12話 ターゲットは、明確に
「信じたくはないが、母上いわくは、オーブリーの勘が当たっている」
宰相補佐官執務室に、苦悶の表情を浮かべたバルナバスが訪ねてきたのは、四の鐘の後だった。
手には、封筒が一通握られている。辺境領フォクトから早馬で届いたという手紙だ。
「そうか……」
応接テーブルで紅茶を飲むロイクは、眉間に深い皺を寄せた。
ヨロズ商会のメンバーは壁際に三人そろって立ち、テーブルに着くロイク、オーブリー、バルナバスの三人を見下ろす格好だ。
バニラの産地であり、赤色が象徴である隣国クアドラド王国は、香辛料と砂漠に生息するスコーピオ類の素材の産地で有名である。暑さに耐えうるクアドラド民は褐色肌が身体的特徴で、バルナバスの肌も母親から受け継いだものだ。王族と部族の集合体で成り立つ小国は、長年ラブレー王国と交易を続けてきた友好国のはずだった。
「国王の病に伴って、王太子サマーフ派と、魔術師バジャルド派の真っ二つに分かれているようだ」
バルナバスのその発言に、アリサは思わず言葉を漏らした。
「クアドラドにも、魔法使いがいるんですね……」
「ああ、魔術師といっても、ロイクやオーブリーのような魔法使いではないぞ。どちらかというと、占い師って感じだな」
「占い師?」
「そうだ。クアドラドは灼熱の国でな。生きるためには水、つまり雨が重要なんだ。だから天候を読めるやつが出世する」
「なるほど。教えてくださり、ありがとうございます」
西の隣国クアドラドとの国境は、バルナバスの出身である広大なフォクト辺境領が治めている。その東に位置するのがトリベール侯爵領とジョクス伯爵領で、北側がトリベール、南側がジョクス、と川で隔たれていた。今やトリベール領の所有権はほぼジョクスに渡っている。
顎に手を当て考え込んでいたロイクが顔を上げ、地を這うようなバリトンボイスを発する。
「……ようやく狙いが読めた。フォクトが挟み撃ちされたら、我が国は終わりだな」
その場にいた全員が、その発言に戦慄した。
「っ、そうだっ。その通りだ……!」
バルナバスの頑強そうな拳が、テーブルの上でぶるぶると震え出す。アリサは、漏れそうになった悲鳴を抑えるのに必死になった。
現状、ラブレー東にある王都を隣国のクアドラドが攻めようと思っても、補給の問題があった。
フォクト辺境領の西には巨大な山脈があり、地形でも隔たれているからだ。そこをジョクスと共闘して押さえられれば、辺境配備された強大な戦力を削ぐと同時に、補給線も確保できてしまう。攻め込まないにしろ、交易から支配にシフトすることも可能になる。
「母上いわく、サマーフ殿下はラブレーとの友好関係を維持したいと言っているが、バジャルドは国益を追求しろと息巻いているそうだ」
「ふむ。バルナバスの手に入れた情報で判断するに、ジョクスとバジャルドが結託しているのは間違いないだろう」
「魔術師を名乗るからには、魔法や魔力には精通しているんだろうね……」
テーブルにいる三人の話をじっと聞いていたアリサが、やがて絞り出すように言った。
「ジョクスがトリベールを取り込めたから……ただの勢力争いと思わせておいて……成功したから! ラブレー支配へっ、舵を! 切られたっ!」
眼鏡の奥にあふれてくる涙を、アリサは必死に奥歯を噛んで止めた。
例え女神の所業であったとしても、到底許せるものではなかった。月の女神ナルに似た存在を貶めたいのなら、対象はひとりだけにすればいい。国ごと巻き込むなど、どれだけの命を犠牲にするつもりなのだ、と怒りと悲しみで神経が焼き切れそうになる。
「アル、どうした!?」
振り返ったロイクが、アリサの様子のおかしいことに気づき、立ち上がろうとする。が、ニコが脇からアリサを支えるようにして、それを態度で拒んだ。
「……こういった大問題は、庶民には重すぎますよ、宰相補佐官殿」
「っ! その通りだな。薬物の出所を探るだけのつもりが、いつの間にやらだ。これ以上は危険すぎる。この件は、ここまでで良い」
もちろん安全が担保されるまでここにいればいい、とロイクが続けるその口を、アリサの叫びが止めた。
「嫌です!」
「アル、だが」
「関わるなら、最後まで!」
「危険だ」
「既に、危険です! 商会が襲撃されたということは、わたしたちは、知られてしまってます!」
「っ……」
それにはバルナバスが理解を示した。「周辺の護衛と巡回を増やすよう団長に嘆願しよう」と提案し、オーブリーも「魔導士としてここに詰めるよう、届け出する」と申し出た。
「ふたりとも、セルジュ殿下の護衛はどうするんだ」
「学院内では続ける。殿下には近衛が常時張り付いているから、問題ない」
「王宮魔導士もね……それより、アルたちの方が心配だよ。守ってくれる人、いないもん」
庶民の命は、何よりも軽い。オーブリーは暗にそう言及した。それは、アリサへの警告でもある。
「わかった。ここまで巻き込んだ俺の責任だ。三人とも、くれぐれも単独行動は控えろ。いいな?」
◇
『アリサ、闇の魔力漏れてる』
「ごめん、ディリティリオ。吸っておいて」
『いーけどネー』
学院寮の自室へ戻ってきたアリサは、とめどなく流れる涙をそのままに、ベッドへうつぶせに寝ころんでいた。涙だけでなく、魔力まで駄々洩れているのは想定外だが、もう我慢せず泣けるだけ泣こうと開き直った。
王宮敷地外へ出たと同時に、ディリティリオの魔法で姿を隠して男装を解き、しれっと学院寮へ帰る。アルの方は、ニコと同室の設定で、何か起きても「一緒にいました」と証言してもらうことになっている。
ようやくそんな環境に慣れてきたところで、このような衝撃的な事実を目の当たりにして、感情の波を抑えられなくなっていた。
「こんな試練? 運命? ひどすぎるよ……」
ラブレー王国が、紛争の危機にある。しかもそのきっかけが、自分の家――
「つーらーいーーーーー」
両親は気づいていないに違いない、とふたりの顔を思い浮かべる。のんびりとした領地で、羊飼いや綿花栽培、織物ギルドを監修することで経営を行ってきた。温厚で真面目な人柄が、アリサは好きだった。
世情に疎く、正直者。善良な心根を、ジョクス伯爵家につけいれられた。
「くやしいーーーーーー」
枕に顔を埋めて防音対策をしつつ、泣き叫ぶことしか、今のアリサにはできない。
その横で闇の魔力をシュウシュウ吸いつつ、ディリティリオはのほほんと言った。
『アリサ、味方いっぱい』
「ずび。え? ぐし」
『ニコとポーラ。ロイクとオーブリーと、バルナバス……エリーヌも』
「聖女様は、どうかなぁ。ずびび」
『今までの子は、ずっとひとりだった』
「ディリ?」
『オイラの魔力、補充できなくなって……死んだ』
ぶふー、と大きく息を吐いてから、ディリティリオがアリサの頭頂に顎を置いてくつろぐ。蛇のくせに暖かいのは、魔力を吸い込んだからか。
「……あなた、もしかして……ずっと」
『だいじょぶだよ。アリサが今まで頑張ってきたから、みんないる。助けてくれるヨ~』
暖かい、より、熱い。
『敵が分かったら、倒すだけダヨ。でしょ? オイラを誰だと思ってるノ~?』
闇の精霊の怒りがふつふつと伝わってきたアリサは――笑った。
「やっぱり、闇の権化じゃん」
『こんなに可愛いのに~イヒヒ~』
「そうだね。お金を返すんじゃない」
そして、がばりとベッドから体を起こした。
「ジョクス伯爵家を、倒すっ!」
『イヒヒヒ~~~~』
――黒魔女と闇の精霊という、この世界で最も恐れるべき存在が、敵を明確にした。その、瞬間だった。