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ヤンデレ姉さんに○されたら考えるべき10のこと  作者: くらげマシンガン
▼第九章 俺が姉さんの束縛を解く、という件について。
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つ『時よ止まれ奏鳴曲は美しい』 前編

 どのような状態になっても、この物語がハッピーエンドを迎える事がないということなど、初めから分かっている。

 何故なら、この物語は過去に起こった出来事なのだから。

 時を戻す事ができる訳でもなければ、過去を改ざんする事だって出来はしない。

 それを望む事に、意味なんてない。

 既に結果は見えているのだ。


 そして、おそらく姉さんが死んでしまうとしたら、このタイミングしかなかった。


 裏山へと走るローウェン、アッケンブリードの兵士、そしてフィリシアとティナ。ヴェルニカに乗せる訳にはいかなかったのは、走っている途中で落ちてしまう可能性があるからだ。

 ローウェンは、ティナを背負って走っていた。

 ティナの顔色は悪く、ぞっとするほどに白い。

 既に血を流し過ぎていた。矢を抜くことは難しく、そこから自然と血は流れ続けた。

 そう、解毒に成功したとして、ティナが生きているかと言われれば、それは難しいことだ。

 俺と杏月はケーキと共に、その様子を後ろから追い掛けていた。


「……純、どうなっちゃうんだろう」

「どうなっちゃうも、何も……」


 走って行くと、木々の隙間から広い空間に出られる事が分かった。盛り上がった木の根や大きな岩を避けながら、俺は杏月を背負い、走る。

 ティナは既に、何かを発言することはなく、目を閉じてただ、待っていた。

 決断の時を、だろうか。或いはそれは、死の瞬間にも似ていた。

 いや、『似ていた』のではなく、おそらく――……


「――――紅い、薔薇だ」


 開けた場所に到着すると、呆然とローウェンはそう言った。

 そこら中に広がる、薔薇の香り。青々とした木々はその薔薇畑を取り囲んでいる。

 円形に広がる空間は中央に向かって路が続いており、ちょうど真ん中にそびえる桑の木に続いていた。

 その神聖とも思える美しさに、ローウェンは息を呑んだ。

 激しい戦いの後、唐突に訪れた泉のような場所に、心を奪われる。


「……解毒に使える葉とやらは、あるか?」

「ちょ、ちょっと待ってくれ」


 アッケンブリードの兵士は怯えながらも、桑の木に向かって走る。ローウェンとフィリシアも、それに続いた。

 ティナは浅い呼吸を繰り返す。肩に突き刺さった矢が、ティナの体力を失わせる。

 そして、真ん中にある桑の木の下へ。


「ティナ、大丈夫か。ティナ」


 ローウェンは何度も、ティナの名前を呼んだ。ティナは僅かに瞼を上げ、その双眸を少しだけ覗かせた。

 唇は青く、ティナは寒そうにしていた。ローウェンはティナを桑の木の下に寝かせると、自身の服を脱いでティナに被せた。

 アッケンブリードの兵士は、言われた通りに解毒に使える葉とやらを、探しているようだった。だが、どうやら苦戦しているらしい。何か、収穫時期のようなものがあるのだろうか。

 ローウェンはそっと、ティナの右肩に刺さっている矢に手を掛けた。抜くつもりなのだろう――だが、ティナはローウェンの手に、自身の手を重ねた。

 笑顔のまま、首を振る。


「――まだ、抜かないで」


 それは、抜けば死ぬ、ということを意味していただろうか。

 その場に居る二人は、悲痛な表情になった。ティナの呼吸は浅く、体力が既に切れている事を如実に物語っていた。せめて、解毒の葉さえ早く見付かれば。

 アッケンブリードの兵士に身を委ねている事を、忌々しく思っただろうか。だが、解毒の方法は彼等しか知らないのだ。国王を倒した今は、彼等に聞くしかなかった。

 ところが、、アッケンブリードの兵士はみるみるうちに青い顔になった。


「す、すいません!! 見つかりません!!」


 アッケンブリードの兵士は叫んだ。ローウェンは振り返り、兵士と目を合わせる。

 余裕はなく、半ば叫ぶように言った。


「どうしてだ!! ここにあるんじゃなかったのか!?」

「そ、それが……どういうわけか、『一枚も無くなって』いまして……」


 アッケンブリードの兵士はふと、気付いた。


「……そ、そうか。もしかして、国王が一人で……」


 その言葉の先を、全員で予測した。

 収穫し切った?

 一枚も、残らず?

 有り得ない話ではない。アッケンブリード国王は、あれだけの弓部隊を構えていた。万が一のため、解毒に使える葉は出来る限り持っておくべきだったとも考えられる。

 アッケンブリード兵士の思わぬ呟きに、ローウェンは絶望の渦に飲み込まれた。今更アッケンブリードに戻って解毒剤を探す事は出来ない。


「す、すいません。本当に!! 本当に知らなかったんです!!」

「……いや。いい。国王を自ら葬ったお前達が、私に復讐するとも思えん」


 時間が、圧倒的に足りなかった。

 既にティナの身体は、冷たくなり始めていたのだ。

 ローウェンは、ティナの身体を強く抱き締めた。


「あ、あれ……」


 ふと、杏月が呟いた。俺は杏月の身体を見て、その変化に目を丸くした。

 杏月の全身は透き通り、その透明度を上げていく。自身の両手を見詰めて、杏月は特に驚くでもなく、ただ様子を眺めていた。

 目の前に広がる全ての空間も、今俺がここに居ることも、まやかしのようなもの。幻想になって、紛れて消えていく。

 たったひとつ、そこにわだかまりを残していく。

 杏月は俺に手を振った。

 俺は、頷いた。


「すまない。……すまない、ティナ。私がもう少し、気を配っていれば」


 ティナは微笑んだまま、ローウェンに向かって首を振った。

 感謝も、謝罪も。既に意味が無いものだ。残された選択は、ただ見守ること。

 それは、儚い。

 一晩の夢のように、儚く、そして海辺の崖のように脆かった。


「もともと、違う種族だったの。出会えた事が、もう奇跡だったから。――だから、私は大丈夫」


 ローウェンは残り少ない時間で、僅かに感じる事のできるティナの体温を確認した。

 アッケンブリードの兵士は居た堪れなくなったのか、気まずい顔をしてその場から去って行った。

 そこには、ローウェンとティナとフィリシアだけが残された。

 ――俺と姉さんと、杏月だけが残された。


「ローウェン。フィリシアと、どこかに逃げて」


 ティナは、微かに唇を震わせて、ローウェンにそれを伝えようとした。

 二人の様子を隣で見ていたフィリシアが、息を呑んだ。

 ローウェンは、目を見開いた。


「ティシュティヤにはもう、帰れないわ。……分かっているでしょう、いかなる理由があったとしても、私達は、戦神メビウスの理を……無視して戦い、ひとを殺害したのだから」


 ローウェンは、歯を食い縛った。


「許されないのよ……ローウェン……残されたアッケンブリードの兵士達は、あなたがアッケンブリード国王と戦ったことを告げるでしょう。例え罪ではなくても、周りはあなたを警戒するわ……アッケンブリードを一人で駆逐した男だと……」


 ローウェンの瞳から、涙が溢れる。


「この世界にはもう、私達の居場所は、ないのよ」

「そうだな。そうだ。逃げよう。ティナ、お前も一緒だ」


 ティナは微笑んだままで、言う。


「――――私は、置いて行って」


 フィリシアが、ティナの手を握った。


「嫌だよ。……嫌だよ、お姉ちゃん。一緒に行こうよ」

「ローウェン。フィリシアを、お願い」


 その決断をすることが、一体どれだけの苦痛となったのだろうか。

 言葉はティナの右肩に刺さった矢よりも鋭く、ローウェンの心に深く届いた。きっと、届いただろう。

 気付けば、俺も涙していた。

 ローウェンはティナを抱き締めたままで、呪いの言葉のように、それを呟いた。


「同じ世界に生まれ……!! 共に歩く事は出来ず……!! 共に死ぬことさえも、叶わないと言うのか――……!!」


 そうか。


「ローウェン……約束、しましょう」


 そうか。


「私、あなたを、探すわ。どれだけの時間が掛かっても、きっと来世でもあなたを、探すわ。そうしたらね、ずっとそばにいるの。今度は、争いのない、しあわせな世界で」


 共に生きて、共に死ぬことを、望んだのは。


「死ぬまで、ずっと――――」


 俺じゃないか。


「……なんでだよ」


 ずっと姉さんは、俺の事を探していた。

 そうして、ようやく探し当てた。

 最も近い、家族という立場で、姉さんは俺の隣にいた。


「なんでだよ」


 いつも、微笑みかけてくれた。

 いつも、信じられない程にベタ甘だった。

 いつも、狂気に駆られるほどに近くに居ることを望んだ。

 腹の底から、煮えくり返るような悲しみが渦を巻いて俺に襲い掛かる。


「俺はもう、この時の記憶を持っていないんだぞ!! 姉さんだって、記憶を失うんだぞ!? 記憶もないのに『約束』なんて、何の意味もないだろ――――!!」


 ふと、気付いた。

 自分の記憶を信じないで。――でも、自分を信じて。

 そうだ。

 記憶なんて、ふとした時に風で飛ばされてしまうような、どうしようもなく頼りないものじゃないか。

 何度も消え、時間が戻り、土台を失い、改変までされるようなものでしかないじゃないか。

 姉さんは、自分を信じたんだ。

 記憶が無くなっても、世代が変わっても、俺の存在を信じたんだ。

 俺は、気付かなかった。

 姉さんの心の内側に抱えていたものを、とうに汲み取り切れなかった。

 ――それは、俺の、過失だった。


「ごめん、姉さん」


 その瞬間の、出来事だった。

 ティナは俺と目を合わせ、僅かに、驚いた顔をして。

 そうして、微笑んだ。

 微笑んだような、気がした。

 何かを、言っている。


「し……ん……」


 ――――信じて。

 なんで? ティナには、この世界の人間には、俺の姿は見えないはずじゃ……

 俺達は今、ケーキのような存在で。

 ……あ、


『稀に、天界に近い人間にはケーキのような、神の使いが見えてしまう事があります』


 そうか。

 姉さんは、自分がこれから何処に行けばいいのか、分かっていたんだ。

 俺が、この場所に来たから。

 ティナは目を閉じる。

 それは、これよりティナが二度とその目を開けない事を、意味していた。

 ざあ、と風の音がした。

 急速に、時間は流れる。

 俺の前からローウェンとフィリシアの姿はなくなり、台風の中心にでも居るかのように、視界は急速に反転した。

 ティシュティヤに一度戻ったローウェンとフィリシアは、事の顛末をリオルに告げる。

 複雑な顔をしていたが、リオルは二人の覚悟を受け入れる。


「分かりました。どうか、幸せに生きてください」


 リオルは腰まで深く、ローウェンに向かって頭を下げた。


「――ティシュティヤを、頼む。リオル」


 また、視界は変わる。

 目まぐるしく、嵐のように過ぎ去っていく。

 俺は空から落ちてきた時を逆回しにするように、今度は空に吸い上げられた。


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