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Donect  作者: 天霖千
3/5

封筒

 玄関の扉が閉まる音を背に、睦月は歩き出した。

 夜風が思ったより冷たい。

 季節の変わり目がだと言うことを、体が先に思い出させてくる。

 足取りは問題ない。

 少なくとも、今は。

 角を曲がったところで、一度立ち止まる。

 息を整えるためだ。そう思っていた。

 次の瞬間、視界が揺れた。

「……っ」

 郁出したはずの足が、地面を捉えない。

 世界が一瞬、傾く。

 慌てて塀に手をつく。

 指先に伝わる冷たさが、妙に遠い。

 心臓の音が、耳の内側でうるさい。

 ドクン、ドクンと一定でない。

 ――まだ、動ける。

 そう思った直後、膝が抜けた。

 倒れる、と思ったが体は反射でしゃがみ込み、完全に崩れるのだけは避けた。

 アスファルトに膝が触れ、鈍い痛みが遅れてくる。

「……やっぱり無理か」

 誰に言い聞かせるでもない声。

 呼吸が浅い。

 肺が、うまく膨らまない。

 神無の家の明かりが少し離れた場所に見える。

 さっきまで、あの扉の前に立っていたことが、もう随分前のことのように感じた。

 ポケットに入れたままの形態が、震えた。

 表示された名前にほんの一瞬だけ迷う。

 ――陸。

 出るべきか。出たら迎えに来ると言い出すだろう。

 通話のボタンを押さず、握りしめる。

「……もうちょいだけ」

 塀にもたれ、ゆっくりと立ち上がる。

 視界の端が暗くなる。

 頭の奥で、医者の声がよぎった。

「無理をしないでください。隊員は、回復したという意味ではありません」

 わかっている。それでも、今日じゃないとだめだった。

 神無が、扉を締める前に。完全に、何かを断ち切る前に。

 足を一歩、前に出す。

 視界が白くなり、音が遠のく。

 倒れるより前に、誰かの声がした。

「……師匠!」

 腕を捕まれ、体が引き戻される。

 地面にぶつかる衝撃はなかった。

 代わりに、見慣れた声が耳元で重なる。

「言ったでしょ、迎え呼べって!」

 陸だった。

 その後ろに天と海の姿もある。

「尾行?」

 睦月がそう言うと、三人は同時に視線をそらした。

「念のためです」

「社長命令」

「あと、師匠信用ない」

 言い返す気力はなかった。

 陸に肩を課され、歩き出す。

 振り返ることはしなかった。

 それでも、背中の奥が、少しだけ軽くなった気がした。

 いうべきことは言った。

 後は神無が決める番だ。


 扉を締めた後、神無はそのバカラ動かなかった。

 鍵を掛ける音が、やけに大きく響いた気がした。

 すぐに後悔して、指を離す。

 玄関灯は消したまま。

 暗闇に目がなれるのを、ただ待つ。

 帰ったことを確認するために、カーテンの端を少しだけ持ち上げた。

 外套の明かりに、細かい影が伸びている。

 睦月だった。

 歩いている。遅いが、確かに。

 声を掛ける理由はなかった。

 開けなくていい、と言われた。

 入らない、とも。

 それでも、角を曲がる前に、睦月が立ち止まった。

 神無の胸が、嫌な音を立てる。

 影が揺れる。

 次の瞬間、体が沈んだ。

「……は?」

 思考より先に、足が動きかける。

 扉に手をかけて、止まった。

 ――出るな。

 誰かの声かもわからない理性が、腕を引き留める。

 もう、関わるな。

 これ以上、引きずるな。

 外では、睦月が塀に手をついている。

 しゃがみ込み、しばらくは動かない。

 呼吸をしているのはわかる。

 倒れては居ない。

 そのとき、別の影が、現れた。

 見覚えのある背格好の三人。

「陸」

 名前を、声に出さずに呼ぶ。

 陸が睦月の腕を掴み、引き上げる。

 天と海が、左右から支える。

 睦月は抵抗しなかった。

 その様子を、神無は窓越しに見ていた。

 最後まで。

 角をまがり、四人の姿が完全に見えなくなるまで。

 カーテンを閉める。

 その動作がやけに重い。

「最低だな、俺」

 誰に向けた言葉でもない。

 倒れかけた人間を見送っただけ。

 無意識に皺が増えた封筒を見る。

 選択肢。

 睦月はそういった。

 自分で決めろ。その言葉が、やけに重くのしかかる。

 ゆっくりと、封を切った。

 中に入っていたのは、数枚の書類と、一通の手紙。

 書類は、事務所名、条件、活動内容。どれも現実的で、逃げ場のない文字ばかりだ。

 手紙は短かった。

「歌うことをやめる選択も、続ける選択も、どちらも正しい。ただし、誰かの代わり地して歌う必要はない」

 紙を握りしめる。

「……勝手なことを言いやがって」

 続けるのも正しい。

 やめるも正しい。

 そんな便利な言葉で、割り切れるなら、苦労しない。

 視線がテーブルのマイクに落ちる。

 この汚れた部屋で埃一つもなく、収納されたマイク。

 万里と、一緒に選んだやつだ。

 軽くて、音が素直で、「二人の声に合う」と言われた。

 一本しかない。

 神無は、マイクを手に取った。

 電源は入れない。

 歌わない。

 ただ、口元に近づける。

 声を出そうとして、喉が詰まる。

 出てきたのは、音にもならない息だけ。

 万里の声が、脳裏に蘇る。

 ハモるとき、少しだけ遅れる癖。

 ライブ前に必ず言っていた「大丈夫」

 マイクをテーブルに戻す。

 両手で顔を覆った。

「俺一人じゃ、歌えないんだよ」

 しばらくして、立ち上がる。

 カーテンを少しだけ開けると、夜の街が滲んで見えた。

 封筒をゴミ箱に入れる。

 迷って、取り出す。

 そして、引き出しの奥へ押し込んだ。

 まだ、決められない。

 でも。

 ――歌、嫌いになるな。

 睦月の声が、耳のおくで、繰り返された。

 神無は、マイクをケースに姉妹、そっと蓋を閉じた。

 その夜も、音楽は流さなかった。

 それでも、眠れなかった。




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