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ヤンデレ姉さんに○されたら考えるべき10のこと  作者: くらげマシンガン
▼第九章 俺が姉さんの束縛を解く、という件について。
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つ『天国に続く階段の存在を信じますか?』 後編

 どれだけ歩いただろうか。瑠璃を背負っている俺は走ることが辛くなり、いつしか歩いていた。何しろ、今の俺はついこの間までと違い、通常の人間としての力しか持たない――今ではきっと、君麻呂の元居たバスケ部の連中には敵わないだろう。

 人一人を背負って歩けば息は上がり、身体は悲鳴を上げる。なのに、どこまで歩いても暗闇が晴れる気配すらなかった。

 ――ちょっと、休憩しよう。

 俺は、その場に座り込んだ。


「……ケーキー! 居ないか――?」


 俺は遠くに呼び掛けるように、声を張り上げた。

 だが、声はどこかに吸い込まれるようにして消えてしまい、まともに『声』としての機能を果たさない。

 いつかのように、声が無くなってしまったかのような錯覚に陥った。

 腕も、足も、身体も。本当は、無いのではないか。堪らない不安に、身を震わせる。

 歩こう。

 ここに居ると、頭がどうにかなってしまいそうだ。


「遠いな……」


 俺が死んだ時、天界に向かうまでの道程は遠かったが、魂は勝手に上がっていった。

 その天界までの道程を、今度は自力で歩く事で達成させようとしているのだ。考えればすぐに分かることで、近い訳がない。

 そこまでの道を作ってくれたのは、シルク・ラシュタール・エレナ。だから、この暗闇にも耐えなければならない。

 歩けば汗はとめどなく溢れるが、俺は先へと進んだ。

 いや、汗は溢れているのだろうか。身体はどこか現実味を持たず、少し気を抜けば掠れて消えてしまう程に曖昧だった。

 現世の身体を天界に持っていく事が出来るわけがないから、これは俺のイメージが作り出したものなのだろうか。

 もしくは、シルク・ラシュタール・エレナが急遽用意してくれた、とか――……

 確かに、身体はある。

 いや――いいや。

 人間の俺には、考えるだけ無駄というものだ。

 これが人間の身体だったら、限界が来るかもしれない。シルク・ラシュタール・エレナが用意してくれていた身体だとしたら、もしかしたら多少の無理は効くのかもしれない。

 だが、一人のこの状況では、結局のところ答えなんて出るわけがない。

 だから、今は歩くしかないのだ。


「姉さんがいる」


 姉さんがいる。

 心は、魂は、確かにここには無いかもしれない。

 でも、身体はここにあるのだ。

 背中にある重みと温もりが、俺の足に力をくれる。

 たったそれだけで、俺の気力はまだまだ続いていく。

 そして――――


「……あれ」


 何の前触れもなく、フェードアウトしていくでも出口を発見した訳でもなく、俺はある場所に立っていた。

 ここは――天界?

 緑色の空。辺りはどこまでも続いていく空と地面で、地平線が見えるほどに、建物は何も無い。

 天界、と呼ぶべきなのだろうか。今更ながら、よく分からないが――……。

 地面は頼りなく、ふとした時に転んでしまいそうだった。

 白とも黒ともつかない、コントラストも色調も曖昧な地面。空の色も、緑と表現すればいいのか、鼠色とでも表現すればいいのか。

 不思議な場所だ。

 音はなく、感覚もない。体重さえ、元のままの感度かどうか疑わしい。

 ただ、身体は限りなく重かった。


「辿り着きましたか」


 ふと、聞き慣れた声に俺は振り返った。

 その場所でも金色だと分かる長い髪が、純白だと言える翼が、碧眼の瞳が、俺を待っていた。

 シルク・ラシュタール・エレナ。

 俺達の、神である。


「姉さんは、どこに?」


 シルク・ラシュタール・エレナは、目線で俺に合図をした。俺もシルク・ラシュタール・エレナと目線を合わせる。

 ……え? 何も、無いけど……

 あ。いや。

 目を凝らして、よく確認した。光の屈折が、僅かに。俺は近付いて、前屈みに瑠璃を支えながらそれに触れた。

 固く、冷たい。氷のようでいて、薄いガラスのようにも見えた。


「……階段?」


 俺は念の為、シルク・ラシュタール・エレナに確認した。シルク・ラシュタール・エレナは頷いて、俺に微笑んだ。


「私に出来るのは、ここまでです」


 そうか。神様の居場所は、どうにも此処のようだしな。

 空を見ると、どこまでも階段は続いているようだった。途中からは消えているように見えるが、きっと階段はどこまでも続いているのだろう。

 登っている途中で落ちたら、洒落にならないな……。

 まあ、足元は一応、はっきりと階段の存在が分かる。よく確認して登れば、大丈夫だろうか。


「この先は、『秩序』――『ノーネーム』とも言いますね。世界のルールが、待っています」


 俺は頷いた。


「途中で諦めると、階段が消えてしまうかもしれません。絶対に、後ろは振り返らないでください」

「もし、振り返ったら?」

「どこにも存在しない、世界から弾き出されたものとして、永遠にどこかを漂う事になるでしょう」


 ……何の話だったか、仙人の修行に出て山篭りをした青年が、何があっても絶対に声を出してはいけないと言われる、そんな小説があったよな。

 あれは、なんていうタイトルだったっけ。

 知らず、笑みを溢していた。

 想いの、強さか。


「分かった。ありがとう」

「……本当に、行くのですか?」

「なんで? 行くしかないだろ」


 他に、選択肢なんて存在しない。

 そこに姉さんが居るんだから。

 シルク・ラシュタール・エレナは俺の前にひざまずき、祈るように両手を組んだ。

 初めてのその光景に、少しだけ面食らってしまった。神とも天使とも思える女性が祈る様は、美しい絵画のようだ。


「私は、貴方のやっている事を、応援する訳にはまいりません」

「ああ、分かってる」

「ですが、お気を付けて――……」


 俺もこの神様のなんちゃって芸人ぶりには、散々振り回された。実際のところ姉さんを助ける邪魔をしていたと思うし、そもそも俺の目的を根本的な部分から捻じ曲げに掛かっていた。

 まあでも、これまでの経緯を見れば、この人にも色々あったんだろうなあと思う。


「サンキューな、神様」


 だから俺は、何も言わない事にした。

 シルク・ラシュタール・エレナと、同じ選択を取る。あえて言葉にしてまでやり取りをする必要はなかった。

 俺達は敵同士だ。

 例え、姉さんとシルクの間に深い愛があったのだとしても。


 一歩目を踏み出した。


 瞬間、一段目の階段に亀裂が走る。思わず顔を青くして、体重を預ける動きを止めた。視覚的には、ガラスにヒビが入ったような状態だが――亀裂のおかげで、階段の存在をはっきりと確認することができるようになった。

 ……おいおい、マジかよ。こんなモノを登らなければいけないのか。

 そっと、全体重を掛ける。階段は崩れこそしないものの、その足場は頼りなく、すぐに落ちてしまってもおかしくない状態だ。


「いっつ……」


 暗闇の中に、病院のスリッパを忘れて来てしまっただろうか。

 それとも、始めからだろうか。

 俺は素足だった。

 ガラスのように固く、割れて尖ったものが俺の足を傷付ける。

 いや、これは気のせいだ。今この身体がどうかは分からないが、現実の身体は別の所にあるはずだ。

 だから、耐えろ。

 俺は、上を眺めた。

 ……先は見えない。

 気長に行くか。どうせ、時間の概念なんかないんだろうから。



 ◆



 背中にある瑠璃の存在が、重くのし掛かる。何度か立ち止まってタオルを結び直したが、重みが変わる事はなかった。脱力した瑠璃の掴みにくい身体は、俺の体力を消耗させていた。

 今の俺は人間界の肉体とは違うと言い聞かせながら登るが、どうにも感覚は鋭く、身体が悲鳴を上げるまでに、そう時間は掛からなかった。

 あまり、変わらないのかもしれない。

 俺は人間としての身体を持っている事が、今まで当たり前になっていたのだから。

 結局のところ、死にでもしなければ俺は『俺』という固定概念を取り払う事ができない。

 あまりにも弱い、一人の人間でしかない。


「……いてえ」


 何しろ、足の裏に突き刺さるのだ。

 一歩進めるごとに、一段登るごとに、割れた破片が俺に突き刺さる。

 なんとまあ、脆い階段だろうか。

 神様に近付き過ぎた人間は、翼をもがれ、地に堕とされるという。

 これもまた、同じなのかもしれない。

 息はあがり、すぐに身体は音を上げる。

 後ろを振り返る訳にいかない俺は、脆い階段に突っ伏して、時折休んでいた。

 今度は割れた破片が身体に刺さる事になるが、四の五の言っていられないのだ。


 階段の向こう側は透き通っているので、下の様子がよく分かる。


 どこからか、風が吹いた。限界まで運動した俺の身体を、優しく撫でる。

 ……涼しい。

 じっとしていると、今にも姉さんが消えてしまうのではないかという焦りが生まれてくる。

 透明な階段の下はいつまでも、代わり映えしない不思議な色の空間が続いているだけだ。

 後ろを振り返る事ができないから、俺がこれまでどれだけ登ってきたのか、それさえも定かではなかった。

 もう少し、『高さ』を把握できる地面であれば。今ではもう、ただ『高い』という事しか分からない。

 間違いなく、落ちたら死ぬレベルの。

 いや、死なないのか。よく分からないが。

 空には雲もなく、目指すべき箇所は一向に見えて来なかった。

 ……どれだけ、続いてるんだよ。

 もう人間感覚で、二時間以上は歩いているつもりなんだけど。


「……腹減ったな」


 何か、栄養食的なものでも持ってくれば良かったかもしれない。

 ……ケーキは本当に、どこに行ったんだろうか。

 実は見えていないだけで、後ろに付いてくれているのだろうか。

 分からない。


「居ないか、ケーキ」


 そもそも、ケーキはここに来てからというもの、姿を現していない。

 もしかしたら、本当に俺とは別の場所に飛ばされている事だって有り得るんだ。

 ケーキに何が起こっているのか、今の俺には判別のしようもない。

 期待しては駄目だ。

 自分の足で、歩かなければ。


「ごめんね、姉さん。もう少しだけ、待ってくれ」


 背中の瑠璃は、目を閉じて眠っている。

 綺麗な顔だ、と思った。

 俺は歯を食いしばり、もう一度立ち上がった。突き刺さる破片に負けないよう、しっかりと意識を保って。

 立ち上がる。

 そして、もう一歩、踏み出した。

 姉さんはずっと、俺の事を支えてくれていた。今度は、俺の番。

 ようやく、俺は姉さんと同じ土俵に立つことができるんだ。

 何度も姉さんが俺の身体を求めていたのは、俺と子供を作るためだった。

 何度も姉さんが俺を殺そうとしていたのは、俺がそう望んだためだった。

 ずっと、一緒に。

 そう、願ってくれていたんじゃないか。


「気付かなくて、ごめん」


 独りでに、そう呟いていた。

 愛とは、不完全なものだ。贈ろうとしても相手は気付かず、持っていても分からず、消えてしまっても誰も損をしない。

 永遠に定められているこの世の秩序の中で、唯一あやふやな、不安定な存在。

 俺は、俺として生まれてから姉さんの愛の深さに気付く事ができなかった。


 ――――じゃあ、愛って、なんだろうか。


 姉さんに愛されてから、初めて俺はそれを考える。

 姉さんに殺されてから、初めて俺はそれを考えた。

 こんなにも理屈にまみれた世界で、どうしてこれだけが直感的というか、感覚的なんだろうか。

 食事は、分かる。生きていくために、なくてはならないものだろう。

 睡眠も、分かる。休む事をしなければ、身体には限界が来るように作られているだろう。

 じゃあ、愛は?

 子孫を残すためか? 永遠に続いていかなければならない『世界』の中で、生きていくための生存本能のようなもの?

 なら、どうして何度繰り返しても、同じひとを選ぼうとするんだ?

 もっと無機質でも、良いじゃないか。

 近くに居る、誰でもいい。より優秀な子孫を残すために、有能な相手を選べば良いじゃないか。

 ならどうして、人は愛されるようにできているんだ?

 ぼやけた視界の中、俺は相変わらず続いていく階段の向こう側を見据えた。

 ――――分からない。

 意識は朦朧とし、俺は再び、透明な階段に突っ伏した。

 俺はどうして、一体何の為に、こんなにも必死でいるのだろうか。

 膝が笑ってしまって、先に進めない。

 代わりに俺は手を使い、這うように階段を登った。


「……っとと」


 いけない、瑠璃が落ちてしまう。

 姉さんの、身体が。

 これを届けなければいけないんだ。

 届けなければ――――、


 ――――、


 ――――目を開けた。

 いけない、眠ってしまったのか。

 早く、登らなければ。そうしなければ、俺の大切な――……

 ……あれ?

 俺、何してたんだっけ。

 ここは、どこだ?

 どうして、こんな場所に居るんだっけ?

 なんで空は緑色なんだ? ……なんか、地面は白いし……いや、白い……のか? 黒いのか? よく分かんねー、高すぎて……

 ここは、

 ――――振り返ろうとして、首を止めた。

 駄目だ。……なんだかよく分からないけれど、後ろは振り返ってはいけない気がする。

 ということは、前に進むしかない。

 大事なことが、抜けてしまったような気がする。

 いや、上書きされてしまったのか。

 上書きされた?

 どうして俺は、そう思っているんだろう。


「……足、いてえ」


 なんだよ。本当にここはどこなんだ? ……俺、もしかして死んだ?

 ああ、死んだのかもしれないな。なんか見たこと無い空の色だし、誰も居ないし……。

 ――姉さん、どこ行った?


「姉さん」


 俺の背中に居る、身体。

 ――また、記憶が改変されたらしいな。

 もう、どうだっていいよ、記憶とか。過去なんて何の意味もないんだよ。

 俺は姉さんと、未来を作って行かなきゃいけないんだ。

 こんな所で、立ち止まってる訳にはいかないんだ。

 行こう。

 再び瑠璃の身体を背負い直した。


「ジュン!! 大変ですわ、ジュン!!」


 ――――えっ?


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