つ『4人のカラオケで何をすべきか』 後編
曲が始まると、聞き覚えのある懐かしいメロディーがスピーカーから流れてくる。美濃部は予想外に歌が上手く、どうして青木さんが美濃部を連れて来たのか、なんとなく理由が分かった気がした。
どのようなドラマを作るつもりなのか知らないが、俺以外はある程度、芸術分野についての知識を持っているのかもしれない。
なんか、場違いな気がするのは俺だけだろうか……。
一回目は微塵もそんな話にならなかっただけに、俺は違和感を拭う事が出来ない。
歌い終わると、青木さんが時間を確認していた。
……そろそろ、ファミリーレストランに行こう、と青木さんが言い出す頃かな。
「十分前だねー。誰かまだ、歌いたい人ー!」
青木さんは俺達にそう告げる。越後谷は空気を読んだのか、操作していた端末を止めた。美濃部は元から、あまり歌う事をしていないようだった。あんなに歌が上手いのに、どうして歌うつもりにはならないんだろう。
何か、理由があるのかもしれないな。
「それじゃー、これで終わりにして」
「ファミレスでも、行く?」
俺はつい先手を取って、青木さんにそう言ってしまった。青木さんは目を丸くして、俺の言葉に頷く。
……あんまり、エスパーみたいな事はやらない方がいいって、分かっているんだけど。知っていると、どうにも。
越後谷が何か、険しい顔で俺のことを見ていた。
ファミリーレストランに到着すると、青木さんは人数分のドリンクバーを注文する。日時と境遇こそ違うが、この展開も知っている。
何も気付かないように、しておこう。
「はい、それじゃあ今日は皆さん、お疲れ様でした!」
全員分のドリンクバーを注文すると、青木さんは笑顔で手を叩いた。……前回はその笑顔が妙に引き攣っていたけれど、今回はそういうこともない。
恐らく、掴みは上々だったのだろう。俺はコーヒーを啜りながら、そう考えた。まあ青木さんの目的はバレバレだし、俺もそのように動いていたからな。
「えっとね、十月の学園祭に向けてなんだけど、今回はこのメンバーでやっていけたらなって、思ってます。台本ができたらまた、皆で集まりたいかなー、と」
俺は、無意識を装って美濃部立花を見た。
可愛らしく、人見知りで、喋るのは苦手。今日も、俺は一人だというのにロクに話し掛けてくる事もせず、何かぶつぶつと喋りながら俯いている。こういう状態だから学校では俺に話し掛けて来なかったのだ。
しかし、姉さんが常に隣に居るのに俺のことが好きになったというのも、中々にすごい感性の持ち主だと思う。どう見ても、俺はただのシスコンだろうに。
何か、言葉では言い表せない感情を抱えているのだろうか。
美濃部と目が合った。俺は、ふと笑い掛ける。
――目を逸らされた。
ちょっとショック。
「それじゃあ、残りの時間は雑談でもして、今日は終わりにしよう」
青木さんはそう言って切り上げると、席に座った。……何か、俺から話題を出さないといけないだろうか。
「青木さんは、学園祭でどんなドラマを公開したいと思ってるの?」
俺が問い掛けると、青木さんは口元に指を当てて考えた。
「んー……。激しいアクションみたいなのは、難しいだろうからね。恋愛ものかな」
「そもそも、何で映画?」
「前の学年まではね、映画部っていうのがあったんだけど。映画を観たり、作ったりする部活でね。無くなっちゃったんだよ、メンバー不足で。当時居たメンバーは全員卒業しちゃって、ちょうど跡形も無くなる感じで」
「へえ、そうなんだ」
「だけどね、学園祭で映画を公開していたの、その部活だけだったから。なんとなく、今年もやれたらいいなって」
……なるほど。お人好しな青木さんらしい。前任者の考えを継承して――みたいなの、好きそうだもんな。
越後谷がにやりと笑って、腕を組んで青木さんを見た。
「まー、自分から進んで何かを始めるの、初めてだもんな? 瑠璃は」
その言葉に、青木さんが顔を紅潮させた。
「うるさいな。別にいいでしょ!」
誤魔化すようにして、青木さんは美濃部の肩を叩いた。びくんと美濃部の身体が跳ねて、ただでさえ俯いていた顔がさらに見えなくなる。
「ほら、可愛い主役は居るし?」
……まあ、この流れに乗るのも悪くないけど。なんか、これじゃないという気持ちがある、よなあ。美濃部と運良く付き合う事になったとしても、ここまで推されると逆にやり辛いというか。
手段は何でも良いと言えば、そうなのだけれど。俺は姉さんの呪縛から逃れることが第一目標な訳だし。
……うーむ。でもなあ。
「美濃部さんは、どうして参加しようと思ったの?」
一応、話題を振ってみる。美濃部は俺を見ると、席を立った。無言でそのまま、テーブルから離れていく。
……あれー。それは、ちょっとなあ。でも、前からこんな感じだった気はする。懐かしくなってきた。
青木さんが苦笑して、美濃部の後ろ姿を眺めていた。
「……りっちゃん、悪い子じゃないんだよ。気にしないで」
「あ、ああ。別に気にしたりとかは、してないけど」
一応。辛うじて。
「なんか穂苅君、まるでりっちゃんが何を考えているのか分かるみたいな感じだね」
……おっと。そんなに、俺は行動を先読みして動いてしまっていただろうか。欲しい言葉を投げていただけのような気がするのだが。
案外、難しいな。変な人だと思われても困るしな……。
「二人は運命の相手だったりしてねー!!」
ごめん青木さん。俺、運命の相手は姉さんなんだ。残念ながら、神様が教えてくれたから間違いない。
個人的に言わせて貰えば、俺は美濃部より青木さんの方がタイプだけどな。
「……穂苅は、どうして参加しようと思ったんだよ」
「えっ?」
唐突に越後谷は俺を見て、頬杖をついて問い掛けてきた。何か、品定めをしているような目だ。越後谷が何を考えているのかなど俺はここまでの流れで一度として分かった事はないが――ああ、感じが悪いという事だけは分かるが――何かの疑問を俺に持っている事は分かる。
……もしかして、時が戻る事を悟られているのだろうか。
まさかな。決定的なアクションなんて、一つも起こしていないし。
「……まあ、高校生活、姉さんと居るばっかりで何もしてこなかったから。最後に一つ、まともな企画に参加しても、良いかなって」
一応、それっぽい理由は付けておいた。いや、本心だぞ。決してドラマ作成に興味がなくて、単に出会いを求めてここに来たってだけではないぞ。
……多分。
越後谷は俺の言葉に鼻を鳴らして、携帯電話を取り出した。
「ふーん」
どうでもいいが。……この際、文句なんて言わないけどさ。
その「ふーん」って言いながら興味を無くすの、酷く感じ悪いぞ。言われる方は。
やっぱり、どこか相性の合わない奴だな……。
「ちょっと越後谷、感じ悪いよ」
青木さんも同じ事を考えたのか、越後谷に文句を言っていた。越後谷は青木さんを一瞥すると、訳が分からないという様子で青木さんを見ていた。
「……何が?」
「えっ? 何がって、そういう態度」
「……ああ? どういう態度だよ。ちゃんと喋れ」
「えっ……いや、えっと……」
天然か。そうなのか。
……ま、良いんだけどさ。
◆
こうして、美濃部を含むドラマ制作チームとのファーストコンタクトは終了した。
本当は二回目のコンタクトだが、この際そんな事はどうでもいい。無事に終了出来たことが何よりだ。
六月九日。美濃部立花と三回目の出会い。漠然としているが、ある程度予想の範疇では把握できた事もある。
一回目、美濃部が俺に告白してくるタイミングが八月だったのは、それまで俺と接触する機会が無かったからというだけの話ではなさそうだ、ということ。
美濃部自身にも気持ちの整理が出来るのが、それくらいの時期だった、ということが分かった。
勿論、この決断は俺の行動によって覆す事は可能かもしれないし、無理に近付き過ぎて幻滅する可能性もあるかもしれない。
だとするならば、美濃部と二人で接触する機会を作り徐々に距離を縮めていくのが、美濃部立花と付き合うという俺自身のゴールを目指すにあたって、最も有効であるという結論になる。
帰り際、一人になってから、俺はそのような事を考えて歩いた。今日はハンカチを貸した事もないし、姉さんにも事前に報告してあるし、特に問題はないだろう。
「今日は一歩前進ですかね、純さん」
一人になると、ケーキが初めて口を開く。二人以上で居る時に喋ると俺がただの変人になってしまうから、配慮してくれているのだろう。
俺はポケットに手を突っ込み、傘を左手に歩いた。夜になると雨も止んで、雲の隙間から月が顔を出すようになっていた。
梅雨が明けるまでは、まだ長いだろうが。
「……前進って、言えるのかね。まあ、美濃部とは悪い印象を与えず、上手くやれたかもしれないけど」
「それは前進ですよー! 早く彼女を見付けて、お姉さんとの事を解決しましょう!」
……姉さん、元気だろうか。杏月が現れ、青木さんが仲間と共に現れ、俺の生活には大きな変化が起こった。
学園中心の生活になると、途端に姉さんが遠く感じる。……こんな事、今までに無かったな。
姉さんは同じ学園に通っていないからこそ、あのように懸命にベタベタしてくるのかもしれない。少なくとも学園では、俺の気持ちは離れていく一方なのだから。
なんというか。
俺は立ち止まった。
「純さん?」
「ケーキ。相手は誰でも良くて、相手さえ見付ければ、姉さんは諦めるのか?」
「うーん……私も、前世のことまでは把握できていないのですが……。神様は、そのように仰っていた気がします」
……本当に使いっ走りのような存在だったのかな、ケーキ。ここまで情報を知らされていないのに送られて来るのだから、余程阿呆なヘマをしたのだろう。
訝しげな瞳でケーキを見ると、ケーキはぶう、と頬を膨らませた。
「なんですかなんですか! すいませんでしたね、何も知らなくて!!」
「ああ、全くその通りだが……」
「ごめんなさい!! 本当に、反省してます!!」
まあケーキはこうやって何度も謝っている事だし。俺が何を言っても仕方がないということは、あるのだが。それにしたって情報を持っていなさすぎるだろう。
何れにしても俺が恋人を作らなければ先に進めないと言う話は、現在進行形でずっと進んでいるのだ。
「――ケーキ、俺、美濃部と付き合うよ」
「美濃部、立花さんですか? うーん……あんまり脈があるようには見えませんでしたけど……」
「お前は一体、何を見ていたんだ……」
彼女居ない歴の俺でも分かる事が理解出来ないとは……。
姉さんは神の使いになる予定だったと言うのだから、当然ケーキにも人間だった時代がある筈で。きっと、聖職者か何かで結婚をしていなかったとか、相手が居なかったとか、そんな感じなんだろうなあ。そう思う事にしよう。
「んなっ、なんですかその目は!! 私の事を可哀想な娘みたいな顔して見ないでくださいよ!!」
「……あ、いや。すまん、つい」
「つい、って!!」
とにかく、今の俺に出来ることを、やろう。
姉さんを暴走させずに、美濃部立花と付き合う。青木さんにも協力して貰えれば、きっとどうにかなる筈だ。
幻滅させてはいけない。拒絶されてもいけない。あの人見知りの心を開かせる技術を、俺の中に身に付けるんだ。
今度は、本当に本気で。
「んん、良い匂いがします。今夜はシチューですね」
そんな事を考えていたら、家に辿り着いた。
まずは、距離を近付ける所からだろうな。考えながら、俺は家の扉を開いた。
「ただいまー……」
返事はない。
……なんだ? やけに静かだな……。キッチンではシチューが静かな音を立てて、とろ火で煮込まれている。あれだけ火が小さければ、焦がさなければ大丈夫だとは思うが……。姉さんが火を点けっぱなしにして離れることなんて、今までにあっただろうか。
寝室には居ない。居間を確認して――……
――俺は、驚愕した。
「姉さん!?」
床に倒れている姉さんに駆け寄り、身体を起こした。
な、何があったんだ……!? 姉さんは虚ろな瞳で目尻に涙している。目線の焦点が合っていない。俺は焦り、状況をどうにか把握しようとした。
「大丈夫、姉さん!? 俺の言葉、分かる!? しっかり――」
眉根を寄せて、その人を呼ぶ。
姉さんは、ぜえぜえと浅い呼吸をして――……
「……んっく、……んっ……ふぁ、純くん……?」
――あれ?
「純くん……!!」
急に激しく動いたかと思うと、
唇を奪われた。
「んんっ……!?」
唐突の事に成す術もなく、勝手に走り出した意識は動転し、焦燥から混乱へと俺を導いた。
そして、混乱から――羞恥へ。
腰から抱き締められ、そのまま姉さんに覆い被さるように倒れ込んだ俺は、強烈な圧迫に顔をしかめた。……ちょ、アバラ。アバラ折れる。
何だコレは。一体、何がどうなっているんだ。
どうにか身体を離すと、姉さんはシチューよりもとろけた瞳で俺を見ていた。
「姉さん……」
俺は苦い顔をして、姉さんを見た。
もしかして、これはアレか。調子が悪いんじゃなくて……。
「純くん、ごめんね。……ちょ、ちょっと、あまりに離れ過ぎて、限界、が」
……杏月。やっぱりこっちもクソビッチかもしれない。いや、今更か。
どうやって、逃げよう。