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魔法学園に通う十七歳。学園祭の実行委員で、組でいちばん苦手な男子と組まされた

作者: 猫男爵
掲載日:2026/11/03



「では、十一の星・赤の組の学園祭実行委員は、カミーユとオーギュストで決まりだ」


 担任の先生が黒板に二人の名前を書いた。白墨がかつかつと鳴った。


 カミーユは自分の名前の横に並んだ「オーギュスト」の文字を見て思わず机の下で拳を握った。


 ――よりによって。


 くじ引きだった。誰もやりたがらない実行委員をくじで決める。四十人の組で二本の当たりくじ。カミーユが引いた紙に「当」の字があったとき、まあいいか、と思った。去年も学生会の手伝いをしたし、段取りを考えるのは嫌いではない。


 でも、もう一本の当たりを引いたのが、オーギュストだった。


 窓ぎわのいちばん後ろの席。椅子の背にもたれて、片肘をついて、外を見ている男子。黒い髪が少し伸びていて、制服の襟の留め具をいつも外している。


 オーギュストは黒板の自分の名前を見ても、表情一つ変えなかった。それから、一言だけ言った。


「……だる」


 組の何人かがくすっと笑った。


 カミーユの眉がぴくりと動いた。


 王立アステリア魔法学園、十一の星。十七歳。オーギュストとは、十の星のときから同じ組だ。でも、まともに話したことはほとんどない。


 アステリアでは、学年を星の数で呼ぶ。入学した年が一の星で、いちばん上が十二の星。制服の胸の学年章に、一年ごとに銀の星が一つずつ増えていく。


 いつも一人でいる。誰かと騒いでいるところを見たことがない。授業中は寝ているか、窓の外を見ている。話しかけられても、「別に」「どうでもいい」「勝手にすれば」。


 十の星の夏、組の合唱祭の練習で、カミーユが声部の取りまとめをやったとき、オーギュストは一度も練習に来なかった。本番の前日、カミーユが「せめて明日は来て」と言いに行くと、オーギュストは、カミーユの顔も見ずに言った。


 ――おれが出なくても、誰も困んないだろ。


 あの言い方が今でも忘れられない。


 だから、カミーユはオーギュストが苦手だった。組で、いちばん。


「カミーユ、オーギュスト、放課後、実行委員の集まりがあるから、学生会室な」


 先生の声に、カミーユは「はい」と返事をした。


 窓ぎわの後ろの席から、返事は聞こえなかった。




 放課後の学生会室は、各組の実行委員でいっぱいだった。長机に、二十人くらいがぎゅうぎゅうに座っている。天井の魔石灯の白い光。刷りたての配り紙の、インクのにおい。


 オーギュストは来た。来たけれど、いちばん後ろの壁にもたれて、腕を組んでずっと黙っていた。


 学生会長が学園祭の日程と注意事項を説明した。カミーユは配られた紙にペンで書きこみを入れながら聞いた。予算の上限。火の魔法の禁止。準備期間の寮の門限。


 ちらりと後ろを見ると、オーギュストは目を閉じていた。


 ――寝てる。


 カミーユはペンを強く握った。


 説明が終わると、学生会の人が、各組に木箱を一つずつ配った。中には、去年の学園祭の資料と、貼り布の巻きと、太い墨筆の束。けっこう重い。


 カミーユが箱を持ち上げようとしたとき、横から手がのびてきた。


 オーギュストだった。何も言わずに、箱をひょいと持ち上げて、そのまま学生会室を出ていった。


 カミーユは空っぽになった机の前でぽかんと立ち尽くした。


 ――何、あれ。


 お礼を言う前に、いなくなった。追いかけて廊下に出ると、もう、オーギュストの背中は階段の向こうに消えていた。


 教室に戻ると、カミーユの机の上に、木箱が置いてあった。オーギュストはもう寮に帰っていた。


 カミーユは箱を見下ろしてむっと唇をとがらせた。


 持ってくれたのはありがたい。でも、何も言わずに勝手に。まるで、カミーユに持たせるのが面倒だったみたいに。


 ――やっぱり、よく分かんない人。




 学園祭まであと三週間。


 十一の星・赤の組の出し物は、多数決で「幻のお化け屋敷」に決まった。教室を暗幕で区切って、迷路を作って、幻灯の魔法とお化け役で驚かせる。準備が大変な出し物の、上から三番目くらい。


 実行委員の仕事は、山ほどあった。


 学生会への企画書。予算の申請。暗幕と、迷路の壁にする厚紙の板の手配。衣装と小道具の担当決め。当番表。教室の配置図。火と幻灯の魔法の、安全の点検。


 カミーユはその全部を紙に書き出した。それから、オーギュストの席まで行って二枚を差し出した。


「これ、仕事の割り振り。半分ずつ」


 オーギュストは紙を受け取ってちらりと見た。


「……ふーん」


「企画書と配置図は、わたしがやる。オーギュストは厚紙集めと、暗幕の手配と、当番表。いい?」


「勝手にすれば」


 カミーユの奥歯が、きしりと鳴った。


 勝手にすれば。十の星のときと、同じ言い方。


 ――やっぱり、この人とは無理。


 カミーユはくるりと背を向けて自分の席に戻った。背中にオーギュストの視線を感じた気がしたけれど、ふり返らなかった。


 それから一週間、オーギュストは何もしなかった。


 少なくとも、カミーユにはそう見えた。


 放課後、組のみんなが教室で準備をしているあいだ、オーギュストはいつも、いつの間にかいなくなっていた。厚紙の板は一枚も集まらない。暗幕の話も聞かない。当番表もできていない。


 カミーユは自分の分の企画書と配置図を仕上げて学生会に出した。それから、衣装係の女子たちの相談に乗って、小道具係の男子たちに厚紙の切り方を教えて、毎日、寮の門限ぎりぎりまで教室に残った。


「カミーユ、大丈夫? 顔色悪いよ」


 親友のセリアが苺の果実水の小瓶を差し出してきた。セリアは衣装係の取りまとめだ。


「大丈夫。……って言いたいけど、オーギュストが何にもしないから、こっちが倍」


「あいつ、相変わらずだね。先生に言えば?」


「言ったって、どうせ、勝手にすればって言われるだけだよ」


 カミーユは果実水の小瓶に口をつけた。甘さが疲れた舌にしみた。


「厚紙の板、あと四十枚いるのに、一枚もない。暗幕も、まだ借りられるかどうか分かんない。来週から組み立てなのに」


 言いながら、喉の奥がつまった。


 去年も合唱祭で同じだった。カミーユが一人で走り回って、オーギュストは一度も来なかった。本番はなんとかなった。でも、終わったあと、カミーユは寮に帰ってから、自分の部屋で少しだけ泣いた。


 誰も見ていないところで、一人で全部やるのは、思っていたよりずっと、さみしいことだった。




 学園祭まであと二週間の月の日。


 朝、カミーユが教室に入ると、教室の後ろに、厚紙の板が積み上がっていた。


 ぴったり四十枚。どれも同じ大きさ。きれいに重ねてひもで束ねてある。束の上に、墨筆で「十一の星・赤の組 お化け屋敷用」と書いた紙が貼ってあった。


「え、なにこれ。誰が持ってきたの?」


「知らない。朝来たら、あった」


 組の男子たちが首をかしげていた。


 カミーユは束の上の紙を見た。墨筆の字。少し角ばった、細い字。


 見覚えのない字だった。


 その日の昼休み、学生会室に行くと、学生会の副会長が、カミーユを見てひらひらと手をふった。


「あ、赤の組のカミーユさん。暗幕の件、だいじょうぶだから。講堂の倉庫から、赤の組の分、八枚。もう押さえてあるよ」


「……え?」


「先週、オーギュストくんが来て手続きしていったよ。暗幕って、毎年取り合いになるから、早い者勝ちなんだけど。赤の組がいちばんだった」


 カミーユは手の中の紙を握り直した。


「オーギュストが?」


「うん。それと、これ」


 副会長は机の引き出しから、一枚の紙を取り出した。


 当番表だった。


 学園祭の二日間、午前と午後、一時間ごとの区切り。お化け役、受付、案内係、休憩。四十人全員の名前が、ぎっしりと書きこまれていた。部活の出し物がある人は、その時間を外してある。吹奏楽部の演奏の時間。幻灯部の上映の時間。家の用事で、二日目の午後に早く寮を出る人。


 一人も、無理がなかった。


「学生会に出す前に、一回見てくれって。カミーユさんに渡しといてって頼まれた」


 カミーユは当番表を両手で持ったまま、動けなかった。


 角ばった、細い字。厚紙の束の上の紙と、同じ字。


 ――オーギュストの、字。


 一枚目のいちばん下に、小さく書き足してあった。


 ――カミーユは、二日とも午後の三時から自由。後夜祭の準備があるから。




 その日の放課後、カミーユはオーギュストを探した。


 教室にはいなかった。寮の玄関にもいなかった。図書館にも、塔の上の展望台へ続く階段にも。


 見つけたのは校舎の裏の、ほうき置き場の奥だった。


 オーギュストはしゃがみこんで、厚紙の板を小刀で切っていた。お化け屋敷の迷路の壁にする、大きな板。地面に、定規と鉛筆と、切りくずが散らばっている。手のひらが灰色に汚れていた。


「……オーギュスト」


 オーギュストの手が止まった。


 ふり向いて、カミーユを見た。それから、すぐに厚紙に目を戻した。


「何」


「厚紙、四十枚。暗幕、八枚。当番表」


 カミーユは手の中の当番表を見せた。


「全部、オーギュストがやったの?」


「割り振られた分、やっただけ」


「なんで言わなかったの」


「言う必要、ある?」


 オーギュストは小刀を厚紙に当てた。すっ、と、まっすぐな線が引かれた。


「だって、わたし、ずっと、オーギュストが何もしてないと思ってた。セリアにも、何にもしないって愚痴って。先生に言おうかとまで思ってた」


「知ってる」


 カミーユは息をのんだ。


「教室で聞こえてたし。別にいいよ。そう見えてたなら、そうなんだろ」


 オーギュストは淡々と言った。怒っているようにも、傷ついているようにも聞こえなかった。


 それがかえってカミーユの胸に刺さった。


「……よくないよ」


 声が少しふるえた。


「よくない。わたし、勝手に決めつけてた。十の星のときの合唱祭のこともあって、オーギュストは、どうせ何にもしない人だって」


 オーギュストの手がまた止まった。


「厚紙、どこで集めたの。四十枚も、同じ大きさの」


「町の市場の、紙問屋。毎日、店じまいのときに、裏で十枚ずつ、売れ残りの切れ端をもらってた。四日」


「暗幕は」


「学生会に、先週の月の日。毎年取り合いになるって去年の三年に聞いた」


「当番表は」


 オーギュストは少しだけ黙った。


「……部活の時間とか、みんなに聞いて回った。教室だと、なんか、目立つから。部室とか、寮の食堂とかで」


 カミーユは言葉が出なかった。


 一週間、放課後になると、いつの間にかいなくなっていた。さぼっているのだと思っていた。


 町の市場の紙問屋の裏で切れ端を十枚ずつもらって。部室を回って一人ずつ予定を聞いて。


 誰にも何も言わずに。


「……なんで」


 カミーユはしゃがみこんで、オーギュストと目の高さを合わせた。


「なんでそんなに一人でやるの」


 オーギュストは小刀を置いた。


 灰色に汚れた手で前髪をかき上げた。それから、少しだけ、カミーユのほうを見た。


「カミーユが、一人で全部やるから」




 カミーユの指先が、制服の裾の端で止まった。


「……え?」


「去年の合唱祭。カミーユ、声部の取りまとめで一人で全部やってた。楽譜を写しの魔法で刷って、練習の日程決めて来ないやつに声かけて。毎日、最後まで残って」


 オーギュストは厚紙の切りくずを指でつまんだ。


「おれ、あのとき、練習行かなかった。行けなかった。……母親が、施療院に入ってて。放課後、毎日、町まで通ってた」


 カミーユの胸がぎゅっと縮んだ。


「知らなかった……」


「言ってないから。言いたくなかったし。同情されんの、嫌だったから」


 オーギュストは切りくずをぽいと厚紙の上に投げた。


「本番の前の日、カミーユが来て明日は来てって言った。おれ、あのとき、おれが出なくても誰も困んないだろって言った」


「……覚えてる」


「ひどいこと言ったってずっと思ってた」


 オーギュストの声が、ほんの少しだけ、低くなった。


「本番、行ったんだ。後ろの、いちばん端に立って口だけ動かしてた。カミーユ、指揮台の横で、ずっと泣きそうだったのに、最後まで笑ってた。終わったあと、みんなが帰ってから、一人で音楽堂の椅子、全部片づけてた」


 カミーユは口をおさえた。


 見られていた。誰もいないと思っていたのに。


「それ見て思った。この人、いつも一人で全部やって誰にも頼らないんだなって。……だから、今年、くじで一緒になったとき、半分は絶対おれがやろうって決めた。カミーユが一人で泣かなくていいように」


 オーギュストはそこまで言って、はっとしたように口を閉じた。


 それから、横を向いた。耳が夕日の色に染まっていた。


「……今の、なし」


「なしにしない」


 カミーユの声がふるえた。目の奥が熱かった。


「なしにしないよ、オーギュスト」


 去年の合唱祭のあと。誰もいない音楽堂で一人で椅子を片づけた。寮に帰って、自分の部屋で少しだけ泣いた。誰にも見られていないと思っていた。


 見ていてくれた人が、いた。


 しかも、その人は今年、カミーユが一人で泣かなくていいように、誰にも言わずに、町の紙問屋の裏で厚紙を集めていた。


 なみだが一つぶ、こぼれた。カミーユはあわてて手の甲でぬぐった。


「……泣くなよ」


「泣いてない」


「泣いてるだろ」


「オーギュストのせいだもん」


 オーギュストが困ったように眉を寄せた。それから、上着のポケットから、くしゃくしゃのハンカチを取り出して黙って差し出した。灰色の手の跡がハンカチのすみについていた。


 カミーユはそれを受け取って思わず笑ってしまった。


「汚れてる」


「……悪かったな」


 二人のあいだで、切りかけの厚紙が、夕日を浴びていた。


「……お母さん、今は」


 しばらくして、カミーユは、ハンカチを握ったまま訊いた。


「元気。去年の冬に、施療院を出た。今は町の仕立て屋で働いてる。手紙が毎週来てうるさい」


 オーギュストは少しだけ口の端をゆるめた。


「よかった……」


 カミーユはほっと息を吐いた。それから、オーギュストの手もとの厚紙を見た。


「それ、迷路の壁?」


「ああ。教室で切ると、床に傷つくから。ここでやってた」


「手伝う」


 カミーユは制服の裾を押さえて、オーギュストの隣にしゃがみこんだ。


「定規、押さえるくらいならできるから」


 オーギュストは少しだけ目を見開いた。それから、黙って、定規をカミーユのほうへずらした。


 二人で厚紙を切った。カミーユが定規を押さえてオーギュストが小刀を引く。すっ、すっ、と、まっすぐな線が、何本も引かれていく。


 オーギュストの手は、思っていたよりずっと器用だった。小刀の刃を少しも迷わずに進める。曲がった線が一本もない。


「上手だね。切断の呪文、使わないの?」


「呪文だと、切り口が焦げる。厚紙は手で切ったほうがきれい。……父親が、大工だったから」


「だった?」


「……今はいない。初等科のとき、出てった」


 カミーユの手が定規の上で止まった。


 オーギュストは小刀を動かし続けていた。声は淡々としていた。


「だから、母親が倒れたとき、おれしかいなかった。施療院行って家のことやって。……一人でやるの、慣れてんだ」


 カミーユは何も言えなかった。


 一人でやるのに、慣れている。


 カミーユも、そうだった。誰にも頼らずに、全部、自分で。そのほうが早いし、確実だし、誰にも迷惑をかけない。


 でも、本当はさみしかった。


 オーギュストも、きっと、同じだったのだ。


「オーギュスト」


「何」


「これからは、半分ずつね。ちゃんと、言い合って」


 オーギュストの小刀が、止まった。


「厚紙も暗幕も当番表も。オーギュストが一人でやったら、わたし、また勘違いするから。……わたしが一人でやったら、オーギュストが、また、見てるだけになっちゃうから」


 オーギュストはしばらく黙っていた。


 それから、厚紙に目を落としたまま、小さくうなずいた。


「……分かった」


 夕日がほうき置き場の屋根の向こうに沈みかけていた。二人の影が切りかけの厚紙の上に、長く並んでのびていた。




 それからの二週間、カミーユとオーギュストは、放課後、毎日一緒に残った。


 オーギュストは相変わらず口数が少なかった。でも、カミーユが配置図を広げると、黙って隣に来て、迷路の通路の幅を定規で測った。カミーユが衣装係と小道具係のあいだで板ばさみになっていると、いつの間にか、小道具係の男子たちと話をつけていた。


「オーギュストって意外と話すんだね」


 セリアがこっそりカミーユに耳打ちした。


「男子たちに、壁の組み方、教えてたよ。すごく丁寧に。あいつ、手先が器用なんだって」


「うん。知ってる」


 カミーユは教室の後ろで、厚紙の壁を貼り布でつなぎ合わせているオーギュストの背中を見た。


「……カミーユ、顔」


「え?」


「にやけてる」


 カミーユはあわてて手で頬をおさえた。


 学園祭の前の日、夜の八時まで教室で最後の仕上げをした。門限は実行委員の届けで延ばしてもらった。暗幕を張って、迷路を組んで、幻灯の魔石の位置を確かめて。組の半分くらいが残っていた。


 最後に、カミーユとオーギュストが、二人で迷路の中を歩いて確かめた。


 暗幕の中は真っ暗だった。足もとを照らす小さな灯り石だけが、点々と光っている。厚紙の壁に手を当てながら進む。


 三つ目の角を曲がったところで、カミーユの足が床の貼り布に引っかかった。


「わっ」


 体が前につんのめった。


 腕をつかまれた。


「……あぶない」


 暗闇の中で、オーギュストの声がすぐそばで聞こえた。


 腕をつかんだ手が、温かかった。厚紙の粉で少しざらざらしていた。


 カミーユの心臓が、どくん、と鳴った。


 暗くて、オーギュストの顔は見えない。でも、すぐ近くにいるのが分かった。息づかいが聞こえる。制服から、ほんの少し、洗濯石鹸の匂いがした。


「……ありがと」


「足もと、貼り布。明日までに貼りなおす」


 オーギュストはカミーユの腕を離した。


 でも、手は離れなかった。腕から、すべるように下りてきて、カミーユの手をそっとつかんだ。


「出口まで。暗いから」


 カミーユは何も言えなかった。


 つないだ手を握り返した。


 迷路の出口までの、十歩くらい。暗幕の向こうから、組のみんなの笑い声が聞こえていた。




 学園祭の一日目、開場から一時間がたったころ、事件が起きた。


「カミーユ! 迷路の三つ目の角の壁、倒れた!」


 お化け役の男子が、暗幕の中から飛び出してきた。


 カミーユは受付の机から立ち上がった。教室の前の廊下には、二十人くらいの行列ができている。見学に来た初等科の子どもたちが、わくわくした目で順番を待っていた。


 暗幕をくぐると、迷路の真ん中で、厚紙の壁が一枚、斜めに倒れかかっていた。お客さんがぶつかったらしい。貼り布がはがれて、隣の壁までぐらぐら揺れている。


 このままだと、迷路全体が崩れる。


 カミーユの頭が真っ白になった。


 行列を止めなきゃ。お客さんに謝らなきゃ。でも、止めたら、みんながっかりする。直すのに、どれくらいかかる? 貼り布、どこに置いたっけ。


「カミーユ」


 後ろで声がした。


 オーギュストだった。貼り布を二巻きと、予備の厚紙を一枚、脇に抱えていた。


「行列、五分だけ止めて。お客さんに、お化けの準備中ですって言えば、待ってくれる」


「え、でも」


「おれが直す。五分で」


 オーギュストはもう、倒れた壁の前にしゃがみこんでいた。


 カミーユは一瞬だけ迷った。それから、うなずいた。


「分かった。お願い」


 暗幕の外に出て、行列の先頭の子どもたちの前にしゃがみこんだ。


「ごめんね。今、お化けたちが、もっと怖くなる準備をしてるの。五分だけ、待っててくれる?」


 子どもたちが「えー、もっと怖くなるの?」「やだー」と言いながら、目をきらきらさせた。


 四分後、オーギュストが暗幕から顔を出して親指を立てた。


 カミーユは行列の先頭の子に、手持ちの灯り石を渡した。


「お待たせしました。どうぞ、お化け屋敷へ」


 子どもたちが悲鳴を上げながら暗幕の中へ消えていった。


 カミーユは受付の机に戻って大きく息を吐いた。


 隣に、オーギュストが戻ってきた。作業用の手袋を外して額の汗をぬぐっていた。


「……ありがと、オーギュスト」


「半分ずつ、だろ」


 オーギュストはぼそっと言って受付の椅子に座った。


 カミーユは思わず笑った。


 一人だったら、きっと、慌てていた。行列を止めて、一人で壁を直して一人で謝って。去年までのカミーユなら。


 今年は隣に、半分を持ってくれる人がいる。


 学園祭の二日間は、あっという間に過ぎた。


 二日目の午前中、カミーユは受付の机で行列の人数を数えながら、ときどき隣を見た。オーギュストは腕を組んで、迷路の出口から出てくるお客さんを見ていた。泣きながら出てくる初等科の子がいると、ポケットから飴を出して、黙って手のひらにのせてやっていた。


 ――あんなの、どこに隠してたんだろう。


 カミーユはこっそり笑った。


 机の下に置いたオーギュストのかばんの口から、苺味の飴の袋がのぞいていた。半分くらい、減っていた。小さい子が泣いたときのために、朝のうちに購買部で買ってきたのかもしれない。


 お化け屋敷には行列ができた。セリアの作った衣装は本物みたいに怖くて、小さな子どもを三人泣かせた。当番表のおかげで、誰も無理をせずに、全員が交代で、ほかの組の出し物も見て回れた。


 二日目の午後三時。


 当番表に書いてあったとおり、カミーユは自由になった。


 後夜祭の準備のために、実行委員は中庭に集まることになっていた。大かがり火の薪を組む。浮かべる灯籠の魔石に、光を込める。カミーユは学生会の天幕で進行表を確かめていた。


「カミーユ」


 天幕の外から、声がした。


 オーギュストだった。作業用の手袋をはめて薪の束を抱えていた。


「薪、どこ置けばいい」


「あ、真ん中の、白い線のとこ」


 オーギュストはうなずいて、薪を運んでいった。


 カミーユはその背中を見送った。


 きのうの夜、迷路の中で手をつないだ。出口に出たとたん、オーギュストは手を離して、何も言わずに暗幕の片づけを始めた。カミーユも何も言えなかった。


 あれから、二人とも、そのことには触れていない。


 ――なかったことにされたのかな。


 胸の奥がちくりと痛んだ。




 後夜祭が始まったのは日が暮れてからだった。


 中庭の真ん中で大かがり火が燃え上がった。オレンジ色の火の粉が、夜空に舞い上がる。光を込めた小さな灯籠が、いくつも宙に浮かんでゆらゆらと揺れている。全校の生徒が火を囲んで輪になった。


 輪舞の曲が流れはじめた。


 毎年、この学園の後夜祭では最後に輪舞を踊る。男女で輪を作って、曲に合わせて、相手が一人ずつ入れ替わっていく。


 カミーユは学生会の天幕の前で進行表を握りしめていた。実行委員は裏方だ。踊りには加わらない。


 輪がゆっくりと回りはじめた。手をつないで、ステップを踏んで次の相手へ。笑い声と、手拍子。火の粉の、ぱちぱちという音。


 セリアが輪の中でこちらに手をふっていた。


 カミーユは手をふり返した。


 ――いいな。


 小さく、そう思った。


 輪の中で、誰かと手をつないで、笑いながら回る。そういうことをカミーユはしたことがない。合唱祭でも、運動祭でも、学園祭でも、いつも裏で進行表を握っていた。


 それでいいと思っていた。誰かがやらなきゃいけないことを自分がやる。それで、みんなが楽しめるなら。


 でも、今夜は。


 きのうの夜、暗い迷路の中でつないだ手の温かさを思い出してしまう。


「カミーユ」


 すぐ横で声がした。


 ふり向くと、オーギュストが立っていた。作業用の手袋を外してポケットに突っこんでいる。大かがり火の光が、横顔をオレンジ色に照らしていた。


「進行表、貸して」


「え?」


「学生会の副会長に話つけた。最後の一曲だけ、おれが進行やる。カミーユは行ってこい」


 カミーユはまばたきをした。


「行ってこいってどこに」


「輪の中」


 オーギュストはカミーユの手から、進行表をそっと抜き取った。


「カミーユ、毎年、裏方だろ。去年も、一昨年の中等科のときも。……一回くらい、踊ってこいよ」


 カミーユの胸がぎゅっと熱くなった。


 知っていたのだ。去年も、一昨年も。この人はずっと、見ていた。


「でも、オーギュストは」


「おれはいい」


「よくない」


 カミーユは首を横にふった。


「オーギュストだって裏方ばっかりだった。厚紙も暗幕も当番表も。誰にも言わずに」


 輪舞の曲が終わりに近づいていた。次が最後の一曲。


 カミーユは息を吸った。


 いつも、裏で進行表を握っていた。誰かのために、誰にも頼らずに、一人で。


 でも、今夜は自分で選びたかった。


「……オーギュスト」


 カミーユはオーギュストの手から、進行表を取り返した。学生会の天幕の机の上に置いた。


 それから、オーギュストの手を取った。


 きのうの夜、迷路の暗闇の中でつないだ手。厚紙の粉はもうついていなかった。


「一緒に行こう」


 オーギュストの目が大きく見開かれた。


「最後の一曲。二人とも、裏方はお休み」


 大かがり火がぱちんと大きくはぜた。


 オーギュストはしばらくカミーユを見下ろしていた。それから、つないだ手に、少しだけ力をこめた。


「……カミーユ、輪舞、踊れんの」


「踊ったことない」


「おれも」


「じゃあ、二人とも下手だね」


 オーギュストがふっと、息を吐くように笑った。


 はじめて見る笑い方だった。いつもの無愛想な口もとが、少しだけゆるんで目が細くなった。


 カミーユの心臓が、大かがり火の火の粉と一緒に、夜空まで跳ね上がった。


 最後の一曲が始まった。


 二人は手をつないだまま、火を囲む輪の、いちばん端に入った。ステップなんて分からなかった。前の人のまねをして、足を出して、回って手拍子をした。二回、オーギュストの足を踏んだ。オーギュストは二回とも「いて」と言って笑った。


 輪の向こうで、セリアが、両手で口をおさえてぴょんぴょん跳ねていた。


 輪舞は相手が一人ずつ入れ替わっていく。次の相手へ、手を離す合図の手拍子が鳴った。


 カミーユは手を離さなかった。


 オーギュストも離さなかった。


 二人だけ、輪の流れから外れて、火の明かりの外側で立ち止まった。


「……決まり違反だろ、これ」


「実行委員だもん。ちょっとくらい、いいでしょ」


 オーギュストは空いているほうの手で前髪をかき上げた。耳が大かがり火より赤かった。


「カミーユ」


「なに」


「……来年も実行委員、やる?」


 カミーユは少しだけ考えた。


 それから、つないだ手をぎゅっと握り返した。


「くじで当たったらね。……もう一本の当たりは、オーギュストが引いてよ」


 夜空に、火の粉と灯籠の光が、きらきらと舞い上がっていった。




(完)


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