第442話 終わりの月と驟雨
立ち込める霧と激しくコンクリートを叩く雨。
それは華々しい再会とは決して言えないシチュエーションであった。
三人は手には武器を、胸には信念をもって前を向く。
胸の内をどこまでも見透かしたようなその真っ直ぐな瞳が、今のネームレスには何よりも鬱陶しかった。
自分を救おうとしているその目が。
「……あーあ、面倒な事になったなぁ」
ネームレスは気だるげにそう言ってミズヒとミロクを順に見て、最後にトアを睨みつけた。
それだけでトアは縮み上がったが、重砲の取っ手をぎゅっと掴んで負けじと睨み返す。尤も、涙を目に浮かべた姿に迫力は無かったが。
「けど、私が負けることは絶対にありえない。そっちはただのSランクと型落ちのデモンズギアだけ。どうやって私に勝つの? あの子もいないみたいだし」
辺りを見渡し、最後に空を見上げネームレスは内心で安堵のため息をつく。
空は鉛色の雲に覆われており、星は見える筈もなかった。
「ケイちゃんはお留守番です。皆の帰りを待っていますよ。もちろん、貴女も含めて」
「まるで家出少女に対する扱いだなぁ。相変わらずお母さんみたいだね、ミロクちゃんは」
ネームレスは雑談でもするように気軽な口調と共に一歩踏み出す。
その瞬間彼女の足には硝子が巻き付き、姿を消した。
「ナナちゃん」
『前提規則。照上ミズヒ、蒼星ミロク、月宮トアの三人に危害を加えてはならない』
世界に向けて告げられた絶対の法則がネームレスの攻撃をはじく。
その大鎌はトアの首だけを狙っていたが、まるで見えない壁でもあるかのように停止した。
「成程ね、この霧を利用してシエルの権能の発動を誤魔化したのか。あるいは、初めからここは既にシエルの世界だったり?」
『だとしたらボクが気が付く。恐らくは、先ほどの収束砲撃の打ち合いで魔力が乱れた隙を突かれたのだろう。小賢しいな、シエル姉さんは』
初めの攻撃を防がれたとしても、問題はない。
ネームレスの強さはその手数にある。
例え三人が相手だとしても、依然として有利なのだ。
そしてもう一つ、ネームレスはこの三人の穴を見つけていた。
「やっぱり私から狙わないとねぇ!」
三人へと向けられる嵐のような攻撃。
それらは全て、トア一人を狙ったものであった。
「ミロク、これを凌げるか?」
「安心してください。大丈夫ですよ」
ミズヒが一つ一つ撃ち落していくが、それでも間に合いそうにない。
「後ろで適当に砲撃を撃っているだけのお荷物がさぁ! お前が来なければもっと二人も楽に戦えたかもね!」
「っ、私だって頑張るもん!」
トアはネームレスへと砲撃を放つ。
重く強力な一撃だったが、ネームレスから見ればあまりにもわかりすぎた一撃だった。
狙う位置、タイミング、その両方が手に取る様にわかる。
「砲撃ってのはこうやって撃つんだよ」
二人の砲撃が交錯し、互いへと迫る。
ネームレスはそれをわざとらしく躱して見せ、対してトアはシエルの権能により守られていた。
「ほら、やっぱり一人じゃ何もできない」
「トアちゃん、挑発に乗っちゃ駄目ですよ?」
「わかってる。私達はネームレスを助けに来たんだから」
「助ける……かぁ」
それは今まで散々ネームレスに投げ掛けられていた言葉だった。
もう聞き飽きていた筈の言葉に、彼女の中で怒りが湧きたつ。
ただ一人、世界で一番言われたくない人間にそう言われたのだから。
「お前がそんな事を言えるほど強いのかよ!」
攻撃が激化し、辺りが黒い焔と蛙に包まれる。
同時に空では黄金の砲撃陣が大量に展開され、切断の嵐が巻き起こった。
「ミズヒちゃんとミロクちゃんがそう言っているから流されているだけだろ! 弱虫の癖に!」
それらは全てただ一人に向けて放たれた憎悪である。
ただ一人、月宮トアという自分自身へと向けて。
「私は自分の意志で助けたいと思ったんだ!」
「嘘つくなよ!」
激化する攻撃は全てがシエルによって防がれている。
しかしそれにも限界があるとネームレスは知っていた。
(三人を対象にしてずっと守れるほどあの力は万能じゃない筈だ。それにこっちにはトリムがいる。デモンズギアの完成形が負けるわけがない!)
勝利の論理は着実に組み上がっていく。
無限に近い魔力を得たネームレスはもはや無敵に近かった。
それでも慢心せずに攻撃するのは、彼女達の強さを知っているからだった。
弱虫だった自分の背中を押してくれた英雄がいる。
泣き虫だった自分を励ましてくれた英雄がいる。
世界を救う素質があった英雄がフェクトムには沢山いる。
余分なのは、自分だけ。
だからこそ、ネームレスは月宮トアという少女が気に入らなかった。
「お前の体を借りているときもずっと気に入らなかったんだ。いっつも泣いて、私のやる事にも心配そうにしていたお前がッ!」
「……っ」
距離を焼却し、切断し、光の速さで駆け抜けて、ネームレスはトアへと迫る。
トリムの不干渉が込められた回避不能の刃がありったけの感情と共にトアへと加速した。
「優しいだけじゃ何も守れないんだよ!」
「それでも私は!」
大鎌の軌跡はいたってシンプルに首を狙ったものだった。
当然殺しはしない。
もしも殺せば、彼女の思い描く世界は破綻してしまうから。
ギリギリのところで理性を保ちながらも、ネームレスはトアをわざと恐怖させるように目に見える軌跡で攻撃を放つ。
故にトアはそれをしっかりと目視し、そして――。
「貴女の苦しみがわかるからっ!」
その攻撃を重砲で《《弾いた》》。
火花が散り、大鎌が退けられる。
「……は?」
ネームレスの思考に僅かに空白が生まれる。
彼女は驚愕していた。
単純に自分が力負けした事、回避ではなく敢えて重砲で弾くその判断。
否そもそもの話。
「どうして私に触れた……!?」
舞う火花の向こう、涙を目に溜めながらもこちらの姿を捉えているトアの姿にネームレスは感情を掻き立てられる。
「なんで、どうしてっ!」
ネームレスは再びトアへと大鎌を振るう。
今度は確実に仕留めるように、死角をついた。
「やらせるものか」
しかし今度はミズヒによって攻撃を防がれる。
火花を散らしながら銃で大鎌を受け止めると、ミズヒはがら空きになったネームレスの胴に肘鉄を放った。
「っ」
攻撃が当たり、予想外の衝撃に面食らいネームレスはその場から切断音と共に消える。
そして距離を取り、大量の砲撃陣を展開しながら三人を見下ろした。
「どうして攻撃が当たるの、トリム!」
『……これは、まさか』
ネームレスの手の中で相棒は一足先に答えを見つけた様子で呟く。
その勿体ぶった言い方にネームレスが声を荒げようとしたその時だった。
「――先生の虎の巻のおかげだ」
ミズヒは銃を構えながらそう答えた。
端的な答えは余計にネームレスを苛立たせたようで、大量の砲撃が降り注ぐ。
しかしそれらは全て三人に届く前に霧散した。
世界がそう望んだからである。
「私達三人の中にはある物の欠片が埋まっているそうです。それを繋ぐことで共鳴現象を引き起こし、力を増幅できる。だったら当然、トアちゃんである貴女の中にもありますよね?」
「……まさか」
察したネームレスへと頷き、ミロクは説明を続ける。
「貴女の放った大量の魔力は欠片の活性化と共鳴現象を引き起こすには十分でした。貴女と私達は今、強制的に繋がっています。どれだけ不干渉の力で位相を移動しようが私達にもそれが適応される」
その宣言は即ちネームレスのアドバンテージが一つ失われたという事だった。
顔を顰めたネームレスは大鎌へと視線をやりすぐに命令を下す。
「っ、トリム! 共鳴現象から私を切り離して!」
『無理だな。あの機械との撃ち合いで大量の魔力を収束させたお前の体には複雑に奴らの魔力が絡みついている。一方的に共鳴現象を引き起こす為に最初から道筋が建てられていたんだ。どうせシエル姉さんの入れ知恵だろう』
「なんとか出来ないの!?」
『無理矢理取り除けばお前本来の魔力も切り離す事になる。そうすれば月詠みは維持できないぞ。このまま戦え。別にボクはそんなものがなくとも強い』
自信満々な言葉にネームレスは舌打ちをする。
そして大鎌の柄を向けた。
「じゃあぶっ放す」
『ああ派手に行こう』
再び空に巨大な魔法陣が展開された。
ミユメに放った時と同様に一つ一つの工程を省略せず、丁寧に組み上げたアルテミス・ノヴァが三人の前に黄金の光となって現れる。
大鎌へと大量の管が繋がれ、ネームレスはその引き金に指を掛けながら告げた。
「星に祈りを……!」
轟音と共にアルテミス・ノヴァが放たれる。
多くの無茶と奇跡を積み重ねたミユメですら押し負けた黄金の光を前にして、一歩前に出たのはミズヒだけだった。
「私が行く」
「はい、お願いしますねミズヒちゃん」
ミズヒは銃を構えると、ただ引き金を引く。
空を覆いつくすほどの圧倒的な収束砲撃に向かって放たれたのは、一発の弾丸だった。
「そんなもので勝てるわけないじゃん! ふざけているの!?」
「いいや、勝てるさ」
弾丸はまっすぐに黄金の光へと突き進み、あっという間に飲み込まれる。
そして、否定の言葉を重ねようとしたネームレスの目の前で収束砲撃はまるで花火の様に弾けた。
「なっ……!」
『干渉!? いや、姉さんとは僅かに違う。これは、魔力の操作か!』
「――焔と水は、魔力を扱うイメージでしかない。かつて、ケイは私にそう言って聞かせてくれた。焔は魔力を押し出すイメージ、水は魔力を集め操るイメージ。二つが揃って私なんだ。だったら、こんな事が出来るのも当然だろう?」
それはこの学園都市でも初めて観測される異常な現象であった。
異能開発の第一人者である講師や理事長、そしてラッカですら予測しえなかった第三の進化。
異能の切り替えと言うべき特殊な現象。
「今の私は魔力であれば自在に操作ができる。魔法で私に勝てるなどと思うなよ」
『気を付けろ。プロセスは違うが、結果として出力されるものは星詠みと同じだ』
「……はは、無茶苦茶だよ。そんなの」
雨が降り続いている。
いや、空へと昇っている。
雨粒が浮かび、まるで空へと還っていくように。
「トア、言っただろう。お前を連れ戻すとな」
ミズヒが告げた、この瞬間ネームレスの敗北は決定した。
「……そっか」
ネームレスはミズヒ達を見下ろしたまま、落胆したように呟く。
彼女達の輝く瞳は、まるで星の様にきらめいていた。
(やっぱり凄いな、皆は)
けれど、その輝きを受け止められるほどにネームレスは強くない。
摩耗した彼女はただひたすらに焼かれ、ひび割れていく。
(これじゃあ、私のいる意味は……)
救う為に伸ばした手が少女を傷つけている事など知る由もなく、雨の中の決戦は続く――。
『ぬっ! ネームレスから感じる美少女の輝きが弱々しくなっている。助けないといけない! 星詠みの杖君、カメ君!』
『準備は出来た。後はタイミングを見計らって突入だねぇ』
『おぉ……ようやく我らの出番だなマイロード』
『間に合って良かったのじゃ』
『あの無茶苦茶な共鳴現象に、能力の底上げ……間違いない彼女達の体にあるという欠片は……!』
『ほう、テム子も気が付いていたか(知ったかぶり)』
『当然、私も気が付いている^^(知ったかぶり2)』
『おぉ、あの力だな(知っている)』
『我は知らないのじゃ(正直者)』




