つ『最後のデートに2度目はあるか』 後編
待ち合わせの場所に、予定時間通りに美濃部立花は現れた。今日は花柄レースのブラウスに、グレーのフレアスカート。いつもの赤いリボンが、美濃部らしさを際立たせている。
……俺は、デートをする時の女性の本気というものを思い知らされた。
「ごめん、待った?」
「いや、待ってない、けど」
いつもと、化粧が全然違う。どちらかというと普段は簡素な感じの化粧だったのに、今日は何だか、白人みたいに肌が白い。肌の色まで変わるのかよ……杏月の時もそうだったが、大概女性の顔というものは信用できないな。
背が低い事も相まって、見た目は人形のような雰囲気だ。さり気なく存在感を放つリップも、違和感はないのに鮮やかな色をしている。
思わず、見惚れてしまった。
「……どしたの?」
「ああ……いや、何でもない」
「も、もしかして、どこか変だった!? ごめん、私、ちょっと張り切っちゃって……」
「いや、すげえ可愛いよ。普段と全然違うから、驚いてた」
瞬間、美濃部の顔が熱暴走を始め、鞄を握り締めて石化した。
「……あっ、あっ、あ――りがと、う」
その吃音症を聞いて、やはり、あの美濃部立花なのだと俺は再確認した。いつもの三割増しくらいに可愛い。
今ここに、俺は宣言する。『可愛い』は作れる。
いや、別に普段の美濃部が可愛くないだとか、そういう事を言うつもりは全く無くて。普段も可愛いと思うが、今日はなお可愛い。
……ということは、普段簡易的なメイクしかしていない姉さんや青木さんも、デートになるとイメージが変わったりするんだろうか。
未知の領域だ……。
「ごめん、なんか、こんな格好で」
「ああっ、ううんっ!? だっ、だっ、だ――いじょうぶ」
俺は普段の通りの白いボタンシャツに、ブルージーンズ。何にでも合わせられるという名の、お手軽装備だった。美濃部の気合いに応えられず、恥ずかしい限りだったが。
「いつもの穂苅君と、デートしたい」
……その台詞は、反則じゃないか。
少女趣味な美濃部の希望は、一日デートをすること。特に予定など考えていなかった俺達は、ノープランで広大な都会の海に紛れた。平日、水曜日。辺りはスーツ姿のサラリーマンと、セレブリティなおば様で溢れかえっている。
そんな中に居る、学生の俺達だ。気まずい事この上ない。
俺は近場のデパートを指差すと、美濃部に笑い掛けた。
「買い物なんか、どうだ? ……バイトしてないから、あんまり小遣いはないけど」
「あ、うん。見て行こっか。大丈夫、私、バイトしてるし」
……おお純よ、金も無いとは情けない。美濃部に気を使わせてしまったじゃないか。
今度、バイトの求人広告を探す所から始めようかな……。好きな娘とデートに来て、茶代一つ持てないんじゃ流石にカッコ付かないし……
世知辛い学生事情を、こんな時に知るのだった。
美濃部はチラチラと、俺を見ては胸の辺りで手を揉んでいた。
「……美濃部?」
だが、美濃部は手を後ろに回して、恥ずかしそうにそっぽを向いた。
「な、なんでもないっ」
なんだ……?
俺の視界で、ケーキがちらついた。何だよ、こんな時に……。何やら、両手を振って俺にアピールしている。
面倒だな……。仕方なしにケーキと目を合わせると、ケーキは俺の耳元に飛んで来た。
「手を繋ぎたいのでは、ないでしょうか」
――――なに?
「ほら、こういう時は、男の人から繋いであげないと」
俺は眉をひそめて、美濃部の様子を再確認する。背の低い俺よりも背が低い美濃部は、上目遣いに俺に流し目を送っては、目が合わないように前を向く。何度か、そんな事を繰り返していた。
後ろ手に回された白い指が、何やらもじもじと動いている。
いや、まさか。本当に?
俺は普段歩く時、ポケットに手を突っ込んでいるため――当然の事ながら、美濃部は今まで俺の手を握る瞬間などなかった。
美濃部の手を見る。
ふっくらとしていて白く、男の手とは明らかに違うものだった。
……握るのか?
アレを?
「……そ、そ――うだ、穂苅君。デパートの中にね、ケーキ屋さんがあるの。ちょっと、食べて行こうよ」
美濃部はデパートのフロアマップを指差し、俺に合図した。降ろした瞬間、美濃部の左手が、それとなくジーンズのポケットに親指だけ入れている俺の、手の甲に当たる。
――無理無理無理無理!!
普段、姉さんや杏月に腕を絡められていたのは、もしかしたら手を繋ぎたかったからなのだろうか、などと今更思う。
ケーキが不満たらたらの顔で、俺の周りを飛んだ。
「純さーん……の、意気地なしー……」
「うっせえ!!」
思わず反応した俺の言葉に、美濃部が驚いて身を縮めた。周囲の人々が、俺の台詞に反応して俺を見ていた。
い、いかん……。これ、ケーキの向こう側に人が居たら大変な事になっていたぞ。
「ご、ごめん。嫌だった?」
「ああいやっ、違うんだっ。ちょっと、走ってた車の音楽がうるさくてさ。ケーキ超好き!! 超食べたい!!」
「ほ、ほんと!? 穂苅君は、どんなケーキが好きなの?」
……しまった。何故、こんな話題に。ケーキの種類なんてほとんど分からないよ。
俺は神の使いと噂の、駄目な方のケーキを睨んだ。
ケーキは口元を両手で抑えて、必死で俺と目を合わせまいとしている。
……食われろ、お前。
「名前は分からないんだけど、ピンク色で、あれかな。羽根が生えてるくらい美味いケーキがあってさ」
ケーキはショックを受けている。
「え、何それ!! イチゴとか? 着色してれば、リンゴとかもあるよね」
「ちょっと憎たらしい味なんだけど、すげえ美味いんだよ。名前、なんだったかなー」
ケーキはガタガタと震えていた。
……ちょっと面白い。
「なんだろー、食べてみたいなー」
ほんわかと笑い、柔らかそうな頬を蕩けさせている美濃部の姿は、俺の理性にダメージを与えるには十分だった。
美濃部の希望通り乙女ケーキ屋さんに入った後は、映画を見て遅めの昼食を食べる。流行りのベーグル専門店で茶をする頃には、すっかり俺と美濃部のぎくしゃくとした関係も、角が取れて滑らかに丸くなっていた。
どうでもいいような学校の話題で盛り上がりながら、いつしか時は過ぎた。俺も美濃部も互いの立場など忘れ、楽しんでいたように感じる。
ベーグル専門店を出る頃には、辺りはすっかり暗くなっていた。
「っん――。ちょっと疲労――」
美濃部はうん、と伸びをした。今日の朝には考えられない仕草に、俺は思わず肩の力を抜いてしまう。美濃部は楽しそうに俺を見ると、笑顔を見せた。
「すっごい喋っちゃったね」
「だな」
「あのね、最後に行きたい所あるんだけど、いい?」
美濃部はふと、そのように言ってきた。俺が頷くと、美濃部は俺の手を取った。
思わぬ距離の近さに、俺の心臓が一瞬、跳ね上がった。
いささか、美濃部も大胆になったのかもしれない。
「行こう!」
美濃部は走り出す。場所も分からず、俺は美濃部に手を引かれたままで、走り出した。
――その光景に、何故か既視感を覚えた。
まるで、遠い日に同じような出来事があったかのような――……
だが、その既視感が何だったのかを特定するには至らず、二人に当たる夕日に紛れ、消えてしまった。
美濃部は俺の手を引き、建物に入る――展望タワー? エレベーターに入ると、ぐんぐんとエレベーターは上へ向かっていく。どこか美濃部の様子には、違和感があった。
まるで、寂しく思う気持ちを、無理矢理に笑顔で上書きしているかのような。
「ね、穂苅君。展望台って、見たことある?」
「……いや。一人じゃあ、あんまり行く機会、無かったから」
「私も初めてなの」
美濃部は、さり気なく俺の腕に身体を寄せてきた。
……な、なんか、妙に積極的じゃないか? 今までの美濃部とは、また印象が違う。
「……なんか美濃部、良い匂い、するね」
「や、やめてよ。恥ずい、じゃん」
美濃部の頬は、うっすらと赤い。二人きりだから、ハイになっているのかもしれない。
「わあ……!!」
丁度太陽が沈む瞬間だったようで、美濃部は歓声を上げて窓へと走って行った。俺は後ろからそれを追い掛けた。
だが、美濃部は夕日を見ると、立ち止まった。その停止に妙な感覚を覚えて、俺は立ち止まった。
美濃部は沈む夕日から振り返り、俺の方を向いた。はっと気付いて、俺はその光景を『思い出した』。
「きっ、きっ、き――ょうは、勝負用の、香水、付けてきたの」
――これは。一回目。
美濃部はデートの帰りに、俺に同じ事を言った。夕日の逆光に、美濃部の顔に影が出来る。それが美濃部の表情にコントラストを与え、不思議と幻想的な印象を作り出した。
俺は、その手を取りそうになる。
だが、美濃部は俺に両手を隠した。
「お、お、恐れ入った? わ、私だって、やる時は、やるんだよ」
恐れ入ったよ。俺はすっかり、美濃部の魅力に取り憑かれていた。
美濃部は、笑った。
それは、辛そうに。
「――もう、帰らなくちゃ、だめなの」
俺は、笑うことが出来ない。
一回目、美濃部立花は俺に告白した。俺はとうに、その返事を出せないままで、姉さんに殺されてしまった。
今度は、美濃部から。
――俺達は、出会い、そしてすれ違っていく。
「今日、すっごく楽しかった。感動した。穂苅君、ほんと、良い人だなって、思う。ありがと。私、もう明日からは、学園には、行かないから」
美濃部は俺に駆け寄ると、背伸びをして、俺の頬にキスをした。
ふと、前髪で表情を隠すと、俺の胸に頭を預けた。
「――私のものに、なればいいのに。大っ嫌い。……大好き」
それは、ほんの一瞬のことで。
美濃部は俺の脇を通り抜け、エレベーターへと走って行く。
もしかして、タイミングを計っていたのだろうか。エレベーターは丁度、開いた所だった。
エレベーターに向かい、エレベーターに入る。俺は振り返り、美濃部の後ろ姿に、
「美濃部!!」
声を掛けた。
美濃部は振り返ると、両手を後ろで組み、
きっと、その日一番の、優しくて儚い微笑みを、浮かべた。
「ばいばい。……シスコン」
最後に、そんな悪態を付いて、
扉は閉められた。
俺はその扉を、ただ眺めていた。
「はー。美濃部さん、本当に行ってしまうのですね」
――マンションに到着する頃には、すっかり外は暗くなっていた。
ケーキが肩を落としてぼやいた。俺は無言でマンションのエレベーターに入り、家へと向かう。
……今日、時間が巻き戻らなければ、きっと俺はもう。美濃部とやり直す事は、出来ないだろう。仮に明日に殺されたとして、俺が次に巻き戻る時間は、良くて六月十九日の朝。
もう、自宅謹慎をやり直す事はできない。
可能性があるとしたら、今日しかない。
「……純さん?」
俺は覚悟して、扉を開いた。
「……姉さん」
「あ、純くん! おかえり!」
キッチンに居た姉さんは、俺に笑顔を浮かべた。
……普通だ。
その様子が、ほんの一瞬だけ、残念に思えてしまった。同時に、女の子とデートをして帰って来たのに、姉さんが普通な状態であることに、少しだけ安堵する。
分かっているのか? 自分が死ぬって、そんなに簡単な事じゃ、無いんだぞ。
これは、良かった事だ。……いや、でも残念な事だ。
生命が事切れる瞬間の痛みは、想像を絶する。
分かっているけれど。
「どうだった?」
「……ん、まあ。普通」
「うん、なら良かったよ」
姉さんは帰って来た俺を抱き締める。
食卓をどけると、俺をリビングの真ん中に立たせた。
「どうしたの? 姉さん」
「うん、もうすぐね、準備できるからねー」
サラダ油を取り出した姉さんは、その蓋を開けた。
――――え?
「……ちょっ、ね、姉さん!?」
姉さんは、リビングにサラダ油をぶちまけ始めた。どばどばと、リビングは油で染まり――俺の素足を濡らした。
「良いこと、思い付いたの」
姉さんは、俺を抱き締める。
「今夜は、記念日!」
俺は視界を姉さんの身体に奪われ、身動きが取れなくなっていた。……何だ? なんか、カチッっていう、無機質な、
――待って。待って、待って、
「何してんだ姉さん!? おい!! ちょっと!!」
もっと、包丁で刺すとか、崖から落ちるとか、苦しくない方法、あるじゃないか。
いや、その前に、どうして? ついさっきまで、姉さんは普通で、
……普通じゃなかったのか?
やっぱり、俺が女の子と二人で出掛けるのは暴走の原因になるのか?
――熱い。
「熱い!! 姉さん、熱いよ!! やめて!!」
「今日は、純くんと永遠を結ぶ、記念日だよ」
俺は無理矢理に姉さんから顔を引き剥がし、辺りを確認して――
なんだこれ。火事か。
姉さんは薄ら笑いを浮かべたまま、愛おしそうに俺を見ている。
俺の身体は、既に燃え始めていた。
「目を開けないで。怖くないよ」
ごめん。やっぱり、自殺するっていうのはナシだ。既に火傷を通り越した痛みは、俺の身体を蝕んでいる。
でも姉さんの強靭な腕力が、俺を捕まえて離さない。
目の前の姉さんの目には、
生気が無かった。
「熱い!! あづあっ、ああ!! あああああ!!」
「――大丈夫」
姉さんの親指が、俺の目に迫った。
「すぐ、楽になるからね」
ぐちゃり、と目が潰れる感覚があった。
◆
夢を見ていた。
姉さんが水浴びをしている。湖の真ん中で、真夜中。月に照らされて、白い肌が光っている。
その背中に真っ黒な、月の光に照らされても発色しない――翼のようなものが、微かに見えた。
長い髪は黒く、目は紅い。
どうして、それを姉さんだと思ったんだろう。
目覚ましの音がして、俺は目を覚ました。
勢い良く起き上がると、全身を撫でさすった。
寝間着を脱いで、身体の状態を確認する。
――火傷の痕はない。
「戻っ、たのか」
まだ、呼吸は荒い。俺は目覚ましを止め、立ち上がり――よろけた。
身体が、ひどく重たい。まるで風邪でも引いたかのような重さだった。ケーキは、また俺と姉さんのベッドで眠っている。
日付は、六月十八日。
――六月、十八日だ。
吐き気を催して、俺は洗面台に走った。
「おはよ、純く……」
躊躇わず、洗面台に胃酸をぶちまけた。
「純くん!!」
姉さんが心配しているとか、どうして暴走したのかとか、ひとまず今、そんな事はどうでもいい。
――戻れた。
戻って来られたんだ。
「……平気、姉さん。俺は大丈夫」
把握して、計画を立てろ。今日一日、誰がどのように動くのか。俺は全てを確認してきた。
俺だけが、今日一日で起こる出来事の全貌を知っている。
やりたいように出来るはずだ。
――――戦いに、行くぞ。