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13

 翌朝、目を覚ました私は、微睡みの中で視界の隅になにかを捉えた。視線だけをそちらに向けて、それがなにかを認識した私の新たな一日は、上がりそうになった悲鳴を必死に堪えることから始まった。


 目の前に、キラキラしたつぶらな黒い瞳。

 真っ白い大きな顔が私を覗き込んでいた。


「あ、あの……ええと……おはよう、ございます……?」


 引きつりそうになりながらもなんとか笑顔を作った私だったが、視線が合ったまま硬直している頬を大きな舌でべろりと舐められて、堪らず大きな声を上げた。


「きゃぁぁぁぁぁぁ!!!」


 その声に驚いたのだろう。いつの間にか開いていた窓からそれが逃げ出していく。すぐ昨日世話をしてくれてたメイドたちが「どうなさりましたか、奥様!」と部屋に駆け込んできた。


「あ、あれ……あのっ」


 窓を指差した私の指の先を追い、空高く舞い上がっていった姿を確認したクララは


「あらあらぁ、きっと奥様が気になって仕方がなかったのですねぇ」


 なんてのんびりした声を出した。


「あのように、ペガサスが部屋に入ってくることがあるの?」


 初めてペガサスを目にしたという感動よりも、寝顔を眺められていたことや舐められたというショックでじっくりと観察する余裕がなかった。それにしても毎朝あんな風に起こされるのは心臓に悪い。なるべくなら遠慮させていただきたいと思っている私に「部屋に勝手に入ってきているのを見たのは初めてです」アミカは落ち着いた声で言いながら窓辺まで行くと窓を閉め、振り返って私の顔を見るなりぐっと言葉に詰まった。


「……すぐにお風呂をご用意いたします。少々お待ちください」

「わーあ! 歓迎されてますね、奥様!」

「クララ、そういう問題ではないのよ」

「でもペガサスってなかなか人に懐かないんですよ。塔の魔導師でも触れることを許されてない人が多いんですから」


 妙に嬉しそうなクララはアミカに引っ張られていく。すぐにお風呂の用意ができたとアミカが戻ってきて、朝からもう一度湯につかる。ペガサスの唾液でベタベタになっていた私を綺麗に洗ってくれた2人――主にクララが「今日はなにをお召しになりますか?」と何着も服を持ってきてくれた。


「私はこれが! 旦那様のお好みだと思いますっ」


 おっとりとした顔立ちのわりに押しが強いクララに言い切られ、清楚な雰囲気の薄いミントグリーンのドレスを身に着けた私が朝食の用意されている部屋へ入った時には、やはりマクス様はもう席についていらした。

 その手には、新聞という世間の出来事がセンセーショナルに書かれているという読み物。父が書斎で読んでいるのを見たことはあるが、今日の見出しは案の定聖女の話のようだった。私に気付いた彼はすぐにそれをコレウスに片付けさせる。


「おはようビー。よく眠れたかい?」

「おかげさまでぐっすり眠らせていただきました」


 席に着こうとすれば、マクス様が立ち上がって寄ってくる。どうしたのかしら、と見上げれば「おやあ」と小さく呟いた彼に頬を撫でられる。


「もうクイーンからの加護を受けたのか。早いな」


 ――クイーンとはどなたでしょう。

 加護と言えば精霊から与えられるもののはず。そんなものをいただいた覚えはないのですけど。

 頬に手を当てられたままマクス様に顔ごと向き直る。なにも言わなかったのだが、私の顔には考えが浮かんでしまっていたようでちゃんと答えが返ってくる。


「あぁ、クイーンというのはペガサス族の長のことだよ。本来彼らは気性が荒く、気位も高いから人を簡単には寄せ付けない。自ら近付こうともしない。あなたのことは気に入るのではないかとは思ってはいたが、自分から加護を与えに来るほどだったか」


 なるほどなるほど、と一人納得して自分の席へ戻っていったマクス様は、その後運ばれてきた朝食を取りながら晴れやかな笑みを浮かべた。


「さて。では今日はなにをしようか。ビーは? したいことなどはあるかい?」


 さっそく『ベアトリスのやりたいこと』をリクエストされるが、そう簡単には思いつかない。卓上に並んでいる決して豪華すぎない野菜と果物多めの朝食を食べながら考えていた私だったが、

 ――もしかして、このオレンジジュースは朝絞ったものかしら。

 実家で飲んでいるのと似たような味に、ピンときたものがあった。


「あ……」

「うん?」

「行きたいところがありました」

「おぉ、いいな。どこだ?」


 パンを千切ってこちらを見たマクス様に、笑顔を向ける。


「朝市に、行ってみたいです。今日は日曜ですよね。昼過ぎまで市場が出ていると聞いたことがあります。私、行ってみたいです」


 公爵令嬢という立場上、そのような市井の様子を肌で感じた経験は多くない。実家にいたなら許されなかっただろう市場散策も、この状況なら許してもらえるかもしれない。

 どこにでも連れて行ってくれるというマクス様の発言に期待して言えば、私の行きたい場所を聞いた彼は少し渋い顔をした。

 ――やっぱり、貴族という立場上簡単には許してもらえないのね。

 残念なような、仕方ないと諦めのような気持ちで桃をフォークに刺す。ところが、マクス様の口から出たのは予想外の言葉だった。


「うーん……あなたの行きたい場所なら喜んで連れて行ってやりたいところだが、街はきっと聖女の話で盛り上がっているぞ? そんな話は聞きたくないだろう。きっと気分が良くない。私はビーに楽しんでもらいたいのに、嫌な思いをする可能性の高い場所に連れて行くのでは意味がない」

「気にしません! 待ち望まれていた聖女様ですもの、街がお祭りのようになっているのならなおさら、一生に一度のことでしょうし、そういう光景を自分の目で直接見てみたいのです」


 聖女が現れて皆が喜ぶのは当然のことなのだ。

 それに今は、まだ誰もが聖女様に夢中で私のことについて噂をする余裕などないだろう。ただお祭り騒ぎになっているだけであるのなら、それを他人事のように眺めてみるのもいい。私の気持ちを慮っての逡巡だったと知って、その心遣いに嬉しくなる。


「駄目ですか?」

「う、そんな可愛らしい顔でおねだりをされるとなにがなんでも叶えてやりたくなってしまうな」


 唸りながらスープに浸したパンを齧ったマクス様が、部屋の入口に控えていたコレウスに視線をやる。それだけで通じるものがあったようで、頭を下げたコレウスがすぐに部屋を出ていった。


「聖女の存在やら噂話を気にしないというのなら、強く拒否する理由もない。しかしその目と髪の色は目立つ。少し変えさせてもらうぞ」


 食事をしながら、マクス様が指を鳴らす。視界に入っている私の髪の毛が、マルベリーのような暗い赤紫から藁色に変わっていく。アミカの持ってきた鏡を覗けば、瞳の色も金から若草色になっていた。


「この色は、昨日の……」

「あぁ。昨日の私とお揃いだ。顔を変えなくとも、髪と瞳の色が違うだけで存外に人は気付かないものだからな。これに小金持ちな平民のような格好でもすれば、変装は完璧だ」

「もしかして、マクス様が一緒に行ってくださるのですか?」


 あれだけいろんな肩書を持っているのなら、私には想像もできないくらい忙しいのではないだろうか。無理に付き合ってくださらなくても良いのに、と思ったのだが、私にとっては初の市場体験というだけのつもりだったこの外出は彼にとっては意味が違ったらしい。


「可愛い妻とのデートの機会を逃す夫がどこにいるんだ。それに、そこら辺のを護衛につけるよりも私に守られていた方が安全だと思うが?」

「でも」

「でも、が多い。下に降りるついでに、ビーのご家族とも話をさせていただくことにしようか。ここまでご足労いただくのも申し訳ないし、こういう話は早い方がいい。こちらから伺うと連絡を入れておこうじゃないか。そうとなったら、食事が終わったら着替えてすぐに出発するぞ。ああいうのは早い方が品物も多いからな」


 先に食事を終わらせたマクス様は、昼食は要らないと厨房に告げるように命じて先に準備をしに行ってしまった。あまりゆっくりしていては市場に滞在する時間が短くなってしまう。朝食の残りを急いで食べていると、クララとアミカが町娘の着ているようなワンピースを複数持って現れた。

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