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ヤンデレ姉さんに○されたら考えるべき10のこと  作者: くらげマシンガン
▼第七章 俺の周りを飛んでいた彼女について。
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つ『猫みたいな彼女』 後編

 部屋に入った状態のままで、立ち止まった。

 僅かに埃が溜まっていること以外は何も変わらない。棚に片付けられた食器も、まるで昨日まで使われていたかのようだ。

 ……懐かしいな。俺がインドカレーを食べたいと言って、瑠璃がどこからか本場のスパイスを買ってきて作ってくれたっけか。

 それはどうにも、物悲しい。軽くテーブルを撫でると、俺は苦笑した。


「……どうして、こんな所に居るの」


 ――えっ?

 振り返ると、杏月が険相な表情で俺を見ていた。廊下の壁に凭れ掛かった体勢のままで、腕を組んでいる。……俺が何処に居るのかは、さしたる問題ではないだろう。それよりも、どうして杏月がこんな所に居るのか。

 杏月は俯いて、ため息を付いた。


「……晩御飯までに帰って来る見込みがなかったから、後を追い掛けたの」

「あれ? ……もしかして、病院に居たのか?」

「まさか。純の携帯電話にGPS付いてるでしょ。タグ付けてあるから」


 ……何を言っているのかよく分からないが、多分機械関係の知識を使って俺の居場所を特定した、というところだろう。相変わらず、溢れんばかりの知識を無駄なことにばかり使う――っと、あまり冗談を言うような空気でもなさそうだ。

 見れば、杏月は靴のままでこの部屋に上がって来ていた。俺が怪訝な表情で足元を見ると、杏月は眉根を寄せて、不機嫌そうな表情になった。


「何よ。どうでもいいでしょ、もう。汚されるとか、思った?」

「……いや」


 流石に、そんな事は考えない。この部屋の持ち主は、既に二人共この場所には暮らしていないのだから。

 すっぽりと空いてしまった時間の影に隠れた。思い出へと変化した『過去』は、もうこの場には残っていないというのに。


「この場所に来たら、瑠璃の病気を治すためのきっかけが掴めるかもしれないと思って」


 ――それで、来たんだ。

 最後の言葉は口には出さなかったが、しかし杏月には届いたようだった。どうしようもなくやるせないといったような顔をして、杏月の腕に力が入った。

 分かってるよ。……分かってる。そんな事をしたって、今の瑠璃に何を見せたって、変わらないかもしれない、ということは。


「病気じゃ、ない。医者が言ってたよ。元に戻る可能性は、あまり無いだろうって。もしあったとしても、それは何かの偶然とかじゃなくて、本人がショックを乗り越えないと駄目だろうって」

「そうだな」

「純も、聞いたでしょ?」


 ただ、頷いた。

 杏月は俺に向かい、歩いた。吹けば飛びそうな細い身体は、しかし確かな意思を持って、近付いて来る。

 いつかどこかで、似たような出来事があっただろうか。

 どこか、その姿に既視感を覚えた。

 絶望と孤独の縁で立ち上がり、これからも限りない苦難を乗り越えていくのだという意志を持った、強い女性の瞳。

 どこかで、見たのかもしれない。


「純。――もう、やめよう」


 杏月は俺の腕を掴んで、幼い子供に言い聞かせるかのように言う。

 あるいは、帰らない人を想い続ける人間に諦めさせる事と、同じような行為だっただろうか。


「私は、ずっとそばにいるから」


 杏月は現実的だ。いつも、本当に正しい答えを知っている。本当はそれ以上、選択肢を取ることができないことも。

 どのような想いで、何を決断して、そう言っているのかも分かる。

 ――でも。


「ごめん」


 杏月の背中に手を回して、俺はそう言った。杏月は俺の返事を聞く前からある程度把握していたようで、何も言わずに俺の胸に頭を預けた。


「瑠璃はまだ、生きてるから。諦められないんだ」


 そういえば、いつからか随分と背が伸びたように感じる。まるで今まで誰かにエネルギーを奪われていたのではないかと感じられる程に、俺の身長は伸びていた。

 これも、いつからだったか。もう、思い出す事が出来ない。


「……うん。わかった」


 俺はそれだけ言って、杏月から離れた。例えば瑠璃の記憶を思い起こさせるような何かがこの場所にあれば、元に戻る可能性だってゼロではないのではないか。

 寝室の扉を開いて、俺は見慣れたダブルベッドを見た。


「――あれ」


 ベッドの枕元に、何か置いてある。……携帯電話? 実際に手に取って、確かめてみた。これは確かに、携帯電話だ。

 電波は圏外だ。ということは、もう使われていないのか。瑠璃が置いて行ったのだろうか?

 ……それにしても、俺が使っている物と同じモデルだ。


「どうしたの?」


 杏月が異変に気付いて、再び俺の下に寄ってきた。携帯電話にはロックが掛かっている――試しに適当な数字を四つ、入力してみた。……そりゃあ、開かないか。


「電話?」


 杏月が俺の後ろから顔を出して、手元の携帯電話を見た。


「見られないの?」

「分からない。もし瑠璃のだったら、もう料金が払われていないとか……そんな事があるかもしれない」

「……そっか」


 ペアルックの携帯電話なんて、買っただろうか。もう記憶が朧げだが――……もしかしたら、あったのかもしれないな。あるいは、瑠璃が興味本位で買っていたとか。

 なら、パスワードも俺の電話と同じ、俺の生年月日だったり――……


「あ、開いた」


 ……本当に、開いてしまった。

 どうしよう。開いたはいいが、これの中身を見るというのは……。瑠璃のものだとしたら――俺に覚えがないのだから、きっと瑠璃の私物なんだろうが。それを勝手に覗き見る事になるのか。うーん……

 しかし、気になる。俺のものと同じ携帯電話。瑠璃は違う携帯電話をひとつ、持っていた気がする。ということは、二台構えていたということか。……わざわざ、俺のために?

 あ、同機種間の通話が無料、という選択肢があるか……いや。一緒に住んでいたのだから、そこまでして無料通話に拘る必要性は薄い。

 ……どうしよう。


「見ないの?」


 平気で言ってくれるな、杏月よ。俺にだって、他人のプライベートに土足で入る事の気不味さみたいなものはある。

 もしかしたら、杏月には無いのかもしれないが。こいつも平気で人の私物を覗き見たり、ハッキングしたりするからな……。

 以前、俺秘蔵のアレな画像が漁られていた時は背筋が凍る思いだった。

 ……そんな事は良いとして。

 これがもし瑠璃のものだとしたら、瑠璃の記憶を戻すきっかけがどこかにあるかもしれない。

 俺は結局、中身を見る事にした。メールフォルダを開き、そのやり取りを確認する。

 ……姉さん?


「……なにこれ」


 杏月も思わずといった様子で、ぼやいた。ほとんどは二○一二年の記録で、メールの送り先はほとんどが『姉さん』と称された、誰かの姉からのメールだ。

 こちらから送っている履歴もある。


「……瑠璃にお姉さんとか、居たっけ?」

「いや、一人っ子だって聞いた気がするけど……」

「……だよなあ」


 誰かも分からない『姉さん』からのメールを、俺は開いた。件名……『今夜の晩御飯』? なんか、えらい庶民的な……。一緒に暮らしていたのか?

 いやいや、待てよ。何でそんな携帯電話が、俺と瑠璃の部屋に。誰か空き巣でも入ったのか? それでこの電話を落としていったとか……

 内容には、『、今日の晩御飯だけど、ピラフでもいい?』と書いてある。


「なんで、メールの一番始めに読点があるの、これ……?」


 本当に……なんだ、これは。

 まるで、固有名称の部分が歯抜けになってしまったかのようだ。『今日の晩御飯だけど』の前に、誰かの名前が入っていたようにしか見えない。

 おい、何だよこれは。……なんか、気味悪くなってきたぞ。

 別のメールも開いてみよう。電話を操作し、メールを開いた。


『ごめん、。豚肉が安いから、やっぱりハンバーグにするね』


 ――やっぱり、名前の部分が抜けている。


「……純」


 杏月が不安そうな声音で、俺の袖を掴んだ。……俺だって、正直逃げ出したいレベルだ。何でこんな、ホラーみたいな電話が俺と瑠璃の部屋に……。

 ……そうか。もしかして、瑠璃の携帯電話だったとしたら。俺達の知らない姉との専用電話だったのかもしれないじゃないか。

 歯抜けになったメールの件は気にしない事にして、俺は連絡先を見た。何か、姉の情報が書いてあるかもしれない。そうしたら、お姉さんに連絡して、瑠璃について聞いたりとか……


「おい。なんだよ、これ……」


 ――思わず、口に出して呟いた。

 違う。……これは、瑠璃の携帯電話ではない。もしもこれが瑠璃の――青木瑠璃の携帯電話だったとしたなら、瑠璃の携帯電話の番号が『青木瑠璃』という名前で連絡先に登録されている筈がない。

 それにこのメールアドレス、俺のものとそっくりじゃないか。……いや、全く同じ……か?

 ……いや、待てよ。そんな筈ないって。なんだ、これ。


「純のアドレス……?」


 杏月も、気付いたようだ。

 得体の知れないモノに触れているという恐怖に、右腕が震える。最早これは、完全にホラーだ。俺の知らない携帯電話が、俺と瑠璃の家に置いてある。

 着信履歴を見る――……


「――――うわっ!?」


 すぐに、携帯電話の画面を切った。

 動悸が止まらない。激しい運動をした後のように息は上がり、肩で呼吸をした。真っ白になってしまった頭の中で、危険信号だけが鳴り響いている。

 思わず、口元を左手で覆った。


「かっ、帰ろう、純!!」


 杏月が俺の腕を引く。俺も頷いて、小走りで寝室を後にした。勢い良く扉を閉めて、そのまま玄関に向かっていく。杏月が出たことを確認して玄関扉を閉め、鍵を掛けた。

 ドアノブを握った状態のままで、暫くの間、放心した。

 ――その携帯電話の着信履歴は、『姉さん』からの着信で、埋まっていた。

 いや。おかしいだろ。……誰のだよ。携帯電話には、『姉さん』と、杏月と、瑠璃と、立花に越後谷、君麻呂、レイラ――……

 俺の番号だけがない。

 ……何故、俺の番号だけが。


「な、なんか幽霊とか、居るのかな……」


 分からない。もしかしたら、本当に居るのかもしれない。とびきり、俺とよく似た幽霊が。

 いや。もう本当に、そんな事でもなければ説明が付かない現象だった。もしかしたら、明日になったら無くなっていたり――……

 いやいや。……いやいやいや。

 俺は杏月の手を取り、一直線にエレベーターへと向かった。

 そんなことがあってたまるか。この世は科学と理論で説明できないことは無いと言える程に、がんじがらめに固まっているのだ。霊とか時間の逆転とか超常現象とか、そういうものは無いようにできているのだ。

 エレベーターを降りて、俺と杏月はマンションから離れる。

 ――だからこそ、瑠璃はもう、元には戻らないのに。


「……純、大丈夫?」


 まったくもって、ふざけている。霊やら超常現象やら、そういう出来事が起こるなら、瑠璃の症状をまず奇跡でも何でも起こして、どうにかして欲しい。

 神様に祈れば、神様は願いを叶えてくれるのだろうか。

 ……やっぱり俺、疲れているんじゃないか。


「大丈夫だよ」


 杏月に断って、俺は再び歩き出した。

 まだ元旦、明日も休みだ。今日はもう、さっさと帰って寝るべきだろう。



 ◆



「純くんんんん、ただいまああああんどおかえりいいいい!!」


 家に帰ると親父が帰っていたようで、いつものバレリーナスピンを見せながら俺の元に寄ってきた。……相変わらず、どういう構造をしているのだろうか。爪先で回転しているだけなのに、俺の元に寄ってくるっていうのは。どういう事なんだろう。

 アフガンハウンドの大型犬――パスカルが親父と共に俺に寄って来て、鼻息を荒げている。……おーおー。今日も元気だな。

 とてもではないが、心霊現象紛いの出来事を見てしまった俺と杏月は、親父のテンションについて行けるべくもなかった。


「……ただいま、親父」

「ねえねえ、聞いた!? 今日の晩御飯、カニクリームコロッケだって!! パパリン、カニクリームコロッケ大好き!!」

「落ち着けよ」


 何だよ、パパリンって。ついに気でも狂ったか。……いや、既に手遅れだ。末期症状くらいはとうの昔に出ているだろう。

 俺は苦笑して、廊下に上がる。とにかく、どっと疲れてしまったので部屋で横になりたい。……最近、妙に肩も重いしな。

 瑠璃がおかしくなってしまってから、俺の身体も鉛のように重たくなってしまっているのだ。


「しかし純くん、ひっさしぶりだねえ。元気してた?」


 親父は普段のままの、軽すぎる態度で俺の後を付いてくる。……なんだよ、今日は懐っこいな。普段、俺のことなんて放任主義もいい加減にしろと思える程に、何もしないのに。


「何ヶ月ぶり?」

「……三ヶ月くらいじゃないの? どうしたんだよ」

「いやあ、ちょっとね」


 親父は不敵な笑みを浮かべたまま、下顎に指を這わせて言った。


「――『ノーネーム』の歪みを発見したもんでね」


 ……はあ?

 真面目な顔をして、一体何を言っているんだ、この人は。……ノーネーム? ……あれか、最近見てるアニメか。流行りなのか。

 疲れる……


「……はい、それで?」

「おや? 知らないかい、ノーネーム。神様の上に立つ、因果ってやつだよ」

「何? はまってんの? アニメ?」

「ぶっ……あっはっは!! アニメね!! そうか、それは一本取られたね!!」


 俺があまりに冷めた態度を取ったからだろうか。親父は声に出して笑い――大爆笑だ。何をそんなに笑うことがあるんだよ。楽しそうな親父とは対照的に、俺は訳も分からないし、意味はないしで、全く面白くない。

 漫才なのか? ……新手の?


「実は、最近書いてる小説でね。『ノーネーム』と呼ばれるこの世の因果が逆転して、全ての人達はオンラインゲームの世界に閉じ込められてしまうのさ――どうよ? 良い発想じゃない?」

「知らねーよ」


 アホか。時間使って損したわ。

 そういえば、この人は小説なんか書いていたな。小説の世界なら、神様が出てきて都合の良いように世界を創り出すことだって、できるだろうに。

 ……瑠璃を助ける、ことも。


「……親父、さ」

「ん? どうしたんだい?」


 それでも、どうしても――さっきの事が、気になる。


「……昔の話なんだけどさ。俺に、姉さんって、居た?」


 とんでもない質問をしているということは、分かってる。もしも俺に姉が居たとするなら、即ちそれはもう死んでしまっていることを指すわけであって。

 余計にあの携帯電話の意味不明さ、気味悪さを強調する結果にはなってしまうけれど……


「居ないよ」


 親父は俺の事を馬鹿にする訳でもなく、静かに、そう言った。


「純くんの記憶には、無いでしょ? ということは、少なくとも『この世界』には、居ないよ」


 ……そりゃ、そうか。

 幾ら何でも、自身の姉が――死んでしまうような大事件があったら、俺がそれを忘れる筈がない。例えそれが、どんなに幼少の事だったとしても。


「……ん、分かった。ごめん、変なこと聞いて」


 疑問も何もかも、瑠璃のことも、解決したわけではないけれど。

 どういう訳か、本当の意味で瑠璃を救う手段を失ってしまったのではないかと、俺はざわつく感情を抑えらなかった。


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