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ヤンデレ姉さんに○されたら考えるべき10のこと  作者: くらげマシンガン
▼第七章 俺の周りを飛んでいた彼女について。
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つ『姉さんの名前、覚えていますか』 後編

 冷や汗が頬を伝い、居間の床に落ちた。俺は絶句してしまい、杏月に何も話し掛ける事ができない。


『で? あったの?』


 転がっている方の、俺の携帯電話を見る。これには確かに、昨日の記録があるはずで――……

 ――ない。

 じゃあ、ポケットに携帯電話が移動したのか?

 夜のうちに?

 一体、誰の行動によって?


「……ああ、あったよ。あり、がとう」

『じゃあ、私は昼まで寝るから。帰って来たら、それから考えようよ』


 電話は、切られた。

 ――いや。嘘だろ。そんな筈ない。そんな筈はないよ。

 だったら、この携帯電話には、一体何が記録されて……

 電話を開き、中身を確認する。

 そこには、俺の九月までのメールのやり取りが記録されていた。『姉さん』の記述は最早何処にもなく、あたかも本当のような、立花や越後谷――『仲間』との通信の記録があった。

 ……いや、本当、だったか?

 混乱の後に、何故か当時の記憶を思い出す事に成功した。まるで夢を見ていたかのように、俺が今まで『真実』だと思っていた記憶は霞んでしまう。

 そんな筈は、ないのに。


「くっ――そがあああ――――!!」


 携帯電話を居間の床に投げ付ける。電池パックの蓋が外れ、中身が露出した。


「あああああ――――!!」


 頭を抱え、意味も分からずに叫んだ。

 もう、頭がおかしくなりそうだ。

 俺は昨日、何をしていた? 本当に杏月に言われた通りに、この部屋で失くした携帯電話の所在を突き止めに来たのか?

 そんな事のために、レイラを呼び出したのか?

 ――いや、俺は果たして、レイラを呼び出したのか?

 遠い事を覚悟で、歩いて行ったのか?

 俺は、何を確認しようとしていたのか?


「……はっ、……はっ」


 息を荒らげる。込み上げてくる怒りと悲しみに、自然と涙が溢れた。

 自分の記憶を、信じるな。それがこんなにも不安定で、難しい事だったなんて。

 忘れたくない。

 記憶が微かにでも残っているうちにと、俺は携帯電話を開いた――やっぱり、昨日書いたはずのテキストファイルはどこにも存在しない。

 こうして、俺も再び『姉さん』の存在を忘れてしまうのだろうか。

 ――いや。

 俺は新たに、テキストファイルを作った。

『姉さんの名前』。本当ならそう書きたい所だが、直に書いてしまえば、また消されてしまう可能性がある。

 なんとか『世界』に悟られないように、俺の中にもう『姉さん』の存在が無いと錯覚させるような内容にしないと……


「――あっ」


『くろみのくわ』。

『こいこがれるしのか』。

 そして、『あやめ』。

 ――思い出した。

 そうか。だから、直接書いてはいけなかったんだ。『世界』が矛盾に気付いてしまえば、直ちに矛盾は解消されてしまうから。

 色々な人の、想いによって。

 過去にあった出来事は、確かなものだと思われている。だけど、それは錯覚だ。過去ほど頼りない『事実』は、どこにもない。

 人は自分の中に矛盾が起こらないように、記憶を作り替える。


「変なヒント。それを、書いたのは……。誰だっけ……」


 死亡記録の書かれたテキストファイルをスクロールさせると、いつもヒントが隠されていた。『世界』に悟られないように、いつもぼかした内容で書かれていた。

 俺はその、謎解きをした。――そうだ。俺が死ななければならない時に、いつもそのヒントは現れた。

 では、どうして死ななければならなかったのか。

 思い出せ。


『――夢を見たの』


 瞬間的に、俺は双眸を見開いた。存在しない筈の台詞と、それを喋った相手が、突如として頭の中に現れる。


『……どんな?』

『純くんを私が何度も殺しちゃう夢』


 すらりと背の高い、整った身体。亜麻色の長い髪、人懐っこい二重瞼。常にベタベタしてくる甘えっ子で、でも肝心な時はいつも頼りになる――……

 後ろから、抱き締められた。それは、いつの出来事だっただろうか。

 どういうわけか、はっきりと感覚を思い出す事ができた。

 目。手。肌。形の良い唇。さらりとした髪。

 優しい声。

 それは夢ではなく、実際に殺された。だけど、俺は何度殺されても生きていた。死ななければならなかった事には、理由があった。それは――……


「……時間を、戻すためだ」


 断片的なキーワードから、存在しない筈の記憶を掘り起こしていく。

 ――まだ、完璧には忘れていない。忘れていないなら、俺は何度でも思い出す事ができる。

 そうだ。俺が思い出す事ができるということは、『上書きすることはできても、完全に消すことは出来ない』という、何よりの証拠じゃないか。

 それに気付いた時、俺は立ち上がった。

 ――大丈夫。まだ、覚えている。

 俺が覚えている限り、『姉さん』は死なない。いつか完全に記憶が隔離されてしまうまでには、きっと時間はある。

 寝てはいけない。寝ている間に何かが起これば、俺はまた全てを忘れてしまうかもしれない。実際、あまり睡眠を取っていない俺と、俺よりも長く睡眠を取った杏月の差は歴然だ。

 この分だと、レイラも覚えてはいないだろう。杏月よりも、姉さんから遠い存在だ。


「……よし」


 俺には今日、こんなところで立ち止まっている時間はない。

 疲れて眠ってしまえば、俺の中の記憶は整理され、薄いものから消えていく。何度思い返しても、意図的に繋がりを解かれてしまえば、思い出す事は難しくなっていくだろう。

 ならば、今日だ。

 今日中に、姉さんの『名前』を取り戻さなくては。


「さて、どうやって思い出そうか……」


 存在している物は、当てにならない。きっともう、証拠なんか無いのだろう。携帯電話とビデオカメラが一日でも残っていたのが、不思議なくらいだ。

 それも今日、無くなってしまった。

 なら、俺は自分自身の力で、名前を思い出す必要がある。

 まずは、俺が死んだ所を回ってみようか。

 確か九月に死んだのは、この家の寝室だったような。なら、次は八月だ。

 八月は、どこに居たか――……? テキストファイルには、大したことは書いていなかったような気がする。

 ――あ、そうだ。海に行ったんだ。

 なら、その場所に辿り着けば何かを思い出すかもしれない。

 携帯電話から、レイラを呼び出した。


『ハイ、ジュン! デートのお誘いですの? 昨夜は激しかったですわね』

「おはよう。紛らわしい事を言うんじゃない」


 ……当然、覚えている筈はないか。

 良いさ。全てを明るみにすれば、皆だって思い出すんだろうから。



 ◆



 レイラに頼み込んで、二階堂の別荘に向かうこと一時間強。俺はビデオカメラで撮った通りの、海、砂浜、そして木造のペンションのような建物のある土地の前に立っていた。

 広い駐車場には、レイラと乗ってきた黒塗りの車が一つだけ。レイラの指名した運転手は全く目立たないので、気が付くと既に近くからは離れていた。

 予想で言うなら、俺はきっと――ここで一度、死んだ。

 どういう事情なのかは分からないが、俺は実の姉に何度も殺される、という経験をしてきたらしい。携帯電話に『姉さん』と表記されていたからには、俺はきっと、実の姉のことを『姉さん』と呼んでいた事だろう。

 つまり、名前を思い出すのは苦労しそうだ、という事が分かる。


「ジュン、一応別荘の鍵、開けましたけど……」


 レイラが海を見て、青ざめた顔で笑った。


「寒いですわ……」


 全くもって、真冬の海なんかに来るもんじゃない。コートを羽織っていても、そこかしこから吹き荒ぶ海風に、手足が凍る。晴れているというのに、この寒さだ。雨が降った時の寒さは尋常ではないのだろう。


「というか、お前は何でコート着てないんだよ……」

「だ、だって海と言ったら、暖かいイメージで……」


 ……やれやれ。こいつも、日和った思考してるなあ。

 俺はコートを脱ぎ、レイラの背中に掛けてやった。


「あ……」

「もう少し、見て回りたい。ごめんな、こんな所に連れて来て」


 レイラは頬を染めて、俺に渡されたコートを胸の前で支えた。確かに寒いが、今の俺にそんな事を気にしている余裕などない。ここで思い出す事が出来なければ、俺は姉さんの記憶をどんどん忘れていって、やがて消えるのだろう。

 という予想――ある種の確信があった。だから、止まる訳にはいかなかった。


「……ジュン」

「ん?」


 駐車場に立ち止まったまま、レイラが後ろから俺に声を掛けた。俺は立ち止まり、レイラの方に振り返る。

 レイラの表情を見て、俺は疑問を覚えた。

 何故かレイラは、俺の瞳の奥に真実を探しているかのように、透き通った瞳で俺を見ていて――……


「――わたくし、前にジュンとここに、来た事がありませんか?」


 それは、

 絶望とも思われた、失われた記憶の探索に対し、一筋の光を見出したに他ならなかった。

 俺は戸惑い、それを言うべきか、悩み、海風に揺れる前髪を左手でかき上げ、そして――……


「……そういう記憶が、……あるのか?」


 そう、聞いた。

 波の音が、静寂に満ちた空間に響いていた。レイラは自身の記憶が肯定された事に驚き、困惑していた。今日は縦ロールにセットされていないレイラの金色の髪が、蒼い瞳が、目まぐるしく動いていた。

 記憶を、探しているのかもしれない。でも、その記憶は繋がる事がなく、困っているのだろう。その気持ちは、痛いほど分かる。

 だって、俺もそうだったから。


「い、いえ。きっと、気のせいですわね。こんな所に来た筈はないし、理由だって……」


 ビデオカメラの映像を二階堂レイラに見せたのは、決して無駄ではなかった。そう思わせる一言だった。

 もしかしたら、レイラはこの場所に、強い記憶を持っているんじゃないのか。

『あるいは、姉さんという存在に殺されるに当たり、この場所でのレイラが重要な立ち位置を占めていたとか』

 突如として頭の中に浮かんだ推理に、俺は居ても立ってもいられなくなった。

 レイラに近寄り、肩を掴んだ。


「きっと、そういう『夢』を見たんだよ。教えてくれないか、その夢について」

「え……夢? 夢の話が、聞きたいんですの?」


 夢にしてしまえばいい。レイラの中では、まだ夢でもいい。失われた記憶のトリガーを『夢』だと関連付けてしまえば、レイラの中で『姉さん』の記憶は、消えないだろう。

 果たして姉さんの記憶が出て来るのか、定かではないが……


「……そう、ですわね。夢でしか、有り得ませんものね。その……向こうの林の方に、わたくしは行くのですわ。ジュンを追って」


 俺はレイラの手を引き、林の方へと向かった。小走りで歩き、すぐに緑の中に入っていく。


「それで?」

「そうしたら、何か大きな音がして――そう、黒い翼の女の人に、出会うのですわ」


 ――黒い翼。

 失われたテキストファイルには、『豹変した姉さんに黒い翼が』とあった。ということは、この場でレイラが見たことは、間違いなく『姉さん』に関係する記憶だった、ということだ。

 見付けた。――やっと、俺以外の中に、『姉さん』の記憶を見付けた。

 震えが止まらない。


「……でも、不思議ですわね。こんなにも非現実的な記憶のことを、本当にあった出来事だと錯覚するなんて」


 それは、本当にあった出来事だからさ。

 俺はレイラに微笑んだ。


「正夢って言うじゃないか。もしかしたらどこかで、経験して、忘れてるだけかもしれないぜ?」

「あは。ジュンは、ロマンチストですのね」


 そうさ。俺は、ロマンチストだ。今だけは、それでも構わない。

 俺の頭の中にある『姉さん』の記憶が、瑠璃の症状と関係があるだなんて、根拠のない予想を立ててしまっているのだから。

 ビデオカメラの中の瑠璃は、事故に遭って記憶喪失になったとは思えないほどに活発で、色々な事を話していた。まるで普通の人間のように、驚き、笑い、頬を赤らめる事もあった。

 それが、『姉さん』の居なくなったこの世界で、瑠璃はまるで抜け落ちた感情を探しているかのように無表情になり、誰とも何も話す事をしなくなっている。

 その二つの出来事に因果関係を求めるのは、あながち間違っても居ないのではないかと思う。

 こうなれば、順番に死んだ場所を回っていくしかない。

 ――次は、最寄り駅の踏切前だ。


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