つ『美濃部立花は恋人になれるか』 前編
まず、結論から言おう。
俺が一人で友達と遊ぶなんて、到底無理な話だったのさ。
五月二十六日、土曜日。俺は青木さんとの約束を果たすべく、都内の某アパレルショップ前で待っていた。なにぶん、どのような格好で皆が来るか分からなかったため、今日の俺はベージュのチノパンに春物の黒いジャケット。ジャケットの下はドレスシャツだが、見方によってはカジュアルでもフォーマルでも通用するのではないか、という格好だ。
腕時計で時間を確認。十一時。待ち合わせの時間ピッタリになると、それは現れた。
いつも通り、短めのツインテールで、今日は莓の髪留めを用いている。青いデニムジャケットに、薄桃色のミニスカート。その下は縞模様のニーソックスで、絶対領域なるものが目に眩しい。
穂苅杏月は俺を確認し、手を振って――後ろの影を見て、表情をフリーズさせた。
「……お、おはよー、お兄ちゃん。あれ、お姉ちゃんも来てたんだー? ちょっとびっくりしちゃったよ、えへへ」
微妙な空気が隠し切れていないぞ、杏月よ。
俺の背中から――とは言っても俺の方が背が低い上、ヒールを履いていては隠れようもないが――姉さんが、顔を出して杏月を見た。
事の顛末は、昨日の夜。五月二十五日の金曜日。姉さんは晩御飯時になると、こう言ったとさ。
『ねえねえ、純くん。明日、お休みだよね? もし良かったら、一緒にお買い物――』
『……あ、ごめん。明日はちょっと、青木さんのドラマ関係の人と会う事になってて』
そこまで話して、俺は気付いた。一回目は、「もちろん男だけなんでしょ?」と続いた事を。もしもそう聞かれたらどう返答しようか、同じルートを辿る訳にはいかない、などと考えていたら――思いがけぬ言葉が、姉さんから発されたのだ。
『もちろん、杏月は来ないんでしょ?』
流石にこれは、本当の事を話さざるを得なかった。
『いや、行って良いかって確認を取ってたから……多分、来るんじゃないかな』
『……そっか』
瞬間、姉さんはミディアムレアのステーキ肉にフォークを突き立てた。力が入り過ぎていて、ガツン、と皿まで届いて食器が悲鳴を上げたものだ。思わず俺は、衝撃に身体が硬直してしまった。
『――私も、行って良い?』
例えば、この状況で『いえ、それは駄目です』と答えられる人間が、世の中に何人居るだろうか。……少なくとも、俺には無理だ。
今日の姉さんは場違いなほど優雅な黒いドレスに黒いハイヒール。別に結婚式帰りという訳ではなく、姉さんの私服は派手なものが多いのだ。ドレスに見えるが、確かワンピースという括りで売っていたような気がする。
格調高い見た目というものがどれだけ周りに影響を与えるかを知っている姉さんは、服装に妥協をしない。家の中の装備はいかに安いものを仕入れるかを追求していたような気がするが。
意外と安かったりはするが、安っぽくはないという所がポイントだ。
あ、食材とベッドは勿論、最高級のものだ。理由は分からない事にしている。
姉さんは杏月を見ると、唇を一文字に縛って俺の首に巻き付いた。そっと、力が入る。
……痛い。痛い痛い。締めすぎ。
「お兄ちゃん、さっきそこでクレーンゲームを見付けてね! 一緒にやろうよー」
「……まあ、皆がゲーセン行きたいテンションだったらな」
「ええー」
杏月は背中の姉さんを完全に無視して俺と話している。怖いよ。この間に挟まれたくない。
青木さんは……と、お、あれじゃないか。いつも通りの黒いポニーテールが揺れていた。姉さんと杏月に比べるといささか地味な、リボンのついたシャツに緑色のカーディガンを羽織っていた。うん、あれくらいがちょうど良いよ。俺を見ると、状況を確認して少し苦笑しながら手を振った。
姉さんが付いて来ている事に驚いたのだろう。でも青木さんはすぐに平常心に戻ると、俺と姉さんに笑い掛けた。
「おはよう、穂苅くん。……と、お姉さん」
「おはよ、青木さん」
「あはは、おはようって言っても、もうすぐお昼だけどね」
姉さんは青木さんに申し訳無さそうにしていた。その様子を見て、青木さんが気を遣う。……まあ、姉さんの気持ちも分からなくはないが。
「……ごめんね。ちょっと、場違いだったよね」
「大丈夫ですよ。沢山居た方が楽しいし、特に困りませんから」
とはいえ、青木さんは結構困っている様子だった。
……まあ、そうだろう。俺一人誘った事で二人おまけでくっついて来たとなれば、他のメンバーがなんと言うことか。この間の昼食メンバーと言う事ならばまだ話も分からなくはないが、今回は青木さんの連れが二人付いて来るのだ。
俺だって、同じ立場で友達を誘った時、姉と妹がセットで付いて来たら少し困ると思う。
「……おい、瑠璃。連れて来た奴って、そいつかよ」
「越後谷」
ほら、言ってる側から抗議の声が聞こえたぞ。
見ると、長身でやや細身の、目つきの悪い男性が俺を見ていた。金髪の長身で、ドクロマークの入った黒い革ジャンを羽織り――ロックバンドか、チンピラみたいな格好だが。本当に青木さんの友達なのか。
……あれ? 青木さん、今、こいつのこと苗字で呼び捨てにした? こいつは青木さんの事を名前で呼び捨て?
どういう関係なんだ……?
越後谷と呼ばれた男は、俺を見て苦い顔をした。遠慮の無い奴だ。
「しかも保護者兼恋人同伴かよ……」
「は、はじめまして……純くんの姉でーす……」
姉さんはそそくさと俺の影に隠れた。
ええっ!? 姉さんが怯えている。この姉さんが……? いや、貴女はどんな場合でもこの状況なら一番年上なんだから、そこまでビビらなくても……。
越後谷は杏月を一瞥すると、指をさした。……あんまり、礼儀は無いようだ。
「こっちは?」
杏月は越後谷の手を取ると、いつもの媚びまくりスマイルで越後谷に笑い掛けた。
「初めましてっ! 穂苅杏月でーす!!」
越後谷はそのテンションに付いて行けないようで、杏月の手を離すと、俺を見た。
「……お前、名前なんだったっけ?」
「穂苅。……穂苅純」
「姉妹丼かよ……」
「違うわ!!」
「ストップ、ストップ!!」
慌てて青木さんが俺と越後谷の前に出て、両手を振った。出会って早々喧嘩になると思ったのだろうか。……そうはならないが、なんと非常識な奴だろうか。
いや、非常識なのは俺も同じか? 姉と妹をプライベートの場に連れて来るって、あんまり無いもんな……。
「はい、えーっと、穂苅君、こちら杏月ちゃんと同じクラスの越後谷司。幼稚園からの幼馴染で、今でも友達なの。役者の経験もある人なんだよ」
越後谷は杏月を見ると、怪訝な表情を浮かべた。
「あれ、同じクラスか……?」
「こないだ、海外から戻って来たんだよ」
越後谷は紹介されたにも関わらず笑顔になる様子はなく、溜め息を付いて背を向けた。……俺、あんまり越後谷は好きになれないかもしれない。背が高いし。発言に道徳がないし、背が高いし。
後ろに立っていた姉さんが俺の手を引いて、近くのデパートに駆け込んだ。急に手を引かれて転びそうになる。
「ちょっと、姉さん!?」
姉さんは俺の言葉を無視し、デパートに入って壁に隠れた。……どうして、俺だけ息が上がっているんだろう。同じ距離を走った筈なのだが。
深刻な表情で、姉さんは俺を見ていた。
「……やっぱりお姉ちゃん、場違いじゃないかなあ」
「今更!?」
来る前に気付けよ!!
それ以前に、姉さんも人見知りの少女のようになっているのは問題だ。
「ちゃんと、挨拶してよ。普段仕事でやってるみたいにさあ」
「……だ、だって。なんか、若い子相手だと緊張しちゃって……」
「三つしか違わねーよ」
「大きな違いだよ!!」
姉さんは頬を赤らめて、両手の人差し指を突き合わせていた。急に自分の髪の毛を気にし出したり、挙動が安定しない。
やれやれ……
「……えっ!? 連れて来た奴って、シスコン!?」
……遠くから、非常に傷付く驚きの言葉が聞こえた。俺はデパートを出る。姉さんはおろおろとしながらも、俺の後ろを付いて来た。杏月がすぐに駆け寄ってきて、俺の手を掴んだ。
今にも姉さんから引き剥がしそうな気合いが、幼気な笑顔の奥に見え隠れしている。
隠し切れてないぞ、杏月。
「お兄ちゃん、皆揃ったよ!!」
俺は集まりの方を見た。最後の一人は、杏月と同じくらいには背の低い、小柄な女性。ウエーブの掛かった艶のあるオレンジの髪に、フリルの付いた少女趣味なワンピースを着ていた。今時蝶々結びの赤いリボンなんて、あまり見ない。
確か、同じクラスだったような気もする。あまり話したことはないが。
名前も分からないほど面識が無いのに、どこか懐かしい感じがした。
なんだろう。
「あ、穂苅君。彼女は分かるよね」
俺は首を傾げた。……ごめん、青木さん。普段姉さんから逃げるのに精一杯だし、クラスの人には避けられているからあまり話さないんだよ。
少女趣味な女の子は俺が一目で分からなかったからなのか、急に不機嫌になったようだった。
「……あ、えっと、穂苅君。同じクラスの、美濃部立花さん、りっちゃんだよ。同じクラスの人くらいは覚えていようよ」
「ご、ごめん。あんまり面識無かったから。……よろしく」
俺が挨拶しようと手を伸ばすが、美濃部は汚らわしいといった様子で俺の手を見ると嫌そうな顔をした。
……この女。
仕方なしに、俺は手を引っ込めた。
「なんでシスコンなのー!!」
堂々と俺の前でそういう事を言うんじゃない。……まあ、姉さんを連れて来ている俺も俺だが。隣には妹まで居るが。
……とにかく、これで全員揃った。
一回目の記憶があまりないのは、やっぱり三ヶ月も時が戻ってしまったからだろうか。どうにも、すっかり記憶が薄くなってしまっている。
もしも時が戻る事が『俺の中での時間の経過』に含まれるとするなら、二、三日前に戻るというのは、俺の記憶力の関係で同じ事を何度も繰り返さないようにするための配慮なのかもしれない。
……あれ? そうか。美濃部立花って、もしかして……
「何よ、シスコン」
俺が見ていると、美濃部は心底嫌そうな顔をして俺を見た。……どうして、そんなにも嫌われているのだろう、俺は。一回目に一緒にデートしたのは、美濃部だったっけ? などという疑問を掲げた上での視線だったが、まあそれは無いだろう。
一回目、青木さんは『この人なら』という事で、その娘を紹介してくれた気がする。
俺のことを嫌いな奴は紹介しないだろうから。
……しかし、美濃部じゃなかったかなあ。
どうにも腑に落ちない……。
◆
カラオケが終わると、俺達は都内を見て回り、適当に時間を潰した後ファミリーレストランに向かった。青木さんが俺達と、越後谷・美濃部の二人との間を取り持ち、一見グループは仲が良いように思われた。
……実際の所、俺も姉さんも越後谷と美濃部にはあまり話し掛けなかったし、越後谷も俺と姉さんはほぼスルーで、勝手に一人の時間を過ごしていた。
美濃部に至っては、常に喧嘩腰なので取り付く島がない。
唯一杏月だけが好き放題色々な奴に話し掛けていたが、越後谷には相手にされなかったようで、それももう諦めたらしい。
そして――……。
「はい、それじゃあ今日は皆さん、お疲れ様でした!」
全員分のドリンクバーを注文すると、青木さんは笑顔で手を叩いた。……若干顔が引き攣っているように見えるのは、多分気のせいではない。
上手く行かなかったんだろうなー、などとぼんやり考えながらコーヒーを啜った。申し訳ないけど、友達も恋人もほとんど居ない今の俺にとって、初対面の人に話し掛けるのは結構大変なんだ。
愛想を良くするのが精一杯。特にこれといって、話題もないしな……。
面倒見の良さは、姉さんに負けず劣らずの青木さんだった。
「えっとね、十月の学園祭に向けてなんだけど、今回はこのメンバーでやっていけたらなって、思ってます。脚本ができたらまた、皆で集まりたいかなー、と」
十月、か。その日まで生き残る事が出来れば、俺にも彼女が出来ていたりするんだろうか。
一応、猶予は卒業まであるんだけども。……この状況では、ちっとも解決策なんか出て来ない。
「そっ、それじゃあ、残りの時間は、雑談、しましょうっ」
……ごめんね、青木さん。俺も出来れば協力したいんだけどさ。いかんせん越後谷は自由過ぎるし、美濃部は俺の事を睨んでいるしで、どうにも。
杏月は何喰わぬ顔でモンブランを注文していた。それがテーブルに到着すると、意気揚々とフォークを手に取って――
「お兄ちゃん、あーん」
……やはりそれか。本当、こいつも見境ないな。
「やめなさい杏月。他の人が居るでしょ」
姉さん。その発言は正しい。……正しいけど、貴女が言っても説得力は皆無だ。杏月は姉さんの言葉を無視して、俺に黙々とモンブランを食べさせていた。
「やっぱり、旬のスイーツが美味しいよねー!」
え? 五月、栗? 違うだろ……。
ガタン、と大きな音がして、携帯を操作していた越後谷までもが見上げた。ぶるぶると全身を震えさせて、頬を真っ赤にしていた美濃部が――だから何故、俺を睨む。
「あっ、あっ、あっ、あなたねえ、姉と妹にベタベタされて、鼻の下伸ばし過ぎよ!!」
……伸ばしてないよ。さっきから困ってるじゃないか。
美濃部は、目尻に涙を浮かべて俺を睨んでいた。全く意味の分からない俺は、呆然と美濃部を見るしかない。
だが、それは唐突な出来事だった。
美濃部がぼろぼろと、涙を零し始めたのだ。
「えっ!? ちょっ、美濃部!? ……さん!?」
俺は立ち上がり、ポケットからハンカチを出すと、向かいの席まで行く。青木さんが不安そうな表情で、美濃部を見ていた。
俺は美濃部にハンカチを渡そうとして――……
「帰る!!」
その手を、払い除けられた。
――瞬間、一回目の記憶を思い出した。ぼんやりではなく、鮮明に。遠い日の記憶を、蘇らせたかのように。
一回目、俺がデートした相手は。
『穂苅君、彼女の事は分かる? 同じクラスの、美濃部立花さん、りっちゃんだよ』
『初めまして。穂苅です』
――美濃部、立花だ。
やたら尖った態度だったから、どこか一致しなかった。オレンジ髪の彼女は、一回目に出会った時はとてつもなく人見知りで、……そう、例えるなら今の姉さんのような感じで。
『……ずっ、ずっと、好きでした!!』
とてつもなく、不器用な女の子だったから。