つ『俺と姉さんのそのあと』
さて。
時は巡り巡って、十年後!
……なんて言えば都合が良かったかもしれないが、『ノーネーム』との戦いが終わって『平常運転で』時間が流れるようになった今、そう簡単に時間は経過するものではない。
二○一四年、五月二十日。火曜日。
某二LDKのマンションの一室で、俺は目を覚ました。
「……また雨戸開けっ放しかよ」
一つ気付いた事がある。
姉さん、夜中にベランダに出て、その後に雨戸を閉めない癖があった。
元から姉さんにそのような癖があった気はしないので、おそらくこれは青木瑠璃の癖なのだろう。どうにも、現代の肉体を得た姉さんは以前よりも遥かに人間らしくなったというか、なんだろう。
天然ボケになった。
そんな気がする。
やれやれ、と思いながら俺は目覚ましを止める。朝の六時五分。きっかりである。この習慣も以前から染み付いているので、今はもう何もなかったとしても、そう簡単に変えられるものではない。
俺こと、穂苅純。大学生になりました。
高校時代は姉さんの希望で(?)やっていなかったアルバイトも、今では某ファミリーレストランで粛々とやるようになった。
え? 俺? もちろんレジ打ちとホール。料理はそんなに得意じゃないから。
如何せん姉さんの超速料理のせいで、やらせて貰えなかったので経験が少ない。
「姉さん。……姉さん、起きろ」
俺の隣ですうすうと寝息を立てる姉さんを、揺さぶり起こす。柔らかい肩に触れると少し朝の理性を失った頭がお盛んになるけど、そんなものに振り回されるほどヤワな鍛え方はしていない。
姉さんが帰って来た事によって、俺達は無事、というのか、全ての記憶を取り戻す事に成功した。
でもそれは、当然『時を戻した過去の記憶』も、関係者は全員思い出した結果になるわけで――……
その後の俺が大変苦労したことは、言うまでもない。
特に立花。立花は大変だった。謝りに謝り倒して、どうにか許しを請う事になった。
でも、おそらく立花のそれは演技だったのだろう。立花が本気で怒っているのかなど、何も考えなくてもすぐに分かる。
何故なら、本気で怒った立花は絶対に吃るからだ。
あんなにサラサラと喋る立花など、俺の知っている立花じゃない。
つまり、合わせてくれたのだ。
俺に。
「……んう」
「ねーさん、今日は皆が来る日でしょ」
もしかしたら、秩序への階段の時の事も共有できたらいいな、なんて少し思ったけど、敢えて口には出さない事にした。
あの出来事は、お互い夢のままにしておいた方が良いだろう、と思うのだ。
だから、もしも立花がそれを経験していたとしても、俺はそれを口外しない。立花も、きっとそのつもりでいるはずだ。
「駄目よ純くん、きゅうりはおへそに入らないよ……壊れちゃう」
「ねえ何してんの!? 夢の中の俺何してんの!? 何プレイなのそれは!?」
「……あれ? きゅうりは……?」
「ねーよ!!」
寝ぼけ眼を擦りながら、姉さんが起き上がる。
さて、現代に無事帰って来た事で、ひとつ大きな問題があった。当時の俺は十九歳、姉さんは二十二歳だったのに、姉さんが瑠璃の身体に戻ってきた事で、同年齢になってしまったということ。
そして、そうだとするならば、姉さんの職場はどうするのかということ。
これが驚くべきことに、姉さんは今の職場に学生時代から先行して居る、という設定になっていたらしい。
つまり、現代に戻ってきた二○一三年五月二十日の時には、当時十九歳の青木瑠璃は仕事を始めて一年目、という認識だったのだ。
対する俺は大学生。この差は一体。
「おはよー、純くん。頭痛い……」
「当たり前だよ、あんだけ飲んだら」
溶けそうな程に頬を緩めて、姉さんが俺の胸に抱き付いてくる。いや、それは大変嬉しいんだけどね。布団の中の姉さんはワイシャツ一枚。他には何も着てないわけで。
なんでワイシャツ一枚なんだ、この人……
昨日は姉さんの誕生日で、それから……ああ、そうだ。姉さん、二十歳になったから久しぶりに酒が飲めると言って、夜通し飲んでたんだっけ。
俺はまだ飲めなかったので、酒浸りの姉さんを介抱していたんだ。疲れて先に寝たけど。
それでワイシャツなのか……。俺が起きてた時はまだ、服着てたよな。何したんだ。
いや待てまさかベランダとか出てないよな!? 確認のしようもないけど!!
「あー、そうか、今日って皆が来る日なんだっけ……起きなきゃ……」
瑠璃の肉体に入った姉さんは、低血圧になってしまって朝が辛いらしい。
姉さんはベッドに膝立ちになると、うん、と伸びをした。俺は慌てて、姉さんの痴態から目を逸らす。ワイシャツ一枚の姉さんはボタンも留めず、大事な部分が丸見えになっているわけで……、
俺の表情に気付いたのか、姉さんは顔を赤らめて、言った。
「ごめん純くん、今寝起きで髪ボサボサだからあんまり見ないで……」
「いや問題はそこじゃねーから!!」
「――――へっ?」
姉さんの変更点、ひとつ。
元の身体に戻った、とでも表現すればいいのか、『青木瑠璃』の身体なのだが――に戻った姉さんは、どうにかして俺との子供をすぐに作らなければならない、という使命が消えた。
よって、俺達の明るい家族計画は、じっくり結婚してからでもやれば良いじゃない、という話になったわけで――……
「きゃっ……ちょ、なんで私……うわあああああっ!!」
――姉さんに、恥じらいが生まれた。
うん。これはとても、大切な事だと思う。
ちなみに、昨日の姉さんは飲み過ぎてベロンベロンになっていたので、当然の如く夜の記憶も無いのだろう。
酔っ払った姉さんは、まるで天使時代(命名)の姉さんのようだった。
別に拒否する理由もないのだけど、酒に酔った勢いで――なんていうのは嫌だったので、割と苦労してやんわりと断ったのだが。
「ごっ……ごめんなさい……お見苦しいところを……」
「とりあえず、着替えよーか」
「ハイ……」
棚から自分の着替えと共に姉さんの着替えも出して、俺は後ろの姉さんに投げてよこした。無言でそれに着替える姉さん。
いやあ、可愛いなあ。うん。
結局、姉さんの亜麻色の髪は最終的に、亜麻色に落ち着いた。
姉さんが亜麻色、瑠璃が濃い茶色だったので、どの辺に落ち着くのか興味があったのだが。日を追う毎に姉さんの髪色は変わっていき、最終的には元のままになったのだ。
それが、姉さん的に一番落ち着くらしい。髪を染めている訳ではないから、これは『ノーネーム』の細やかな配慮、ということだろう。
「ううん……頭痛い……」
「大丈夫? 調子乗って飲み過ぎるからだよ」
「だって、久しぶりだったんだもん……嬉しくて……」
若くなってしまったので、酒が久しぶりというのは奇妙な話だったけれども。
まあ、天使時代(命名)の姉さんはいくら酒を飲んでも酔い過ぎたりしなかったので、これは新鮮な光景だと言わざるを得ない。
俺は苦笑して、着替える姉さんの後ろに座った。
後ろから、姉さんの肩に触れる。
「きゃっ!? ちょっと、純くん!! まだ着替え中!!」
「いーから。じっとしてな、頭痛いんでしょ」
茹で蛸のように顔を真っ赤にする姉さんの髪を撫でて、俺はワイシャツを脱がせた。
絹のようになめらかな白い素肌を前にするとどうしても冷静ではいられなくなるけれど、ここは我慢だ。
「は……はずかしい……」
「まあ、これに懲りたら飲み過ぎない事だね」
羞恥心に頬を染める姉さんは、なんというかまあ、天使時代(命名)の百倍くらい可愛い。
いや、天使時代(命名)も可愛かったけれども。その百倍である。神だ。
寝室の扉が開き、中から杏月が顔を出した。
まだパジャマ……というかネグリジェ姿で、寝起きのようだった。
「おはよー……」
「おはよう、杏月」
杏月は姉さんを着替えさせている俺を見て、怪訝な顔になった。
「……何してんの?」
「着替え?」
「いや、そうじゃなくて」
「ああ、なんか頭痛いらしいから」
「ああ、昨日の」
杏月が嫌そうな顔をして、溜め息をついた。その様子に姉さんがショックを受けたようで、涙目になって口を開いた。
「えっ!? 何、私、そんなにひどかった!?」
「すごかったよね、純。昨日のアレは」
「ああ。世紀末って感じだったね」
「えええ!!」
当然のように姉さんの前に杏月は歩いて来て、姉さんの首に抱き付いた――って、まだようやく下着を着せ終えた所なんだけど。
姉さんが目を白黒させて、杏月のキスを受け入れる。
……受け入れるのかよ。
「うわっ。酒臭っ」
「嘘!? 嘘だよね!? 嘘だと言って!!」
「嘘だよー」
「信用できない!!」
まあ、じゃあ後は杏月に任せておけばいいか。
俺は背を向けて、ベッドから降りようと――……
……杏月に足首を掴まれた。
「ドコに行くつもりよ」
「どこって……朝飯の準備」
「そんな余裕あると思ってんの?」
「寧ろここで時間潰してる余裕がねえわ!! 今日は皆が来るんだろ!!」
かくして、すっかりツッコミ役になってしまった俺だった。
……元からか。
◆
さて、結局のところ、瑠璃の身体に戻った姉さんのことを、俺は『姉さん』と呼ぶことになった。
流石に二人が一人になってしまったのだ、色々な事はぎくしゃくとしたけれど、姉さんの中では瑠璃の記憶よりも、俺と一緒に居た記憶の方を大切にしたいらしい。
俺も、今の姉さんを瑠璃と呼び捨てにするよりは、『姉さん』と呼んでいた方がしっくりくる。
何れ、色々な人に聞かれるんだろうけど。どうして他人、しかも恋人のことを姉さんなんて呼んでいるのか、ってな具合に。
言い訳を考えるのが大変そうだ。
「ねえ、いつになったら新しいベッド来るの?」
朝食のオムレツをつつきながら、杏月が唇を尖らせて言った。
「日曜日。前にも言ったろ」
「もー、布団が煎餅すぎて死にそうなんだけど」
ダブルベッドに三人寝るのは厳しかったので、杏月は来客用の布団を居間に敷いて寝ている。そもそも、学園を卒業してから欲しい技術があるだの何だので、結局杏月が家に来たのは最近なのだ。
準備が出来なくても、仕方が無いだろうに。
寝室は割と広めなので、まあシングルベッドが二つ並んでも問題は起きないだろうが――姉さんと杏月に挟まれて眠るのは、どうにも覚悟が要る事なわけで。
「俺、別に居間でもいいけど」
「えー!? 純くんも一緒じゃなきゃやー!!」
……こう言うと、姉さんがごねるのだった。
杏月は溜め息をついて、紅茶を啜った。クロワッサンにかぶりつくと、不機嫌にもそもそと口を動かす。
「……あーあ。早いとこ、私も彼氏見付けないとなー」
「えっ……」
ガタン、と姉さんが席を立った。俺はクロワッサンにカスタードクリームを塗りながら、姉さんを見上げる。
その表情はこの世の終わりが来たことを悟ったようで、驚愕と絶句に戦慄いていた。
「あ……杏月、彼氏作るの……?」
「そりゃ、純とるりりんの家にいつまでも居るわけにいかないでしょ。ちょっとは一緒に暮らしたかったから、越してきただけだよ」
「ちょっとじゃなくていいよ!! ずっといようよ!!」
杏月は、苦悩の果てに姉さんを『るりりん』と、青木瑠璃の渾名で呼ぶ事に決めたらしい。
因みに、姉さんはすっかり杏月にベタ惚れである。対する杏月もベタ惚れなのだが、杏月はここに引っ越してきて少ししてから俺と姉さんに悪いと思うようになったらしく、出て行く事を考えるようになった。
相談されたのは、俺だけだったけど。姉さんは絶対に嫌がるだろう、と杏月は言っていたからだ。
案の定というか、なんというか。
「……あのね。純とるりりんが結婚したとするでしょ」
話飛び過ぎだろ。
「うん!!」
姉さんも力強く頷き過ぎだろ。
「そうしたら、私はどこのポジションになるのよ」
「杏月は杏月だよ!」
杏月がこめかみに指を当てて、溜め息をついた。
「いや……だから、そうじゃなくてね……」
「私、三人で暮らしたいよ。三人で暮らそうよ」
バン、と力強くテーブルを叩いて、杏月が立ち上がった。俺はカスタードクリームを塗ったクロワッサンを口に放り込んで咀嚼しながら、その様子を見守る。
別に、心配することはない。この二人、どうせなるようになるのだ。
そもそも、今までだって俺が何を言った所で、何かが変わる気配なんて微塵も無かったしな。
紅茶を啜った。うん、今日も良い味だ。やはり、ちゃんと店を選んで茶葉は買うべき。
「あのねえ!! 私は家に帰って来た時、あんたと純が○○○してたら気まずいって話をしてんのよ!!」
紅茶を吹いた。
「私別に、杏月と純くんが○○○してても一向に構わないよ!? 混ざるし!!」
いや、そういう事じゃないだろ。
「もしかしたら、純の×××を○○して△△△してるかもしれないでしょ!?」
「そしたら、杏月も混ざって△△△すればいいじゃない!!」
「純の○○○○を××××!!」
「なら△△して○○!!」
……なんというか。
「ねえ、朝からやめない……? そういう会話……」
勢いに任せると何でも言えちゃうんだろうけど、とても朝の姉さんと言動が一致しないんだけどさ。
朝から放送禁止用語が飛び交う食卓って……。
おや、インターフォンが鳴った。二人は言い合っているので、俺が立ち上がり、玄関口へと向かった。
そうか、何も気にしてなかったけどそろそろ、皆が来る時間じゃないか。
わざわざカメラで確認する必要も無かったので、俺は直接玄関扉を開けた。
「おはよう、立花」
今日の立花は、シックなチェック柄のスカートにハイソックス、デニムのジャケットといった格好だった。頭に被っている煉瓦色のベレー帽が可愛らしいスタイルをより際立たせている。
立花は顔を真っ赤にして、もじもじと両膝を擦り合わせていた。
「おっ、……おっ、……おは、よう。じ、純君」
「……? いらっしゃい、まあ入ってよ」
「は、はい……」
なんだ……?
玄関まで入った立花は頬に手を当てて、中に入るのを躊躇しているようだった。
なんでそんな態度……?
「純の○○○○を××××……」
「いやちょっとストップ!! それ立花が言っていい台詞じゃないから!!」
絶句だった。
外まで聞こえるほどでかい声で喋ってたのかよ!! 喋ってたかもしれない!! 死ねるわ!!
「純の○○○○を××××」
「うおあァ!?」
背中から声を掛けられて、俺は飛び上がった――な、なんだ!? やたらと低い声で……え、越後谷司!!
今日も黒いジャケットに黒いジーンズで派手な金髪だったが、その表情は憎たらしい笑みに染まっていた。
やばい、こいつに聞かれているっていうのは過去に例を見ない程にやばい状況じゃないか!?
越後谷は薄ら笑いを浮かべながら、俺に向かってにじり寄ってくる。
「○○○○を××××」
「だっ……黙れ!!」
「○○○○を××××」
「黙れ!! 黙れえぇ!!」
「するのか?」
「しねえよ!!」
そもそも俺はされる側……もう嫌だよこんな朝の風景!!
俺は頭を抱えて、身悶えした。まさか、越後谷も一緒に来ているなんて。来ているなんて!!
しかしまあ、ついに越後谷は長い戦いの果てに立花をオトしたらしく、最近は一緒に住む事も考え始めているんだとか、なんとか。
越後谷は車のキーをちらつかせながら、俺に微笑う。いや、俺を嘲笑っていた。
「良いぜ、今だけタクシーの運ちゃんやっても。二名様、ご案内? いや、三名様かな?」
「すいません、お願いなんでもう勘弁してもらえませんか」
「くはは。悪い悪い」
立花の肩を掴んで、越後谷は耳元に囁くように声を掛けた。
「――んじゃ、俺達で行くか。立花」
瞬間、立花の顔がよく熟れたリンゴのようになった。
「なっ、すっ、すっ、……すっ、……すっ、……いでしょー!!」
最早、言葉にもなっていなかった。「いでしょー」て。
早急に靴を脱いで、立花は中へと入って行く。笑いを抑えられないようで、越後谷は壁に握り拳を打ち付けたまま、堪えながらも笑みを漏らしていた。
「……くひっ……ひっひっひ……あー、おもしれー」
「お前、どうでもいいけど最近うちの親父に似てきたよな……」
二代目恭一郎はお前か、越後谷。
何も言わず、越後谷も廊下に上がっていく。お前等、「お邪魔します」くらい言えよ。
扉を閉めようとした時、見慣れた青髪が目に入った。向こうも俺に気付いて、手を振った。
「よー、純。誕生日おめでとう」
よりにもよって一番変な奴が、一番普通だった。俺は苦笑して、君麻呂に手を振った。
「ありがとう、君麻呂」
君麻呂は今日も、何の変哲もないポロシャツとジーンズという姿。珍しくベストなんか着ているけれど、量販店でよく見掛けるやつだ。
庶民的というか、なんというか……君麻呂は左手に持っていた袋を、俺に向かって差し出した。
「ほい、誕生日プレゼント」
「え、それは後でパーティーの時に……ん?」
君麻呂が親指を立てて、俺に紙袋を渡す。俺はそれを受け取り――……
返した。
「えっ!? 受け取れよ!!」
「受け取れるかバカ!! お前女子が沢山来る誕生日パーティーに何持ってきてんだ!!」
「二十歳って言ったら、男の夢が詰まった誕生日じゃねーか!! 受け取れよ!!」
前言撤回こいつは本当に最悪だ!!
お前、立花とかレイラとかそういう内容に免疫の無い奴も来るのに……来ているのに……
何故、よりにもよって姉モノのAVなんか!!
いや、アニメビデオの略だよ。勿論。大丈夫。誰に言い訳してるんだ俺は。
「大丈夫、俺が厳選したから何も問題ない!! 面白いって!!」
「余計にいらねえわ!! おウチ帰れ!!」
瞬間、君麻呂が首をだるま落としのように横から撃ち抜かれ、壁に激突した。……一応集合住宅なので、そういうの止めて欲しいんだけど。
派手にデコをぶつけて、放心する君麻呂。その様子を、冷めた目をして見詰めている女性がいた。
「あらジュン、ごきげんよう。たまたま扉を開けた瞬間に出会えるなんて、奇遇ですわね」
「いや今明らかに俺の目の前に人居たよね? どうしてそこノーカウントなの?」
「奇遇ですわね!」
あくまで無視するつもりらしい。そうですか。
レイラは蝶のシルエットが入った真っ赤なワンピースに、同色の革のジャケット。今日は蝶推しなのか、髪飾りも蝶々だ。
というか、今君麻呂の頭をかっ飛ばしたの脚だったよな。……ロングスカートで、どうやって。
「あら、失礼しましたわ。荷物を家の前に置きっ放しでしたわね」
レイラはそう言って、君麻呂の首根っこを掴んだ。……意外にも、大したパワーである。
「それでは、お邪魔しますわ」
「あ、ああ……」
ずるずると、君麻呂を引き摺っていく。
「あー……流星のスターダスト……」
君麻呂はなんか、目から星を出して天国に行っていた。
◆
誕生日パーティーをやろう! と言い始めたのは、立花だった。
姉さんと立花の関係も、思えば当初はかなり難しかった。何しろ姉さんの記憶のうち半分は、殆ど立花と話をしていないのだ。今まで立花と接していた記憶は、半分の記憶。一人になって多少以上に変わってしまった『青木瑠璃』の姿を、立花は受け入れなければならなかった。
まあ、それを言ってしまえば青木瑠璃の父親――青木善仁さんもだったが、彼は寧ろ、人間らしさを完全に取り戻した姉さんに、かなり安堵したらしい。
もしかしたら、親父が何か連携してくれていたのかもしれない。
「ジュン! これが二階堂財閥の誇る最強のケーキ屋、『プリティ・スイート・甘味』の和三盆ショートケーキですわ!」
だから、スイートと甘味で意味が被ってるって。
『新年ハッピーニューイヤー』といい、もしかしてそういう重複表現好きなのかな、二階堂財閥。
レイラは言いながら、テーブルの上で大きな箱を開いた。おお、これは……!! ショートケーキとは言うが、所謂苺の、如何にもお子様向けなショートケーキではない。そこに広がったのは、真っ白な円盤――上品にも粉砂糖が振ってあり、筆記体で『Happy Birthday!』と。これはチョコレートかな。
どちらかと言うと、大人向けなデザインだ。
「あ、切り分けるね。瑠璃、包丁取ってもらえる?」
「え、いいよ。私やるよ」
「いいの! 今日は瑠璃も主賓でしょ?」
立花は姉さんにウインクをした。いい加減に慣れてきたが、なんだか立花が姉さんに対して『瑠璃』って言うの、初めはすごく違和感があった。
まあ、流石に慣れたけども。
「うう……りっちゃん!! 愛してる!!」
でも、前の瑠璃はこんな風に、感動して立花に抱き付いたりしなかったけどな。
「ふあっ!? ちょっと、瑠璃!! 包丁持って、あぶない!!」
「へへ、大丈夫。慣れてるから」
この微笑ましい光景の中で、『慣れている』の言葉に少しだけゾッとして冷たい気持ちになったのは、多分俺だけだろうと思う。
「よーし!! それじゃあ、プレゼントタイムと行こうぜ!!」
高らかに言い放った君麻呂。……まさか、この中でアレを俺に手渡すつもりなのか。いや、本当やめてくれ――……
「はい、二人に、これ!!」
と思っていたら、君麻呂はもう一つ持っていた、紙の包みを俺に手渡した。なんだ……? 細長い感触。これは……
――――アヤメ、か。
五月の花。花言葉は、信じる者の幸福。
思わず姉さんと顔を見合って、笑顔になった。
「葉加瀬、お前……。花みたいなプレゼントは普通、トリだろ……」
越後谷が苦い顔をして、君麻呂の肩を掴んだ。……まあ、確かに。花なんて渡したら、他の人のプレゼントが霞むもんなあ。
それ以上にアヤメには、思い入れがあるし。
「い、いやあ、だって瑠璃ちゃんも瑠璃色だし青いし、やっぱアヤメかなあって」
「ほんと葉加瀬君麻呂ってマジ空気読めない最悪ー」
「うっ……」
杏月が横槍を刺すように、君麻呂に追い打ちを掛けた。
「本当にキミマロは空気が読めませんわね」
「ぐうっ……」
レイラが上から蹴り落とすように、君麻呂に追い打ちを掛けた。
「あはは……。ありがとう、葉加瀬くん。でも正直、キザっぽくてちょっと」
「ぎゃふんっ」
姉さんがさり気なく、今回一番酷い事を言った。君麻呂は胸を抑えて、キモ面白い顔で立花に詰め寄った。
「りっちゃん!! りっちゃんは俺ちゃんのこと、フォローしてくれるよねえ!!」
いつからお前、立花のことを『りっちゃん』って呼ぶようになったんだよ。
立花は苦笑して、人差し指で頬を掻いた。
「ん、……まあ、ない、かな」
「はうっ!!」
絶、望。
君麻呂は四つん這いに心折れ、がっくりと項垂れた。
まあ、一応フォローしてやるか。
「ありがとな、君麻呂。お前らしいプレゼントだよ」
「純――――!!」
だからといって、キモ面白い顔で抱き付くのはやめてくれ!!
「こら、ちょっと!! 純くんに抱き付く許可なんて与えてません!!」
姉さんが慌てて俺の反対側に抱き付き、ってそりゃ誰が出す許可なんだ!!
「あ、じゃあ私はこっちをもらおっかなー」
杏月コラ!! シャツの中に手を入れるんじゃない!! ちょっ……その下はもっと駄目!!
「止めなさい!! ジュンが困っているではありませんの!!」
そう言いながらどうして背中に抱き付くのか理解できないぞ、レイラ!!
……ふと、俺の袖を慎ましくも摘む指が。
「……立花?」
「なっ、なっ、な――んか、そういう流れだから」
顔を真っ赤にして、目を逸らしていた。
瞬間、パシャリ、とシャッターの音が――……
「えちごやァ――――!!」
「あっはっは!! 笑え笑え!!」
――――さて。
時は巡り巡って、十年後!
なんて言うように、あっさりと時間は進んで行ったりはしない。
俺が、俺達が経験した二○一二年の出来事は奇跡のようであり、本当は時間というものはこんなにもゆっくりと進むものなんだっていうことを、俺は『今』を生きる事で再確認した。
でも、だからこそ、俺達は幸せに生きる事ができる。
限りある、『今』のことを。
「誕生日おめでとう、純くん!!」
思えば、『今』を生きている事そのものが、奇跡みたいなモノなんだ。
だから、精一杯に生きよう。
俺。穂苅純。A型牡牛座。時は巡り巡りも後戻りもしなかったけれど、順調に刻み続けて。
「サンキュー、姉さん」
「――へへっ」
俺、二十歳になりました。
Fin.