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Donect  作者: 天霖千
2/5

睦月と竹下

 あの事件から数週間後。

 ようやく退院できた睦月は、家に帰るよりも先に、久方ぶりにあの事務所へ向かった。神無に向かわせた、あの場所へ。

 体はまだ万全とは言えないが、長時間の移動が不可能というほどではない。タクシーを使い、事務所の前で降りる。

 受付に足を運ぶと、見慣れた顔が三人いた。

 訪問者としてではなく、きちんと揃えた制服を身にまとって。

「師匠、ここに来るなら言ってくださいよ。迎え、よこしたのに」

 睦月のことを師匠と呼ぶのは彼らだけだ。

「お前らがここにいるなんて聞いてないんだけど」

「言ってなかったっけ?」

 三人は顔を見合わせて笑い、そのまま受付を出ると、陸がちゃっかり睦月をおぶった。

「歩けるけど?」

「社長命令だから」

 そのまま事務所の奥へと連れて行かれ、案内された社長室は相変わらず書類で溢れかえっていた。

「お久しぶりです」

「お、久しぶりだね。大丈夫かい?」

「はい」

 忙しいのは承知の上で、顔を出したが、ここまでとは思っていなかった。

「神無は、どうなった?」

「入社はしたけど、それっきり」

 音沙汰なし、というところだろう。

 信じた人間しか家に上げない神無だ。様子を見に行っても居留守を使われて終わりだろう。

「今度様子を見に行ってくる」

「睦月」

 社長が、不意に真剣な声で名を呼んだ。

「君が来た理由は、顔を出しだけじゃないだろう」

 図星だった。

 睦月は背もたれに身を預け、天井を見上げる。

「神無を、表に出すきはない」

「だろうね。でも、完全に切り捨てるわけでもないんでしょ」

 睦月が笑い話しかけると、社長の体が少しはねた。

 社長の指が、机の上の位置枚の資料を叩いた。

「だから準備だけはしてある。君が倒れている間もね」

 差し出されたのは、薄い封筒だった。

「神無本人には、まだ渡していない」

「……逃げ道?」

「居場所、かな」

 睦月は封筒を受け取り、少しだけ黙った。

 万里が居なくなり、Donect が終わり、それでも、神無の時間は止まっていない。

「行ってくる」

「無理はするなよ」

「それは無理」

 そう言って、睦月は小さく笑った。

 神無は、きっと拒む。

 それでも、伝えなければならないことがある。


 ――終わったままにしないために。



 神無の家は、事務所から電車を一本乗り継いだ先にあった。

 以前、送ってもらったことが一度だけある。住所を覚えるほどの付き合いではなかったが、曲のデータを受け取りに行った帰り道、たまたま一緒になっただけだった。

 インターフォンを押す指が、途中で止まる。

 この扉の向こうにいるのは、相方を失い、居場所を失い、なお表に立つことを選ばされた人間。

 自分が来ていいのか。

 来たところで、何を言えるのか。

 ――それでも。

 睦月は、インターフォンを押した。

 反応はない。もう一度押そうとして、やめる。

 信じた人間にしか家に上げない神無が、いまこの状態で他人の呼び鈴に応じるとは思えなかった。

 扉の横に寄り、壁に背を預けて座り込む。

 立っていると、まだ足元が覚束ない。

「……」

 しばらくして、扉の向こで物音がした。

 鍵の回る音ではない。足音でもない。

 誰かが、底にいる気配。

「……帰れ」

 扉越しに、低く枯れた声が落ちてきた。

 睦月は返事をしなかった。

 代わりにポケットから封筒を取り出し、扉の前にそっと置く。

「開けなくていい」

 それだけ言って、少し息を整える。

「入らない。今日は、渡しに来ただけ」

 沈黙。

 時間が伸びる。

「社長に、怒られた?」

 神無の声だった。

 攻めるでもなく、ただ乾いた調子で。

「ちょっとだけ」

 睦月が答える。

「相変わらず、勝手だって」

 小さく、息を吐く音が聞こえた。

 わらったのか、ため息なのかはわからない。

「……解散、公開したのは」

 言い淀む。

「俺の意思じゃない、だろ」

 睦月は、少しだけ視線を伏せた。

「間違ってはいない」

 そう前置きをしてから、続ける。

「でも、相談はするべきだった」

 扉の向こうで、何かがぶつかる音がした。

 拳か、額か。どちらでもいい。

「……今更だ」

「いまさらだよ」

 同意するように、睦月はいった。

 その静かな工程が、逆に神無のしゃくに触ったのか、息が荒くなる気配がつたわってくる。

「じゃあ、何をしにきた」

 真正面からの問い。

 睦月は、少しだけ間をおいた。

「神無を、表に引き戻しに来たわけじゃない」

 神無は何も言わずにただ静かに聞いていた。

「でも、逃げ切るのも違うと思ってる」

 封筒の存在を声で示す。

「それ、居場所の候補」

「仕事?」

「いや、選択肢」

 再び、沈黙が訪れる。

 しばらくして鍵の外れる音がした。

 扉はほんのわずかだけ開く。

 人一人通れるほどではない。

 神無の顔は、半分しか見えなかった。

 目の下に濃い隈。整えられていない髪。

「……中、入る?」

 睦月は首を横に振る。

「今日はいい」

 扉の隙間に封筒を差し込む。

「読まなくてもいい。捨ててもいい」

 ただし、と一言添える。

「自分で決めろ」

 神無の手が、封筒を掴んだ。

 その瞬間、視線がぶつかる。

 何かを言いかけて、神無は口を閉じた。

「……ありがと」

 それは、感謝なのか、別れなのか。

 睦月は答えず、ゆっくりと立ち上がる。

 帰り際、振り返らずに行った。

「歌、嫌いにならないで」

 扉が、静かに閉まった。

 ガギの音が、確かに鳴った。




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