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この世界の感情は全部作られていた ~共鳴しない僕だけが「ノイズ能力」でフェイク・レゾナンスを壊すまで~  作者: ひろボ


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第8話:リアル・レゾネーター

 地下の空気は、鉛のように重い。

 肺の奥にへばりつく、古いオイルと湿った土の匂い。


 旧地下鉄のホーム跡。

 無数のモニターが放つ青白い光が、コンクリートの壁にどろりとした陰影を落としている。

 床をのたうつ被覆の剥げたケーブル。

 電子の鼓動を刻むそれは、まるで巨大な怪物の血管だ。


 俺――朝霧レンは、埃を被った硬いベンチに深く腰を下ろし、自分の右手をじっと見つめていた。

 視線を落とすだけで、指先の皮膚がチリチリと焼ける。

 目には見えない黒いノイズの残滓が、いまだに神経を逆撫でし続けていた。


「……昨日の波形データ、夜通し解析してみた。……お前のノイズ、思ってたよりずっとヤバい代物だぞ」


 ハルが、油圧の抜けた椅子をギィと鳴らして回転させた。

 ヘッドフォンを首にかけ、不敵な笑みを浮かべた彼は、新たなグラフをメインモニターに呼び出す。


「アンチ・システムなんて生易しい話じゃない。増幅塔のコアに直接流し込めば、都市全体のフェイク・レゾナンスを一瞬で焼き切れる可能性がある」


 アンチ・システム。


 その言葉が、冷たい質量を持って胸にのしかかる。

 ただ、世界が気持ち悪いと思っていた。

 誰もが同じ角度で笑い、同じトーンで喋るこの街が、吐き気がするほど不気味だった。

 喉の奥にこびりついて離れなかった『違和感』。

 形となって溢れ出したのが、この呪われた力だというのか。


「でも……俺だけなのか? こんな、出来損ないのバグみたいな力を持ってるのは」


「いいや。お前は特別だが、一人じゃないぜ」


 ハルが、静寂を切り裂くように鋭い口笛を吹いた。


 それを合図に。

 ホームの奥、光の届かない真っ暗なトンネルから、二つの足音が近づいてくる。

 湿った床を叩く、硬い靴音。


「――ようやく目が覚めたみたいね。地上の『バグ』君」


 暗闇の中から、一人の少女が姿を現した。

 緩くウェーブのかかった栗色の髪。

 すべてを見透かすような、深く、底の見えない知性を湛えた瞳。

 彼女が纏っているのは、調整局の無機質な制服とは対照的な、機能性を剥き出しにしたレジスタンスの黒いタクティカルウェアだった。


「彼女は伊吹サラ。俺たちの精神支援役だ」


「伊吹サラです。よろしくね、レン君」


 サラと呼ばれた少女は、微かに口角を上げ、俺の目の前に立った。

 その瞬間。

 脳内を、春の陽だまりのような温かい風が吹き抜ける。


「……っ!? なんだ、今のは」


「安心して。少しだけ、あなたの心の『色』を見せてもらっただけだから」


 サラは、愛おしいものを見るように目を細めた。

 言葉を介さずとも、対象の感情や精神状態を可視化された波形として視認し、その深淵に触れる力。

『共鳴読み取り』。


「あなたの波形は……すごく激しくて、痛々しいわ。真っ黒な嵐が吹き荒れる中心に、たった一つ、今にも消えそうな蒼い炎が灯ってる。……それが、あなたの本物の心なのね」


 喉の奥が熱くなる。

 自分でも言葉にできず、ずっと胸の奥に押し込んでいた『息苦しさ』を。

 彼女は、出会って数秒で、いとも容易く暴いてみせた。


「そして、もう一人。……こいつが、うちの主力だ」


 サラの背後から、巨大な岩が動くような重圧と共に、一人の男が歩み出てきた。

 短く刈り込んだ髪。鋼のように鍛え上げられた肉体。

 白峰リクト。

 彼は無言のまま、獲物を定める猛禽類のような鋭い眼光で、俺を射抜いた。


「……お前が、あの『ノイズ』か」


 リクトの声は低く、地下道の空気を物理的に震わせる地響きだ。

 彼は、自身の巨大な拳をゆっくりと握りしめる。

 その瞬間、彼の腕が――。

 細胞の一つ一つが結晶化するように、鈍い銀色の鋼鉄へと変貌を遂げた。

 周囲の空気が、ミシミシと軋む。


「『身体共鳴』――。自身の筋肉と細胞の波形を強制的に同調させ、身体能力を極限まで引き上げる。……格闘戦なら調整局の装甲車でも止められねえぜ」


 ハルが、誇らしげに鼻を鳴らす。

 サラ。リクト。そして、ハル。

 彼らもまた、俺と同じだった。


「俺たちは、システムの甘ったるい恩恵を拒絶し、本物の感情を宿したまま目覚めた能力者……」


 ハルがキーボードを叩き、メインモニターを切り替えた。

 そこに表示されたのは、古代の石碑をデジタル化したような、古びた機密文書。

『リアル・レゾネーター』。

 本物の、共鳴者。


「ネオ・トーキョーの家畜どもは、フェイク・レゾナンスによって感情を『調整』されている。言わば、システムの部品として規格化されてるんだ。だが、極稀にお前らみたいに、システムの波形を受け付けないイレギュラーが生まれる」


 ハルの説明を、横で息を潜めて聞いていた神崎ミナが、掠れた声で補足した。


「調整局の極秘資料にも、その名称は記されていました。……社会の絶対的な安定を揺るがす、最優先排除対象。その存在そのものが、都市に対する『大罪』とされる者たち」


 ミナの言葉には、隠しきれない自嘲が混じる。

 彼女自身、その『罪人』を救い、自らも道を踏み外した。


「でも、なんで。……なんで俺たちが、こんな力を」


「理由は分からねえ。だが、共通点はある」


 ハルが、モニターの光を背負いながら俺を指差した。


「リアル・レゾネーターは皆、過去にシステムの洗脳じゃ埋められないほどの、巨大な『精神的衝撃』を経験してる。システムが提示する『偽物の幸福』という名の絆創膏じゃ、塞ぎきれないほどの深い穴が心に開いてるんだ。……レン。お前の場合は、あの事故だろう?」


 十年。

 西暦2131年、共鳴暴走事故。


 目の前で家族を失い、世界が血の色に染まったあの日。

 あの日から、俺の耳の奥ではずっと、世界が悲鳴を上げて軋む音が聞こえていた。

 周りの連中がどれだけ幸せそうに笑っていても。

 俺だけは、その笑顔の裏側に広がる、絶対的な『無』の深淵を感じ取ってしまっていた。


「システムは、お前という『穴』を埋めることに失敗した。だから、お前は共鳴のネットワークからこぼれ落ち……そして、システムそのものを拒絶する『ノイズ』を手に入れたんだよ」


 ハルの言葉が、冷たい地下水のように脳細胞の隅々まで染み込んでいく。


「さて、講義は終わりだ。……レン、お前の力は強力だが、今はただの暴発だ」


 リクトが、一歩前に踏み出した。

 たったそれだけの動作で、ホームの空気が物理的に重くなる。


「その力を制御できなきゃ、お前はいずれ、自分自身のノイズの熱で脳を焼き切って死ぬぞ。……まずは、その『怒り』の出し方を、俺が叩き込んでやる」


 リクトが、獰猛な肉食獣のような笑みを浮かべた。


「手合わせだ。……本物の感情ってやつを、俺にぶつけてみろ」


 *


 旧駅舎の広場。

 瓦礫が山をなし、天井からは剥き出しの鉄骨が肋骨のように垂れ下がる即席の訓練場。


 対峙するのは、巨躯のリクト。

 少し離れた場所で、ハル、ミナ、そして心配そうに瞳を潤ませるサラが見守っている。


「……いくぞ」


 リクトの宣言と共に、空気が爆発した。

 彼が一歩を踏み出した瞬間。

 コンクリートの床がクモの巣状に砕け、凄まじい衝撃波が頬を打つ。


(――速い!)


 身体強化されたリクトの巨体が、瞬きする間もなく眼前に迫っていた。

 鋼鉄と化した銀色の拳が、容赦なく俺の顔面へと突き出される。


「がはっ……!!」


 咄嗟に両腕を交差させてガードしたが、衝撃は防ぎきれない。

 大型トラックに正面衝突されたような衝撃。

 吹き飛ばされ、瓦礫の山に叩きつけられ、肺から空気がすべて絞り出される。


「どうした、ノイズ! そんなものか!」


 土煙を切り裂き、リクトが咆哮する。


「お前の怒りはそんな程度か! システムに飼われて、プラスチックの笑顔を貼り付けていた時の方が、まだマシな顔をしてたんじゃないのか!」


「……ふざけるな」


 血を吐き捨て、震える足で立ち上がった。

 右手に、ドロドロとした熱が溜まっていく。


 怒り。

 そうだ。俺はずっと、怒っていた。

 何もかもを「なかったこと」にして進む、この街に。

 家族の記憶も、俺の孤独も、すべてを色鮮やかなホログラムと笑顔で塗り潰そうとする世界に!


「出ろ……出ろぉぉぉ!!」


 バリバリバリィッ!!


 右手から、漆黒のノイズの奔流が噴き出した。

 無秩序な黒い稲妻となって周囲の瓦礫を粉砕し、リクトの重圧を真っ向から押し返していく。


「いいぜ……それでこそ、世界を壊す力だ!」


 リクトが、さらに出力を上げた。

 身体共鳴の青白い光と、俺のノイズの黒い闇。

 地下の静寂の中で、二つの異形が激突する。


 ドォォォォォォォォォォン!!


 地下の広場に、黒い火花と青白い衝撃が混ざり合い、耳を劈く轟音が鳴り響いた。


 俺の放った『ノイズ』が、リクトの鋼鉄化した拳と真正面からぶつかり合う。

 衝撃波が同心円状に広がり、周囲に積み上げられた旧時代の鉄製コンテナが、紙細工のように無残にひしゃげて吹き飛んだ。


「……が、あ……っ!」


 腕に伝わる反動。

 暴走する巨大な重機を素手で受け止めているような、凄まじい負荷。

 脳血管が沸騰し、視界の端が自身の血の色で真っ赤に染まっていく。


(……だめだ。出力の、抑え方が……わからない!)


 これ以上出力を上げれば、脳が先に焼き切れる。

 抑えれば、リクトの圧倒的な質量に粉砕される。


 真っ黒な嵐のようなノイズが、俺の制御を離れて、周囲の瓦礫を無差別に粉砕し始めた――その時だった。


「――そこまで。レン君、一度深く呼吸して」


 鈴の音のような、涼やかな声。

 それと同時に。

 荒れ狂う嵐のような精神の海に、一滴の冷たい雫が落ちた。


「……っ!?」


 伊吹サラが、激突の渦中へと一歩歩み寄っていた。

 彼女は俺の背中に、そっと、羽毛のような軽さで掌を添える。


 脳内を支配していたノイズの不快な高音が、スッと遠のいていった。


「サラ……?」


「あなたの感情は、あまりにも純粋すぎるの。だから、出力のバルブが壊れちゃってるのね」


 サラは静かに目を閉じ、俺の意識の深層へと語りかけるように囁いた。

 彼女の力が、乱れた波形を優しく包み込み、ゆっくりと整えていく。


「怒りだけじゃダメ。……その奥にある『願い』を見つめてみて。あなたは、どうしてこの力を手に入れたの?」


 願い。


 脳裏に、あの日の記憶がフラッシュバックする。

 2131年、共鳴暴走事故。


 真っ赤に染まった空。

 悲鳴と共に崩れ落ちるビル。

 助けを求める家族の手を握りしめながら、ただ何もできず、システムの静寂の中に立っていた幼い俺。


 あの時。

 俺が心の底から望んでいたのは。

 世界を壊すための暴力じゃない。


 誰もが自分を失わず、大切な人の手を、最後まで自分の意志で握っていられる世界だ。


「……思い、出した」


 右手から溢れていた黒い粒子が、劇的な変化を遂げた。

 荒々しく飛び散る稲妻から、静かに、だが密度を増した『黒い炎』のような重厚な輝きへ。


 無差別な破壊の波が、俺の確かな意志によって収束され、一つの形を成していく。


「ほう……。ようやく『制御』の入り口に立ったか」


 リクトがゆっくりと拳を下ろし、満足そうに鼻を鳴らした。

 鋼鉄化が解除され、周囲を圧迫していた重圧が霧散していく。


「いい波形だぜ、レン。それがお前の、本物の『信念』ってわけだ」


 荒い息を吐きながら自分の右手を見つめた。

 掌は熱い。だが、先ほどのような頭を割る痛みはない。

 自分自身の感情を、初めて自分自身の意志で握りしめることができた――そんな、確かな手応え。


 *


「お疲れさん。初日のトレーニングにしちゃ、上出来だ」


 アジトのメインルームに戻ると、ハルがモニターの向こうから生意気な声で迎えた。

 コーヒーカップを片手に、再び複雑なグラフを画面に呼び出す。


「レン。お前たちが修行してる間に、地上の最新データを解析しといた。……事態は予想以上に深刻だぜ」


 ハルが指差したモニター。

 ネオ・トーキョー各所に設置された巨大な『共鳴増幅塔』の稼働状況。


「ここ数時間で、フェイク・レゾナンスの出力が異常に上がってる。……政府は、お前の出現に相当ビビってるらしい。市民の感情をさらに深く、根こそぎ『固定』して、反乱の芽を完全に摘もうとしてやがる」


「……そんなことをしたら、市民の心はどうなるんですか?」


 神崎ミナが、祈るように両手を組み、不安げに尋ねる。


「最悪、廃人だ。自分の名前も、愛した人の顔も忘れて、ただ一生、システムに最適化された笑顔を浮かべ続けるだけの肉塊。……それが、この都市が目指す『完璧な平和』のゴールだよ」


 残酷な言葉。

 アジトに重い沈黙が流れる。

 排熱ファンの音だけが、虚しく響く。


 作られた笑顔。

 吸い取られる感情。

 人間をただの『感情発電機』として利用し、中身が空になるまで使い潰す社会。


「そんなこと……絶対に、させない」


 俺の声が、冷たい地下の空気を震わせた。


「俺たちは『リアル・レゾネーター』なんだろ。……システムに抗って、本物の心を持って目覚めたやつらなんだろ。だったら、やることは一つだ」


 そこにいる仲間たちの顔を一人ずつ見渡す。


 ハッカーのハル。

 音の使い手、ミナ。

 精神の調律師、サラ。

 不屈の戦士、リクト。


 かつては皆、孤独だった。

 この世界で「自分だけがおかしい」と悩み、弾き出されてきた。

 でも、今はもう、一人じゃない。


「フェイク・レゾナンスをぶっ壊して、みんなの心を取り戻す。……そのための力なら、俺はいくらでも使ってやる」


 ハルは不敵に笑い、リクトは力強く頷いた。

 ミナは静かに隣に立ち、サラは優しく微笑んで頷く。


「よし。……じゃあ、反撃開始だ」


 ハルが、力強くエンターキーを叩いた。

 メインモニターに、都市の心臓部へと続く侵入経路が赤色で点灯する。


「作戦名は――『不協和音の反撃ノイズ・リベンジ』。……地上のあの偽物の平和を、俺たちの手で叩き起こしてやろうぜ」


 *


 その頃。

 地上のネオ・トーキョー、中央タワーの最上階。


 冷徹な光を放つホログラムの群れに囲まれ、霧島カイは椅子に座り、静かに目を閉じていた。


「……共鳴波、捕捉」


 彼の脳内に、地下の深淵から漏れ出る、微かな、だが強烈な『不協和音』が届く。

 秩序を何よりも愛する彼にとって、不快極まりない異物の響き。


「朝霧レン。……君の言う『本物の感情』が、どれほど残酷な混沌を招くか。その愚かさを、私が直々に教えてあげよう」


 カイが目を開けた瞬間。

 彼の周囲の空間が、絶対的な静寂によって支配された。

 他者の能力、意志、そして生命そのものを『統制』し、静止させる、絶対的な秩序の力。


 宿敵の牙は、もう、すぐそこまで迫っていた。


 地下の暗闇。

 地上の偽りの光。

 世界を分かつ最後の共鳴が、今、加速を始める。


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