つ『エピローグ』
丘の上にいくつものノートパソコンを広げ、マンションの一室を盗撮している男がいた。
男は大きなヘッドホンを装着して、何やら楽しそうにしている。どうにも、そのマンションの中で生まれる音を拾っているように感じられた。
和装をした茶髪の男――妙に若作りで、おおよそ年齢がいくつなのかは分かり辛い。和装をしたまま丘の上に胡座をかく男に対し、すぐ側でスーツを着た中年男性――青木善仁は呆れ顔をして、腕を組んで和装の男を見ていた。
僅かに、ヘッドホンから漏れる声が聞こえてくる。音量が大き過ぎるだろう、と善仁は思ったが、敢えて口には出さなかった。
『この身体の――ううん、私の誕生日、五月十九日みたい。『一日』違いの姉?』
『まーたそういうのかよ』
ノートパソコンに広げられたモニターでは、一組の男女がダブルベッドで会話をしている。その様子を眺めて、男はニマニマとお世辞にも気持ちが良いとは言えない、陰湿な笑みを浮かべていた。
『純くん。もうちょっとしたらね、あのね……子供、欲しいなあ』
「キャー!! 子供だって!! 善仁、子供だってマジで? 有り得ないでしょー」
外見に全く似合わないはしゃぎ方で、和装の男はまるで女子高生のような黄色い声を出した。
善仁は立ったままでそれを見詰め、溜め息をついた。
『じゃあ、子供の名前は『甘味』かな』
「そーだね、生まれてくる子供はたぶん、ケーキだからね」
誰にでもなく、和装の男はあたかも会話をするかのように独り言を言う。
「盗み聞きとは趣味が悪いな、恭一郎」
耐え切れず、善仁は口を開いた。
穂苅恭一郎。
その男から事の成り行きを聞いた善仁は、何故またしてもそのような幻想的な出来事に――恭一郎が関わっているのかと、不思議に思っていた。
勿論善仁に前世の記憶などはないが、恭一郎からある言葉を聞いたことで、予感は確信に変わったのだった。
『……では、その『ティシュティヤ』という国の中で、恭一郎は誰になっていたんだ』
『え? そりゃ勿論、タンド・ウォルクスだったよ。君と僕はそういう因果よ、善仁くん』
この自由人め、と善仁は思わざるを得ないのだった。
恭一郎はヘッドホンを外し、ふと懐かしむかのような表情になった。その様子を確認して、善仁は眉をひそめた。
「――――良かったね、純くん。お姉ちゃん」
性格が良いのか、悪いのか。思いながら、善仁は口を開く。
「そろそろ、本題に入らせてくれないか。恭一郎、お前は一体――どうして、現実に存在しないようなモノの事を知っている?」
恭一郎はさも当然のように、善仁に言った。
「そりゃ、過去の『僕の記憶』だけは、『ノーネーム』の監視外にあるからね」
だから、そういう事をどうやってやるのかと、聞いているのだ。
善仁が聞くまでもなく、恭一郎は立ち上がった。
「まあ、歴史というのは繰り返すものでさ。『世界』と『生物』の不思議な矛盾なんてのは、今に始まった事じゃない。完璧を求めていて、完璧には生きられないようにできてんのよね」
悟ったように、恭一郎は言う。
「もしも世界中が完璧だったら、誰も困らないし、助けを必要としない筈でさ。『愛情』なんてものは無かったかもしれないじゃない。ところが、『愛情』は、ある。人は――ううん、全ての生物は、世界を愛して、この世界を自分達の住処にすると決めているわけだよね」
恭一郎は大空を見上げ、天真爛漫に笑った。
「それって、すごいことだよ」
改めて、この『穂苅恭一郎』という存在について――善仁は、不思議に思った。
幼い頃に善仁の下に現れて、当然のように仲良くしてきた。ある時から、彼はこう言ったのだ。『これから君の身に不思議な事が起こると思う。何が起こるかは分からないんだけど、ちょっと注意していて欲しいんだよね』と――……
事実、不思議な出来事は起こった。善仁にではなく、実の娘にだったが――散々、不思議な能力も見せられた。
だが、それを予知することは人間の能力とは思えない。
「恭一郎。お前は一体、何者なんだ」
善仁は聞いた。恭一郎は首を傾げて、そして。
「んー……何者、って言われると難しいよね。純くんが、タイルズ・リッケル……あー、ほにゃらら、ジュンじゃない」
せめて『ローウェン』くらいは言って欲しかった。
だが、恭一郎は立ち上がって、言う。
「僕には、とても口に出せるような長さじゃないほど、名前があるから――……」
ふと、風が通り過ぎて行った。恭一郎はノートパソコンを閉じ、機材を片付け始めた。
「ああ、まあ、そうだね。どうしても何者かって決めたいなら、『アダム』とでも呼んでくれればいいよ」
アダム。……神話の『アダム』だろうか。だとするならば、それはもう遥か昔――……
そうして長い時を過ごしていく中で、いつしか会得した、ということなのだろうか。
「既に起きてしまったことは変えられないと言われているけれど、不思議なもんだよね。『過去』ほど人間の好きなように改変できるものはないよ。だって、そこに起こった出来事の真実は、自分しか知らないんだからさ」
恭一郎は、不敵に笑った。
「僕だって、できると言い張っているだけ、だとか。本当は純くんの中に起こった不思議な出来事は奇跡みたいな『ノーネーム』の仕業で、僕は『さも自分の能力だと言うように』振舞っていただけで、本当は関係無かった、なんて事にも出来るわけだからね」
そんな、屁理屈のようなものが。
いや、所詮『記憶』や『過去』などというものは、屁理屈のようなものでしかないのかもしれない、と善仁は思い直した。確かに、人から人へ伝えられただけの歴史など、どこに偽りの過去が混ざっているのか分かったものではない。
ひとは、『今』を生きているのだから。
「まあ、そんなもんはさ。考えるだけ無駄なわけで。僕も『人間』だよ、何の代わり映えもしない。奥さんが大好きなだけの、ただのオヤジでさ。人の『過去』なんてもんは――……」
そう、この議論はするだけ無駄なものだ。強いて言うならば。
「ほら、殺されてからでも考えれば良い話なんじゃないかな? そん時でも遅くないよ、きっと」
Fin?
ご読了、ありがとうございました。
『ヤンデレ姉さんに○されたら考えるべき10のこと』は、この話をもって完結となります。
本当に最後まで、ありがとうございました。無事、完結に漕ぎ着けることができました。
後日談を含めて、完璧に終わりとなります。
もしかしたら、小話もいくつかやるかも?
もし良ければ、そちらもお付き合い頂ければ幸いです。
本当にありがとうございました!