つ『遥かな出会い』 前編
姉さんとフィリシアの生活は、暫く続いた。それを眺めている事で、俺は二人の生活リズムというのか、生活スタイルというのか、そのようなものがなんとなく理解できてきた。
朝は日が昇ると同時に起き、夜は水浴びを除いて出歩く事は殆どない。昼間は食料を調達するために街に出掛けたり、森に果物を取りに向かう。
基本的には、その繰り返しだ。その日の暮らしを支えるための物資調達。木造の家には当然冷蔵庫もなく……おそらくこの文化レベルでは存在しないだろう。日持ちしない食料を塩漬けにしたり干したりして、どうにか凌いでいるという見解が正しいだろうか。
では、何故二人がわざわざ食料の得にくい山奥に身を潜めているのか。
その理由を知りたくて、俺と杏月は二人、ある日のフィリシアを追い掛ける事となった。
「……これ、普通に話していても誰にもバレないのよね」
「はいっ。今のお二人は例え接触したとしても、安易に気付かれる事はないのですよ」
フィリシアの真後ろで、杏月がケーキに耳打ちをした。確かに、どうせ気付かれないのだからと近くで観察する事に決めたは良いが、どうにも気まずい。
フィリシアは今日もパスカルを連れて、鼻歌を歌いながら歩いている。
「仮に、気付かれる可能性があるとしたら?」
「あると、したら――……いや、無いと思いますよ。逆に、どんなに気付かれたくても、気付いては貰えません」
……そういうことか。この場が前世なのだとしたら、俺達が干渉する事はできっこない。そこには親父の、穂苅恭一郎の何らかの意志が反映されていると思って良いだろう。
本当にあの人って一体、何なんだ……。
「しかし、随分歩くのね……たまたまだけど、ヒールじゃなくて本当に良かったわ……」
「はは。ヒールだったら今頃死んでるな」
「笑い事じゃないわよ!」
とはいえ、杏月の表情には疲労が見えている。普通に考えたら、ある日突然どぎついハイキングに参加しているようなものだからな。ケーキのお陰で水と食料は確保できているが、それにしたって。
片道ということは、帰りもこの道を歩くんだよな。一体どうなってしまうのか……
「……お、杏月。見ろよ、あれ」
「あれー……?」
憔悴している杏月に、俺は指差した。木々の隙間の向こう側に、繁華街のようなものが見える。
「わ……なにあれ」
遠目にも、多数の人々が歩き回っている事が分かる。広い敷地は防壁のような高い壁に囲まれており、それは象が突進してきても崩れないのではないかと思える程に分厚い。その中にある繁華街の更に向こう側に、王宮のような立派な装飾の施された建物があった。
見たところ、中性ヨーロッパのような町並みだが――……何処なんだろう、ここは。ティシュティヤ、だったか? 国の名前もあまり聞いたことがないし……
杏月は道中で拾った木の棒を地面に突き刺しながら、青い顔で苦笑いをした。
「よかった……そろそろお風呂くらい、入れるかなあ……」
大丈夫か、しっかりしろ……。まあ杏月って、見るからに山なんて登った事は無さそうな雰囲気だからな。
繁華街に近付くと、フィリシアは肩に掛けていたスカーフを巻き、鞄から――サングラス? ……形は全然違う。だけど、その目全体を覆い隠す黒いガラスはまるでサングラスのようだ。
頭の後ろで結ぶようになっており、フィリシアはそれをしっかりと鼻の上に固定させた。
パスカルを前に、フィリシアは歩く。俺達も、後に続いた。
「げえ、ゴツい奴ばっか!」
街に到着して開口一番、杏月はそう呟いた。戦争の手前だからなのか辺りは活気付いていて、屈強な戦士と思わしき男達が繁華街を彷徨いている。
フィリシアは顔を隠したまま、その小さな入り口の前まで歩いた。……裏口か? 門番と思わしき槍を持った兵士が二人、フィリシアに近付いた。
「鍵を」
フィリシアが懐から紋章を取り出して、門番に見せる。
「ティシュティヤの人間です。買い出しに来ました」
「なんだ、いつものお嬢か。今は荒れているから、気を付けろよ」
門番の言葉にフィリシアは頷いて、門を開けて貰う。……どうにも、慣れた関係みたいだな。フィリシアが入った隙を狙って、俺と杏月、ケーキも中へと入った。
門を開いたままで、門番はパスカルを連れて歩くフィリシアを見詰めていた。なんだ? なんか、寂しそうな顔をしている。
フィリシアを通した門番の隣に居た若い兵士が一人、その門番に話し掛けた。
「あの……良いんすか? 顔は確認しないと、紋章を持ってるだけじゃ……」
「馬鹿。お前ェ、目ん玉の無い乙女の素顔なんか確認して、無闇に傷付ける事もねーだろ」
「えっ!?」
――何?
「ほら、山奥に小屋構えて暮らす、偏屈な爺さんが居たのは知ってるだろ」
「はあ。タンドさん、でしたっけ」
「そこの孫娘だよ。以前、戦争の火に焼かれて目を失ったらしい。可哀想に、顔が潰れちまったせいであの歳でも繁華街に住むわけにいかず、婚儀もできずに山奥に篭っているときた。何でもタンド爺さんももう動く事が出来ないらしくて、その戦争の時に手に入れた異国の金貨を売りに出して、爺さんと日々の生活を凌いでいるとか……いつまで保つのか。憐れなもんよ」
という、設定か。フィリシアは別に、目が抉れてなどいない。パスカルを連れて歩いていたのは、盲導犬だと思わせるためか。
木造の家にも、タンド爺さんと思わしき老人の姿はなかった。
見たところ、「鍵を」の合図と、懐から出した紋章で判別しているようだ。ということは、あの紋章を手に入れる事は容易ではないのか――……。
しかし、フィリシアは持っている。もしも木造の家に元、住んでいたのがタンド爺さんだとしたなら、おそらくタンド爺さんの紋章だろうが……
「純、見失う!」
「おっと。すまね」
……今は、フィリシアを追うのが先決か。
そして。
特別、フィリシアの行動に目立つものはなかった。異国の金貨を換金しているというのはどうやら本当らしく、どこで手に入れたのかも分からない金貨を鑑定屋に見せて、日銭を得ているようだ。
しかし、フィリシアの行動ルートは決まっている。人気の少ない道を選び、鑑定屋も食料品店も、まるで決まっているかのようにスムーズな足取りで店へと向かう。道中に似たような店があっても無視、値段が安くても気にする様子もない。
「お、いつものだね。大丈夫かい? 爺さんも、あんたも、体調の方は」
「……おかげさまで、良くなりつつあります」
「そうかい。そりゃ良かったよ」
それに、分かったことが一つある。
どうやらフィリシアは、この繁華街内で出会う予定の全ての人間と既に顔見知りらしい、ということだ。逆に言えば、接する人間の数が少ないとも言える。
必要な事以外は何も話さず、王宮には近付かない。そうしてついにフィリシアは、入ってきた門番の所まで戻って来ると、門を開けて貰った。
「それじゃ、気を付けて行きなよ」
「……失礼します」
「タンド爺さんによろしく」
フィリシアは一礼して、門の外へと出た。俺はその様子を眺めながら、複雑な心境に駆られていた。
「……純、どう思う?」
杏月も同じ事を考えていたのだろうか。フィリシアが繁華街に入ってから出るまで、一時間と掛かっていない。明らかに身元を探られないための行動だ。
「まあ、普通に考えたら、あの小屋をタンドって爺さんから殺して奪った、って考えるのが自然だよな」
「不法入国ってこと?」
「……たぶん」
ローウェンって男――俺だが――は、その爺さんの事を知らないみたいだったよな。ということはこの情報、あんまりメジャーなものではない。一部の人間しか知らないってことだ。
もしも本当にタンド爺さんの孫娘だとしたなら、爺さんの死を非公開にする理由がない。
……うーむ。
「おい、大門の方。ローウェン様のお帰りらしいぜ」
「俺達には関係ねーよ」
大門、か。こちらの勝手口ではない、正門と言った所だろうか。
このままフィリシアを見失うのも、少し躊躇われるけど……
「杏月、大門の方に行ってみようか」
「あ、じゃあ私、二人の事見張ってるよ」
杏月は意気揚々と、そう言った。
「……離れたら、二度と会えないかもしれないぞ?」
「へ? 携帯で――あ、そうか」
これだからメカ脳は……
杏月は携帯電話の電波表示を確認して、溜め息をついた。いや、当たり前だろ。どうして使えると思ったんだよ。
しかし、これ以上あの二人に付いていても、何も変化は無いだろう。それより、ローウェン側から追い掛けた方が良いかもしれない。だって、何れローウェンはもう一度、あの二人に会うのだから。
……姉さんに。
「とにかく行ってみよう、杏月。何か、良い情報が得られるかもしれない」
◆
王宮までは近いようで遠く、フィリシアの行動範囲からすると繁華街はとても広い事に気付いた。道中酒場も一軒と見掛けなかったが、実際には酒場は酒場で固まっていて、それなりのエリアがあるようだった。
やはり、フィリシアは自らこの繁華街での行動を、かなり制限している。素顔を晒したくないためか、身元を暴かれたくないためか――……おそらくはその両方だろうが、それにしても相当警戒しているな。
繁華街を抜け、王宮を回る。背の高い王宮に隠れて見えなかったが、裏側は武器屋や道具屋など、また違った店の並びを確認することができた。
俺達が王宮の表側に回ると、既にローウェンは山道の途中で見た兵士達を後ろに従え、大通りを歩いている最中だった。白馬に太い剣、屈強な身体つき。
……くそっ。何で前世の俺はあんなにも格好良くて、今の俺はこんなに……
「ぶっ……今の純は可愛い所にポイントがあるからいーのよ」
表情から、何を考えていたのか杏月に悟られたらしい。
……かなり、恥ずかしかった。
ローウェンは白馬から降りると王宮の階段を上がり、階段の上に居る男性――これまた聡明な雰囲気で、しっかりした体格の男――に向かって、左手に持っている……手紙? を差し出した。
「ローウェン・クライン、帰還しました」
「ご苦労。本日はゆっくりと休養して欲しい」
男の言葉に、膝を突いて笑みを浮かべるローウェン。
かなり偉い系の人だな、あれは。王の可能性も有り得る……
「有難き幸せ」
……あ、やばい。ローウェンが男と共に、王宮の中に入って行く。俺は杏月に合図して、一直線に王宮の階段を上がった。
ローウェンが王宮の扉を閉める――
いかん、誰かが開けないと俺達は入れないんだって!! いや、入れるのかもしれないけどリスクが怖い!!
「ちょっと、純!! 待ってよ!!」
杏月が叫ぶが、一先ず扉の中に入るのが先だ!! 中にさえ入れば、誰も見ていない事を確認して扉の開閉が出来るんだからな!!
――うおおおおお!!
「……おや?」
ふと、その手の動きが止まった。
王宮に向かって全力疾走していた俺達は、勢い余ってローウェンを通り過ぎ、王宮の赤い絨毯に向かってヘッドスライディングした。
「どうかしたか、ローウェン?」
「……いえ。何か、新しい風を感じた気がしましてね」
「はっは。吉兆の予感だと良いな」
杏月が小走りで俺に向かって駆け寄ってくる。
「……大丈夫?」
「ああ、まあ……な」
杏月の肩の上に居たケーキが、くすりと笑って言った。
「普通に開けても、大丈夫ですってば」
「……次からそうするよ」
王宮の中には赤い絨毯が一面敷き詰められていて、とても高い天井に巨大な階段があった。奥にはいくつもの廊下と部屋があり、住んでいる人間も沢山居るのだろうと予測させる。
それにしても、装飾が豪華だ。左右対称であることに意味があるのか、どの模様も複雑なのに中央で綺麗に分ける事が出来る模様になっていた。
俺は立ち上がり、室内を見回す。これだけ背の高い室内で、電球の存在が見当たらないということは――……やはり、明かりは火なのだろう。
扉を閉めると、お偉方と思わしき男が言った。
「どうだ、ローウェン。アッケンブリードの旅は」
「堪りませんよ。門の前で襲われそうになりました。戦闘の意志はないと表明するまで、それなりに」
「そうか。……仕方ないな」
苦笑して、男は歩き出した。ローウェンも、それに続いて巨大な階段を上がる。
「連中は巨大な斧を使う集団だ。刃がこぼれないよう、充分に警戒して欲しい」
「覚悟しております、陛下」
やはり、王か。この時代の王は身体つきが恐ろしいんだなあ……。腕がとてつもなく太い。老いた戦士とは思えないくらいだ。
「それで、表明は?」
「既に連中は戦闘の意志で満ち満ちています。鎮圧しようなど、浅はかな考えだったと言わざるを得ない程に――戦神メビウスの理に誓いを立てる所まで、もう」
「……そうか」
なんか、戦いが神聖化されているような雰囲気だな。小細工をしないというのか――……宗教的な影響があったりもするんだろうか。
ローウェンにしても、戦闘の意志はないと表明すれば、何もされずに帰って来られるのか。
戦神なんとかと両者の間に、絶対的に君臨する秩序のようなものがあるのかもしれない。
「お兄様!!」