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ヤンデレ姉さんに○されたら考えるべき10のこと  作者: くらげマシンガン
▼第二章 俺と美濃部立花の関係について。
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つ『飲み干した苦渋を災い転じて福となすか』 前編

 整列すると、体育教師の説明が始まる。勿論、青木さんが先に話した通りのメニューだ。学級委員長だからなのか、その日の授業の内訳はある程度情報があるらしい。

 準備運動が始まると、各自自由に二名のペアを作り、別れる事になった。中には例外も勿論あるけれど、多くの場合はクラス毎、男女ごとに別れてペアになる。カップルだったり、クラスを跨いだ親友だったりする場合は、その限りではないようだが――……


「青木さん。……青木さん、近い。あと、俺の後ろに隠れると余計に目立つ」

「だ、だって……」


 俺が指摘したことで意識してしまったのか、すっかり青木さんは挙動不審になっていた。申し訳ない事をしたが、あの展開では仕方が無かったようにも思う。

 しかし、青木さんが必要以上に俺の後ろに隠れて準備運動をしているせいで、既に周りの注目を集め過ぎる程に集めている。

 これでは、気付かれるのも時間の問題なのでは……


「あ、お兄――」


 予定通りと言うべきか、胸ポケットに録画・撮影用の携帯電話がばっちり入っている杏月が声を掛けてきた。手招きすると、杏月は目を光らせ、俺に向かって走って来た。

 青木さんは俺のシャツの背中部分を掴んで、固く震えている。

 いや、どう考えても隠れ切る事など無理なのだが……はあ、まいったなあ。

 杏月は俺の前で立ち止まると、後ろにいる青木さんを一瞥。すぐに状況を理解したようで、俺にアイコンタクトを送ってきた。

 多分これは、『もしかして?』の意味だろう。

 俺は溜め息を付いて、頷いた。

 杏月は驚愕にぴょんぴょんと跳ねているが、面白さに顔がニヤけているのがばれている。素直な奴だ。

 俺は杏月に、『その、下関とかいう奴は?』という意味を込めて、軽く首を傾げた。

 杏月は頷いて、『まだ何もしてない』という意味を込めた表情を俺に返し、目線で俺に合図した。

 俺は杏月の目線に従い、向こう側を見る。

 ――あいつだ。そうそう、釣り目の女。あいつ、下関とかいう名前だったのか。

 俺は『そう、あいつ。あいつで合ってる』という頷きを杏月に返す。

 杏月は『マジでー! やっぱり私天才じゃね!?』というしてやったりな顔で俺を


「……何してんの? もう準備運動始まってるよ?」


 見た瞬間に、横で俺と杏月を見ながら気味悪そうに顰め面をしている美濃部によって、無言の会話は中断された。

 美濃部は俺の後ろで小さくなっている青木さんを発見すると、心配そうに駆け寄った。ナイスだ美濃部。お前のその優しさに乾杯だ。


「瑠璃? 大丈夫?」

「……へへ。ごめん、りっちゃん。私、もうダメ」

「瑠璃――!?」


 美濃部は青木さんの事態に気が付いたようだった。瞬間、真っ青になって青木さんの肩を揺さぶる。


「なっ、なっ、な――んで!? なんで!? 新しいの買わないの!?」

「だってえ……。給料日までまだ少しあるから、それまでブルマでも良いかなって……マラソンでタイム取るとか、さっき職員室で知ったし……」


 青木さんは涙を流しながら、前後に揺れていた。

 そんなにカツカツな苦学生だったとは……。そういう事は相談してくれれば、俺の方でも手を出せる事が何かしらあるだろうに。

 下着ってそんなに高いものか……? いや、そうでもないよなあ……。

 美濃部がなおも激しく青木さんの身体を揺さぶった。


「ブ、ブルマじゃだめだよ今度ブルマ盗まれたら次はないんだよ!?」

「りっちゃん……。ちょっとそれ、気持ち悪い……」


 そしてその会話のせいで、隣に立っている杏月に筒抜けである。もう理解しているので、あまり意味はないが。

 俺が意識してグラウンドの端寄りに避難していたお陰で、他の生徒には聞こえていないようだが。

 いや、それ以前にそんな話を男の俺に聞かせないで欲しい。

 俺は意識して、下関を観察していた。下関も間辺も、今のところは目立った行動をしていないが……本当に、どこかで仕掛けるんだろうか。

 体育教師が笛を鳴らした。俺達は、元通りに集合する。

 青木さんは苗字の如く顔を真っ青にして、自分の立ち位置に戻って行った。

 ……まあ、あれだけシャツに余裕があれば、ブルマはほとんど見えていないので大丈夫だろうけど。そもそも、なんであんなに下が長いんだ?

 シャツだけワンサイズ上に見えるが……どうなのだろう。


「それじゃあ、青木から園頭まで走ってみるか。残りは後半でいいな」


 ……あ、そうか。五十音順なのか。そうしたら、青木さんと一緒に走るのは……俺の知っている青木さんの友人は、越後谷だけか。

 ふと越後谷を見ると、越後谷は俺達の事など全く意識することなく、軽いステップを踏んでいた。

 何やら、本気で走るように見えるが……陸上、好きなんだろうか。

 下関も当然、走るチームに……いけね、そうか。長距離走のタイムを出してから事件を起こそうっていう魂胆なのかもしれない。今日を逃せば、次は放課後になる訳だからな。

 俺はちらりと間辺を見た。間辺は――何食わぬ顔で、靴紐を結び直していた。いや、いくらか普段よりも険しいような――変わらないか? いつも険しい顔をしているから、よく分からないな。

 ふと、俺と目が合った。

 瞬間、じろりと睨み付けられる。

 随分と余裕が無さそうだな。やはり、朝のアレが効いているのだろうか。完全に自業自得だぜ。

 俺はそれを一瞥すると、教師に向かって走った。


「すいません、先生」

「どうした? 穂苅」

「俺、もし体力に余裕があったら二回走りたいんで、先に走ってもいいすか?」

「おお、良い心掛けだな。頑張れよ」

「あ、私もそうしまーす」


 俺の提案に杏月が後ろから乗る。勿論、二回走るつもりはない。下関とタイミングを合わせるつもりだ。間辺には聞こえないように、体育教師には小声で耳打ちした。

 間辺は下関の後に走るから、奴が走っている間に下関が事件を起こす構図になるのも、アリバイ作りに貢献しているな。狙ってやったのかどうか、分からないが……

 俺はスタートポイントに立つと、構えた。


「用意!」


 ――慎重に、進めよう。


「始め――――!!」


 一斉に、学園の外へと駆け出した。俺は青木さんと速度を合わせ……ええっ!? 青木さん速過ぎだろ!!

 トップの陸上部にも負けない位置に居る。すごいな青木さん……やっぱり、水泳をやっていた人は基礎体力が違うのか。

 俺、フォローなんかできるのか……?

 ちなみに俺の位置は、中間やや後ろ寄りだ。普段なら適当なペースで走り終える所だが。


「お兄ちゃん、遅いよー」


 俺に並んで、杏月が不満の声を漏らした。……化物共め。姉さんは自動車と大して変わらない恐るべき速度を持っているが、俺は一般市民なんだよ。

 越後谷は青木さんよりも速く、既に並木道の遥か向こうに居た。

 だけど、このまま青木さんを見失うのはまずいな。仕方ない、俺もバテるのを覚悟でピッチを上げるか。


「杏月、青木さんに付いて走れるか?」

「うーん、どうだろう……。るりりん、走り慣れてそうだもんねえ……でも、頑張るよ」

「できれば、下関を見ながら走ってくれると嬉しい。あいつもかなり速い方みたいだからな」

「まあ、あの様子なら、るりりんに付いて行けば一緒に見られるんじゃない?」


 俺は頷いて杏月に微笑み、走るペースを上げた。随分、青木さんとの距離が離れてしまったな……。ぐい、と足に力を入れる。

 瞬間、俺は短距離を走る勢いで速度を上げ、青木さんを追い掛けた。


「うわっ!! お兄ちゃん、ペース上げすぎだよ!!」


 杏月が慌てて俺に付いて来る。

 ……なんか、あんまり苦しくないぞ。普段超速で走る姉さんを見ているから、俺もいくらか走るコツを掴んだのだろうか。

 あっという間に青木さんに追い付くと、俺は横に並んだ。青木さんが驚いて、俺を見る。


「……穂苅君!? こんなに速かったっけ!?」

「ペース上げ過ぎなんだよ、青木さん。フォローできないだろ」

「だ、だって。もう、気が気じゃなくて」


 気持ちは分かるけどね。

 まだ五百メートル程走った所だ。きついのはこれから。俺はいくらかスピードを抑制し、規則正しい呼吸で青木さんに付いていく。

 杏月がようやく、俺と青木さんに近付いて来た。


「ちょっと、早過ぎるよー……」


 杏月も文句を言いながらも、特別呼吸に乱れはない。流石、あの親父に育てられただけの事はあるか。

 俺は少しペースを落として杏月と足並みを揃え、杏月に耳打ちした。


「下関は?」

「後ろにいるよ。私ら程じゃないけど、それなりに速いね。さっさと終わらせて、始めるつもりなのかも」

「……なるほど。サンキュー」


 こういう時、杏月が味方に付いているというのは非常に頼もしいな。姉さんと俺はいつも正攻法だから、裏で手を回すタイプの協力者が居ることがありがたい。

 いや、こいつがこんな性格をしているというのは、俺もつい最近知ったことなんだが。

 後ろに居るとは言うが、既に陸上部すら抜いて俺と青木さん、杏月がぶっちぎりの一位だ。随分ペースを上げてきたのかもしれない。……その割には、この中では一番体力の無いはずの俺が平気なのも不思議だが。

 何だかんだ、姉さんに鍛えられているのかもしれないな。

 俺は再びペースを上げて、青木さんに追い付いた。


「青木さん、大丈夫?」

「……ちょっと、ペース、上げ過ぎた、かも」

「当分来ないから。少しなら、ペース落としても大丈夫」


 青木さんは一息付いて、速度を落とし、


「いたっ」


 ――瞬間、蒼白になってその場に立ち止まった。

 ……なんか、青木さんが立ち止まる手前、ぷちん、という妙な音がしたような気はした。俺は青木さんから数メートル先で立ち止まり、後ろを振り返った。

 瞬間的に、青木さんは屈み込んだ。

 杏月が酷い苦笑いで、青木さんを見詰めている。

 ……何だ? 何があったんだ?

 俺は青木さんに近付いた。


「どうしたの?」


 青木さんは顔を真っ赤にして、涙を流しながら俺を見上げた。

 ……笑顔が引き攣り過ぎていて、それはもう痛々しい。


「……引っ掛けて……ブルマのゴム、……切れた、かも……」


 ……見れば、確かに丁度良い位置に飛び出た、木の枝が。

 杏月が青木さんを立ち上がらせて、シャツを捲って中を確認した。

 苦笑いが、青い顔に変化した。


「怪我してるじゃん、大丈夫?」

「わ、私は大丈夫だけど……た、体操着、は?」

「これ以上走ったら、ヤバいね」

「……やっぱり?」


 何だろう、この状況。青木さんも大概、逆境が続く人だな。大丈夫か。

 先程チェックポイントに立っている、体育教師を確認した所だ。半分以上は走って来た。だけど、学園まではまだ一キロ程度はあるだろうに思う。

 遠くから、数名の駆け足の音が聞こえてくる――……

 ――よし。


「青木さん、どこが切れてる?」

「……よ、横の部分。腰じゃない方、たぶん」


 なら、背負う事は出来るか。

 俺は青木さんに向かって背を向け、屈んだ。青木さんが驚く。


「乗って」

「えっ!? 良いよ無理だよ!! 私、重いし……それに、やり直しになっちゃう」

「学園前で、先生に見付からないように降ろすよ。今ならまだ誰も居ない、見付からないようにするから、早く」

「で、でも……」

「早く!!」


 青木さんは俺の剣幕に負けたのか、おずおずと俺に身を乗せてくる。青木さんには、いつも世話になってるんだ。今週の飯が米だけなんて状態にさせられるか!!

 ――と、ほんの一瞬でも調子に乗った事を、俺はたいへん後悔した。

 俺の背中に、破壊的な弾力が襲い掛かってきたからだ。


「ご、ごめん、穂苅君……。ありがと……」


 これは、なんだ?

 ああ、一つサイズの大きな体操着をあえて着ているのは、ボディーラインが出ると恥ずかしいからなのか。そうなのか。と、確信を得るには十分過ぎる弾力。

 これ、もしかして姉さんより大きいんじゃ……

 いかん、邪な考えが頭を!!

 せっかく青木さんが俺を信頼してくれているのに、俺という男は!!


「急ごう、お兄ちゃん!!」


 杏月の掛け声と共に、俺は走り出した。走り出してしまった。

 いや、無理無理無理!! 青木さんは全然重くないけど、揺れる度に背中の感触を意識してしまって俺が無理!!

 一キロこのままだと!? ふざけんな!!


「……重くない?」

「おおお重くない重くない!! 全然重くない!! むしろ軽い!!」


 そして柔らか……黙れ俺!!

 先程まで走っていたせいか、青木さんの浅い吐息が耳に掛かって気がどうにかなりそうだ!!

 おおおおおおおお!!


「わっ、穂苅君、速い……」


 人を背負って一キロなんて、走る体力など持ち合わせていなかった筈なのだが。今の俺は、大した消耗もなく走っていた。

 少し不気味にも感じたが、それ以上にこの状況に対する焦燥感の方が強く、俺の身体について考える余裕など持ちあわせてはいなかった。

 だが、少し思った。これはもしかしたら、

 姉さんと同じように、俺にも『火事場の馬鹿力』的な能力は備わっているのかもしれないと――……


「うおおおおおお!!」


 謎の絶叫を上げながら、青木さんを背負って走る俺。何故か一人で走っていた時よりも早く、気付けば杏月を置き去りにして俺はトップを爆走していた。

 並木道まで戻って来ると、青木さんは教師に見えないように見を縮めた。俺は校門前まで走り、青木さんを降ろした。

 流石にぜえぜえと肩で息をしていたが、倒れる程ではなかった。


「……青木さん、……先、行って。……俺、少し後から、行くから」

「ご、ごめんね……。ありがと……」


 青木さんは俺に軽く頭を下げて、校門から出た。

 十秒くらい数えてから行くか。俺は息を整えながら、並木道の向こう側を見た。先頭を杏月が、その後ろに何名かの生徒も見えた。

 杏月もあのハプニングのせいで、他の生徒に追い付かれてしまったか。

 ……さて、せっかくだから来る前にゴールしてしまうとしよう。

 俺は校門前から顔を出し――――

 ――俺は見た。

 ゴールした青木さんのブルマ。左の端が破けていたその代物は、既に上まで来ていた。

 まだ、体育教師は気付いていない。

 青木さんも、気付いていない。

 俺は走った。

 全力で。


「青木、すごいな。学年トップレベルのタイムだぞ」

「こ、この後って、もう見学してても、良いですか? ちょ、ちょっと、体調、悪くて……」

「ああ、この後は良いけど……ってお前、体調悪いのに走って――」


 教師の言葉は、そこで途切れる。

 ムレータを発見した闘牛の如く、恐ろしい形相でグラウンドのゴールへと向かう俺。その姿を確認した教師が、口をあんぐりと開けて俺を見た為だ。

 俺の狙いはゴールの先にあるもの。

 回収だ。惨事が起きる前に、回収しなければ。


「せんせ――――!!」


 俺は叫んだ。

 体育教師も驚愕に目を丸くして、俺を見ている。

 青木さんは俺を見た。まだ、一体何事かと考えているような様子だ。


「青木さんは体調が悪いみたいなのでえええエエ――――!!」


 俺は負けない。

 青木さんがようやく、自分のブルマの事件に気が付いたのとほぼ同時に、

 俺は青木さんを前から抱え、所謂お姫様抱っこの状態で学園の中へと走った。


「保健室に連れて行きまあああああ――――す!!」


 呆然とした表情で、俺に頷く体育教師。

 そのストップウォッチは、どう見ても止められていなかった。……まあ、いいや。何でも。


 当然の事ながら保健室ではなく、真っ先に女子更衣室に向かった俺は、更衣室前で青木さんを降ろした。青木さんは顔を真っ赤にして、すぐに女子更衣室に入って行く。

 ……はあ。

 そろそろ、一限目が終わるくらいの時間だろうか。後半の生徒が走って、時間が余ったら任意で短距離――意外と短距離走をやる時間が長くなる。大体そのようなスケジュールになる筈だ。

 俺は一人廊下を歩き、グラウンドが見える窓まで向かった。

 グラウンドには何名かの生徒が居る。ゴールした組か。しかし、思えば今時、外周ってあんまりやらないよなあ。なんて少し思ったが、そっと胸の内に仕舞っておこう。

 下関、下関は――お、いたいた。流石に速いな、もうゴールしたのか。長距離は速い人と遅い人の差が結構あるから、最後尾はまだ掛かるだろうな。

 俺もいつになく、素晴らしいタイムを出してしまったことだし……

 ……あれ? 下関は居るが、杏月が居ない。あいつ、ゴールしたの三番目だろ? どこに行ったんだ……?

 あ、下関が教師に手を上げている。

 何か話しているようだ。


「ご、ごめん、穂苅君。お待たせ」


 制服姿になった青木さんが戻って来た。下関はそのまま――学園の、中に。

 ……ここに上がって来るのか?

 そうか。どこかに隠れなければな。

 俺は近くの、隠れられそうな場所を探した。

 ――空き教室か。


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