三ヶ月が元に戻った以上、二度と姉さんに奪われてなるものか。

 姉さんは俺の身体を離そうとして――離れるのが嫌なのか、葛藤している様子だった。


「……ふーっ。……ふーっ」


 怖いよ。どれだけ興奮してるんだよ。


「……そうだよ、ね。時間がすぐに無くなっちゃうね」

「で、でしょ? そうでしょ? ……だから、ね。朝ごはん食べよう」


 姉さんは少し残念そうに俺から離れ、唾液を拭いてエプロンを直す。俺は姉さんの痴態を見ないため、一生懸命に視線を逸らした。あー、今の時刻は何時かな、と。

 六時半を回ったところだ。……まずい、まだ学園まで少し時間があるじゃないか。


「……まだ、時間あるね」


 やばい俺の視線に姉さんが気付いた!!

 何か言い訳を探さなければ。どうしよう。今日早めに学園に行かなければいけない理由? 日直? いや、そんなものを姉さんが記憶していないとは思えない。実は飼育委員を始めて――嘘なんて付けるか。

 六時半ということは、およそ一時間はまだ余裕が――朝食を済ませるにしても、三十分くらいは――考えている間に姉さんは再び俺に身体を押し付けに来た。

 一度離れた体温と柔らかさが戻って来る。――ちょっと、流石にこれは無理が……!!

 これ以上は、駄目だ。身体が勝手に反応する。


「純くん、好きよ」


 やばいやばいやばいどうしようどうすれば。

 俺の視界の端でケーキが顔を真っ赤にして、両手で目を覆い――本当に役に立たないなお前は!!

 ……そうだ。


「姉さん、フレンチトースト」

「えっ?」


 既に回路がショートして停止した思考をどうにか再起動して、俺は苦し紛れに言った。ベッドを握り締めて力を入れ続けていた両手が、僅かに汗ばんでいる。

 姉さんは目を丸くして、動きを止めた。


「……ちょっと、お腹空いちゃって。シナモンの掛かったフレンチトースト食べたいなあ、なんて」

「フレンチトースト?」


 昨日引っ越しして、引越し祝いの御馳走を姉さんが作るということで、買い出しに行った俺。冷蔵庫の中はよく覚えている、卵はあっても使い道の少ないシナモンなど入っている筈がない。

 もう一つ、フレンチトーストを作るなら絶対に足りないものがある。


「バ、バニラ・エッセンスの香りがしっかり効いてるやつがいいかなー、なんて……」


 姉さんは真剣に俺の顔を見ると、うん、うん、と頷いている。その表情は真摯かつ勤勉な様子であり、姉さんを遠ざけるために言った俺の良心を傷付ける。

 どうしてこんなに懸命な態度なのか、俺が姉さんに問いたいくらいだ。


「……そうだね。成長期、だもんね」


 顔を赤らめて、姉さんはぽつりと呟いた。どうしてそこで俺の下半身を見るんだ。うわっ、既に身体が……

 死にたい。

 姉さんは急にやる気を出したのか、捨ててあったお玉を拾い、立ち上がった。猪突猛進、何者も寄せ付けない覚悟と、真剣な雰囲気が滲み出ている。


「よっし!! 純くん、任せて!! お姉ちゃんが世にも美味しいフレンチトーストを作ってあげるからね!!」


 そう高らかに宣言すると、時計を確認していた。部屋の時計は六時四十分を回った所だ。


「……行って戻るまで、三分くらいね。問題ないか」


 世にも恐ろしい事を言って、部屋を出て行った。

 は――……。助かった。

 ずるずるとベッドから崩れ落ちるようにして、俺は部屋の床に顔から突っ込んだ。あー……。ファーストキスと貞操を守った自分に祝杯を捧げたい。

 姉さんが宣言した以上、絶対に三分で戻って来るのだろう。俺はすぐに立ち上がり、制服へと着替える事にした。こんな格好だから、姉さんに襲われるというのだ。今の自分はまさに袋の鼠。鼠なら鼠らしく、抵抗するということを覚えなければ。

 ケーキは安堵した様子で、俺の肩に乗った。


「なあ、ケーキ。そういえば、お前の神はどうして俺が先に恋人を作らないといけない、っていう条件を出したんだ」


 パジャマを脱ぎながら問い掛ける。ケーキは小さな顎に小さな指を当てて、ひとしきり考え込んでいた。


「……何故でしょう」


 分からないのか。本当に使えない奴だな。

 こんなに間抜けでいいんだろうか、神の使い。不安が地平線に向かって走って行きそうだ。

 シャツを着てズボンを履き、ベルトを装着する。一連の流れを素早く行うということは、身を守るために大変有効な手段だ。


「ちょっと、聞いてみましょうか」

「聞く?」


 そんなに近くに居るんだろうか? などと考えていたら、ケーキは懐から小さな――携帯電話を取り出した。ケーキ自身が小さいので、携帯電話は俺の小指くらいの大きさだ。

 ケーキはそれを指で弾く。


「えいっ」


 瞬間、ケーキの手にしていた携帯電話が人間の使うそれのような大きさになった。ケーキは持ち難そうにしていたが、重くはないようだ。意外と力があるらしい。

 俺の肩で携帯電話を操作し――番号が数字ではないので、俺にはどこにダイヤルしているのかは分からない。通話ボタンのようなものを押下した。


「神様、今大丈夫かな。ゲーム中かな」


 ……随分と庶民的な神だ。

 ネクタイを締める頃には、電話はダイヤル中になっていた。


「ただいまー」


 姉さんの声だ! もう帰って来たのか!?

 スーパーまでがいかに近いと言ったって、着替えている最中に買い終わって戻って来るのは異常だろ!

 ケーキは既に電話を掛け始めている。俺は慌てて、ケーキの頬を突付いた。


「ケーキ、後、後」

「あっ。……は、はい」


 慌てて電話を切るケーキ。携帯電話がケーキの懐に収まる瞬間、部屋の扉が開いた。今、一瞬電話が繋がってしまった気がするのだが……俺の気のせいだろうか。

 きっちり裸エプロンからワイシャツとタイトスカートに着替えている姉さんが現れた。しつこくなく爽やかな、いつもの化粧もばっちり。香水を付けているのか、なんだか胸から良い匂いがする。

 本当、俺と似てないよなあ。


「純くん!! 今から、フレンチトースト作るからね!! 時間、まだ大丈夫だよね?」


 時計を確認した。

 六時四十三分。

 この三分の間にどれだけの早業があったんだろう。ちょっと見ておけば良かった。



 ◆



 学園まで手を繋いで向かうと、学園の前で別れる。これもまた、いつものやり取りだ。

 既に学園中で話題になっていて、俺が「シスコン」扱いされる所以でもある。姉さんは俺にべったりとくっつき、学園へと向かう並木道を歩いた。

 聖グレンリベット学園。どの辺が聖なる何かなのかはさっぱり分からないが、一応姉さんが通っていた学園に俺も通っている。

 俺は周りでひそひそと話される、俺への評価を聞かない事にした。


「ねえねえ……今日もシスコン男来たよ」

「うわー! きもーい」


 ……聞かない事にした。なあ、傷付くから聞こえないように言ってくれよ。

 良いんだ。俺がこうやって姉さんに抱き付かれている事で、他の女性は俺に寄ってこない。すなわちそれは、俺が生きるために必要な事なんだから。

 これからは、そうもいかないのだが。

 姉さんは周りの声を聞いているのかいないのか、全く気にする様子はない。


「純くん、今日もいつも通り終わる?」

「……うん、まあ。終わるよ」


 姉さんは俺の頭を撫でると、穏やかに微笑んだ。


「気にしないで。私は純くんのこと、好きよ」


 貴女のせいで俺は周りから避けられているんですが、それについてはどうお考えでしょうか。

 笑顔が引き攣るが、流石にそれを口に出すことははばられたため、俺は黙る事にした。

 学園前まで辿り着く。ここからが鬼門だ。姉さんは学園の前で立ち止まると、潤んだ瞳で俺と向き合った。清純で可憐なその態度は、学園の男子を嫉妬に燃えさせ、学園の女子から冷めた目で見られる。


「今日も、暫くお別れだね……」


 三時間半な。どうせ昼休みになったら、また来るんだろ。

 そう思ったが、俺はあえて笑顔を姉さんに見せた。


「行ってらっしゃい」


 そう言うと、姉さんは涙混じりに頷いた。そして――胸に抱かれる。頭をわしゃわしゃと撫でながら、姉さんは愛おしそうに俺に頬擦りをした。

 登校途中の女子が引くからやめて欲しい。


「また、お昼に来るからね」

「……あ、ああ」

「絶対来るからね」


 これは、あれだ。言わないといけない展開だ。


「……待ってる」


 姉さんは俺の額にキスすると、嬉しそうに微笑んだ。


「うんっ!!」


 姉さんと別れる。引き攣り笑いのまま俺は姉さんに手を振って、直後、溜め息を付いて学園の中へと入った。

 今日もまた、強烈なシーンを皆に見せ付ける格好になってしまった……。見世物と化しているからか、窓の外から俺を指差して笑っている生徒もいる。

 ……教室に行こう。


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