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「な……ッ!?」
「聖女様がっ?!」
「ああっ、なんてこと……!」
人々の声で大聖堂のステンドグラスがびりびりと震える。
「既に、大司祭様による確認も終えております。確かに聖女様です、新しい聖女様が、やっと、我が国に……!!」
感極まった様子で、報告し終えた途端に泣き崩れる男性。
唖然とした表情で立ち尽くすエミリオ様。
私の肩を抱く彼の手がどんどん冷えていく。横目で見れば、エミリオ様は蒼白になっていた。
すぐに反応して立ち上がったのは国王様と王妃様だった。
「聖女様はどこにいらっしゃるんだ?」
咽び泣き続けていた男性は、国王様の問い掛けにまだ溢れ出ている涙を拭って震える声で答えた。
「王都まで転移魔法で移動なさった後、今、大司祭様と共に王城へと向かわれていらっしゃいます。私は先触れとして早馬で参りました。あと数刻でお着きになるかと」
「……聖女様の年齢は?」
「18だとおっしゃっていました」
「――なるほど。では我々は聖女様をお迎えする準備を即刻始めなければいけないな」
国王様がこちらを見る。エミリオ様の手が、私の肩から力なく落ちた。
「ベアトリス嬢、申し訳ないが婚姻の儀は中止だ。現時点において、我が息子エミリオ・フォルテュードとベアトリス・イウストリーナの即時婚約解消を宣言する。以上」
威厳のある声に、聖堂内がまた静かになる。
「……かしこまりました」
弱々しいエミリオ様の声は、今にも消え入りそうだった。
「ベアトリスも、理解してくれるな」
拒絶などを認めない響きを持った国王様の言葉に無言で笑みを浮かべ、淑女の礼で応える。そんな私を見た王妃様は、なんとも言えない表情を浮かべて視線を逸らした。お二人はそのまま大聖堂を後にする。そのすぐあとに、第一王子夫妻が続く。更に大臣や高位の貴族たちが席を立つと、それを合図に、ほぼ全員が立ち上がった。
「ビー、僕は……」
拳を握りしめているエミリオ様は、この状況を飲み込み切れていないが、自分のやらなければいけないことはわかっている、という葛藤を抱えているように思えた。
待ち望まれていた聖女の出現。しかし、その聖女が現れたタイミングは、あろうことか婚姻を結ぶその直前、幼い頃から一緒になるのだと思っていた幼馴染との結婚式の場。
国王から直々に婚約破棄を命じられたということに私だって少なからずショックを受けている。しかし、そんな私以上に今、彼の頭の中では様々な感情が入り混じっているのだろうと想像できた。
聖女の出現は喜ばしいこと。そして、王家の男性と聖女の婚姻が重視されるこの国において、第一王子が結婚しており第三王子はまだ幼いとなれば、彼女の相手として相応しいのはエミリオ様しかいなかった。国王様の宣言も当たり前で、この場に大司祭様がいなかった理由も、理解出来た。ずっと待ち望まれていたそれを大司祭様が最優先としたのも言わずもがな。
立ち尽くしているエミリオ様に対して私ができることは、その背中を押すことくらいだった。
「いってらっしゃいませ、エミリオ様」
「……ビー……」
彼は、なにか訴えるような目で私を見つめる。私は頷き返し
「どうか、ご自分のなさるべきことをなさいますよう」
エミリオ様の腕を、そっと押した。くっ、と一瞬息を飲み表情を歪めた後、深く息を吐いたエミリオ様は、それ以上こちらを振り返ることなく国王様の後を追った。
婚姻誓約直前での婚約破棄。
しかも理由は聖女様が現れたから。
誰も責められない。でも、だからこそあまりにもやるせない。
エミリオ様の隣で彼を支えて生きていくつもりだった人生の地図が一瞬にして無となった。こんなことが私の人生に起きるだなんて……と言葉を失っていた私は、それから2時間後にはそれ以上の衝撃にさらされていた。
「ベアトリス様! マクシミリアン様と結婚してくださってありがとうございます!」
「わが主がこんなに愛らしい花嫁が迎えられるとは思っていませんでした。感謝いたします、貴女が女神か……!」
目の前にズラリと並んだ執事やメイドたちが私に満面の笑みを向けている。私は、外から眺めるだけで、今まで一度も立ち入ったことのなかったお城にて大歓迎を受けていた。
お城の大きな窓の外に広がっているのは、美しい庭園だけではなく一面の晴れ渡った青空。視界の下の方に雲があり、その切れ間から、聖女を迎える宴を催しているのだろう王城が小さく見えていた。今頃は王都中に聖女が現れたという話が広がり、結婚式以上のお祭り騒ぎになっているのだろう。エミリオ様と私の婚約破棄の話など、誰もが忘れているに違いない。ここはそんなデアリスの喧騒からは切り離された世界だった。
この状況をどうするべきなのか、助言を求めて隣のマクシミリアン様を見上げる。私の視線に気付いた彼は、優雅に笑って私へ手を差し伸べた。
「ようこそ、天空城エアルトリアへ。言い忘れていたけれど、私はこの城の主なんだよ。と、いうことで、あなたは今日からここの王妃となったわけだ。うん、これからよろしく頼むよ」
どうやら私は、この国の王子の妻ではなく、天空を統べる城の王に娶られたようだった。