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京都にての物語

京都霊山護国神社~必死~

作者: 不動 啓人

維新いしんの道』と刻まれた石碑を左手に見て、俺は――声に出してしまうと変人扱いされてしまうので――心の中で叫んだ。

「坂本先生!中岡先生!今、会いに行きます!」

 霊山護国神社りょうざんごこくじんじゃへ続く坂道を一気に駆け上った。そして――マジ疲れた。それでも、俺の情熱は途切れることなく、一歩一歩と両先生への道を辿る。と、陵墓に向かう手前に社殿があったので、まずはこちらから一応手を合わせておこうと思って境内に入った。が、それがいけなかった。いや、別にいけないことはないが、俺のテンションは一気に下がってしまった。途端に冬の風が身に染みる。

 原因は、境内に設置された『特操とくそうの碑』の碑文を読んでしまったからだった。

――若人は学業をなげうち陸軍りくぐん特別操縦見習士官とくべつそうじゅうみならいしかんとして祖国の危機に立ち上がった――

――あまたの戦友は空中戦に斃れ、また特攻の主力となって自爆――

 太平洋戦争の話は、どうも苦手だった。特に特攻の話はいけない。そのことに想いを馳せるだけで、俺はいつも虚脱感を覚え、気力を失ってしまう。どうもいけない。

 せっかくなので、社殿の前で手を合わせる。けれど、俺は一体なにを願えばいいのか。なにを語りかけたらいいのだろうか。結局、俺はなにも言葉が告げずに、形だけ頭を下げて社殿を後にした。


 厚い雲が低く垂れ込めている。今は大丈夫だが、その内雪でも降りそうな天候だ。

 大学の休みを利用して、俺は一人で京都を訪れた。友人に声を掛けても良かったのだが、一人の身軽さを選んだ。目的は坂本龍馬さかもとりょうま先生の足跡を追うこと。ある小説を読んで以来、坂本先生にハマッてしまった。昨日の内に寺田屋を訪れ一泊し、今日になって海援隊かいえんたい京都本部が置かれていた酢屋と、坂本先生、中岡慎太郎なかおしんたろう先生受難地の近江屋おうみや跡、そして最後に両先生の墓があるここ霊山護国神社を訪れたのだが――

 霊山護国神社は幕末から太平洋戦争までの京都出身者を中心に英霊を祀っている。その情報は京都を訪れる前からわかっていたのだが、坂本先生会いたさに盲目になっていた。まさか最後にこんな気分になるとは思わなかった。

 社務所で墳墓図を買い、三百円の入場料を払ってゲートを通る。山肌をジグザグに続く階段を上って、両先生の墓の前に立った。石鳥居の向こうに、向かって左に坂本先生。右に中岡先生。その前に立ったら立ったで、やはり感動が湧き上がってくる。流行の歌ではないが、墓に両先生がいる訳ではないし、想いが残っている訳でもないのだが、自分の勝手な想いが科学的理性の壁をぶち壊して両先生を身近に感じているように錯覚してしまえる。それは思い込みに他ならなかったが、それで良かった。というよりも、霊感というものがあれば別だが、そうする他に亡くなっている人を身近に感じることなどできないだろう。だからこそ、俺は感動できた。

 周りに誰もいないことを幸いに、

「坂本先生!中岡先生!お二人にお会いすることができて光栄です!先生方の生き方、かっこいいです!俺もそんな風に生きたいです!」

 両手を合わせて強い声音で語り掛けた。当然、応えてはくれない。けれど、ここにこうしていられる満足感が俺を満たす。

 振り返って両先生が見ているだろうと仮定する景色を眺めた。そこからは京都市内が一望できる。ここに両先生の墓を建てた人々は、死んだ後も京都を見守ってくれるように願いを込めて、この場所を定めたのだろう。確か、この墳墓の一番上には桂小五郎かつらこごろうこと木戸孝允きどたかよしの墓もあった筈だが、そこからだと木々に遮られて京都市内を見渡すことは困難だろう。そう考えると、両先生に対する人々の熱い想いが感じられるような気がする。

 護国――まさに人々は、国の為に奔走した人々にその想いを願ったのだろう。

 けれど――どうして同じ護国神社に祀られている人なのに、維新の志士達のことを想えば熱くなれるのに、太平洋戦争のこととなると、俺の気持ちは萎れてしまうのだろう。

 眼下に先ほど手を合わせた社殿が見える。『特操の碑』も見える。

 俺は再び振り返り、手すりに寄りかかったまま、もう一度両先生の墓を見た。そして墳墓全体を見渡した。けれど、なにも思い浮かばないので、墳墓の中を歩いてみることにした。

 足場の悪い階段を上り下りしていくと、見知った名が次々に墓碑に並ぶ。頂上の木戸孝允の墓にも手を合わせ、一通り回ってみた。天誅組志士達の墓の横にシャッターの下りた売店があり、その前にベンチがあったので、そこに腰を下ろして一息吐いた。そこからの視界は坂本・中岡両先生の墓前の景色よりも更に開けていて、一番の展望ポイントだった。

 ぼんやりと京都市内を眺めながら、あえて俺は考えてみた。

 太平洋戦争を想う時、俺の気持ちが萎えてしまう原因――それはやはり、やりきれない悲劇性を伴っていることだろうか。それはひとえに敗北という事実であり、また敗北した故に学べる戦争の悲劇性という戦後教育の刷り込みによるものだろう。現にその死は俺の目に痛々しい。

 一方、志士の死も悲劇的ではあるのだが、どこかその死に華を感じてしまっている自分がいる。その原因を辿れば、一に時間の経過により物語性を強く帯びている点ではないだろうか。つまり、歴史的事実というよりも時代劇なのである。二に『志』という美しい装飾品で着飾っている為だろうか。故に死すらも美しい。

 太平洋戦争で散った兵士達に志はあっただろうか?それぞれの志を奪われ、与えられたのは戦う大義であり、死ぬ理由である『護国』の二文字。けれど心の中心で志の代わりに彼らが抱いたのは、家族や身近な人間に対する儚き愛情ではなかったか。故にその死は痛々しい。

 志士達の死は明治新政府への礎と讃えられる。

 太平洋戦争での兵士達の死には、どんな価値が与えられるのだろう。犬死だろうか。はたまた平和への人身御供ひとみごくうだろうか。

 俺は、どんな想いで彼らに手を合わせたらいいのだろうか。

――あなた達の死は無駄ではありませんでした。

 どう無駄ではないのだ?

――あなた達のお陰で、今の平和があります。

 それこそ、人身御供ではないか。

――どうかこの国を、末永く見守ってください。

 死しても『護国』という鎖で戒めてしまうのか。

 そもそも『死』という生理現象に差別される基準などない。けれども、人は人であるが故にその基準無きものにさえ価値を与えてしまう。そうして俺らは、その価値を自ら求め惑わされてしまうのだ。その価値はつまり、自分にも付加しうる価値であるからだ。全ては想像上の絵空事。けれども、時には真実。

 俺は見出せない答えを、坂本先生に求めた。再び墓前に立ち、問い掛ける。

「先生が太平洋戦争に巻き込まれたら、どうしますか?」

 坂本先生であれば、きっと戦争回避の為に奔走したのだろう。武力での倒幕の動きを回避しようとしたように。もし権力無き普通の庶民であったとしても、もしかしたら徴兵拒否をして売国奴ばいこくどと呼ばれていたかもしれないなと思う。勝手にそんな想像させてくれる坂本先生の生き方が好きで、俺は先生のように生きたいと思う。

――生きる!

 そうだ、俺は生き方の指標を求めてここを訪れたのだ。死の価値を量りに来た訳ではない。生きていたのだ!志士達も!戦争に散った兵士達も!

 俺はようやく答えを見つけた想いで、坂本先生と中岡先生に頭を下げ、その場を去った。

 両先生の墓の一段低いところに昭和の杜がある。太平洋戦争で散った兵士達の記念碑が並んでいる。それを一通り見てから俺はゲートを出て、もう一度護国神社境内へと戻った。『特操の碑』の碑文にもう一度目を通す。

――死中に生を求めようとした――

 彼らは生きたのである。それも必死に、生きた!

 俺は再び社殿の前に立ち、手を合わせた。

「護国とは、皆様に願うことでなく、皆様の生き方を尊び、今を生きる日本人が必死に生きることによって、国を護ることに通じることと理解しました。不肖、緑山亮輔みどりやまりょうすけ、そこまでの人間になれるかわかりませんが、精一杯生きさせて頂きます」

 それぞれの死のありようではなく、志士にも兵士にも共通した必死な生こそ、この護国神社で学ぶべきことなのだろうと俺は解釈をした。それが普遍的に正しいかどうかはわからないが、俺にとっては妥当な真実のように思えた。




 後の話。

 墳墓図を購入した際に同封されていた霊山護国神社の参拝の栞に『御神徳・身代り守護』とあった。神徳としてはさして珍しいものでもないし、その意図を理解できなくもないが……なんか生々し過ぎて、そんなお願いを俺にはできそうもない……

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